7話 涙
ふう……
久しぶりにこっちが書けた……
やっぱり二つ同時に書くのはキツイですな~
ふぁ~っと、場にそぐわない欠伸がヒトミの口から漏れると、硬直していた三人はハッと我に返った。
「ヒ、ヒトミ!?」
「……はい? 何をそんなに驚いているんですか」
「ち、ちょっと待ってよ! なんで髪が濡れてるのさ!」
「……あぁ、これですか」
シュウの問に数秒考えた後、
「……濡れてませんよ?」
「「「いやいやいやいやいやいや」」」
全力で否定された。
そもそも見れば嘘だとわかるため、言い訳になっているかどうかすら怪しい。そんなことが分からないヒトミではないのだが、この時の彼女は思考が少々鈍っていた。
「……まあ、あれです。『気にしたら負け』です」
「いや気になるって! 普通は気になるに決まってんだろ!」
「……大きな声を出さないで下さい。小さいくせに」
「ぐはぁ! お前まで言うか!」
カズは頭を抱え、背中を大きく反ると、余程ショックだったのか、そのままブリッジの体勢になった。何とも美しいイナバ〇アーである。彼は勇者なんかではなくスケート選手になるべきだと密かに思った。
「あ、俺も別件で聞きたいことがある」
「……今度はあなたですか」
「悪かったな、質問攻めにして」
「それで? なんでしょう」
「この壁のことなんだが……」
そう言うと、ゴウは先ほど物理法則を捻じ曲げた透明な壁を叩いた(正確には叩いてる感覚はないのだが)。壁は相も変わらず物体の通過を拒み続けている。それも、ちょうどヒトミが線を引いた真上だ。何も知らないはずはない。
しかし、ヒトミは一瞬だけ動きを止めると、まるで残念な人を見るかのような表情になった。
「壁が……なんですか」
「いや、ここに壁がある」
「……そこに壁が見えるのでしたら、まずは眼科に行くことをお勧めします」
「オイ、話を……」
聞け、と続けられるはずだったゴウの言葉は、一種の浮遊感によって遮られた。彼はその透明な壁に寄りかかっていたのだが、その壁が突然なくなったのだ。とっさに足が動いたため、転ぶことだけは避けられたが、ゴウは狐に包まれたような気分を味わった。
「一体なにが……」
「起きたんだろうね……?」
顔を見合わせるゴウとシュウ(カズは未だにイ〇バウアー中である)。
……そういえば、ヒトミが腕を振った瞬間に壁が消えたような……
そんなことを思い返し、振り返ると、シュウの目には今にも眠りに落ちそうなヒトミの姿が写った。
「ヒトミ?」
「……はい」
「もしかして眠いの?」
「……眠いです」
眠そうに目を擦る。
その姿がひどく幼く見えて、シュウは自分が意外に思っていることに驚いた。
考えてみれば、彼女は自分たちよりも年下なのである。あまりにも大人びていたために意識の外側に外れてしまっていたが、常識的に考えて、彼女の華奢な体に体力があるわけがない。それに、昼間あんなことがあったのだ。およそ考えられないほどの負担が掛かっていたと考えても、何もおかしくはない。いや、寧ろそう考えるのが普通だろう。シュウは、そんなことにも気づかない自分に嫌気が差した。
「……聞きたいことは山ほどあるが、また今度にするか」
同じことを、ゴウも考えていたようだ。
「どうもアレだな。立場が逆というか…… 本来なら、俺たちがアイツを助ける側のはずなんだがな」
「うん、なんか僕たちの方が助けられてるよね。寧ろ負担を掛けてる気がする」
「情けないな。勇者志願者が三人もいて」
語るゴウの表情は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。その気持ちは、シュウにもよくわかった。まさに同じ気持ちだったからだ。
二人が話している間にも、ヒトミの眠気は増していく。
徐々に遠のく意識を保とうと、ぺちぺち自分の頬を叩くも、望むほどの効果は得られない。
やがて、ヒトミは睡魔に負けて、その場に横たわった。
「「…………」」
気まずい沈黙が流れる。
出会った時から彼女が羽織っている大き目のローブ。その下は、学校の制服だった。黒を基調とした、落ち着いたデザインのセーラー服が、ヒトミの小さな体を包んでいる。
だが、そのまま横になったため、スカートがかなり際どい位置まで持ち上がり……
「……ゴホン」
わざとらしい咳払いの後、彼らは反射的に目を逸らした。
「……お、おい、アイツはなんであんなに無防備なんだ。さっきまで男がどうとか言ってなかったか?」
「し、知らないよ。眠くてそれどころじゃなかったとか?」
「た、確かに。まだガキだからな。仕方ないだろう」
「……心臓に悪いけどね」
ヒトミのような美少女が、自分の横で、しかも無防備な姿のまま寝ていて、男性として落ち着かなくなることを誰が責められようか。
黒い制服と対照的な白く細い素足が、いまだ目に焼きついたまま離れない。こうして見ると、あどけない寝顔も相まって、未完成の色っぽさがあるように思われた。
……成長したらどうなることやら。
「取り敢えず場所を変えるぞ。ここは危険かもしれん。……骨が埋まってたこともあるしな」
そうだ。
忘れていたが、この森はどこかおかしい。
普通の森には、あんなにたくさんの人の骨は埋まっていない。
が……
「えと、ヒトミ……どうやって運ぼうか」
「俺もそれを考えていたんだが」
「ど、どこを持てば犯罪にならないんだろう……」
「普通に運べばいいんじゃねえ?」
「「!?」」
突然会話に割り込んできたのはカズだった。その気配のなさは、今の今まで、ゴウとシュウの二人が全く気付かなかったことから窺えるだろう。
「……カズか。スケートの練習は終わったのか?」
「いや、最初からしてねぇし!」
「しっ! 起きちゃうから」
「ああ、わり」
小さく謝ると、スースーと寝息をたてるヒトミに近づき、
「よっと」
躊躇うことなく両手で担いだ。
それは俗に言う「お姫様抱っこ」。
この時ヒトミの意識があったならば、心底嫌そうな顔をしたことだろう。
「カズ、お前は意外と異性の扱いに長けてるんだな」
「あ? まあ、オレは下に妹がいるから」
「へ~ それ、初めて聞いたよ」
「言ってねぇからな」
「何にせよ助かる。そのまま向こう側まで運んでくれ」
「分かった。にしてもコイツ……」
「どうした?」
「メチャクチャ軽いな……」
三人は改めて、自分たちを導いた少女が、まだ幼い少女であることを思い知らされた。
◆◇◆◇◆◇◆
いつからだったか。物心ついた時には、もうそれが当たり前になっていたような気がする。
時々、変な夢を見た。
しかし、それは夢だと言い切るには、あまりにもリアルで、生々しいものだった。
「た、助けてくれ……!」
傷ついた腕を庇い、必死で命乞いをする村人がいた。
赤子を抱き、炎の中を逃げ惑う女性がいた。
すでに息絶え、建物の下敷きになる子供がいた。
「何故だ…… 勇者は我々の味方じゃなかったのか……!」
絶望に顔を埋め、唇を噛み締める男の人。
……これは父さん?
いや違う。ヒトミの父親はこの人ではない。顔も体格も、一致するものは何一つない。
では何故、本能的に父親だと思ったのか。
毎回のことのようにそんな疑問を抱く頃、必ずヒトミを強く抱きしめる者がいた。
「大丈夫。大丈夫よ……瞳。あなたは私たちが守るから」
声は恐怖で震え、その振動がダイレクトに伝わってくる。けれど、その手は力強くヒトミを抱きしめていた。
……この人は誰?
夢の中で、何度目になるか分からない問を自分に向ける。
悲鳴が上がる。血しぶきが舞う。
鮮やか過ぎる赤が炎の明りで照らされ、もはや目の前のものが何なのか、ヒトミには理解できなくなっていた。
大きすぎる周りの騒音が頭の中で暴れまわり、大気を慌ただしくかき回していく。
わけも分からないまま、ただ逃げる。
手を引かれるまま、何度もつまずきながら。
終わる果てのない、長い長い逃走。ただしその先に待つものは、毎回決まっていた。
「どうか…… どうか命だけはお救い下さい勇者の方々。我々にできることなら、何でも致しますゆえ、どうか!」
頭を下げる村長と他の村人たち。
そもそも一般人と訓練を積んだ勇者だ。勝負は初めから見えていたのだ。彼らは村人に、逃げ出すことすら許さなかった。許してもらえなかった。
必死で頭を下げる村長。
なぜ?
勇者は人々を護る人たちではなかったのか?
「では問う」
代表者らしき男が声を出す。
「この村に瞳と名乗る少女はいるか?」
聞きながら、ああ、またこの展開かと、諦めきった声が内側から聞こえてきた。そもそもこれは夢の中。結末はいつも決まっている。
「その娘を差し出せば、ここにいる全員を助けてやる」
隣の男の人が体を固くした。
ヒトミを抱く女の人が、「……え?」と絶望を露わにした。
そして他の村人は……
歓喜して、何の躊躇いもなくヒトミを売った。
泣き叫ぶ女性の声が響く。
大勢の村人に動きを抑えられながらも、必死で抵抗を続ける男性の姿が目に映る。
ヒトミは抵抗することもできず、勇者と名乗る人間たちに連れられていく。
「ふむ、これが例の少女か。噂通りの美しい容姿だ」
「頼む! その子だけは…… 瞳だけはやめてくれ! 私たちの大切な……」
その叫び声の後、ぴしゃっと何かが巻き散らかされる音がした。
糸が切れた人形のように地面に崩れる男性を見て、また新たな悲鳴が聞こえた。
「いやあああああああああ! あなた! あなたあああ!」
泣き叫ぶ声は、先ほどまでヒトミを抱きしめていた女性のものだ。自分の手や服が赤く染まるのを気にもせず、パニックに陥ったように倒れた男性を揺さぶっている。
やがて、邪魔だと判断されたのか。
長い刃物が、今度はその女性に向いた。
……やめて。
願いは声にならない。
夢の中のヒトミは叫ぶことすらできない。
……お願い。殺さないで!
無駄な抵抗だと分かっていても、願わずにはいられない。それが、何度も繰り返された映像だとしても。
鮮血が舞った。
涙で濡れた顔が、最後にヒトミの方へ向く。
口が動いていた。
―――瞳……ごめんね。
哀しげに微笑んで、目を閉じた。
「…………」
暗い森の中、涙が頬を伝う感触と共に目が覚めた。
体の上には誰かの上着がかかっていて、寒さは特に感じない。覆いかぶさるように感じる巨大な大樹からは、何かから守ってくれているような安心感があった。
……この夢は何度見ても慣れない。
胸を裂く痛みは誰のものか。
感じる悲しみは何のためか。
―――ごめんね。
最後の、あの表情が頭に蘇り……
「うっ……」
人知れず、静かに涙を流した。
自分のものではない記憶が見せた映像。
絶望と悲しみで彩られた夢。
ただ、ヒトミには泣くことしかできなかった。
感想お待ちしております~