第7話:会議中の裏チャットは誰にも見られてはいけない
ついに幕を開けた、地上15メートルの境界タワー最上階での第1回東西合同生徒会会議!
第7話では、東の緊縮派会計・御影怜司と、西の誇り高きお嬢様会計・天祥院エリスによる火花散る「予算舌戦」が勃発します。
しかし――その張り詰めた空気の真下で、湊と凛花は誰にも見られてはいけない「極秘の裏チャット」を交わしていて……!?
表のピリついたガチ議論と、手元で繰り広げられる激甘パニックの落差をぜひお楽しみください!
厚さ二十センチの防音扉に閉ざされた、地上十五メートルの中央大会議室。
張り詰めた静寂の中、東校舎生徒会長・御手洗征四郎が卓上の公務端末にスッと指を滑らせた。
カツン、と低く澄んだ指先の音が響く。
壁面に埋め込まれた大型の超高精細モニターに、今年度の年間行事日程案と活動予算案が鮮明に一斉投影された。
「――第一議題。今年度の東西年間行事日程、および生徒会活動予算案の審議を開始する」
低くよく通る征四郎の声が、直径五メートルの巨大な円卓を越えて、西校舎陣営へと真っ直ぐに届く。
「本校舎の提案骨子としては、不要な形式的儀礼の撤廃、ならびに学術・実務予算への重点配分だ。異議、あるいは修正要望のある者は発言を願いたい」
先陣を切ったのは、東校舎の会計である眼鏡を光らせた、御影怜司だった。
御影は薄型ソーラー電卓を指先で滑らかに叩きながら、冷徹な声で口火を切った。
「東校舎会計・御影怜司だ。西校舎から提出された年間維持管理費について、明確な疑義がある。具体的には――中央を遮断する『規律の障壁』の電磁ロックおよび高圧センサー維持費、月額五十万円の計上についてだ」
御影の切れ長の瞳が、円卓の対面に座る少女――天祥院エリスを真っ向から射抜く。
「年間に換算して六百万円。これは本学園都市の全生徒会活動予算の実に四十五パーセントに達する。すでに高さ十五メートルの物理的コンクリート壁が存在している以上、過剰なセンサー網や電磁ロックの常時通電は無駄なコストだ。即刻半額の月二十五万円に削減し、浮いた予算を東校舎の老朽化した通信設備更新と、一般生徒の部活動費へ回すべきだと具申する」
氷のように鋭い削減案。
男子生徒会側の佐伯副会長が「最初から一番センシティブな壁の予算に踏み込んだか……」と胃を押さえ、海堂が腕組みをして静かに息を呑む。
だが、西校舎側も一歩も引かなかった。
「――あら。随分と目先の端金に囚われた、浅はかな計算ですこと」
鈴を転がすような高飛車な声とともに、プラチナブロンドのストレートロングを優雅に揺らしたのは、西校舎会計・天祥院エリスだった。
英国貴族の血を引くハーフ令嬢は、手にした扇子をパチンと心地よい音を立てて畳むと、御影を冷ややかに見下ろした。
「東校舎の会計担当さん、よくお聞きなさいな。あの『規律の障壁』こそが、蒼穹学園都市の品位と秩序を保つ絶対の盾ですわ。万が一にも男女の不純な接触や規律違反が発生し、我が学園のブランド価値が失墜した際の損失は、年間六百万円どころの騒ぎではありません。不純な欲望を抑えきれない男子生徒たちへの抑止力として考えれば、月五十万円など破格の保険料です。それを削って自分たちの通信設備に回せなど……男子校舎の不埒な怠慢を白日の下に晒しているようなものですわ!」
「怠慢ではない。費用対効果(ROI)の極めて合理的な見直しだ」
「合理性などという言葉で、学園の誇りを安売りなさらないでいただきたいですわ!」
御影の冷徹な正論と、エリスの誇り高き鉄壁の論理が正面から激突する。
黒檀の円卓の中央で、目に見えない火花がパチパチと音を立てて散っているかのようだった。
征四郎は腕組みをしたまま微動だにせず戦況を見極め、剣崎冴は木刀を膝に置いたまま鋭い視線を御影に向け、金髪ギャルの城崎愛莉は「うわ〜、エリスちゃん初っ端からバチバチじゃん……」と小さく肩をすくめている。
会議室の空気は、まさに一触即発の沸点に達していた。
――だが。
その張り詰めた空気の真下で。
俺の手元にある生徒会専用タブレットの画面右下では、まったく別の『戦い』が繰り広げられていた。
チカッ、チカッ。
バッテリー残量アイコンのすぐ横で、針の先ほどの赤いドットが、先ほどよりも小刻みに激しく点滅している。
(……また来たか)
俺は議事録用のスタイラスペンを走らせる真面目な顔を一切崩さず、親指で画面の端をスッとスワイプした。
公務用メモ帳の裏に隠された、夜見栞謹製の裏暗号チャット画面が立ち上がる。
【R】:
『湊くん、さっきの返信……「世界一似合ってる」って……本当に……? 嘘じゃない……? お世辞じゃないよね……!?』
『嬉しすぎて心臓が口から飛び出そうだったよ……! 湊くんの制服姿も、すごく……かっこいいよ。髪型もすっきりしてて、姿勢が綺麗で……ずっと直接見たかったんだから……!』
『あとね、直径数メートルの円卓を挟んで、ふと顔を上げたときに湊くんがいると思うだけで、息が止まりそうになるの……! 湊くんが議事録を取るためにペンを走らせてる綺麗な指先を見てるだけで、胸がずっとドキドキしてて……苦しいよ……!』
画面を埋め尽くす、熱烈な感情の濁流。
俺は視線をわずかに持ち上げ、円卓の向かいを見た。
月城凛花。
百七十センチの完璧なスタイルを誇る西の生徒会長は、相変わらず背筋をピンと伸ばし、白磁の肌に一切の動揺を見せず、冷徹な女帝の佇まいで御影とエリスの舌戦を見守っている。
だが、その凛としたハイポニーテールの根元――耳たぶの裏側が、隠しきれないほど鮮やかに赤く染まっていた。
そして手の指が残像を描くほどの神速で画面を叩いているのが、わずかな肩の微振動から手に取るように分かった。
(……指先を見てるだけでドキドキする、か)
他人の前では「氷の刃」と呼ばれ、誰にも隙を見せない少女が、手元ではこんなにも無防備に愛を叫んでいる。
そのギャップの愛らしさに、俺の理性も危うく決壊しかける。
だが、ここで俺まで取り乱すわけにはいかない。
俺はポーカーフェイスを徹底したまま、スタイラスペンを滑らせ、手書き認識で素早く返信を打ち込んだ。
【湊】:
『嘘なわけがない。昔から凛花が白のリボンを結ぶ姿が一番好きだ。今日のハイポニーテールも完璧だ』
『だが、頼むから手元で身悶えるのはやめてくれ。さっきから征四郎が「月城会長が御影の意見に激怒している」と勘違いして、男子側の迎撃態勢を固め始めている。佐伯の胃薬の消費ペースも危険域だ』
『落ち着いて深呼吸してくれ。吸気と呼気を一対二の比率でゆっくり繰り返せば、副交感神経が優位になって脈拍は落ち着くから。俺の指先ばかり見ていないで、手元の予算書を読んでくれないか』
送信。
刹那。
ピクッ!
円卓の向かい側で、凛花の細い背筋がピンと棒のように跳ね上がった。
手元の画面を凝視したまま、彼女の首筋まで一気に鮮やかな朱が駆け上がっていく。
「……っ、…………ぁぅ……!」
喉の奥から漏れ出しかけた甘い悲鳴を、凛花は咄嗟に喉元を押さえて押し殺した。
目を見張り、涙目になりながら、タブレットをぎゅっと抱きしめて小さく身を縮こまらせる。
そして、怒涛の勢いで指先を動かしてきた。
【R】:
『湊くんのバカ……! 湊くんにそんな甘いこと言われて、深呼吸で落ち着けるわけないでしょ……っ!』
『「昔から好き」とか、さらっと言わないでよ……! こっちがどんな気持ちで座ってると思ってるの……!?』
『もう……あとで絶対に覚えててよね……! 放課後、通話のときにいっぱいお説教するんだから……っ!』
文面の最後には、ぷんぷんと湯気を立てているウサギのスタンプが添えられていた。
(……お説教されるのは俺の方か)
冷徹な鉄壁秀才を自負する俺の口元が、わずかに緩みそうになる。
それを必死に誤魔化すため、俺はゴホンと小さく咳払いをして、手元の公務端末の画面を「議事録入力」へと切り替えた。
だが――この密室の中で、違和感を抱いている人間がもう一人いた。
西校舎の端。
スレンダーな体躯に、萌え袖のカーディガンを羽織った夜見栞。
彼女は目元を覆う重めの前髪の奥から、手元のサブモニターに映し出されたネットワークログを無言で見つめていた。
『送信元:端末A(月城凛花) ⇄ 端末B(如月湊)』
『月城凛花 バイタルログ:心拍数 145 bpm(再上昇検知)』
栞の細い眉が、わずかに寄った。
(……おかしい。御影先輩とエリスの予算議論で、会長の心拍数がここまで跳ね上がる理由がない……)
栞はキーボードを叩く手を止め、前髪の隙間から、円卓の東側に座る如月湊を観察した。
湊は一切表情を崩さず、淡々と美しい姿勢で議事録をタイピングしている。完璧な公務員の佇まい。
だが、その端末と会長の端末の間で、会議開始から一度も通信が途切れていないのだ。
(……敵の動向を探るための情報戦……? 嘘。会長、完全に動揺してる。あの如月という人……一体どんな精神攻撃を仕掛けてるの……? 心理学のスペシャリスト……?)
栞の胸の中で、静かな知的好奇心の炎が青く揺らめく。
(もっと観察しなきゃ……。私の新作小説のプロットのためにも、あの男の正体を突き止める……)
そんな栞の視線にも気づかず、東校舎陣営では盛大な勘違いが加速していた。
「……見ろ、佐伯」
征四郎が顎に手を当て、隣の副会長へ極めて低い声で囁いた。
「月城会長のあの鬼気迫る表情を。下唇を噛み締め、身を震わせながら、手元の端末で凄まじい速度のデータ入力を続けている」
「え、ええ……」
佐伯が青ざめた顔で胃薬の錠剤を水なしで飲み込む。
「御影の電磁ロック削減案に対し、即座に対抗論理の反駁文書を作成しているのでしょう……! なんという思考速度、なんという執念……! やはり西校舎の頂点は伊達ではありません……!」
男子生徒会の役員たちは、凛花の限界化による身悶えを「恐るべき謀略の構築」と完全に受け止め、ますます戦慄を深めていた。
「――双方、そこまでだ」
やがて、御影とエリスの議論が平行線を辿り始めたのを見計らい、征四郎が凛とした通る声で割って入った。
「『規律の障壁』の維持管理費については、双方の主張に一理ある。安全保障と学術予算のバランスを再試算するため、本件はいったん保留とし、第2セッションにて再審議とする」
エリスが「ふん、賢明な判断ですわね」と扇子を広げ、御影も「異存はない」と眼鏡を押し上げて電卓を収めた。
「予定の審議開始から四十分が経過した」
征四郎が手元の端末で時刻を確認し、全員を見渡した。
「これより、十五分間の小休憩を挟む。各員、喉を潤すなどして次の審議に備えてくれ」
張り詰めていた空気が一気に弛緩し、椅子の擦れる音が室内に響いた。
凛花はホッとしたように胸を撫で下ろし、手元のタブレットを伏せて、耳の熱を冷ますようにポニーテールの毛先を指でいじり始める。
――だが。
その緊張の糸が切れた瞬間。
東校舎の席の端で、一人の男の理性が完全に崩壊の音を立てた。
「ぜぇ……ぜぇ……っ! や、やっと休憩かよ……ッ!」
荒い息を吐きながら立ち上がったのは、東校舎書記・西条虎太郎だった。
スラリとした読者モデル体型をワナワナと痙攣させ、虎太郎の瞳孔は完全に開ききっていた。
その視線は、円卓の向こう側――休憩に入って立ち上がり、長い髪やヴェールを揺らしながら歓談を始めた女子生徒会役員たちへと、ギラギラと狂気のように注がれている。
「おい、晴彦、湊……俺はもう限界だ……! 目の前に生身の女子がいるのに……四十分間も一言も話せないどころか、息を吸うのすら遠慮しなきゃいけないなんて……そんなの地獄以外の何物でもねぇだろ……ッ!」
「ま、待て虎太郎! 落ち着け!」
佐伯が六法全書を盾のように構えて青ざめるが、虎太郎の耳には何も届いていなかった。
「俺は行くぞ……! 東校舎三百人の男子の夢と希望を背負って……俺が最初に、女子の領域へ第一歩を踏み出してやるんだぁぁぁッ!!」
血走った目で叫びながら、虎太郎が円卓の西側へと猛然とダッシュを開始する。
その先には、長身のモデル体型令嬢たちが、気品あるオーラを放ちながら立ち並んでいた――。
第7話をお読みいただき、誠にありがとうございました!
御影とエリスの火花散る予算舌戦の裏で、机の下では湊と凛花による最高糖度の裏チャットが炸裂していました!
「昔から好き」という湊の不意打ちの直球に、耳まで真っ赤になって限界化する凛花会長。
そしてそれを「恐るべき謀略」と受け止める征四郎たちの男子校ノリを楽しんでいただけましたら幸いです。
次回、第8話もどうぞよろしくお願いいたします!




