第15話:初会議終了、男子校舎の凱旋と夜の秘密通話
第15話は、第1回東西合同会議の締めくくりとなる、笑いと胸キュンがぎっしり詰まったエピソードです!
前半は、境界タワーから東校舎へと生還した男子生徒会を待つ、三百人の男子生徒たちによる地鳴りのような「英雄歓迎パレード」!
生身の女子の空気を吸ってきた生徒会役員を拝み倒す、男子校ノリ全開のドタバタギャグをお届けします。
そして後半は――夜二十二時半。
男子寮の点呼と消灯を終えた静寂のなか、公務タブレットの画面越しに始まる、最愛の許嫁・月城凛花との二人きりの秘密通話!
ぜひじっくりとお楽しみください!
境界タワー最上階の重厚な扉を抜け、東側のエレベーターで下がり、地上十五メートルの高さを貫く『中央連絡スカイウェイ』へと足を踏み入れた瞬間、俺たち男子生徒会役員八名を包み込んだのは、張り詰めていた気圧がフッと抜けるような重い沈黙だった。
先頭を歩く東校舎生徒会長・御手洗征四郎が、絞り出すような重々しい溜息を漏らした。
「……恐ろしい女だ、月城凛花」
征四郎は額に滲んだ冷汗を手の甲で拭い、眉間を固く寄せていた。
「調印のまさにその瞬間、一切の躊躇もなく十万円の漆塗り万年筆をへし折ってみせた。あれは偶然などではない……『調印はしてやるが、東校舎が少しでも協定を違えれば、貴様らの首などこのように容易くへし折る』という、絶対零度の宣戦布告だ」
「会長の推察に一票だな……」
副会長の佐伯晴彦が苦悶の表情で天を仰いだ。
「我が方の第8条厳罰化を逆手に取り、第2項の救済条項をねじ込んできた神前副会長の知性といい、西校舎の布陣には一分の隙もない。もし如月が議事録のタイピングを一度でもミスしていれば、そこから一気に崩されていたかもしれないぞ」
「だけど……」
二人の後ろで、両鼻に丸めたティッシュを詰めた痛々しい姿のまま、恍惚とした表情で空中を仰いでいたのは、書記の西条虎太郎だった。
「怖かったけど……生身の女子は、やっぱり天使だったぜ……。あの白百合の匂い、プラチナブロンドの髪、ツインテールの八重歯……俺、生きてて本当によかった……!」
「西条、鼻血の止血が完全ではない。興奮して血圧を上げるな」
俺は公務用タブレットを小脇に抱え、歩調を崩さずに淡々と告げた。
手元のタブレットの画面には、先ほど完成したばかりの全二十四条に及ぶ協定データが、正規の暗号化を施されて綺麗に格納されている。
俺の表情筋は、相変わらず冷徹な平坦さを保っていた。
だが、その内ポケットにある心臓は、スカイウェイを歩く間もずっと、静かに熱い鼓動を刻み続けていた。
(……今夜二十二時半、正座して待っててね、か)
タブレットに赤く点滅した、あの短文暗号の文字が、瞼の裏に鮮明に焼き付いている。
あの万年筆爆砕の真相を、俺だけは正確に理解していた。
あれは東校舎への威嚇射撃などではない。給湯室での姫野の赤面と、神前副会長のお茶配りを目撃した、最愛の許嫁による純度百パーセントの嫉妬の爆発だったのだ。
(……早く自室へ戻り、準備を整えなければ)
俺が密かに決意を固めた、その時だった。
ゴゴゴゴゴ……ッ。
スカイウェイの終点、東校舎本館2階へと繋がる『第1セキュリティゲート』の扉の向こうから、地鳴りのような重低音の振動が伝わってきた。
「……む? なんだ、この地響きは?」
海堂陸斗が爽やかな眉をひそめ、無駄のない身のこなしで警戒態勢を取る。
鳴神玲音も整った眉を上げ、「まさか、設備の誤作動かい?」と小首を傾げた。
ピピッ、ガチャリ。
征四郎がプラチナIDカードをリーダーにかざし、電子ロックが解除される。
扉が左右へとスライドしていった。
その刹那――。
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」」」
鼓膜が破裂するかと思うほどの、地獄の底から響くような地鳴りの雄叫びが、廊下の空気を爆砕した。
視界が開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、本館2階の廊下を埋め尽くす人だかりだった。
東校舎の一般男子生徒たち――その数、優に五十人を超えている。
男子校舎特有の熱気と汗の匂い、そして生身の女子の情報を待ちわびて飢餓状態の極致に達した猛者たちが、色とりどりの手作り横断幕やペンライトを掲げて、割れんばかりの歓声を上げていた。
『祝・生徒会生還!』
『女子生徒会の空気を吸わせてくれ!』
「生きて帰ってきたぞおおおッ! 我らが代表が生身の女子の巣窟から生還したァァァ!」
怒号のような声援と、涙を流している男子生徒たちの波。
その凄まじい狂乱の熱気に、最前線にいた虎太郎の理性が再び決壊した。
「みんなぁぁぁっ! 俺は帰ってきたぞォォ!」
虎太郎は両腕を天へと広げ、鼻のティッシュを揺らしながら叫んだ。
「女子はいた! 女子は実在したんだ! すっごくいい匂いで、すっごく可愛くて、俺たちをゴミを見るような目で睨んでくれたぞォォ!」
「「「うおおおおおっ! 西条ォォ! よくぞ見てきてくれたァァ!」」」
熱狂した男子生徒たちの手が無数に伸び、虎太郎の身体が一瞬で宙へと放り投げられた。
「わっ、ちょっ、胴上げ!? 痛い、鼻が、鼻のティッシュが抜けるぅぅぅ!」
「貴様らァッ! 通路を塞ぐな!」
佐伯が六法全書を構え、血管を浮き上がらせて怒鳴り散らした。
「学園自治規約第12条、ならびに校内通行統制規則第4項違反だ! これ以上騒ぎ立てる者は、風紀隊により全員校内の清掃に処す!」
佐伯の必死の鎮圧の横で、生徒会長の御手洗征四郎が悠然と歩み出た。
政治家名閥のカリスマを纏った彼が右手をスッと高く掲げると、狂乱していた百人くらいの男子たちが、潮が引くようにピタリと静まり返った。
「東校舎の同胞たちよ、静粛に」
征四郎の重厚な声が、廊下中に響き渡る。
「我々は只今、西校舎との第1回合同生徒会会議を無事に完遂した。西校舎の生徒会長・月城凛花の凄まじい威圧に晒されながらも、我らは一歩も退かず、年間自治予算の増額と男子校舎の自治権を死守する『年間基本協定』を勝ち取った! 我が東校舎の栄光と規律は、本日、完全に守られたのである!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」」」
地を揺るがすようなスタンディングオベーションと多くの拍手。
征四郎が完璧な指導者として全男子の熱狂を受け止めている、その華々しい壇上の死角で――。
(……今だ)
俺は公務タブレットを抱え直し、壁沿いの影を縫うようにして、音もなく廊下を後にした。
熱狂の渦に巻き込まれる前に生徒会室へ向かい、生徒会のノートPCにタブレットを接続。
本日の審議議事録と締結された協定書の正本データを、そのノートPCへと正規送信した。
時計の針は、すでに正午を過ぎていた。
「ふぅ……」
誰もいなくなった静かな生徒会室で、俺は小さく息を吐いた。
公務としての第1回合同会議は、これにて完全に幕を閉じた。
だが――俺にとっての『本当の山場』は、ここから九時間後に控えているのだ。
午後二十二時ジャスト。
東校舎・男子学生寮の廊下から、点呼を終える声が聞こえ、各部屋が就寝しようと明かりを消していた。
昼間の狂乱が嘘のように、男子寮全体が深い、底知れぬ静寂へと沈み込んでいった。
自室の中。
俺は部屋の扉を内側から完全に施錠し、窓の遮光カーテンに少しの隙間もないことを指先で確かめた。
スタンドライトの暖色系の灯りだけを残し、部屋の主照明を落とす。
デスクの上には、生徒会公務タブレット。
薄型キーボードを取り外し、専用のアルミスタンドへ立てかけて角度を調整する。
そして、画面のロックを解除し、夜見栞から送られてきた極秘アプリケーション――理事長母の検閲AIを欺く『裏回線バイパス』を起動した。
画面の右上に表示されたデジタル時計の数字。
【22:29:45】
【22:29:50】
あと十秒。
俺は膝に両手を置き姿勢を正した。
心臓が、トクン、トクンと確かなリズムで鼓動している。
昼間の会議で、どんな甘い誘惑や厳しい舌戦に晒されても平然と維持できていたポーカーフェイスが、この瞬間だけは、どうしても微かな熱を帯びて崩れそうになっていた。
【22:30:00】
ピコン――。
澄んだ電子音が静寂を破り、タブレットの液晶画面がふわりと淡い光を放った。
通信が、ミリ秒の狂いもなく接続される。
暗転していた画面の中央に、光の粒子が収束するように映像が立ち上がった。
(…………っ)
息が、喉の奥で止まった。
そこに映し出されていたのは――昼間の大会議室で、西校舎を冷徹に束ねていた「孤高の生徒会長」の姿ではなかった。
銀髪のハイポニーテールは、優美にほどかれていた。
艶やかな銀の髪が、きゃしゃな両肩と背中へとさらさらと柔らかく広がっている。
身にまとっているのは、紺色のブレザーではなく、淡いラベンダー色の部屋着。
その胸元には、ピンク色のウサギのクッションがぎゅっと抱きしめられていた。
クッションの耳の上に、ちょこんと顎を乗せている。
白磁のような両頬は、お風呂上がり特有の熱なのか、それとも別の感情のせいなのか、ぽっと淡い桜色に染まっていた。
紫紺の瞳が、画面越しにじっと、俺の顔を捉えている。
『……湊くん』
スピーカーから聞こえてきたのは、昼間の氷の結晶のようなトーンとはまるで違う、どこまでも柔らかく、甘く、そして微かに震える鈴の音だった。
『ちゃんと……正座してる?』
「はい。言われた通り、点呼の直後から姿勢を正して待機していました」
俺が至極真面目に答えると、凛花はクッションを抱える腕に少しだけ力を込め、唇をキュッと尖らせて上目遣いになった。
『……まったく。そういうところだけは、昔から本当に真面目なんだから』
凛花はぷいっと視線を横へ逸らし、両手でウサギの耳を弄んだ。
『昼間の会議……湊くん、すっごく涼しい顔をしてたよね?』
「公務中でしたので。東校舎の代表として、私情を挟むべきではないと判断しました」
『そうじゃなくて!』
凛花が頬をふくらませ、画面越しに身を乗り出してきた。
潤んだ瞳に、隠しようのない拗ねた光が宿っている。
『愛莉ちゃんが……会議室に戻ってきた時、リンゴみたいに耳まで真っ赤にして資料で顔を隠してたのも! 綾乃ちゃんが、すっごく嬉しそうに湊くんの淹れたお茶を配ってたのも! ……私、全部ぜーんぶ見てたんだからね!?』
「…………」
『あの給湯室で、一体何があったの……?』
凛花の声が、ふっと小さくなった。
強気な問い詰めから、今にも消え入りそうな、不安と寂しさが滲むトーンへと変わる。
『 湊くん、他の女の子に……鼻の下、伸ばしたりしなかった……?』
ぎゅっと、ウサギのクッションに顔を半分埋める凛花。
その仕草があまりにも愛らしく、そして健気で、俺の胸の奥を激しく締め付けた。
月城凛花という少女は、家柄の重圧を背負い、学校では誰よりも強く気高くあろうとしている。
だが、その仮面を脱ぎ捨てた素顔は、たった十五メートルの壁の向こうにいる許嫁のことが心配でたまらない、恋する一人の純情な女の子なのだ。
俺は息を整え、まっすぐに、画面の中の瞳を見つめ直した。
「誤解です、凛花」
俺の声から、事務的な硬さが完全に消えていた。
「姫野さんには、ブレザーのほつれを直す手芸の腕前を褒めただけです。やましい下心など一切ありません」
『ほんとに……?』
「本当です。そして、神前副会長については――」
俺は至極真面目に続けた。
「疲れている私に膝枕を勧めてきましたが、成人の頭部はボウリングの球と同じ約五キロの重量があるため、太ももに乗せれば数分で血行不良を起こし足が痺れると、健康被害の観点から即座にお断りしました。指先ひとつ触れていません」
『……ぷっ』
凛花の唇から、小さく吹き出す音が漏れた。
『ボウリングの……球……? ふふっ……あははっ!』
堪えきれなくなったように、クスクスと笑い声が画面を満たした。
クッションに顔を埋めていた凛花が顔を上げ、目尻に浮かんだ涙を袖先でぬぐいながら、満面の笑顔を咲かせる。
『なにそれ……! 綾乃ちゃんのお膝枕を、ボウリングの球で断ったの……? もう、湊くんたら、相変わらずヘンテコな理屈ばっかり……!』
「事実を申し上げたまでです。……それに」
俺は言葉を切り、視線を落とさずに告げた。
「俺が生涯において心身を預け、甘え、操を捧げると誓っている相手は――昔も今も、月城凛花ただ一人ですから」
『…………っ!!』
凛花の動きが、完全に凍りついた。
画面の向こうで、白磁のような美肌が一瞬にして、耳の先、首元に至るまで、鮮やかな林檎のように真っ赤に染め上げられていく。
『ば、ばかっ……!』
凛花は両手でウサギのクッションを持ち上げ、顔全体をすっぽりと隠してしまった。
クッションの向こうから、くぐもった、悶絶寸前の悲鳴が響いてくる。
『そういう恥ずかしいセリフ……真面目な顔でド直球に言うの、禁止ぃぃ……! 心臓が、止まっちゃうかと思ったじゃない……!』
「事実です。……それと、凛花」
『な、なぁに……? まだ何かあるの……?』
クッションの端から、涙目で真っ赤になった片目だけが、おずおずと覗く。
俺は柔らかな微笑みを浮かべ、静かに告げた。
「昼間の会議、誰よりも凛々しくて、綺麗だったのは――生徒会長の、月城凛花でしたよ」
『うぅぅぅぅぅ……っ!!』
凛花が完全に限界を迎え、クッションを抱きしめたままベッドの上で足をバタバタと悶絶させた。
画面が激しく揺れ、ラベンダー色の部屋着の裾がパタパタと跳ねる。
数秒後、ようやく息を整えて顔を出した凛花は、髪を少し乱し、熱の引かない瞳でじっと俺を見つめていた。
『……湊くんの、ばか。本当に、ずるいんだから』
凛花は小さく呟き、照れ隠しのように唇を尖らせた。
『……でも、ありがとう。すっごく、嬉しかった』
「万年筆のことは、申し訳ありませんでした。俺が余計な心配をかけたせいです」
『ううん、いいの。……あれ、お父様からいただいた入学祝いだったんだけど、湊くんが他の女の子と仲良くしてるの見たら、どうしても指先に力が入っちゃって……』
凛花は恥ずかしそうに伏し目がちになり、ぽつりと零した。
『予備で貸してくれた湊くんの黒ボールペン……すっごく書きやすかったよ。今も、私の宝箱に大切にしまってあるんだからね』
「ただの百円のボールペンですが」
『私にとっては、世界で一番大切な宝物なの!』
凛花が胸を張り、誇らしげに笑った。
そして――凛花はふわりと表情を和らげ、画面越しに、右手をそっと伸ばした。
華奢で、白く滑らかな指先が、液晶ガラスの向こう側からこちらへと差し出される。
『……湊くん、手を重ねて?』
「はい」
俺も机の上のタブレットへと右手を伸ばし、画面に映る凛花の掌の真上に、そっと自らの指先を重ね合わせた。
冷たいガラスの感触。
直接触れ合うことは叶わない。十五メートルの要塞壁が、物理的な距離として俺たちの間を分断している。
だが――液晶越しに重なり合う影を見つめる二人の間には、確かに、どんな障壁をも飛び越える熱い絆が通い合っていた。
『……湊くん。議事録、完璧だったね。すっごく誇らしかったよ』
凛花の瞳が、優しく細められた。
『壁の向こうにいても、私たちの心はずっと一緒だから。……明日からも、一緒に頑張ろうね? 私の、最愛の許嫁さん』
「ええ。必ず、この壁を乗り越える道を切り拓きます。おやすみなさい、凛花」
『うん。おやすみなさい、湊くん。――大好きだよ』
プツン、と。
名残惜しそうに揺れる銀髪の映像が消え、通信が静かに切断された。
暗転したタブレットの画面に、自室の天井と、自分の顔が薄く映り込む。
部屋には再び、男子寮の深い静寂が戻っていた。
だが、胸の奥を満たしている温もりは、消えるどころか、かつてないほど力強く燃え盛っていた。
(操を守り抜いて、本当によかったな)
俺は小さく息を吐き、机の上のタブレットを丁寧にスリープモードへと移行させた。
入学から始まった、東西完全隔離の学園都市での激動の数日。
数々の甘い誘惑を跳ね除け、エリートたちの議論を制し、そして最愛の許嫁との変わらぬ絆を確かめ合った。
明日からもまた、過酷な男子校舎の日常と、境界タワーでのスリリングな公務が続いていく。
だが、この胸の純愛がある限り、俺の理性の盾が砕けることは決してない。
俺はベッドへと潜り込み、静かに瞼を閉じた。
壁の向こうで眠りにつく銀髪の少女の夢を見ながら、俺の意識は穏やかな眠りへと溶けていった。
第15話をお読みいただき、誠にありがとうございました!
東校舎三百人の男子によるドタバタな英雄凱旋パレード、そして夜二十二時半、タブレット越しに髪をほどいた素顔の凛花会長との最高糖度な秘密通話をお届けいたしました!
どんな誘惑も論破して操を守り抜き、「世界で一番綺麗だったのは凛花だ」とド直球に伝える湊の誠実さに、ベッドの上でバタバタと悶絶する凛花を楽しんでいただけましたら幸いです!
これにて、入学式から初対面の合同会議を描いた【第1回東西合同会議編】が無事に完結となります!
次回、第16話もお楽しみください。




