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嫌いな宮野  作者: 陽夏
体育祭編
29/29

宮野伊吹


 全体的に黒くてシックな部屋の明かりをつけて、小学校に上がる時に親が買った勉強机に向き合う。


 ああ言ってしまった手前、中途半端な結果は残せない。



 実は、一年一学期の中間、つまり高校入学後初めてのテストで、宮野伊吹は全教科満点で学年一位という前代未聞の好成績を叩き出した。

 しかし、それ以降、一度も学年一位になっていない。



 当時の伊吹はこう思った。



 (なんだ、この程度か……)



 勉強をすれば当たり前のように高得点が取れるテストを面白いとは思わなかった。



 伊吹にはこれといった趣味がない。部活もしていなければ、家に帰ってすることもない。リビングにあるテレビをつけることもなければ、長時間スマホを触ることもない。

 強いて言うなら、父親から買い与えられたギターを触るくらい。今まさにそれはこの部屋のインテリアとして溶け込んでしまっている。


 家に帰ってからすることといえば、自分が食べるだけの夕飯を作ること、洗濯機を回すこと、風呂に入ること。それ以外することがない。することがないならば、勉強でもするか。ただそれだけのことだった。


 毎日授業の復習をして、次の授業の予習をする。授業で進んだ分だけ問題集を進めて、記憶を定着させるとともに、テスト期間に提出すべき課題を減らしておく。その繰り返し。学校の成績が4を下回ったことはなかった。


 家で過ごす時間は、つまらなかった。変わり映えしない日々を、機械のように時が進むのを待つ。


 学校での日々も同じだった。間宮や宮島と関わり始めるまで。

 二人と出会って、関わって、伊吹は変わった。退屈だった学校を楽しいと感じるようになった。二人が躓きそうな箇所を重点的に抑え、いつ聞かれても答えられるように勉強した。二人に必要とされるのは嬉しかった。


 今回も、他でもない間宮と宮島から一位をとって欲しいと頼まれた。なら、やるしかない。作業のように思っていた自主学習に本気で取り組むことにした。



 今まで一位の座を譲っていたのは、“自分が獲っても意味がない“からだった。



 きっと、普通の子なら、県内で二番目だと言われている公立高校で学年一位を獲ったならば、親から褒めてもらったり、友達に羨ましがられたりして、それが幸せの一部になるだろう。

 けれども、伊吹にはそれは幸せの一部なんかではない。県内二位の高校で一位を獲ったって、親は褒めてくれない。自慢する友達もいなければ、結果を報告する相手もいない。伊吹にとって幸せの一部でないそれは、他の誰かにとって幸せの一部である。それを得ても幸せを感じることができない伊吹には、“それ”はいらないものだった。ならば、他の誰かに譲った方がいい。


 伊吹の根底は優しい人間である。自分にとってプラスにもマイナスにもならないものが、他者にとってプラスになるものならば、躊躇いなく他者に譲る。宮野伊吹とはそういった人間であった。


 そして、幸せの一部を求めない人間であった。自信が感じる幸せの一部を得るのが非常に難しい人間だった。


 結果、伊吹はこれまでテストを最後まで解き切ることはしなかった。



 ただ、今回は違う。今回のテストで一位を獲るのにはちゃんと意味がある。そして今回の“それ”は、伊吹にとって幸せの一部になる。


 隙間時間を勉強に注ぎ込んだ。難しい料理は作らないことにしたし、洗い物もすぐ終わるようにした。風呂は浸からずにシャワーだけにしたし、髪を乾かす間も単語帳を見た。


 数学、英語、現代文は演習を繰り返して、歴史や生物は細部まで理解して、古典では授業で扱われた文を暗唱できるようにした。思いつく限り、全てを完璧にした。


 本気だった。久しぶりに。

 本気になって何かをやるのは、楽しかった。


 テスト当日がまだ来なければ、もっと勉強する時間があれば……。いつもなら思いもしないことを思ったりもした。


 頭に浮かぶのは、体育祭の時に見た間宮の笑顔。調子に乗るから絶対に口にはしないけど、間宮の笑った顔は実際かわいい。


 そんな間宮が、“天使になる”なんてことほざいて、伊吹の心は乱されていた。

 あの寂しそうな顔が、こびりついて離れない。あの綺麗な顔が、表情を失いそうになっているのが怖かった。間宮から笑顔が消えるのが怖い。怒らせて、笑わせて、間宮が感情を出してると安心する。まだ生きてるって、安心できる。


 今回のことも、正直怖い。一位を奪れなかったら、あいつとデートしなければいけなくなったら、いつ間宮から表情が消えるかわからなくて怖い。

 お願いだからずっと笑っててくれ。願うのはそれだけ。間宮を好きだとか、間宮のことどう思ってるとか、ただの友達のくせにとかどうでもいい。間宮が生きて笑ってくれてたらどうでもいい。嫌われてたっていい。近づきすぎて突き放されてもいい。間宮を助けるのは俺じゃなくてもいい。宮島でも、高本でも、上森でも……意外とあいつ、吉田でもいい。誰か、間宮を救ってくれ。


 美しい容姿ゆえ、他人の気持ちをよくも悪くもぶつけられる機会の多い間宮を純粋に可哀想だと思うし、そんなことが起きない安全なところに連れて行ってあげたいとも思う。ただ、伊吹は嫌われていてそれは叶わないから。お願いだから、間宮からこれ以上何も奪わないで。

 自分が幸せの一部を得ることより、間宮から幸せの一部が奪われないことの方が大事だ。間宮は自分に幸せの一部をくれた人だから。


 伊吹は間宮羽唯という天使が作る沼にハマって抜け出せないでいた。必死に手を伸ばして、彼女の手を掴もうとして、自分の手が泥だらけで真っ黒なことに気づく。真っ白な彼女に触れて汚してしまうのが怖くてそっと手を引いた。



 かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを



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