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18.ハンナの婚約破棄ー後編ー

ちょっとだけ長くなりましたが、物語の構成上、切らずに一話でアップします。

約6000字です。




「私、あんたと一緒には慣れないわ」


「は?何を言っている。お前は俺と結婚するしかないだろう?」


「何故?」


「お前は三人姉妹の末娘だ。婿をとるわけにもいかないし、第一、今更その年で嫁の貰い手なんていないだろう?」


「そうね。だとしてもあんたとは結婚しないわ。私は、私を思いやってくれる人がいいもの」


「してるだろう?」


「どこが?」


「どこって、いつも、だ」


「いつもって、休みの日にあんたんち行ってご飯作ったって、美味いともありがとうとも言わないじゃない」


「言わなくたって、なんでも美味いとも思ってるし、感謝だってしてる。だから偶には、お前の好きな店に飯食いに連れて行ってるだろう?」


「あんたの好きな店、でしょ?安くて大盛りの定食屋!」

「お前だって喜んでただろ?」

「あんたが美味そうに食べるならそれで良いかと思ってただけよ」


「じゃあ、行きたい店、言えばいいだろ」


「言ったわよ。そしたらあんた、そこは遠いし高いって言ったでしょ。結婚の費用貯めるから、無理って言って。ならしょうがないって思ったけど、いつもの定食屋、何回か我慢すれば行けるのにって思ってた」


「そ、そうか。じゃあ今度行こう」


「今度っていつ?私達、休みの日が合わないじゃない。だから私の休みはいつもあんたの部屋に行って、それで終わりでしょ?だけどそれも結婚の為だと思って我慢していたら……」


「してたら?」


「まさかのあんたの浮気!」


「え?」


「まさか、バレていないとでも?

っていうか、浮気相手から聞いたから!まさか身近で浮気するとは思わなかったけどね」


「いやそれはその向こうが誘ってきて思わずついでも一度きりだし本気じゃないし俺にはお前だけだし向こうも遊びみたいだしだから」


「向こうが遊びなのも、一度きりなのも、知ってるわよ。本人から聞いたからね」



 そうなのだ。呑みの席でベロンベロンに酔っ払った彼女から聞かされたのだ。



 あんたの彼氏と寝ちゃったわよ〜って。

 あんたが甲斐甲斐しく世話を焼いて、休みの前日には泊まりに行って、料理も洗濯も掃除だってしてあげてるから、どんなにいい男かと興味が湧いたのよね〜。だって見た目普通だしお世辞にも気の利いた奴じゃないし、でもそんなに泊まりに行くんだから、きっとテクニックがすごいんだと思ったのに〜って。


 酔っ払って店の中で大声で絡んでくる浮気相手に、

女を満足に気持ち良く出来ずに入れて出して終わりの自己満野郎によく尽くすわねって鼻で笑われた私の気持ちがわかる?

 好きだったから、それでも良いと思ってた。ご飯作って食べて、気が向いたらされて、独りよがりのだって、私にだけ欲情してるんなら良いかって思ってたのに。

あんたの浮気は大声で広まったし、それを聞いたうちのオーナー夫妻が店に住み込んで良いって言うし。





 いままで我慢していたせいか、思いが堰を切ったように溢れてそれはさらに言葉を加速させる。



「だからあんたとは終わりにする。友達のふりして、優しそうな偽善者ぶったぶりっ子ともこれでようやく縁が切れたし、仕事は楽しいし、丁度良かったわ」




「……はっ、悪かったって。俺が悪かったよ。だから、たった一度の浮気だろ。それくらい許せよ」


「私は許せない。それでも、浮気相手が知らない女だったらとか、私のこと思いやってくれてたら一度くらいは許したかも知れないけれど、もう無理だから」


「思いやってるつもりだった。見解の相違だろ?それに世の中の男はみんなこんなものだろ?」


「ええ、きっとそうかもね、でも私はそれでは嫌なの。それに今の仕事は辞めて家にいろって言ってたでしょ。私、辞めたくなかったから丁度良い」


「はは、そんなこと言ってたらお前、結婚なんて出来ないぞ」


「ええ、それでも良いと思ってる。結婚なんて互いに尊敬して思いやれなきゃ意味がない」


「馬っ鹿じゃないか。女は大人しく家に入って、子どもを産んで育ててりゃ良いんだよ」


「そんな女に私はなれないから」


「そんな儲からない仕事、してたって無駄だろ?」

「無駄かどうかはあんたが決めることじゃない」


「男の俺が判断してやっているんだよ」


「そういうのが嫌なの」


「ああ、はいはい。そうか、わかったよ。だけど、後悔しても知らないからな」


「このままあんたと結婚した方が後悔するもの」


「じゃあ、これっきりだな」



 そう言うと幼馴染の男は去っていった。





 そして私はというと。

一言で言えば、それはもう充実した毎日の始まりだった。



 オーナー夫妻は元々優しく、料理も掃除も下手くそな私を暖かく見守り従業員として育ててくれた素晴らしい人達だった。そもそもこの店の料理やもてなしが大好きで、見習いとして何でもするからと押しかけて雇って貰っていた。老夫婦二人で堅実にやっている店なので多くの賃金を払えないと言われたがそれでもと粘り、最近ではオーナー達のまかないや、店の常連さん用の特別裏メニューをほんの少しだけど提供できるようにはなっていた。特別裏メニューっていうのは、何が出てくるか、美味いか不味いかわからない、サプライズメニューのことだ。



 あんな最低な浮気野郎ではあったが、勤め始めて何も出来ない自分の料理の味見役になってくれた。その頃は失敗しても美味しい美味しいと笑いながら食べてくれていたのに、休みの度に料理するようになった生活が半年も続く頃には、上達もすれば美味しい料理が出てくるのが当たり前になってしまったようだ。それだって、一言美味しいとかなんとか感想をくれていればそれだけで違ったのに。



 目の前で常連さんが「美味いな」と言いながら頬張って食べる様子につい、昔を思い出して苦しくなってしまった。

「ありがとうございます」

 毎日店が閉まる頃遅い夕食を食べに来るその人は、みんなと顔馴染みで誰とでも気さくに話をする。

その人が通うようになったのは一年程前で現れた時、常連客達が皆どよめいたのだが、オーナー夫妻は反応が両極端で、嬉しい気持ちを隠しきれない奥さんと物言わぬが怒りを湛えている旦那さんにこれは突っ込んできいちゃいけないやつだと悟った。

以来毎日のように閉店間際にやってきて、うちで夕食を食べて帰る。

周りはオーナー達に遠慮してるようだったが、それでも少ない会話から彼が街の中心にある高級宿のレストランでシェフをしていること、その為にこの町に来たことがわかった。


 来る度に美味しそうに食べる彼と打ち解けるようになるには時間はさほどかからなかった。料理を運んでいくたび必ずありがとうと言い、おいしかったごちそうさまと必ず言ってくれる彼に惹かれるようになるのは当たり前のこと。

恋人と別れて店に住み込むようになってからはさらに距離が近くなったような気がする。とはいっても、彼の食事時に付近に立っておしゃべりしていたものが、隣や向かいに座ってのんびりおしゃべりするようになったという物理的な距離。

そんな私にオーナー夫妻は何かをためらうようではあったけれど、今まで通り変わらず優しく温かく接してくれた。



「今日もおいしそうに食べてるわね」


「あー、だってうまいからな」


「そうね、オーナーの作る料理はおいしいものね。それに二人がいつも愛情込めて料理作ってるの知ってるし」


「ああ、そうだな。だけど俺はこの小鉢の料理もうまいと思ったぞ。これお前が作ったんだろ」


「え!なんでわかったの?今日はとっても上手にできたからバレないと思ったのに」


「そりゃわかるさ。この食材の大きさがいまいち揃えきれていないところなんか、いかにもお前がつくりましたって感じがするぞ」


「くぅー、そんな細部まで気づくなんて流石ね。私まだまだ修行が足らないわね、精進いたします」




 料理への向き合い方がとても真摯な彼は、だけどいかにも気に入ったと言わんばかりの豪快な食べっぷりだった。私が作った小鉢が好みだったのか、彼はいつにも増して饒舌だった。こういう彼の単純な様子に味の好みがすぐにわかる。正直さが隠せない性格にこうしてまた私だけが勝手に好感が上がり、彼を微笑ましく見る。


「なんだ?」

「本当になんでも美味しく食べるなと思って」


 気が付くと彼の隣に腰掛け、食い入るように動作を見ていた。店の外の看板は下ろし店内にも客はもう彼しかいない。これももはや毎晩の光景だった。


「何でも、ということはない」

「そう?まずそうに食べてるのみたことない」

「この店ではな」

「それもそっか、でもいつも綺麗に食べちゃうから」

「そんなにがっつり見られうと食い辛いだろ。それとも俺においしく食べられちゃいたいとでも思って見てるわけ?」



 今日の料理は本当に彼の嗜好のど真ん中だったんだろう、いつも以上にトークが軽い。ということは、私の作った小鉢は上々のようだ。私の料理がお気に召したようで顔が綻ぶ。



「まさか!どちらかといえば私が貴方を美味しく料理して差し上げますよ、うふふ」


「そうだな君の荒削りな、だけども旨くてあったかいご馳走に調理されるのも悪くはない」


「それ褒めてますけなしてます?」


「褒めてるよ。君の作る料理がとても好きだからな」


「料理……」


「そしてそれを作る人のことももちろん好きだよ」



 軽口からの突然の告白に私はびっくりして目を見開き何度も瞬かせた。



「ええ?驚くんだ。てっきり俺の気持ちに気がついてるかと思っていたのに」







「……全然、全く、何も、気づいて、ないです」


「そうなの?この店が住み込みでお前を雇うって言った時にてっきりピンときてるかと思ったんだけどな」


「そのことって、何か関係あります?」





「マジか。お前って、ほんとに料理の事しか頭にないんだな」



「…そんな事はないと思いますよ?」


「はぁ、まあいいか。そんな迂闊なところも可愛いしな」


「迂闊…?可愛い…?」



 すると今まで厨房に入り静かだったオーナー夫妻が顔を出して言った。またも二人の反応は両極端で、奥さんはにこにこ最上級の微笑みを浮かべているし、旦那さんはしかめっ面だ。



「お前達、ここは飯を食うところだ。口説く場所じゃない。今日はもう店じまいだ、とっとと帰れ。明日は定休日だしどっか二人で飲みにでも行けばいいさ。後片付けはいいからもう上がりな」



 オーナーの温かい言葉に感謝をして店を後にする。本当なら食器洗いをして、テーブルを拭いて、簡単に床を吐きあげて部屋に戻らなきゃいけなかったのに。


彼は店を出ると私の手を取って、指を絡めたまま歩き出した。向かった先は、彼の勤める宿だった。この時間はレストラン業務は終わり、酒と簡単なつまみを提供している空間に変わるそうだ。

私に飲み物の好みを聞くと慣れた様子で注文する。カウンターに並んで座ると、距離がいつもより近い。



「さっきの続きだけど。……俺、囲い込んだつもりだったんだけどな」

「囲い、込む?」

「そう。俺んちに住み込みって、そういうこと、みたいな?」

「俺んち?……俺んち……おれ、んち……うそっ」

「そう、あそこ俺んち」

「うそーーーっ」


「しーっ、静かに。ここはお酒をゆっくり楽しむ大人のお店だよ。はい、かんぱーい」


「そのにっこり笑っている顔が胡散臭いんですけど」

「ははは、ごめんて。だってまさか気づいてないと思ってなくて。……お前があいつと別れるってなった時に親父に頭を下げたんだ。うちを飛び出して戻ってからも下げたことのない頭を下げたんだ」



 若く幼かったから、もっと大きくて格式のある店のシェフになると言って飛び出したこと。外で修業をしたからこそ、両親の店が素晴らしいと気づけたこと。自分もただ料理を作るだけでなく客の美味しそうに食べる様子に触れたいと思ったこと。それで今のレストランの規模ならシェフも店内に顔を出して客とコミュニケーションをとれるだろうからと転属されたことを話してくれた。



「両親も年を重ねてたから、近くにいたいと思ったし店も心配だったしね。そしたら、店には既にうちの味を受け継ぐべく励んでる女がいて、料理のセンスはあるし接客は上手だし勝気だし負けず嫌いでおおざっぱ……」


「それ褒めてますけなしてます?」


「褒めてるよ。君の作る空間がとても好きだから」


「空間……」


「居心地がいいんだ。……だから、お前を絶対に惚れさせるから、お前の雇用を守ってほしいって親父にお願いしたんだ。でも俺が頼まなくても親父たちはお前のことを考えていてくれてたけどな」


「そう、だったんだ」

「で、どう?」

「どう、とは?」

「今の仕事、楽しいんだろ?俺を選ぶともれなく数年後には、あの店がキミのものに~」

「……軽いなぁ」


「でもまあ親父達は俺に関係なく、君を見込んで仕込んでいたけどね。だからこれは俺の思いであり願い。仕事が終わって君のご飯を食べるとほっとする。君が隣で微笑んでいると幸福感に包まれる。君が俺を真っ直ぐに見つめるとどうしようもない衝動に駆られる。君を……食べちゃいたいよ。俺なら君を美味しく、極上の料理に仕上げられる」


 熱く見つめる瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

衝動に駆られて欲しいと口にはしなかったが、私もあなたに美味しく食べられたいという想いは届いたはず。だけど、と思い直す。



「……ううん、私があなたを美味しくいただくわ」



 だってわたしは勝気で負けず嫌いなんだもの、ね。



 耳元で囁くと彼の手に自分の手を重ね、そしてそのまま指でつつっと撫で上げる。



「わたしの料理を大雑把なんて二度と言わせない……」

「それは楽しみだな」



 彼はそのまま添わされた指に自分のもう片方の手を重ねて優しく握った。そして、席を立つように促す。腰に回した彼の手は繊細さを伝えるようにそうっと優しく這う。それだけで体が痺れるような感覚が走った。


「俺の部屋で良い?」


 寄り添って歩きながら、項から耳へと彼の唇がなぞって熱い息とともに吐く言葉に自分自身が今まで感じたことのない高揚感に襲われた。そして……











「むっふっふーっ、そうよ、何事も、導入部が大事よね。女性は、そこに至るまでのプロセスが大事なのよ。ああ、この先をぜひここで読み上げたいけれどもムーンライトになっちゃうしな~」


「ムーンライトってなんですか?」


「エミリー様、ムーンライトノベルとはですね、」


「んん、ごほんごほん」



 後ろで控えるリンクの棒読みの咳払いに、はっと我に返る。

あぶないあぶない、前世の記憶持ちだとばらすところだった。



「む、むーん、らいととは、そう、この小説のシリーズ名です。貴族用がムーン、庶民用がライト、ムーンノベルとライトノベルです!」



 ふう、焦ったぁ。ライトノベルはちょっとまずいかもだけど、まあ良しとよう。



「それにしても、は、破廉恥、ではございませんか。書いていて少し不安に、」


「全然、大丈夫。庶民向けはこれくらいじゃないと受けないのですよ。

見てなさい!宵闇や誰そ彼シリーズの売り上げを抜いてやるぞー!」


「まあ、ハンナさまったら……でも、楽しみですわね」

「ええ、このように女性が仕事を持ち自立できるこのお話がファンタジーではなく、近い未来の出来事だと思い知らせてやるのです!」



 こうしてトレイシー・ノーベル作、原案ジョディ・アポストロンのムーンノベルとライトノベルは発売され、長く続くシリーズものとなったのである。







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