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エピローグ

 夏が終わる。

 病室のベッドに腰掛け、窓の外を見つめながら、ルイは思った。


 結局、ひと夏を療養と新たな武器「シャルフリヒター・ベーテン」を使いこなすことに費やした。

 振り返ればほんの束の間、だが、長い夢を見ていたように思う。


 懐かしい夢を見ていた。


 今はもういない、大切な人たちがそこにはいて、できることならずっと夢の中に留まっていたいと思った。

 だが、騎士としての心は忘れていない。

 守るために戦う。

 それを、これから始める。


 コンコンと、病室の扉がノックされる。


「どうぞ」


 ルイは、ヤブ医者が用意したシャツとスラックスに身を包んでいる。

 病院服は丁寧にベッドの上に畳まれていた。


 入ってきたのは神父服に身を包んだ、ダークブラウンの髪を短く刈った大柄な男だった。

 ヤブ医者の次は胡散臭(うさんくさ)い神父かと、ルイは心の中で噴き出す。


「あれ? 病室間違ってないよな? 重症で担ぎ込まれたと聞いたんだが」


 男は、戸惑いつつもルイへと歩み寄る。


「ここの医者は、見かけはとても医者には見えないが、腕はいい。――それで」

「初めましてだな。異端審問室付き裁判官のギュスターヴだ。ヴィンセントとは学院時代の同期だ。アイツはどうしても離れられないからお前が行って来いだとよ」


 ルイは、ギュスターヴと握手を交わし、こっそり苦笑する。

 ヴィンセントがセクトリアを離れないのは魔女だからだ。

 だから、一度も見舞いに来ることもなかった。来ることができなかったのだ。


「荷物は?」

「これ一つだけだ」


 そう言って、ベッド脇に置かれた大きなトランクに視線を向ける。


「ずいぶん大きいな。運び込まれた時の装備か?」

「いいや、持ち物はすべて処分した。使い物になるようなものは何もなかったし、もう階段騎士でもないからな」


 ルイはシャルフリヒター・ベーテンの入ったトランクを持ち、ギュスターヴと病室を後にする。


「ところでなんでまた異端審問室なんだ? 階段騎士って言ったら、王の指先と同じくらいのレベルなんだろ?」

「さあ? 王の指先と手合せをしたことがないからなんとも言えないが、異端審問室に入ってやりたいことがあるんだ」

「やりたいことねぇ。今はだいぶゴタついてるぜ」


 顎の無精(ぶしょう)ひげをなでながらギュスターヴは言う。


「ゴタ?」

「王宮から私刑に関する罰則が正式に発表されて、同時に、異端審問室の中身も徹底的に見直すってな。そうそう、枢機卿も変わる」

「そんなことになってたのか」

「いやぁ、忙しいのなんのって。まあ、大変だが、これでようやくまともな裁判ができると思うと学院での苦労が報われるってもんだな」

「まともな裁判、か」

「そう。魔女といっても人間には変わりはない。正常な思考を持っているなら更生(こうせい)の余地もある。ヴィンセントから聞いてるが、お前さんは罪のない魔女を保護したいって?」

「ああ、だが、全員を異端審問室で保護するのは難しいから、監視下に置くとか、魔女を能力別でランク分けして……なんだ?」


 気づけば、ギュスターヴは口を半開きにして、ルイを見つめていた。


「やっぱり、新人がでしゃばりすぎか?」

「そんなことあるわけないだろ! そういう意見を待っていたんだよ! いやー、正直俺とヴィンセントだけじゃ審問室のシステムを一から作り上げるなんて過労が致命傷レベルだと思ってたんだよ。本棚からパンケーキが落ちてきた気分だ」

「そ、そうか……」


 逆にルイは、ギュスターヴのこのテンションについていけるかと心配になった。

 病院の玄関を出ると、セクトリアの国章を付けた二頭立ての馬車が止まっていた。

 馬車に向かうルイに、横から声がかけられる。


「そうか、今日が退院だったっけ?」


 ヤブ医者が玄関の柱に身を預けるように立っていた。


「すまない、先に馬車に乗っててくれ」


 ルイはギュスターヴに言って、ヤブ医者の元に歩み寄る。

 ヤブ医者は珍しく白いワイシャツにネクタイをしっかり締めていた。


「まさか、見送りなんて言わないよな?」

「うん、言わないよ。患者なんて治ったらどうでもいいから。ボクもこれから当主会議っていう時間の無駄遣いに行かなきゃだめなんだ」


 時間を無駄遣いする会議とは、一体どんな会議だ?


「今更なんだが、名前を聞いてなかった」

「あれ? 言ってなかった」

「ああ、言ってない」

「そっか」


 ヤブ医者は柱から身体を離し、ルイの正面にちゃんと立つ。


「ボクの名前はフランツ、あー、すごく長いんだけど、フランツ・アーベントロート・トリスメギストス・シュピーゲルヒンメルっていうんだ。面倒くさいからフランツでもいいよ。一応トリスメギストスの当主だよ」


 なんでも「一応」なんだなとルイはあきれる。

 だが――


「トリスメギストス? クレモネスを造った三賢者の?」

「その人は赤の他人。言ったでしょ。賢者が生まれないって。今は宗派に鞍替(くらが)え。ボクはトリスメギストス前当主に拉致(らち)られて勝手に当主を継がされただけ。おかげで無駄な仕事ばかりやらされて自分の研究時間なんてほとんど取れないんだ」

「……それなのに、私の治療とか、武器まで造ったりしたのか?」

「気にしないで。そういう手仕事は個人的な趣味だから」


 個人的な趣味で医者をやってるとか噴飯(ふんぱん)もののジョークだろ。

 だが、ヤブ医者――いや、フランツらしい。


「そう簡単にヘタらないと思うけど、その子の調子が悪い時は持ってきなよ。その時は事前に連絡もらえると助かるな。トリスメギストスって書いとけばクレモネス国内だったら手紙を受け取れるから」


「わかった。いろいろ、世話になった」

「ボクはほとんど世話してないけど、言葉はありがたく受け取っておくよ」


 そう言って、フランツは正門脇の小道の向こうに消えてしまった。

 ルイは(きびす)を返し、馬車へと向かう。

 これから祖国に帰るのだ。

 大事な人を(とむら)うため。

 守りたいと思うものを守るため。

 そして、生きるために。



 その年の年末、セクトリア国王エディス十一世の妻エイレネが肺炎で亡くなる。

 翌年、私刑に関する法が実施される。

 同年、イザベル・ハウラ・ド・ロワマルティアは騎士の中で最も位の高い「剣聖」と認められ、王の指先の第一位、右の人差し指に任命される。余談だが、結婚したと言う話はまだ聞かない。

 同年、新しい枢機卿がイースクリートから教会に送られてくる。

 そして、魔女にも平等に裁判を行う義務、魔女も裁判を受ける義務があると「魔女の人権宣言」を行う。

 同年、異端審問室室長、および副室長が新たに任命される。

 次の年、聖階段騎士団第三階位であったギルベルト・アベル・ディートタルジェントが剣聖として認められ、長い間空位だった第一階位に立ち、聖階段騎士団団長を枢機卿から任命される。

 同年、魔女を裁くための法、通称「赤の法」が王政側より発布され、実施される。

 次の年、国王エディス十一世が崩御する。

 同年、鍵の魔女ルージュ・ルートグラスが、魔女の遺物保管所の管理者となる。

 同年、ルージュ・ルートグラスを中心として、異端審問室内に、魔女討伐専門の部署として実働部隊が創設される。

 初代部隊長に、ルイ・エクレール・ド・ルーマルクが任命される。




 トリスメギストス本邸のフランツの部屋。

 いろんな置物が適当に並べられたガラス戸付きの棚の中に、「Ⅷ」と描かれた銀のプレートが置かれていた。

 留め具も外れたプレートはただのゴミだが、そこに刻まれた斬撃の痕は、ある男が、好きな女性のために命をかけて立ち向かった証。

 その英雄譚は本にはなっていない。

 ただ、英雄が身に着けていたプレートがあるだけ。

 関わった者がみんな死んでしまったら消えてしまう物語。

 失われる物語。

 そのカケラが、錬金術師の棚の中にひっそりと仕舞われている。


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