4、変態は根が深く愛も深い……らしい
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――男性陣に一旦部屋を退出して頂いた後。
私達は部屋に残って、本日の面接者の資料を眺めていた。
パラパラ、と彼は資料をめくる。
「お嬢様ったら。今日多くの男と交流して中身の無い口説き文句をしこたま聞かされて。それで俄然ホンモノが欲しくなっちゃっただなんて。ほーんと単純ですよ。僕とは大違い」
アレクはくっくっと笑い、私を見た。
薄青の瞳には笑いによる生理的な涙が溜まっていた。
「真実の、愛……」
私はぽかんとしながらアレクを見つめる。
彼に言われたその言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。
アレクはそっと私の頬を手袋越しに撫でる。
「もうホントかーわい、お嬢様。結婚に興味ないって言っておきながらこれなんですもんねー」
「ち、ちが……」
ちがう、と言おうとして。
アレクはちょんと私の唇に人差し指を添えた。
「何も違わない。そうでしょ?」
「……うう」
確信に満ちたブルーに射止められ、強く否定できないでいた。
この執事は私以上に私のことをよく分かっている人なのだ。
「ねえアレク」
「なんですか?」
「……私って本当に悪役令嬢なのかしら?」
ふと疑問に思っていたこと。それを彼に聞いた。
なんだか無性に、このタイミングで聞きたくなった。
彼は「んー?」と目を細めつつじいっと私を見つめた。
「わたし……」
裏切りは怖い。
自分が悪役令嬢で。愛した人に裏切られる未来が確実なんだとしたら、勿論そんなのイヤだし怖い。
でも。
「ああそうね。そもそもの愛が偽物だった時が怖いんだわ」
――『裏切り』は。
その瞬間がどんなにどんなに憎く恨めしくても。
愛が壊れてしまったからって、今まで過ごした時間も温かな言葉も。全て嘘だったとは誰も測ることはできない。
きっと裏切られる前までは確かに私のことを愛していてくれたんだろうって。
そう思うことももしかしたらできるかもしれない。
どんなに馬鹿馬鹿しくて不確かなモノでも。そう思うことで『失った愛』、その喪失をやり過ごすことができる。
「でも最初に私と婚約することが物語で定められた男性。そんなのに裏切られたら、困っちゃうわ。だって『裏切り』でも何でもないんでしょう?心変わりを詰ることも責めることもできないわ」
移ろう『心』も。失う『愛』というものも。最初から全て存在しなかったことになる。
彼らがヒロインとの出会いで『目が覚めた』ことになるのならば、私は何て言って責めるべきなんだろう。
私との交際も婚約も。彼らにとって寝ぼけた状態の時間だなんて。
「それってとっても惨めじゃない?『最初から好きじゃなかったんだ、ゴメン』なんて言われてフラれるなんて。一番苦痛だわ。想像するだけですっごく虚しい気分になるもの」
アレクは「ふふ」と愉快そうに笑う。
「僕はお嬢様の考え方、とても好ましいですよ。僕が逆立ちしても及びもしない思考をなさる」
「そう?私のは至って普通の考えだと思うわ。……あなたの方が常人に及びもつかない思考の持ち主なんだわ」
「そうですねぇ。確かにお嬢様ってほんとふっつーの女の子ですよねぇ。おまけにすっごく単純なんですから」
「……」
彼はやっぱり愉快そうに喉を鳴らすのだった。
……『単純』ってまた言ったわね。
顔に熱が集まるのを感じ、手でパタパタと仰ぎながら俯いていた。
アレクの視線を感じる……。
「でもねお嬢様。この中にホンモノがいますよ」
「え?」
思ってもみないことを聞いて。私はぱっとアレクに振り返った。
彼はプロフィール資料の束を私に渡しながら。
「あなたのことを真実とても大事に想っている、原作の強制力なんて目じゃない男がね。……この中にいるんですよ」
私は渡された紙束の、その1ページをぼうっと見つめつつ、彼を見上げた。
「ほんとうに?」
それは……だれ?
「さぁて。それはともかく。うるさい豚野郎共をこれ以上お待たせできませんし。玄関ホールに向かいましょう」
「え、ちょっとアレク……!」
私の問いかけを振り切るようにすっと立ち上がった彼は、扉を開けて退出を促す。
「じきに分かりますよ。……分からせて差し上げます」
猫のような狐のような。目を細めてにこりと微笑む。
何故かその微笑みに背筋が凍る思いがした。
な、なんか怖い……!その笑い方。
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玄関ホールに続く扉を開ければ。
一斉に男性陣がこちらを振り返った。
「ローラ様」
「ローラ様がいらっしゃったぞ!」
「ローラタソ!(*´Д`)ハァハァ」
皆、姿を認めると口々に名を呼ぶ。……やはり気色悪いのがひとり紛れているようだ。
集められた一同を見渡しながら、大きく息を吸い込む。
大きなシャンデリアの光がチカチカとして眩暈がしそうだ。
「ええと。皆さま……」
コホンと咳払いをして、呼吸を整える。
本日最後の締めとして。私から挨拶をしようと考えていた。
折角お越しいただいたのだ。それ位の誠意を見せなければ。
――この男性陣の中に。私のことを本当に想ってくれている人がいる。
やはり私は単純で。アレクに言われたその言葉を何故だかすっかり信じきってしまっていた。
自然、胸が高鳴るのを感じる。
後でゆっくり本日の来訪者名簿を見返そう。その誰かを見出して、ちゃんと向き合えたらいい。
そう固く決意をして。
「本日はお越しいただいてありがとうございました。皆さまにお会いできて良かったと思っています。あの、私……」
「お嬢様」
続く言葉をアレクは制した。
「まだひとり、面接希望者が残っていますよ」
「え?」
「ほら、その履歴書。一番最後のページをご覧になってくださいまし」
訳が分からないまま、彼の言う通り持っていた資料の最後のページを……。
んん??
「『アレクサンダー・モンターク』(21)……?」
何でアレクのプロフィールが混じっているの?そう聞こうとして振り返ったつもりだったが、先ほど立っていた場所に彼がいない。
あ、あれ?
すっと手を取られる気配に視線を落とせば。
彼が私の手を握りながら、跪いていた。
「アレク……?」
「ローラ様。初めてあなたにお会いしたその日からずっと密かにあなたを……あなただけを想い続けて参りました……」
「へぁっ!?」
彼はつと私の手を軽く持ち上げ指に口づけを落とす。
ちゅっと響くリップ音が何故だか私を物凄く恥ずかしい気持ちにさせる。
しかし恥じらいも何も、その前にもっと色々衝撃発言を聞いた気がするのだ。
「あああああれく、あなた何を言って……」
「ええ。さぞ驚かれたでしょう。仕えるお嬢様にこのような、なんて浅ましい……」
「いや、ちょっと……待って」
情報処理が追いつかない。頭がパンクしそうだ。
え?出会った頃から私のことを……!?
イヤでもちょっと待って。そんなことを今、こんな大勢の前で告白しなくても!!
私がチラリと外に意識を向けると。
男性陣はポカンとしていて誰も何も発することもなく……しぃんと静まり返っていた。
ただ一心に注がれる視線が痛い。
「ローラ様、ダメですよ。今は僕に集中してください」
彼は苦笑し立ち上がり、私を見降ろす。
「ほんとかわいー。耳まで真っ赤だ」
手袋越しに私の耳の縁をつぃーと撫でられて。
このセクハラ行為にいつもは蹴りを入れるのだが、今はそんな余裕がなかった。心臓がうるさい。
「あ、あれくさんだーさん。これは一体何の悪い冗談……」
つい彼を愛称ではないソレで呼んでしまう。どれだけうろたえているの、私。
名を呼ばれた彼はにっこり笑う。しかし目が笑っていない。
こそっと私に耳打ちをする。
「お嬢様、これから僕が言うことに対する返事は『YES』ですよ。それ以外は認めません」
「え?」
「この大勢の野郎共を一気に片付けるまたとない良い機会ですよ。気張ってくださいね」
彼はそう言って、再び私に跪く。
私の手の甲に額を当てながら。
そして……
「どうか。僕の妻になって下さい、ローラ様」
!?
直接的な求婚の言葉に私は面白い位、動揺した。
「ア、アレク……」
バクバクと煩い心臓が。胸を突き破ってそのまま飛び出してしまいそうだ。
何故だか無性に泣けてくる。
「お嬢様?」
そっと返事を催促するように小声で呼び掛けられて、はっとした。
彼は今、『ローラ様』ではなく『お嬢様』と言った。
――そうか。これは恐らく、演技だ。
彼はさっき言ったじゃないか。『大勢の求婚者を一気に片付ける機会だ』と。
そうかこの求婚は嘘。これは演技。演技なのだ……。
演技……。
何故だかしゅんとした寂しい気持ちになって、私は彼のつむじを見つめていた。
ドキドキした私がバカみたいだわ。
ブルーの瞳が優し気に揺れていた。
そんな気遣う振りをしないで欲しい。
本物の気持ちだと勘違いしてしまうじゃないか。
いや彼なりに私を想ってのことだ。厚意を無下にしてはいけない。
ここは彼の機転に乗るべきなんだ。
ごくりと喉を鳴らす。
「は……い……」
小声で鳴いた私に彼は「もう一度、」と。
「ローラ様、僕の妻に?」
――彼の薄い唇が少し震えていたように見えたのは……きっと気のせいだろう。
ええい、どうせ演技だ。
やけっぱちな気持ちも手伝ってか、ひとつ大きく頷き私は叫んだ。
「ハイ喜んでー!」
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――後日。
「だ、騙されたわ……!」
私は頭を抱えていた。
「騙しただなんて。人聞きの悪い」
いつかの日と同じように、彼は隣で茶を飲んでいる。
着ているのは執事服ではなく。仕立ての良いフロックコートだ。
その平然とした口ぶりと。平静な態度に何故か腹が立った。
「だって!あなた言ったじゃない。『求婚者を一気に片付けるまたとない良い機会だ』って。あれってつまりあの求婚は演技ってことじゃないの?」
「演技なんて一言も言ってませんよ?僕をあの場で選べば。お嬢様には金輪際求婚者も見合い話も消えてなくなります。嘘は何もついていないでしょう?」
「うう……」
そう。この執事にはめられたのだ。
あの大勢の前で彼の求婚を受け入れるフリをしたつもりだったのだが。
……何故かその時たまたま居合わせた両親が。
『ローラ!あなたついにアレクを選んだのね!!』
『アレク、ローラを幸せにしてやってくれ。君のような有能な男が義理の息子だなんて。私は鼻が高いよ』
と。アレクを元から気に入っていた彼らはすっかりテンションが上がってしまい……。
あれよあれよと事が進み。私は流れに流され……ついに……。
「あ、お嬢様。オーダーしていた婚約指輪ができたんですよ。ほら」
彼はそう言って持っていた小箱をそっと差し出した。
「こ、こんやくゆびわ……」
そう。ついに――彼と婚約してしまったのだった。
何故こんなことになったし、自分。
ぱかりと箱を開ければ。
キラキラとしたダイヤが目に眩しい。
どんな状況であれ、心境であれ。しかしダイヤモンドは美しいわ……。
私がぼうっと指輪に見入っていると。彼は嬉しそうに笑う。
「ああ、早く結婚したいですね。婚約期間、もうちょっと短くしません?」
「え?」
「早くあなたとあんなコトやこんなコトしたいのに。嫌になる位貴族の婚約期間って無駄に長いですよねぇ。悪習ですよ、悪習」
「あ、あんなコト……」
や、こんなコトって。
思わずたじろいだ。
私はこの6か月の婚約期間中に色々と覚悟を決めなければいけないようだ。
いや正直、無理な気がしてきた……。半年はちょっと短い。短すぎる。
どうにか破棄or延期できないかしら、なんて考えを巡らせていると。
「お嬢様、何を考えているんです?またどうせろくでもないことでしょ?」
「え?あぁ……ええと」
私は内心冷や汗をかきながら。話題を必死に探す。
「ああ!あ、あなたの言っていた『私のことを一番大事に想っている人』って誰だったのかなぁって……考えてたのよ」
あの時は――彼の求婚の所為で。すっかりそのことは頭から吹き飛んでいたのだった。
返事をしなくては、という妙な使命感と焦燥感。
あとは求婚者達の視線、その居たたまれなさから一刻も早く解放されたかったのも大いにある。
これに彼は呆れたような顔をした。
少し不機嫌そうにむっつり頬杖をつき、足を組み直す。
その様子に私はこの話題を出したのは失敗だったのだと悟った。
「お嬢様ったら。何を今更……いや、そもそもが分かってなかったのか。驚きですよ」
「え?」
「……というか僕以外の男に目を向けようとなさってる?それとも僕を嫉妬させようと?恋愛初心者のくせに大した悪女ですねぇ」
「い、いえ。そういうわけじゃないんだけどね。私ってほら、あなたの話が本当だったら悪役令嬢なわけでしょ?そんな私を想ってくれる人なんてとっても稀有で貴重なんだと思ったから、ね。ちょっと気になって」
彼は不機嫌そうな空気はそのままに。
それでも瞳には私をからかうような色が浮かんでいた。
「そうですねぇ。お嬢様は悪役令嬢ですよ。あなたなんて人、僕以外の男と結ばれたら全て不幸になる道筋しか用意されていないんですからね」
「それは……、」
えーと?何故そんな自信ありげに断言できるんだろう、この人は。
「アレクじゃなくても……、他の物語に関係ない人を選べば私は……」
「あなたの正規ルートはこの僕です!それ以外のルートはないですよ。あり得ない」
どうやらこれも失言だったらしい。
アレクは私の腰を引き寄せ、きつく抱きしめた。
私は彼の厚い胸板に顔を寄せながら、浅く息をすることしかできない。
呼吸し難くなる程には強い力ではないのだけれど。
何故か最近彼に触れられると呼吸困難に陥るのだ。動悸も激しい。まるで全速力で駆けた後のようだ。
「あなたが可愛くて仕方がないですよ。僕がどんなにあなたが好きか、今にきっとよく分かる。だから僕にしておきなさい」
「アレク……」
いつもと違う彼の真剣な声音とその言葉が頭上から降って来る。
何故か顔を上げることができなかった。
やっぱり動機が激しい。
何かの病気かもしれない。
「僕みたいな一本筋が通った変態はね、守備範囲が狭くて深いんです。言い換えるならばとっても一途ですよ。たくさんの愛が欲しいなんて言ってもられなくなりますから。覚悟なさい」
「そ、それはちょっと……愛が重いわ」
というかこの人。今自分で自分を変態と言ったわ……。一本筋が通った変態ってなに。
ふと自覚がある変態の方が始末が悪いんじゃないだろうか?と思ってしまう。
改める気も直す気もサラサラなさそうだし。
アレクは私の悪し様な言い方に「ははっ」と声を上げて笑った。
反射的に見上げれば、ブルーの瞳が私をじいっと見つめていた。
「あなたをこの腕に抱きしめているなんて夢のよう。『お嬢様』じゃなくて僕のローラ、……それももうすぐ『奥さん』と呼べるんですねぇ?」
そう言って蕩けるような彼の微笑みはどこか上機嫌な猫を彷彿とさせた。
その笑みにつられてつい、「ええそうね」と答えてしまっていた。
あ、あれ?
私の同意とも取れるその返事に、彼の抱きしめる力が強くなる。
微笑みの中に浮かぶどこかホッとしたような安堵の色。その表情は泣き笑いのようで。上機嫌な猫ほど余裕ぶったものではなくなっていた。
それは。
――大勢の男性陣のブーイングの中で。私に向けられたあの時の笑顔に少し似ていた気がして。
私はこの彼の表情に弱いのだ、と。
この時悟ったのだった。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
少しでもこのゲスいヒーローを『キモチワルイな!』と思ってもらえたら……嬉しいです←?