第4話
次回更新前後に、タイトルを『勇者様、お故郷に還ればただの人〜それが常道ってもんだろう?〜』に変えます。
幸いなことに、駐車場の脇に水道があった。多分この駐車場内の掃除とか、あるいは自動車の持ち主が洗車をするのに使うだろう物だ。本来この駐車場と関係ないのに貸してくれるとは思えないけど、どういう訳か『彼』が許可を取ってきてくれた。
「さて、まぁあんまり綺麗じゃなさそうだけど贅沢言ってられないだろ」
突き出されたホースの先から出る水に口を付ける。もちろんホースの先端に口を付けるのは勘弁してもらいたいけど、実際のところ向こうでは地面にたまった泥水をすすったこともあるし、水瓶を叩いて表面にわいたボウフラを追い払ってから柄杓ですくうこともしょっちゅうだった。見た目が悪いくらいそんなに気にならない。もしかしたら排ガスの匂いで気持ち悪くなるかも……とか移動中は考えてたけど、魔界とでも言うべき場所の瘴気に比べれば別段たいしたこと無かったし。
「いや、ほんと助かった」
とりあえずホースの口を『彼』の手から受け取り、時折口をすすぎながら先に嘔吐した吐瀉物を排水溝に押し流していく。時々アスファルトに水が跳ねるからか『彼』はそんな俺から微妙に距離をとった場所からこっちの様子を見ていた。
「正直この格好で管理人室に頼みにいっても、水道使わせてもらえなかったろうしな」
「あー……自覚あるんだな」
「そりゃ当然あるよ」
ホースから口を離して振り向くと、『彼』は近寄ってきて鞄が引っかかった左のガントレットを突っつく。
繰り返して言うが俺は無敵だったのでこのガントレットは完全に装飾品である。半分に割られた黒銀のラグビーボールを手首に括り付けたようなそれには、鮮血のような赤い結晶で3つの国のエンブレムが刻まれている。ちょっとおもちゃっぽく見えるような気もするが、触ればその冷たさで本物だとわかるだろう。
「結構本格的だよな」
「本物だからな」
「本物って……マジで言ってんのか?」
というか、向こうでだってこれを着るのにはそれなりに勇気が必要だった。特に鉢金。多少そうゆうのにあこがれが無かった訳じゃないとはいえ、誰もが勇者と思う格好をすると言うのは。時々偽物扱いされたりすることもあるし……偽物というかいっそ妄想に取り付かれた狂人というか。10年たって見た目が変わらなかったらそりゃいっそ勇者じゃなくて魔王の下僕が化けてると思った方が妥当に感じたかもしれない。
が、とにかく本物だ。この装備全ても、あと俺自身が勇者であったことも。
「何をマジっていうのかよくわかんないけど……マジだったよ。多分」
「その割に武器っぽい物が無いな、エクスカリバーとか」
「そんなん持ってたら銃刀法違反になっちゃうだろ」
「その返しのどこを拾ってマジだと思えば良いんだよ」
うん、剣を持たない勇者ってのが間抜けなのは認めざるおえないけどな。ところで『彼』、結構親しげに話しかけてくれてるけど……未だに名前が思い出せないんだよな。正直これだけ親しげにされると名前を聞くのがちょっと怖いんだけど、だからといって小学生でもあるまいし名札も……あ、そうだ。確か鞄に……
「……チッ……裏か」
鞄の角に名札入れが付いていたと思ったけど、こっちに向けてる側が逆だ。うまいこと背後にでも回らないと見ようが無いな。ちょっと会話の流れで後ろを向かせる方法は思いつかないし、塾に向かうときにでもこっそり覗き込むしかないか。
「何か言ったか?」
「いや、もう全部流れたかなって」
「なんだ、いきなり話題変えるな?」
もし、相手の背後に鏡を出現させられたら……つい自分の目線が相手のオッパイに行ってるんじゃないかって心配になって開発したあの魔法が使えたら……まぁその鏡が誰からでも見えるから使う機会は無かったけど、こっちに還ってくるときに手放したあの力が使えたら、とか、思わなくはない。
というかそれが出来るならそもそもこの勇者装備を格納して、制服程ではないけどギリギリ現代にマッチしそうな服を取り出すことが出来るけど。
「『ナニムシスレバセイゾウキンシ・イコノクラスム』……なんてな」
「おーい、何か行ったか?」
「いや。口の中ちょっと確かめるのに音出しただけ」
もう一度ホースを自分の口に向けて、口を濯ぐ。
そう言えばあの魔法、友達に言われて覗きに使おうとしたこともあったな。すぐにバレて、もっと効率のいい覗き魔法を開発するって話しもしたっけ。今となっては、ただの思い出だけど。
「えっと、とりあえず……悪いんだけど管理人さんにお礼言ってきてくれるか」
「ああ。まぁそうだな、わかった。っていうかお前そのカッコのまま塾行くのか?」
「ん、一度家に帰ろうかな」
「そうか、それじゃ」
振り返る『彼』、前後が逆になる鞄。つまり見えるはずの名札は……入ってなかった。そう言えば俺も名札入れてないや。ださいって。別にそんな困ることも無かったし。
「ん?」
「どうかしたか」
「ん、んー……今なんか、足下で何か光った?」
「俺が巻いた水のせいじゃないか?」
「……そうかもな……それじゃ、また後で」
おう、応えて水道の蛇口に手をかける。しかしどうやって『彼』の名前を調べようか。