凍てつく心の魔剣-3
本拠地の惨状は、すぐ都各地にある同じ系列の研究所にも伝わった。
「一夜にして城が氷漬けになったらしい」
「やったのは実験体のひとりか?」
「現地にいた大部分の者と連絡がつかん」
「これに乗じて逃げ出した実験体の奴らもいるのか?」
「あんな実験をしてたことがバレてみろ! わたしたちは一巻の終わり……」
バタリと戸が開き、研究所の人間は皆固まった。
戸口には剣を携えたイコリスがいた。
また1つ、氷漬けの研究所が増えた。
口封じのため、その後も次々と刺客が送られてきた。しかしイコリスはそのことごとくを返り討ちにしていった。
イコリスの胸の氷から生まれた魔剣は、ただ一振りするだけで極寒の風を巻き起こし、範囲内にあるものすべてを例外なく凍てつかせることができた。
遠くから火球を放ち、周囲一体ごとイコリスを焼き尽くそうとした魔術師もいた。
だが魔剣から絶え間なく立ち上る冷気が、ありとあらゆる魔力を無効化した。奔流のごとき火炎も、千の火の雨も、イコリスに火傷ひとつ負わせることは叶わない。
彼はただ、剣をちょっと振るうだけでよかった。ただそれだけで、あらゆる魔導の技をあざ笑うような絶対の冷気が、無謀な戦いをしかけてきた術者のほうへと迸るのだった。
イコリスはそうして、ただ歩いた。彼の通った場所には、二度と生命も芽吹かぬ、永久凍土の道だけが残された。
彼の頭にあるのは、ただ自分が生まれた村のことばかりだった。必死になって襲いかかる研究所からの刺客など、彼は気にもとめなかった。
イコリスはただ、この魔剣で、自分の村を、そこに住まう人間をすべて、氷に閉じ込めることだけを考えていた。
ろくな食物も与えられず、長きにわたり眠ることさえなかったために朦朧とした頭と体は、ただその憎しみを原動力にして動いた。
歩み続け、魔剣を振るい続け、幾日かが経った。深い山の中に入り込んだ彼は、もうすぐ日が落ちるのを知って、身を休ませることにした。
もちろん、片時も離れない、離すことのできないその氷の魔剣がある限り、彼が本当に眠るということはなかったのだが。
おあつらえ向きに、腰掛けられそうな岩があった。イコリスはそこに留まり、目を閉じた。獣や魔物に襲われることなど、彼はまったく心配していなかった。
体温のない彼には、人間ばかりでなく、いかなる生物も決して近づこうとはしないからだった。
浅いまどろみを経て、陽の光に目を覚ますと、彼は自分がいた場所が、かつて生まれたまさにその村であることがわかった。
村はすっかり打ち壊され、焼き払われていた。
彼が腰掛けていたのは、奇しくも、彼が生まれた家の、暖炉の残骸なのだった。
彼が魔術師たちに連れられてすぐ、その村が群盗に襲われ焼き討ちに遭ったのだということを、彼はずいぶんと後になってから知った。
その日一日をかけて、彼はかつての村を歩き回った。ところどころ、骨があるばかりで、生きた村人にはついぞ出会わなかった。別に彼が、そのことを期待していたわけではないけれど。
「……」
イコリスは、もう何をすればいいのかわからなかった。ただ彼は生まれた村と、その村人を氷漬けすることばかりを目的に、あの城から逃げ出し、ここまでやって来たのだった。
しかし、冷気を降らすべき村は、とっくにどこかの群盗がめちゃくちゃにしていたのだった。
彼がやるべきことは、もう何もなかった。
イコリスは、何をするでもなく、適当に魔剣で薙ぎ払ってみた。たちまち氷の断裂が生じ、異次元の冷気が襲い来て、辺り一帯が極地のようになり、わずかながら原型を留めていた家屋までもが霜の塵と化したが、さっぱり心は晴れなかった。
暇を持て余し、イコリスはかつて住んでいた家の柱を氷柱で補強し、壁を雪で固め、屋根に氷塊を乗せて、雨風は凌げそうな家にしてみた。
とりあえず出来には満足したので、しばらく、彼はそこに住まうことにした。もう他に行くあても、やりたいことも、イコリスには何も見つからないのだった。
氷の家に住んでしばらく経ったころ、ひどく吹雪の吹いた夜。とはいえ、外がいくら寒かろうと、氷に囲まれているような家の中のほうがずっと寒いので、イコリスには気にならなかったが。
こん。こん。
霜と雪で無理やり形作った扉から、そんな音が聞こえた。
最初は吹雪の叩く音かと思ったが、規則的に、繰り返しくりかえし、必死だとさえ思われるようで、どうやら人が叩いているらしかった。
イコリスは戸を開けた。目の前には、彼とだいたい同じくらいの年頃に見える、一人の娘がいた。
「……イコリス?!」
どうやら彼のことを知っているようだった。しかし、彼は彼女のことをまったく知らなかった。
よくわからないまま、彼は娘を中へと招じ入れた。彼女はしばらく彼の顔を見つめていたが、やがて言った。
「……どうして家の中のほうが寒いのよ?」
その時、イコリスは気がついた。顔はさっぱりわからなかったけれど、その目だけは変わっていなかった、目の前の娘の正体を。
今ではとてつもない昔に思われる少年の時代、彼への嫌がらせには加わらず、じっと彼を見つめていたあの少女。いかなる感情が込められた目なのか、ついにわからずじまいだったあの……
「ホアイヤよ。それはともかく、明かり1つないのね……」
彼女は何事かをつぶやき、指を鳴らした。そのつま先に、小さな明かりが灯った。ろうそくのように柔らかな光が、驚くイコリスの顔を映し出した。
「わたし魔法使いなの」
ホアイヤは言った。