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凍てつく心の魔剣-1

 彼には生まれつき、体温がなかった。


 山奥の寒村の、真冬のある日に彼は生まれた。体温がなく冷たい赤子を何か月も身ごもっていた母親は、重い肺炎を患い、彼を生んだ瞬間に体力を使い果たし、死んだ。


 そういうわけで、イコリスと名付けられた彼を、父親は最初から憎み続けたのだった。


 イコリスはいつも一人だった。山奥に閉ざされたその村では、百年前と同じ考えが未だに根を張っており、魔術的なものは例外なく邪悪だと見なされていたのだ。


 都の方ではとっくにそんな偏見は消え去り、魔術研究家という職業さえ成立していることを、その名もない村の誰ひとりとして知らなかったし、たとえ知ったところで、凝り固まった思想がほぐれることもないのは確かだった。


 村の大人たちはイコリスのことを避け、そうした大人たちの姿を見た子供たちも彼を避けた。皆遠目に彼を見やっては、有る事無い事を無責任に囁きあった。


 ただ、子供たちと大人たちがただひとつ違っている点があるとすれば、大人たちは努めてイコリスを無視しようとしたのに対し、子供たちは積極的に彼をいじめようとしたことだった。


 ある日、誰と目を合わせることも、話を交わすこともなくイコリスが村の片隅を歩いていると、いずこからか石が飛んできた。


 石はまともに彼の首に当たった。思わずうめき声が漏れた。手をやると血がついた。その血にさえまったく温かさが感じられないことに、彼は自分の身のことながらもおののいた。


 事あるごとに嫌がらせは続いた。イコリスはまるで気にしないように、あたかも子供たちが存在しないかのように振る舞ったが、それがかえって向こうの嗜虐心を掻き立てたようで、いじめはますます激しくなった。


 しかし何よりイコリスを落ち込ませたのは、そうして子供たちに負わされた痛みではなく、毎日体のどこかしらに新しい傷を作って帰ってくるのにも関わらず、心配の言葉1つかけようとしない、父親の態度だった。


 大人たちの黙殺と、子供たちの嫌がらせが繰り返されてなお彼が外に出ようとしたのは、何一つ言葉が交わされることのない、しかし痛いほどの敵意に満ちた、父子2人だけの家にはいたたまれないためだった。


 イコリスの居場所は、どこにもなかった。


 また嫌がらせをされたある日、彼はあることに気がついた。村の子供たちはいつも集団でかたまって動き、遠くから罵倒したり、石や虫を投げつけたりしていたが、その中に一人だけ、彼に何もしない少女がいたことに。


 何もしない、とはいえ、別に彼への嫌がらせを止めようとするわけでもない。そんなことをすれば、自分もまた標的とされることがわかっていたためだろう。


 ただ嫌がらせに加わるでもなく、抑止するでもなく、彼をじっと見つめていた。イコリスは、その目にいったいどんな感情が込められているのか、時々考えようとしたが、痛みと絶望のために、次第にその少女の存在のことを気にかけることもなくなっていった。


 今や彼の心は、悲しみを通り抜けた。少しずつ、すこしずつ、彼は憎悪を育んでいった。それは次第に、しかし確実に、彼の心に根を張るのだった。


 誰に目を向けられることもないまま、それでも彼は成長し、いつの間にか、もう青年と呼べるまでになっていた。


 もう少しで成人だという時、かつてないほどの飢饉が村を襲った。いつも採れるだけの、半分以下の作物しか採れず、誰もが空腹のまま冬をしのがねばならないようだった。それはイコリスの家とて例外ではなかった。


 北から来る吹雪が、容赦なく村を打ち据えるある夜のことだった。風の音ではなく、人の拳が彼の家の戸を叩いた。


 それを聞いた瞬間、まるでこの時をずっと待ちかねていたように、イコリスの父が飛び出していった。彼は自分が生まれてから初めて、自分の父が喜んでいるように見えた。


 外には三人の男が立っていた。切れ目ない雪と夜の暗闇のため、その顔はよく見えなかったが、身なりはイコリスが見たことのないほど上質なものだった。


 ……都の人?


 彼は直感的にそう思った。遠く離れた都のことなど、めったにこの田舎の人々の口の端には上らなかったが、それとなく聞き知って育まれていた都のイメージと、今目の前にいる男たちのイメージとはぴったり一致した。


 男たちの一人が口を開いた。家の中にいたイコリスにはあまり聞き取れなかったが、


「約束の……」


 という言葉だけは聞こえた。


「ええ、ええ! もちろんですもちろんです! わかってますとも!」


 異様に明るい父親の声が、イコリスにとっては奇妙に感じられた。耳障りだとさえ思った。


 イコリスは、父親に促されるまま戸口へ連れ出された。


「へい、この通りで……」


 何がこの通りなのか、父の言葉の意味はさっぱり理解できなかった。しかしどうやら、それが自分のことを指しているらしいことだけはわかった。


 男たちが、ためつすがめつ、イコリスのことを観察し始めたからだ。


 手を出すように言われ、わけのわからぬまま右手を差し出す。男の中のひとりも手を差し出し、ぶつぶつと何かつぶやいたかと思うと、その手が赤々と輝き出した。


 吹雪の粒が、ぶつかる端から水滴へと変わっていくのを見ると、異様に熱量を持っているらしいことがイコリスにもわかった。

 

 あっ、と思う間もなく、男はその赤熱した手で、イコリスの右手を握りしめた。


 イコリスは、きっと襲い来るだろう痛みの感覚に怯え、身をこわばらせた。


 ……しかしいつまで経っても、彼の右手は何も感じることがなかった。


 イコリスが無反応なのを見て、男はさらに詠唱を重ねた。ますます手の輝きは増し、湯気が立ち始めた。それでもイコリスは何も感じなかった。


 男はさらに何事かをつぶやき、その途端、手は炎に包まれた。イコリスの手は、もはや炎に焼かれているのに等しかった。


 そこに至ってなお、イコリスは何も、ほんの少しの痛みも熱さえも、感じることがなかった。


 ……一体あとどれくらいこんなことを続けるのだろう。


 退屈さえ感じ始めていたのだった。


 男はついにイコリスの右手を離した。他の2人とうなずきあい、イコリスの父にもうなずいた。


「確かなようだ。では……」


 では?


 イコリスはどんと背中を突き飛ばされた、思わず振り返ると、厄介払いが済んだと言わんばかりの父親の顔があった。イコリスはその顔を、今後長い間忘れることはなかった。


「あ、あの、それでは……」


 卑しい笑みを浮かべ、おずおずと父親は手を差し出した。


「ああ。そうだったな」


 男の一人が懐から小さな巾着を取り出し、放った。


 ちゃりん、と、金が触れ合う音が、この吹雪の中でも、イコリスの耳には聞こえた気がした。


 男たちは無言でイコリスを引き立てていった。今の今まで見えなかったが、彼らは背後に馬車を停めてあったのだった


 イコリスは馬車に乗る瞬間、ちらと今まで過ごした家の方を見た。何かを期待してのことではなかったが、もう父の姿はなかった。巾着を受け取った瞬間、もうイコリスへの興味を失くしていたのだった。


 イコリスと男たちが乗り込むと、すぐに馬車は動き出した。


 どこへ行くのか、何のために連れられていくのか、イコリスにはまったくわからなかったが、この村よりマシというわけではなさそうだった。



 

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