表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

エメンダールの魔剣

 妹とテレビを見ていた。パッと画面が切り替わり、アナウンサーの絶叫と共に、画面の上部にテロップが流れた。


 Carnival


「まずい、カーニバルだ!」


 弾けるように立ち上がり、急いでシェルターへ逃げ込もうとしたが、家を飛び出したとたん、もう手遅れだと悟った。


 道路のはるか彼方から、ミサイルがおれたちめがけて突っ込んできた。


「伏せろっ!」


 妹をかばって道に倒れ伏すと、その頭を弾頭がかすめ飛んでいった。熱された空気が辺りに満ちた。恐るおそる頭を上げると、ミサイルにはカカシが突き刺さっていた。


 ぐずぐずしてはいられない。カーニバルはもうすぐそこまで来ていた。道路にはシェルターを目指す車と、自転車と、バイクと、馬と、馬車と、牛と、トラクターと、フォーミュラカーと、ワニと、ロケットと、戦車と、リニアモーターカーが並んで走っていた。


 腕を挙げてタクシーを呼ぼうとしたが、一人乗りのフォーミュラカーしかつかまらず、歩いてシェルターを目指すことにした。


 マンションが立ち上がり、体を震わせて居住者を振り落とすと、のっしのっしと歩いていずこかを目指していった。一歩ごとに地面が崩壊し、その足に何十台もゴーカートや人力車がぶつかった。


 おれは、妹を握る手に力を込めた。


 星を売る露天商の群れをかき分け、目抜き通りを横断するヌーの群れを迂回すると、運の悪いことに、巨人を入れた棺桶を担ぐ集団にぶつかってしまった。


「あ、お兄ちゃん!」


 押し寄せる人の波が、おれたちの繋いだ手をバラバラにし、妹は喪服を来た何百もの高僧の中に消えていった。


「――!!」


 耳を聾すばかりの騒音にも構わず妹の名前を叫ぶと、おれは側にあったイチジクの木に登り、悪いとは思いつつも、どこかを目指す人の頭を踏みふみ、妹の元へと向かおうとした。


 だがチュパカブラがマンホールの下から現れると、細長い腕で妹の手をひっつかみ、嫌がる彼女にも構わないで、天馬の引く馬車に乗せて連れ去ろうとした。


「待て!」


 妹の悲鳴に我を忘れたおれは、天空から垂れてきた蜘蛛の糸をつたってビルをよじ登り、十三階のバルコニーから中に入ると、清掃中だと抗議する亜神たちを弾き飛ばしながら、空中に浮かぶ階段を三段ずつ飛ばして屋上を目指した。


 屋上へと続く鳥居をくぐり抜けると、そこにはエデンの園がまるごと中東から輸入されており、令嬢が1人で緑茶を飲んでいた。


「……騒がしいわ。ここがどういう場所なのかご存知でないのかしら――?」


「知るか。黙れ」


「ひっ」


 怯える令嬢を尻目に、おれはエデンの園の端まで走っていくと、定員オーバーのために未だ五階あたりをさまよっている馬車めがけて飛び降りた。


 しかし途中でシルフに捕まり、まったく関係のない、中世の面影を残す田園地帯へと連れられてしまったのだった。


 ゴブリンくらいしかいない平野の真ん中で、おれは途方に暮れた。びっくりするほど空は澄み切って美しいオレンジ色だったが、慰めにもなりはしない。


 ――いつから世界はこうなってしまったのか。


 カーニバルがいつ始まったものなのか、世界の誰にも正確なところはわかっていなかった。最初に始まった場所がどこなのかももはやわからなかった。


 ただ、いつの間にかカーニバルは幕を開け、次々と世界を混沌に巻き込んでいることだけは確かなのだった。


 日本でも小規模ながらカーニバルが生じていたが、まさかおれと……妹が住んでいるあの街で起こるとは、この日を迎えるまで思いもしなかった。


 とぼとぼと平野を歩きつつ、途中でトロールに追われて逃げ隠れもしたが、それでも何とか1つ丘を越えると、目の前に大きな塔が立っているのが見えた。


 近くまで行くと、その塔の表面が、びっしりと1つの広告で覆われていることに気づいた。


「アラビアン・カタパルトのご用命はこちらまで!」


 下には円周率もかくやと思われるほどずらずらと長い電話番号が並び、アラビアン・カタパルトとやらのサービスに与れるのは、仙人くらいのものと思われた……


「お呼びですか?」


 突然の声に振り向くと、そこにはとてつもなく日焼けして、ターバンを巻いた男が、空飛ぶジュウタンの上に座っていた。


「初回利用タダ。乗りなさい乗りなさい」


 言われるがまま、おれは男のジュウタンに乗せられ、目玉が飛び出るようなスピードで舞い上がった。


「え、えっと、妹のところへ連れてってくれませんか?」


 おれはお願いしてみた。


「ダメ」


「そこをなんとか」


「これ行き先決まってる。それ外れたらわたしクビになっちゃうね。断頭台のツユね。デュラハンにジョブチェンジね。わたし人間気にいてる。デュラハンになるのはイヤね」


「行き先ってどこですか」


「チーズ・センター」


「それはどこに」


「Moon」


 かくして、おれははるか上空、地球を越えて宇宙まで連れられていき、月にあるというチーズ・センターまで連れられてしまったのだった。

 

 アラビアン・カタパルトのサービスは極めて雑で、おれは真っ逆さまに月の海へと落とされた。


「ご利用ありがと。次からは一回千円ね」


「安……」


 海底に頭を突っ込んだまま、おれは遠ざかっていくアラビアン・カタパルトのジュウタンが真空の宇宙を滑りゆく音を聞いていた。


 神酒の海に酔っ払い、前後不覚に陥って、半分溺れかけながら岸へと流れ着いたおれだったが、そこにあるものを目にして酩酊はぶっ飛んだ。


 CHEESE CENTER


 可愛らしくデフォルメされた牛の顔のロゴマークと共に、でかでかしく施設名が、いつの間にやら月に立っていたチーズ・センターの真正面に掲げられていた。


「予約されていた方ですか?」


 まったく気配もしなかったが、おれの側にはCHEESE色のスーツを着た女性が立っていた。


「いえ、ちがいます。こんな場所があったことを知らなかったくらいですから」


「そうですか。でもせっかく来られたのですから、見学していかれませんか?」


「ありがたい話ですが、妹を探さなくちゃならないんです。今頃天国で閻魔様に圧迫面接を受けているかもしれないので」


「でも……」


 と、女性はくすりと笑った。


「どうやって地球まで帰られるおつもりですか?」


「盲点」


 しかたなく、おれはチーズ・センターを見学することにした。


 むせ返るようなチーズの匂いが施設中に漂っており、おれは自分が心底チーズ嫌いでなくてよかったと安堵した。


 チーズ色の牛の乳搾りを見学して、少し自分でもやらせてもらった。この牛の出す乳はそのまま固めるだけで美味しいチーズとなり、さらにいかなるアレルギー反応も引き起こさないのだという。


「どこの星の原産かは、企業秘密です」


 そう言って案内係を務める彼女は口に指を当てたが、知ったところで誰にその情報を教えればいいのか、おれにはさっぱりわからなかった。


「ここがチーズ・レストランです。特産品のチーズをたくさん食べられます」


 出される料理のどれもこれにもふんだんにチーズが使われており、チーズのチーズステーキ、チーズを使ったチーズのチーズハンバーグ、チーズケーキ、チーズチョコレート、チーズパイ、チーズポップコーン、チーズジュース、チーズアイス、チーズソフトクリーム、チーズミルクチーズ割り……あと一年はチーズを食べなくてもいいような気分になった。


「これは珍しい! 地球からのお客さんだね?」


 甲高い声がした方向を見ると、真っ白な毛をした小さなネズミが、ちょこんとおれの向かい側の席に座っていた。


「とってもエラい人なんですよ。わたしたちのボスです」


 案内係の彼女が言った。


「ネズミ」


 おれは自分の見たままを言った。


「ああ、初めて見た方は驚かれますね。何しろわたしたちの星は、銀河史上初、ネズミが人間相手にクーデターを成功させた星なんですから」


 彼女が説明してくれた。


「おかげで、ずっといい星になりました……まあ、チーズ嫌いの人以外には」


「そんなことより、どうやってここまで来たのかね?」


 ネズミに聞かれて、おれはここに来るまでの経緯を話し始めた。冷静に聞くと気が狂っているとしか思えないような内容だったが、事実なのだから仕方がない。


 ネズミたちもそのことはわかってくれたようだった。深くうなずくと、同情するような声で言った。


「いやあわかるよ。うちの星でも昔そんなことがあったからね……」


「カーニバルがですか?」


 おれは驚いた。月くんだりまで来た甲斐が、もしかしたらあったのかもしれない。


「そう。それで人間の文明が崩壊しかけたおかげで、ネズミがクーデターを起こせたんだよ。それに、どちらにせよカーニバルを止められるのはわたしたちだけだったしね」


「ネ、ネズミが?」


「正確にはわたしたちの技術。それは地球人くんもたっぷり見てくれたことだろうが……」


 おれはあたりを見回した。


「チーズ?」


「そう! その通り。カーニバルとはつまり飢餓の具現化。宇宙の空腹。それが思念の集まりやすい場所、つまり知的生命体が文明を築いた星に引き寄せられて、カーニバル現象を引き起こすというわけ」


「それをチーズで解決できると?」


「できるよ」


 ネズミはこともなげに言った。


「宇宙はチーズが大好きだからね」


 おれはカーニバルをとっちめる方法を教えてもらい、さらに個人用の片道宇宙船まで譲り受けた。


「それと……これ」


 チーズ・センターを出る途中、通りかかって売店の店頭から、ネズミは案内係の娘に言って、まるで剣のような柄とリーチを持つチーズを持ってこさせた。


()()()()()()()()()?」


 おれは商品タグを読み上げた。


「これを、カーニバルの口に突っ込んでやれ。もういやってくらいにチーズの味がして、空腹だったことなんか忘れてしまうだろう」


「ありがとうございます!」


 宇宙船に乗り込むと、2人が見送ってくれた。さらに、何やら大きなチーズの柄の袋まで贈ってくれた。


「礼には及ばないけれどもね、もしよかったら、地球の政府にもうちのチーズを買ってくれないかと交渉してみてくれ。この袋にはそのための宣伝グッズがたっぷり入ってるから」


 ネズミがキーキー声で言った。


「は、はは……考えておきます」


「では、さらば!」


「さようなら!」


 腰の抜けるような加速に、2人の声もすぐにかき消えた。周囲の景色は皆歪みもつれ、体が折りたたまれるような感覚に襲われる。


 まっすぐ地球をめがけて飛んだ宇宙船は、砂漠のど真ん中に突っ込み、着地の衝撃で辺りに巨大なクレーターを生じさせた。


 ガチガチになった体をほぐしていると、遠くからにぎやかな音がしてきた。見ると、カーニバルがもうすぐそこまで来ていた。


 色とりどりの山車は、どれもこれもが生きており、うめき、騒ぎ、朱色の息で大気を汚していた。


 百万の尖兵がその御許に集い、洗練された秘術によって、七色の雲でカーニバルを彩っていた。


 その時、おれは見た。


 天馬に引かれた馬車が、はるか彼方より飛来して、カーニバルの大口へと運ばれようとしているのを。


 おれは砂地を蹴って駆け出し、ラッピングを引き裂き破ってエメンダールの魔剣を取り出すと、行く手を阻む万の悪鬼を純粋なるチーズの香の下に屈服させ、一目散にカーニバルの本体まで駆け上ると、その口めがけて、思いっきり魔剣をぶん投げた……

 

 ごくり。


 深淵から響くような、そんな音が聞こえるとともに、カーニバルから生まれでた様々の混沌が目の前で弾け飛び、中からは満開の花が溢れ出した。


 砂漠はまたたく間に各色の花で埋め尽くされ、宇宙からそれを見ていた者は、まるで色の爆発が起こったように感じたに違いない。


 ふわふわと空を飛ぶ花の真ん中を、ゆっくりと、妹が落ちていくのが見えた。両手で受け止めたその時、初めておれは、平和な日常が帰ってきたと実感できたのだった。


 数週間後、おれは世界の英雄として、公の場で全世界を前に表彰されることになった。


 何かの賞をもらったのは小学校の図書館で本を借りまくったことによる多読賞以来で、いったいどんな服を着ていったらいいのか、さっぱりわからなかった。


 部屋中をかき回し、せめて笑われないような服がどこかにないかと探していると、チーズ柄の袋が片隅にあることに気がついた。


 その中身を空けてみると、中からはたくさんのチーズや、あの売店にあった多くのチーズ・グッズがどっさりと出てきた。


 その中のひとつに、「CHEESE CENTER」とやり過ぎなほどに印字された、あらゆる種類のチーズの色が少しずつ使われたTシャツがあった。


 ……着ていく服が見つかったようだった。


<エメンダールの魔剣>

 ネズミが運営する、月のチーズ・センターの名物土産。平均的な知的生命体のチーズ消費量三ヶ月ぶんに相当するチーズによって形成されており、いかなるチーズ好きでもこれを丸ごと食べた日にはもうチーズは嫌だと言うだろう。地球からの観光客が増え、これの売れ行きも倍増したため、第二弾として<エメンダール・クレイモア>も販売予定である。平均的な知的生命体が一生に消費する量のチーズで作られるという意欲的な製品だが、各国からの様々な抗議により、計画は暗礁に乗り上げている。

 ちなみにあの地球の英雄は、地球とチーズ・センターとを繋いだ功績を讃えて、チーズ・センターの全サービスの永久無料利用券を授与された。

 当人へのインタビューによれば、しばらくそれを使う予定はないという。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ