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不安は的中した。
オークキングは、忘れたりしなかった。そもそも、追い払われたからといって、おとなしくおうちに帰るなり勉学に励むなりする輩なら、最初から群れなすオークになぞなってないのだ。
連中は、すぐに新たな根城を見つけて住み着いた。小会議室の南向きの窓からも見える、小グラウンドの体育倉庫の中だった。
体育倉庫の小窓は特別教室棟に向いている。ときおり、カメラか双眼鏡を向けているらしき、反射光が見えた。こちらの様子を、日々窺っているようだった。
……今は初夏だからいいけど、夏になったらクソ暑くなると思うんだけどな、あそこ。
また、彼らを追い払ったことは、別の事態を引き起こしてもいた。むしろ状況は悪化したといえる。
彼らを快適な小会議室にこもらせておればこそ、被害は少なかったのだ。飛鳥さんの行為は、いわば野蛮なオークどもを野に解き放ってしまっていた。
竜崎先輩や勇を恐れてか、特別教室棟には寄り付かなくなったものの、それ以外に彼らが態度を改めた様子はなく、ところかまわず傍若無人に振る舞って、「関わるとメンドクサイ」雰囲気を撒き散らしていた。
とりわけ迷惑を被ったのが、小グラウンドを普段の活動場所にしている、陸上部の面々だった。ハードルやマットを使う彼らは、倉庫に近寄ることすら出来なくなって、活動に支障をきたしていた。苦情を訴えても、顧問はまるで動かないらしい。
「これって元の木阿弥って言わない? 陸上部の子がかわいそうよ」桐原さんが、肩身狭そうに筋トレだけを続ける陸上部を窓から見ながら言ったが、飛鳥さんは取り合わなかった。
「ほっとけよ、連中が何やろうと知ったことか。あたしに逆らわない限りは、放置だ」
けれど飛鳥さんは、こう一言付け加えもした。
「……けど、あたしらのせいみたく言われるのは、不愉快だな」
ある日の四限目、例によって飛鳥さんは授業中に教室を出ていき(彼女の奇行は知れ渡っており、もう教師陣も何も言わなくなっている)、チャイムが鳴り昼休みが始まっても、戻ってこなかった。
彼女はあの性格だから、本人も周囲もぼっち飯を気にしない。気が向けば桐原さんや他のクラスメートと昼食をとるが、不在だからといって捜す者はない。けれど僕は、飛鳥さんを捜し始めた。広まり始めたある噂話について、彼女に伝えておきたかったのだ。
どこにいるだろう。ちょっと考えて、奪い取ったばかりの部室―――ウダウダするための彼女の城、すなわち視聴覚準備室横の小会議室に行ってみると、果たしてそこにいた。こないだまでオークキングがふんぞりかえっていた、窓を背にした議長席に腰掛け、スマホと向き合っていた。
窓は閉め切られていた。ひどく蒸す日で、廊下を歩くだけで汗ばむほどだったが、部屋に入ったとたんにすっと汗が引いた。さっそくエアコンを使って除湿しているらしい。
「よぅ、友納」飛鳥さんがスマホから目を離さずに言った。「おまえもサボり?」
「もうお昼だよ」
「そっか。チャイム鳴ったっけ」
「今日の魔王様は、時間が経つのに気づかないほど長く、異世界にいたの?」
現実世界で姿が消えてしまう時間は、異世界での滞在時間の長さに比例するらしい。といっても、一〇秒を超えることはまずない、と聞いている。
「いぃや、いつもより短いくらいだったよ。呼び出されたけど、たいしたことはやってない。変な女にガチャガチャ言われただけで終わっちゃったよ。本番は次だね」
呼び出されても、必ず戦うわけではないらしい。ステージつなぎのイベントシーンってとこか。
「じゃあ、そのままサボってたんだ」
「まぁね。まったく部室様々でさ、のんびりサボれる。ここらは人気もまるでないし、オークキングが根城にするわけだわ、こりゃ」
「ここ、昼休みに使ってていいの?」
「知らん。でもこいつがあるからな」
飛鳥さんは、鍵をちゃりちゃりと鳴らした。職員室で管理している鍵なら、共通のタグがついているはずだが、その鍵にはついていなかった。オークキングが作った合い鍵の方だ。―――複製はそれひとつしかないらしく、連中があれからこの部屋に入った形跡はない。城市先生を通じて鍵の管理を厳重にしてもらったから、これ以上作られることもないはずだが……。
「それって、勝手に使っていいもの?」
「まぁ、見つかったら見つかったときさ」
「オークキングとおんなじことするのはどうかと……」
「あたしゃ悪人だったら。いいかげんわかれ」
答えながらも、飛鳥さんはスマホの画面から目を離さなかった。
「何してんの?」
尋ねると、飛鳥さんは僕に画面を見せた。オンラインポーカーだった。ネットを介して、世界中から有象無象のプレイヤーが多数集まる本格的なサイトで(とはいえ日本では賭博は禁止なので、そこで扱われる仮想チップは無償のものだが)、飛鳥さんは以前からそこに登録していたそうだ。ポーカー部の面々も、彼女に命じられるまま登録し、初心者向けのテーブルで腕を磨いている。
画面上の飛鳥さんは、一〇人が参加するそのテーブルのチップリーダー、つまり最も多くのチップを持つプレイヤーだった。ポーカーのテーブルは、チップを持ち込める最大量が決まっているが、その制限を大きく上回っている。つまり、世界のどこかの顔も知らない誰かから奪い取って、持ち込んだ量よりも多く増やしたわけだ。
そして、彼女の名前の上に並ぶ、二つの大きなAの文字―――♠A♡A。
「今ちょうど、BBでロケットが入ったとこ」
大チャンスである。ロケットとは手札がエース二枚になることで、エースのワンペアが確定している。プリフロップでは最強、こちらから退く理由はまずない。まして、BBはプリフロップでのベットが最後になるポジションだから、ただ待ち構えて、誰かが攻めてきたら喰らいつけばいい状況だ。
画面上では、ミドルポジションのプレイヤーがレイズしたところへ、ディーラーポジションのプレイヤーがリレイズをかぶせていた。
(単語通りの意味だが、ミドルポジションとは、たとえば一〇人参加なら、四~六番目くらいにベットする席順のことだ。それより前ならアーリーポジション、後ならレイトポジションという。ここでは、ふたりのプレイヤーのみがベットし、他のプレイヤーはフォールドしたことも読み取っていただきたい。)
「リレイズ来たよ」
「マジ?」
飛鳥さんが画面を自分の方に戻し、よっしゃあ、と拳を握り込んだ。獲物が飛び込んできたのだ。画面を軽やかにタップして、更なる高値でレイズした。
僕も横から覗き込んだ。ミドルポジションはすぐにあきらめてフォールドしたが、リレイズしたディーラーポジションのプレイヤーはしばらく考えた後、手持ちのチップをすべてポットに放り込んだ。
「オールイン、キタァー!」
飛鳥さんは、奇声を挙げて喜んだ。
「あたしのロケットに突っかかってくるとは生意気な! オールインコール!」
牙を剥いて踊りかかるがごとくに指が画面をタップし、そのオールインに応じて同額をポットに放り込む。
二人のプレイヤーによる、オールインで直接対決だ。場に残る全員がオールインした場合、その時点で手札はオープンになる。「何持ってんだこんにゃろー!」飛鳥さんの声とともに、ディーラーポジションのプレイヤーのカードが開かれた。
♡J♢J だった。
エースのワンペアとジャックのワンペアでは、当然エースが上回る。共通札で何事も起きず、お互いの手が進展しなければ飛鳥さんの勝ち、だが―――。
フロップが画面上に並んだ。♠9♣5、そして ♣J だった。
「んにゃあぁぁぁぁーーーっ!」
飛鳥さんが、今度は悲鳴をあげた。
ロケットはプリフロップ最強だが、フロップが出てからはそうではない。共通札の出方によっては、それでも二割から三割の確率で負けてしまうのが、ポーカーの難しさだ。
ポケットペアを持っているとき、同値のカードがボードに出てスリーカードに発展することを「セット」という。フロップで相手プレイヤーのセットが決まり、逆に飛鳥さんのロケットはターンとリバーでもそれ以上手が伸びず、結局彼女は負けてしまった。




