第36話 餌場は近くに置かない
古鉄片に寄せた鉄食い虫は、旧鉱山道側へ戻った。
それ自体は成功だった。
リッカの鉄串は守れた。村の細道からも離れた。三丸傷の向こうへ虫を押し返した。印と餌を組み合わせれば、虫の進路を少し変えられる。
だが、翌日、問題が増えた。
村の外柵の近くに、鉄くずが置かれていた。
釘。
曲がった輪。
割れた鍋の端。
錆びた刃。
誰かが、私の印のそばに集めたらしい。
意味は分かる。
鉄食い虫は鉄に寄る。
なら、鉄くずを置けば、虫をそこへ集められる。
集めれば、村の中には入らない。
考え方は間違っていない。
置き場所が悪い。
近すぎる。
《地形解析》
鉄くず集積:村外柵付近
虫誘引:高
村への距離:近
警告:餌場位置不適切
餌場。
ログがそう呼んだ。
虫を寄せる場所。
虫を止める場所。
虫を村から離す場所。
ただ鉄を捨てるだけではない。位置が要る。流れが要る。逃げ道も要る。近くに置けば、虫を村へ呼ぶ。
餌は、防壁にもなる。
だが、置き間違えると入口になる。
かなり危険な道具である。
村人が数人、柵の内側からこちらを見ていた。
「あの印のところに鉄を置けってことじゃないのか」
「虫がそっちへ行くなら、村は安全だろ」
「でも近すぎるってリッカが言ってる」
リッカは柵のそばで、首を振っていた。
「そこだと、村の匂い……じゃなくて、鉄の場所が近すぎる。虫が柵まで来る」
匂いではない。
たぶん金属反応だ。
だが、説明としては近い。
私は動いた。
村人たちが槍を構える。
近づきすぎない。
私は鉤棒で鉄くずの一つを引っかけた。曲がった輪。虫に食われても惜しくないもの。これを旧鉱山道側へ少し引く。
村人が声を上げる。
「持っていくぞ」
持っていかない。
移す。
しかし、発声器官なし。
面倒すぎる。
私は地面に線を刻んだ。
村側の柵の前に、一本の横線。
そこから旧鉱山道側へ、短い点線。
点線の先に三丸傷。
そのさらに奥に、鉄くずを一つ置く。
リッカがすぐに読んだ。
「ここじゃなくて、もっと向こうに置けってこと?」
そうだ。
私は鉄くずをもう一つ、点線の先へ押した。
村人の一人が困ったように言った。
「遠いと置きに行くのが危ないだろ」
それも正しい。
安全な場所は遠い。
近い場所は危ない。
また帳尻である。
ガレンが鍛冶場の方から来た。手には割れた鉄板ではなく、石の板を持っている。
「なら、中間に置くな。虫が通る道を作る。置く場所は一か所だ」
一か所。
なるほど。
鉄くずをあちこちに置くから、虫の道が増える。餌場は一つにする。そこへだけ誘導する。村からも、水路からも、鍛冶場からも少し離す。
私は周囲を確認した。
旧鉱山道の入口より手前。
村から遠すぎない。
水路には落ちない。
硬層道から少し外れている。
低い石が囲む場所。
そこが使えそうだった。
私はその場所へ移動し、剣で地面を削った。浅い円。完全な穴ではない。鉄くずが外へ転がらない程度の窪み。周囲に石を並べる。水が入らないよう、片側だけ泥を高くする。
《石核ログ》
仮餌場:施工開始
条件:村から離隔/水路非接続/石囲い
用途:鉄食い虫誘導
注意:過剰集積不可
過剰集積不可。
重要だ。
鉄を置きすぎれば、小型虫だけでなく大きいものも寄るかもしれない。餌場は大きくしすぎてはいけない。防衛線が、巣になる。
私は円の外側に三丸傷を刻んだ。
内側には、古鉄片を二つだけ置く。
二つだけ。
村人が追加で持ってきた鉄くずを、全部は入れない。私は鉤棒で押し返した。
村人が不満そうに言った。
「なんだ、いらんのか」
いらないのではない。
多すぎる。
リッカが鉄くずを数えて、村人へ向き直った。
「たぶん、一度に置きすぎたらだめ。虫が増える」
ガレンがうなずく。
「屑鉄置き場じゃねえ。虫寄せだ。量を決めろ」
虫寄せ。
名前が悪い。
だが、正しい。
私は円の横に、短い縦傷を二本刻んだ。
意味は、二つまで。
伝わるか。
リッカが見て、少し考えた。
「鉄くず、二個まで?」
通じた。
かなり通じる。
印の精度が上がっている。
同時に、読まれる危険も上がっている。
私は周囲を確認した。盗賊の気配はない。だが、いない時ほど記号は危ない。残るからだ。残った印は、後から来た者にも読まれる。
なら、村人用の印と、自分用の印を分けるべきかもしれない。
分けすぎると、リッカにも読めなくなる。
面倒。
意思表示というものは、かなり施工難度が高い。
その時、餌場の鉄片に小型の鉄食い虫が一匹寄ってきた。
村人たちが一斉に下がる。
槍が向く。
虫は鉄片へ向かい、かち、と噛んだ。村側へは来ない。餌場の中に留まる。
一匹。
まだ一匹。
私は虫の進路を見た。旧鉱山道から来て、餌場に入り、鉄を噛む。村へは向かない。水路にも落ちない。
成功。
ただし、餌がなくなれば移動する。
だから、食い切られる前に追加するか、虫を旧鉱山道へ戻す必要がある。
管理が要る。
餌場は作ったら終わりではない。
管理する場所だ。
《石核ログ》
仮餌場:機能確認
鉄食い虫:誘導成功
村側進入:なし
新規理解:餌場は設置物ではなく管理点
管理点。
また面倒な言葉が来た。
私は虫が鉄片を半分ほど削ったところで、もう一つの鉄片を旧鉱山道側へ押した。虫がそちらへ移る。餌場の中で位置を変える。少しずつ奥へ誘導する。
村へ寄せない。
水へ落とさない。
大きい個体を呼ばない。
鉄を置きすぎない。
かなり細かい。
だが、村人たちはそれを見ていた。
怖がりながらも、見ていた。
リッカが地面の二本傷を指した。
「一度に二個まで。ここから先に置く。水の方には置かない」
村人の一人が、まだ疑わしそうに言う。
「この石腕の言うことを信じるのか」
信じなくていい。
印を見て、虫の動きを見ればいい。
私は動かなかった。
虫は餌場の中で鉄を噛んでいる。
村には向かっていない。
それが答えである。
ガレンが低く言った。
「信じるんじゃねえ。見ろ。位置が合ってるかどうかだ」
位置。
それがすべてだった。
村人はしばらく黙り、鉄くずの残りを柵の内側へ戻した。
少なくとも、全部をここへ捨てることは避けた。
これは成功だ。
小さいが、かなり大事な成功である。
私は餌場の周囲に、もう一つ印を刻んだ。
三丸傷。
二本傷。
波線に斜め線。
意味は、虫、二個まで、水路禁止。
リッカがそれを読み上げた。
「虫。二個まで。水に落とすな」
かなり良い。
《第36話リザルト》
問題:村人が鉄くずを近くに置きすぎた
新規施工:仮餌場
条件:村から離す/水路に接続しない/鉄くずは少量
新規印:二本傷=二個まで
新規理解:餌場は設置物ではなく管理点
確認:小型鉄食い虫の誘導成功
未解決:餌の補充量/大型個体の誘引リスク/印の悪用
餌場を作った。
虫はそちらへ行った。
村人も少し見た。
少しだけ、話が通じた気がする。
ただし、発声器官はまだない。
結局、私は地面に傷を増やしているだけである。




