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④大好きフィルター

 登園初日。僕はいつもより早く起きて、母さんに促されながら着替える。


「お、慶太郎、気合入ってるな」

「まあね」

「ちゃんとシルヴィアちゃんをエスコートするんだぞ」

「わかってるよ」

「もう、慶太郎にあんまり変なこと教えちゃだめよ」


 両親と食卓を囲む。テレビの左上に表示される時計は、やはりいつもより早い時間を指している。


 なぜわざわざ早起きしたのかと言えば、それはもちろんシルヴィを迎えに行くためだ。


 シルヴィパパは、登園の時間よりも先に出社しなければならないという。重役出勤という言葉の意味を知らなさそうな人だ。だから、僕がシルヴィを迎えに行って、一緒に登園する。


「それじゃ、行くわよ慶太郎」


 父さんは僕より先に出勤するため、登園はいつも母さんがついてきてくれる。ちなみに、母さんは今日がシルヴィとの初対面だ。何かとニアミスすることが多かったのである。


 実はそれも、僕が少しばかり気を回していたせいなのだが。とはいえ、付き添いなしで登園するわけにもいかない。


 シルヴィには、少しずつでも母親という存在について慣れ親しんでもらおう。


 クリーニングしたての制服に身を包み、鏡の前で身だしなみをチェックして、いざ西園家へ。


「おはよう、ケイ!」


 インターホンを押せば、シルヴィが飛び出してくる。春休みのうちに何度となく目にした光景だが、この時間帯は初だ。


「おはようシルヴィ。紹介するよ。この人が、僕のお母さんだ」

「え、っと。おはようございます」


 家を出る前に心の準備はしてきたようで、シルヴィはぎこちないながらも挨拶をした。人見知りのシルヴィにしては上出来だ。


 もしかすると、僕の親族というフィルターが功を奏したのかもしれない。それは思い上がりすぎか。


「お母さん?」


 シルヴィの成長を感じたような気になっているのも束の間。せっかくシルヴィが挨拶してくれたのに、母さんが何も返答しない。


 それはあまりに失礼で、シルヴィの教育にも悪いだろう。


「お母さん、挨拶してよ」


 だから責めるような口調で母さんの方を見たのだが、その母さんは、なぜか知らないが泣いていた。


「えと、ママさん?」

「はぅっ!」


 それを見たシルヴィも、不機嫌になるというより心配になったようで、気づかわしげな声をかけた。


 目の前で三歳児に心配される自分の母親。実に不愉快である。


 それに、シルヴィのその声かけにも謎の断末魔を上げて胸を押さえているし、本当によくわからない。


「お母さん、ちゃんとしてよ」

「慶太郎。でかしたわ」

「は?」


 三度目はないぞと思いながら忠言すると、母さんは突然サムズアップをした。


「お母さん、こういう娘が欲しかったのよ。金髪ロリで人見知りなんて、もう完璧。お母さんの理想の娘よ」

「よく息子の前でそれ言えたね」


 呆れた顔を隠しもせず言った。すると母さんは我に返って、宥めるように僕の頭を撫でる。


 別に、母さんにそういうところがあるのは知っている。


 日曜日、僕が戦隊ものを見終わった後、母さんは欠かさずそのあとの女児向けアニメを正座して見ている。そういう、いわゆるオタク気質なのだ。


 シルヴィは可愛いし、母さんが夢中になるのもわかる。だから、そこまで傷つきはしない。


 一応、僕のことも愛してくれているのはわかっているし。


「シルヴィちゃん、おはよう。今日からよろしくね」


 母さんは取り繕うようにシルヴィへ挨拶をした。


 シルヴィは戸惑った顔で僕と母さんを見比べながらも、こくりと頷いた。


「シルヴィ、行こうか」

「うん」


 門扉から出てきたシルヴィと、手を繋ぐ。母さんはそれを後ろから見守っていた。


 てっきりシルヴィのことを質問攻めにするかと思ったが、それをすると怯えさせてしまうことくらいはわかったらしい。


 あるいは、ただただ観察するのが趣味なのか。それは随分と業が深い気がする。


「ねえケイ、シルヴィ変じゃない?」

「ん?」


 後ろによっぽど変な人がいるのだが、それは置いておいて。


 シルヴィはバッと両腕を広げ、僕の前に制服姿をお披露目する。


 濃い緑のサロペット風スカートに、白いシャツ。シンプルで清楚な組み合わせと、陽光に煌めく金髪が合わさって、まさにお嬢様だ。今すぐお仕えしたい。


「変じゃないよ。すごくかわいい」

「えっへへーっ」


 明るい金色の髪に負けないくらいの、輝く笑顔。


 眩しすぎて目を逸らしてしまいそうになるが、僕に向けられた笑顔だ。余すところなく独り占めしたい。


「ケイもかっこいいよ」

「そうかな? ありがとう」


 褒められて嬉しいのか、ニッコニコで僕のことも褒めてくれる。


 人からどう見えるかなんてわかったものではないが、シルヴィがそう言ってくれるなら、自信もつきそうだ。


「おはようございまーす!」

「お、おはようございます」

「はーい、おはよう。挨拶できて偉いね」


 門の前で先生とご挨拶。


 殊更声を張り上げて挨拶をしたおかげかは知らないが、シルヴィも自分から挨拶ができた。


「慶太郎、シルヴィちゃん、また後で迎えにくるからね」


 母さんから先生に引き継がれて、門の中へ。もちろんシルヴィと僕とは教室が違うわけだが、僕はシルヴィを送っていく。


「ママさん、幼稚園には入らないの?」

「え? お母さんは大人だよ?」

「そうじゃなくって。前はパパも入って来たのに」

「あー、あれは入園式で特別な日だったから。普通は入れないんだよ」

「そうなんだ」


 広い幼稚園というわけではないから、他愛のない話をしている間にシルヴィの教室についた。僕が昨年度使っていた教室だ。


「それじゃ、シルヴィ。また後で」

「ケイは一緒じゃないの?」

「シルヴィは年少で、僕は年中だから、違うお部屋にいないといけないんだ」

「そう、なの?」


 心細そうに、シルヴィが小首を傾げる。


 胸を締め付けられる姿だが、かといって年少の教室にずっと居座るわけにもいかない。


「そう。だから、シルヴィはここのお部屋にいる子たちと仲良くなるんだよ」

「うーん、わかった」


 泣き出すかとも思ったが、シルヴィは物わかりの良い子だ。渋々ではあるものの、教室に入っていった。


「慶太郎君、シルヴィアちゃんのお兄ちゃんできて偉いね」

「あ、新井先生」


 母さんを引き継ぐようにして、僕たちの後ろには新井先生がいたのだった。昨年度の僕の担任で、今年はシルヴィの担任になったらしい。ちなみに、入園式の日に僕が騙したのもこの人だ。


「偉いのはシルヴィです。僕の言うことをちゃんと聞いてくれますから」

「そっか。そうだね。でも、慶太郎君もすごいよ」

「ありがとうございます」


 ペコリとお辞儀すると、新井先生は苦笑して、軽く僕の頭を撫でた。


「慶太郎君は年中だから、体育館に集まってね。新しいクラスの発表があるから」

「はい」


 ガラス張りの扉からシルヴィの様子をちらと見てから、僕は新井先生に背を向けて歩き出した。


「みんながみんな、慶太郎君みたいに賢いといいんだけどね」


 疲れた声の新井先生の愚痴は、聞かなかったことにした。






~シルヴィア視点~


 ケイと別れて、お部屋に入った。


 ボクより先にきていた他の子たちは、チラチラとこっちの様子を窺っているみたい。かく言うボクも、彼女らのことを観察している。


 どちらから話しかけるということもない、膠着状態。


 ケイはここにいる子たちと仲良くしてって言ってたけど、生憎とボクは友達の作り方を知らない。ケイと友達になったのは、ケイがボールを投げ込んだからだし。


 ここはお家じゃないし、ボールもない。それに、ケイみたいにかっこよくできる自信なんてない。


 今度、友達の作り方をケイに聞いてみよう。ケイなら何か教えてくれるかもしれない。


「はーい、みんな、こっちのお部屋に入って」


 さっきの先生が、数人の子供たちを連れて入ってきた。その子供たちは、もうみんな友達みたいで、わいわい楽しそうに喋ってる。


「みんな、鞄はこっちのロッカーに入れてね。名前が書いてあるところに入れるんだよ」


 先生は、ボクたちに優しく言い聞かせるようにそう言った。


 でも、今来た子供たちは喋るのをやめない。先生が話してる間は、お口チャックしないといけないのに。習ってないなら仕方ないかもしれないけど。


「みんな、鞄は置けたかな?」

「はーい!」


 先生が聞いたことには、元気にお返事。ケイに習ったことだ。


 恥ずかしいかもしれないけど、ボクが先陣を切ったら、他の子もついてきてくれるって、ケイが言ってた。朝の挨拶でケイが大声を出したとき、ボクも挨拶しようって思ったから、多分そうなんだと思う。


 ボクが頑張って大きな声を出したから、喋ってた子も、ボクを経由して先生の方に注意を向けてくれたみたい。


「いいお返事ありがとう。今日はこれから、身体測定をします」

「せんせー、しんたいそくてーってなに?」

「みんながどれくらい重いのかとか、どれくらい背があるのかを測ることだよ」

「へー」

「その身体測定の前に、まずは並ぶ練習をします。今から呼ぶ順番に、先生の前に来てね」


 順番に、子供たちが先生に名前を呼ばれていく。


 子供たちの人数は、決して少なくない。だから、呼ばれるまでの間とか、呼ばれて立ってる間に、我慢できなくってお口チャックを開いちゃう子もいる。


 先生は何も言わないから、それはいいみたい。


 でも、ボクに喋る友達はいない。仕方ないってわかってるけど、ケイがいてほしいって思う。


「西園シルヴィアちゃん」

「はーい」


 おっとっと。しょんぼりした声になってたかも。ちゃんとしないと。


「ここに立っててね。おしゃべりしてもいいけど、列を抜けたらだめだよ」

「はい!」

「ふふ。元気なお返事ありがとう」


 言われた通り、立つ。前の女の子のつむじをじっと見ながら。


 するとすぐに、そのつむじが見えなくなって、代わりに女の子の顔がこっちを向いた。


「ね、ね、外国の子?」

「ううん。すぐそこのお家に住んでるよ」

「そうなんだ」


 目を輝かせて、女の子はボクを、いや、ボクの髪を見ている。


「えっと、シル、シル」

「シルヴィアだよ。西園シルヴィア」

「わかった。シルヴィア。美玖はね、西川美玖っていうの」

「にしかわみく。ミクちゃんって呼んでいい?」

「うん! シルヴィアもシルちゃんって呼ぶね?」

「うん。いいよ」


 話しかけてもらって、気づいた。案外どうにかなるものだ。


 ケイだって、最初はぎこちなかったように思うし、ボクでも友達を作れるかもしれない。


「ミク、お友達になろう」

「うん! よろしくね」


 ケイとするみたいに、ぎゅっと手を握る。ミクちゃんは握り返してくれた。


 ケイほど仲良くなれるかはわからないけど、これで友達になったってことでいいんだよね。






 お医者さんに聴診器を当ててもらったり、虫歯がないか見たり、身体測定というか、健康診断は順調に進んでいく。


 やっぱりみんな、ずっと静かにできるわけじゃないけど、そこは先生も諦めてるみたいで、本当に静かにしていなきゃいけない時以外は軽い注意で済む。


「あっ、ケイ!」


 だから、体重を測るときにケイを見かけて声を出しちゃっても、先生は人差し指を唇に当てるだけで、何も言わなかった。


 でも代わりに、ケイが苦笑いしながらお口チャックのポーズをして、ボクも気づいた。今は静かにしていた方がいいんだ。


「ね、今のってお兄ちゃん?」


 体重を測るのが終わってから、こしょこしょ話でミクちゃんが聞いてくる。ちょっとくすぐったい。


「ううん。家がすぐ近くのお友達」

「そうなんだ。なんか大人っぽくてかっこよかったね」

「そうでしょ。ケイはかっこいいんだよ」


 ケイが褒められると、なぜかわからないけどボクも嬉しい。


「シルちゃんって、あの人のこと好きなの?」

「うん。大好きだよ」


 胸を張って言える。だってケイはかっこいいし、面白いし。ミクちゃんにもケイのいいところ教えてあげたいくらい。


「どれくらい好きなの?」


 ボクが何か言うより先に、ミクちゃんからグイグイ突っ込んできた。ボクの髪を見るのと同じくらい、目が輝いている気がする。


「んーと、パパと同じくらい」

「じゃあ、パパはどれくらい好き?」

「世界で一番好きだよ」

「じゃあ、あの人は世界で二番?」


 言われて、ちょっと考える。確かに一番が二人いるのは変だけど、ケイを二番って言うのは、なんだか嫌だな。


「ケイも一番」

「えー、ずるいよそれ」

「ずるくないもん。二人とも一番だから」


 どっちもおんなじだけ好きなんだから、仕方ないよね。


「じゃあじゃあ、結婚したいのはどっち?」

「えー? 結婚なんてまだまだ先の話だよ?」

「するならだよ、するなら。どっちがいい?」

「えーっと」

「二人ともはだめだからね」


 知らなかった。二人ともと結婚じゃだめなんだ。


 じゃあ、パパはママと結婚してるから、だめだよね。


「じゃあケイと結婚する」


 そう宣言したら、ミクちゃんはすごく嬉しそうに笑って、ボクの手を掴んだ。


「ミク、シルちゃんのこと応援するよ」

「うん。ありがとう」


 ミクちゃんはたぶん、ボクを応援したいというより、好きとか嫌いとか、そういうことに口を出したいんだと思う。たとえ本当にそうでも、嫌じゃないけど。


「それじゃあさ、そのケイ君のこと教えてよ」

「いいよ。でも後でね」

「え?」


 素知らぬふりでそっぽを向いた。ミクちゃんの後ろに先生が立っていることに気づいて。






「うぅ。酷いよシルちゃん」

「えへへ。ごめんね」


 結局一緒に謝ったから、ミクちゃんもボクも許してもらえた。


「もういいよ。じゃあさシルちゃん、お昼休み、一緒に遊ぼうよ」

「え? でもケイと一緒がいい」

「あ、そっか。そうだよね。じゃあミクは他の子に話しかけてみる」


 ミクちゃんも一緒だとよかったんだけど、行っちゃった。ケイにも紹介したかったのに。


 でも、ミクちゃんも応援するとは言ってくれたし。ケイを優先してもいいはずだよね。


「あ、ケイ!」


 運動場にケイの横顔を発見したと同時に、駆け出していく。


 躓きそうになりながらも、なんとかその姿に向かっていく。


「あれ?」


 初めて見た、ケイの笑っている横顔。ケイを笑わせている相手は、多分同じ年中の女の子。


「あ、シルヴィ。朝ぶりだね」


 ボクに気づいたケイは、女の子との話をキリよく切り上げてくれたみたい。


 ボクを優先してくれたのはわかったけど、なんだかモヤっとしたものが、心に残った。

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