③令嬢の入園
シルヴィのパパさんと夕食をご一緒してから、また数日経ったある日の朝。
何とはなしに窓から向かいの西園家を眺めてみると、スーツ姿のパパさんに手を引かれ、フォーマルな装いのシルヴィが家から出てくるところだった。
ショートカットの金髪に紺色のブレザー&スカートというのは予想以上のコンビネーションを発揮し、さながら深窓の令嬢を垣間見ている気分である。
「お母さん、ちょっと外出てくる」
「また西園さんのところ? こんな朝からはご迷惑じゃないの?」
「シルヴィが家の前にいるから」
「あ、そう。迷惑かけちゃだめよ」
洗濯機を回している母さんに言づけて、家を飛び出した。ちなみに、先日お節介を働いた父さんは、出張で昨日から帰っていない。
「あ、ケイ! おはよう!」
僕が玄関を出るとすぐ、シルヴィが気づいてくれた。家の中から様子を見たときは、若干気落ちしているようだったのが、僕の姿を見ると、ぱぁっと瞳を色づかせた。
「おはよう、シルヴィ。今日は入園式?」
「おはよう慶太郎君。その通りだよ」
パパさんが頷く。しかしシルヴィの方は、入園式という言葉を聞いて露骨に嫌そうな顔をした。
「ねえパパ、行かなきゃだめ?」
過去何度となくこうやって泣き落としをしてきたのだろうが、今回ばかりはパパさんも甘やかすことはできない。
「幼稚園に行かないと、友達できないぞ」
「ケイがいるもん」
「慶太郎君だって通っているんだから、シルヴィも行かないと」
「でもケイは毎日来てくれるし、きっと幼稚園行ってないんだよ」
「それは慶太郎君が春休みだからで」
とはいえ、既に何度もこのやり取りを続けているのだろう。パパさんは困ったように僕の方を見た。
他家の子供を頼りにするのはどうかとも思うが、シルヴィに片付けをさせた実績もあることだから、やれるだけやってみよう。
「シルヴィ、僕も幼稚園には行ってるし、春休みが終わったら、今みたいに毎日シルヴィに会いに来ることもできないんだ」
幼稚園が終わるのは、どんなに遅くても午後三時。実際は、日暮れまでシルヴィと話すような時間もあるわけだが、そこは伏せておく。
「そうなの?」
「うん。シルヴィが幼稚園に通うなら、幼稚園でも僕と遊べるよ。ボール遊びとか、おしゃべり以外にもいろいろできるし」
「ほんと?」
「もちろん。嘘なんてつかないよ」
多少誇張して表現はするが、嘘はつかない。言うまでもなく僕と遊ぶ時間は減るわけだが、その頃にはシルヴィにも他に友達ができているだろうから、問題はあるまい。
「じゃあじゃあ、今日はケイも来る?」
「今日は行かないよ」
「なんで? やっぱりケイは幼稚園行ってないの?」
「シルヴィ、今日は新しく幼稚園に入る子だけが集まる日だ。慶太郎君は幼稚園に入って一年経つから、今日は来ない」
「えー」
柔らかそうなほっぺたをぷくっと膨らませて、不満そうな顔。このままいくと、「パパ嫌い」とか言い出しかねない。そうなると、パパさんが復旧不可能なほど傷ついてしまう。
「パパさん、僕を連れていくことはできませんか」
「は? いや、それは難しい」
「お願いパパ」
シルヴィのおねだりにも、パパさんは難しい顔のまま。そりゃあそうだろう。しかし、どうにかごり押しできないことはないと思う。
「パパさん、少し待っていてください」
「え? あ、ああ」
僕は一度家に戻って、母さんに色々と要求を突き付けて、渋々の了承をもらうことに成功した。
~シルヴィア視点~
ケイが入園式についてきてくれることになった。
パパと二人でも、悪いことはないけど、ケイが来てくれるなら安心。
右手でケイ、左手でパパと手をつないで、幼稚園への道を進む。パパとお出かけするときは車で行くから、家の近くを歩くのは初めてかもしれない。
だから、こんな近くに幼稚園があることも知らなかった。思えば、ケイと会う前、どこかから甲高い声が聞こえていた覚えがある。
「おはようございます」
物珍しさにキョロキョロしていたら、優しそうな女の人が話しかけてきた。びっくりして、つないだ両手をぎゅっと握る。
「ほらシルヴィ、おはようございますって」
ケイがシルヴィを促す。パパも、何も言わないけどシルヴィの顔を見てる。
ケイはすごい。知らない人が来ても、余裕そうにしてる。
「あ、ぅ。お、おはよう、ございます」
「はぁい、おはよう」
女の人は、シルヴィに笑いかけてくれる。でも、知らない人は怖い。
「それで、慶太郎君はどうしてここにいるのかな?」
「えっと」
と思ったら、女の人はケイのことを知っているみたい。ケイはこの人とお知り合いだったんだ。ケイの知ってる人なら、ちょっと安心かも。
「お父さんもお母さんも用事があって家にいないから、向かいの家の西園さんにお世話になってます」
「あら、そうなんですか?」
「ええ、まあ」
「急なご用事でしょうから、仕方ないですね。慶太郎君、西園さんに迷惑かけないようにね。それと、シルヴィアちゃんとは友達でも、式の間は静かにしてること」
「はーい」
ケイは家でお母さんと話してきたって言ってたのに。でも、おかげで女の人に怪しまれずに幼稚園に入れた。
つまり、これがケイの作戦なんだ。やっぱりケイはすごい。
嘘はついちゃだめだけど、シルヴィのために嘘をついてくれたんだって思ったら、少し嬉しい。
「ふぅ。なんとかなった」
「ケイ、すごい」
「それほどでもないよ」
すごいものはすごい。だってパパでも思いつかなかったもん。
「ね、パパ。ケイってすごいよね」
「そう、だなぁ」
パパ、悔しそう。でも、パパにだっていいところはたくさんある。毎日お仕事頑張ってるのはわかってるし、疲れててもシルヴィにいいところ見せようってしてくれるから。
シルヴィのママはもういないけど、パパはその分頑張ってくれてるって思う。
「シルヴィ。式の間は、お口チャックだよ」
「お口チャック?」
初めて聞いた言葉。お口と、チャックを合わせたものかな。うーん、変なのしか思いつかない。
「こうすること」
「ん!」
ケイがシルヴィの頬っぺたに手を添える。それから、シルヴィの唇の端に指先を当てて、チャックを閉めるみたいにピーっとシルヴィの口を閉じた。
「はい、これでシルヴィは喋れなくなった」
「んんー!」
どうしよう。もっとケイとお話ししたいのに。
あ、自分で開けばいいんだ。
「んぱ! これがお口チャック?」
「そうだよ。先生が話してるときは、お口チャックしてないとだめなんだ」
「わかった!」
変なの。でもそれが幼稚園のルールなら、守らないといけないよね。
「ただいまより、20XX年度、入園式を」
先生の話が始まった。ケイに言われた通り、自分でお口チャック。ケイの真似をして、じーっと椅子に座って、よくわからないお話を聞いておく。
先生の話はあんまりよくわからなかったけど、どうやら式は終わったみたい。
隣でケイが、自分のお口チャックを開いたのを見て、シルヴィも口を開く。
「ケイ、他の子たち、お口チャックしてなかったよ」
「してなかったんじゃないんだ。我慢できなくて開いちゃったんだよ」
そっか。たしかにシルヴィも、隣のケイがずっと口をつむってなかったら、我慢できなくてチャック開いてたかも。
「ほんとは、お口チャックは幼稚園に入ってから習うんだよ」
「そうなんだ」
「だから、今日お口チャックできたシルヴィはすごい」
「やったぁ」
ケイに褒められた。パパの方を見たら、パパも頭を撫でてくれた。
でも、シルヴィが我慢できたのもケイのおかげだから、すごいのはケイも一緒。
「ケイもすごいね」
「僕はもう習ってるからね」
そういえば、シルヴィは自分のことシルヴィって言うけど、ケイは自分のことをボクって言ってる。
それも習うのかな。それも練習して先にできるようになったら、ケイもパパも褒めてくれるかな。
「パパ、今日はこれで終わり?」
「いいや。シルヴィ、今度はあの先生についていくんだ」
「え?」
パパが女の人を指した。ケイの知り合いだった人。あの人についていけばいいのは、わかった。
「ケイとパパは?」
「シルヴィ一人だ。頑張って行っておいで」
「えー?」
「大丈夫だよシルヴィ。優しい人だから」
ケイがそう言うなら、そうなんだと思う。でも、ケイもパパもいないのは、ちょっと寂しいかも。
「ほんとに、ついてこれないの? ケイだけでも?」
「ごめんシルヴィ。でも、一人で行かないとだめなんだ」
「うぅ」
あのケイが言うなら、仕方ないんだと思う。
「頑張れシルヴィ」
「うん」
でも、応援してくれるなら、頑張れる。それに、頑張ったらケイもパパもきっと褒めてくれる。
寂しいのは大丈夫。一人で遊ぶことも多かったし。それに、あの女の人はケイの知り合いだから。大丈夫なはず。
「いってきます」
「うん。いってらっしゃい」
勇気を出して。ケイの好きなヒーローも、そのケイだって、勇気があればなんとかできるって言ってたもん。
集まったみんなで、先生についていく。
他の子たちがずっとシルヴィ、じゃなくて、ボクのことを見ているような気がする。
「変な色」
言われて気づいた。ボクの髪の色って、パパともケイとも他のみんなとも違うんだ。
やっぱり変なのかな。
でも、こういう色で生まれてきたから仕方ないよね。ケイは綺麗って言ってくれたし、ケイが気に入ってくれるなら、他の子はどう思ってもいいや。
「はぁあ」
早くケイのところに戻りたいなぁ。
~慶太郎視点~
先生についていった子供たちの姿が、教室に消える。
入園式が行われていた体育館は、たちまちママさんたちの姦しい井戸端会議の声でいっぱいになった。お口チャックで我慢していたのは、子供たちだけではないということだ。
それにしても、うまくいってよかった。念のため、母さんにも口裏合わせを頼んでおいたが、先生に信用される日頃の行いの賜物だ。
「慶太郎君」
「はい?」
パパさんが僕を呼ぶ。思えば、シルヴィ抜きでパパさんと二人になるのは初めてだ。
今更緊張するには、パパさんは少し素直すぎる。シルヴィには甘いし、僕がシルヴィに好かれていると表面化すると、途端に嫉妬深くなるのだから。あまり怖い人とは思えない。
「慶太郎君は、敬語が上手だな」
「まあ、お父さんに仕込まれましたから」
シルヴィパパに相対するならこれくらいは習得しておけと、父さんが気を回したのだ。余計な気遣い、とはもはや言うまい。こうしてパパさんに褒められたのだから。
「それに、気遣いもできる」
「そうですか?」
「そうとも。その証拠に」
じっと、パパさんが僕の目を見る。
「君は極力、母親というものを話題に出さないようにしているね?」
見抜かれていた。
「なんとなく、出さないようにした方がいい気がしたんです」
そう、なんとなくだ。触れない方がいいのだろうと感じていた。最初にシルヴィと会ってから一度たりとも、シルヴィの母親に会ったことはないから。
それに、シルヴィには孤独の匂いがした。これは僕の前世の記憶(仮称)による直感に近いもので、どこかにシルヴィの寂しさを爆発させる地雷があることを察知していたのだ。
「そうか。シルヴィと仲良くなったのが慶太郎君でよかったよ」
「それは、どうも」
「せっかくシルヴィ抜きに君と話す機会だ。話しておこう」
そう言うパパさんは、少し寂しそうな表情で体育館の天井を仰いだ。
僕にとっては高い天井も、背の高いパパさんにとっては低く感じるのだろうか。
漠然とそんなことを考えると、パパさんは決心をつけたように口を開いた。
「シルヴィの母親、シルヴェーヌは、去年他界した。他界と言ってわかるかな」
「はい。亡くなった、ってことですよね」
「その通りだ。君は物知りでもあるんだな」
それは、そうかもしれない。前世の記憶のせいで、好奇心旺盛と言われるほどにはあれやこれやと両親に尋ねまくっている。
「シルヴィが物心つく前のことだ。本人にはあまり実感はなさそうだが、それでもやはり、無意識に寂しさを感じているんじゃないかと思う」
「そうですね」
シルヴィにとっては、パパさんしかいない家庭は当たり前のものになっている。それでも、本能的に寂しいとは感じるだろう。
「だからまずは、配慮ありがとう」
「いえ」
「それから、お願いがある」
「はい、なんでしょう」
「母親がいなくても寂しくないんだと思えるように、シルヴィと仲良くしてやってくれないか」
この体育館の男女比を見てわかる通り、世の中、母親がいることはほとんど当たり前だ。僕より無神経な子から、どうして母さんがいないのかと尋ねられることもあるだろう。
その問いに毅然と答えられるかは、正直シルヴィ次第だ。でも、僕にもその手伝いはできる。
シルヴィには胸を張って幸せだと言ってほしい。そのパパさんの想いは、僕とて同じだ。
「当り前ですよ。シルヴィとは友達ですから」
「そうか。四歳児に頼むことではないとわかっているし、不甲斐ない父親だとも思うが、どうかよろしく頼む」
「任せてください」
パパさんと、固く握手を交わす。男同士の友情、というには年が離れすぎているが、それに似た熱いものを感じた。
「そういえば、パパさんのお名前はなんていうんですか?」
「ああ、言っていなかったかな。西園浩二というんだ」
にしぞのこうじ。僕がその名前を反芻するのと同時に、パパさんが名刺を取り出して渡してくれた。
「何か困ったことがあったら、そこに書いてある電話番号に電話をして、社長に取次をと頼むといい」
「しゃちょう。社長!?」
「ああ、そんなに大きな会社ではないがね」
言われてみれば、貫禄のある顔立ちだと思う。
なるほど、社長。つまりシルヴィは社長令嬢というわけだ。
「頼んだよ、慶太郎君」
「は、はいっ」
「はは。そんなにかしこまらないで、今まで通りにしてくれたらいいから」
親馬鹿パパだと思っていた人が企業を取りまとめる立場だったと知って、態度が改まるのはどうにもならないだろう。
とはいえ、パパさんは僕をあてにしてくれているようだし。こちらもあくまで友達のパパとして、相応の礼儀は払いつつも、ある程度気安い関係になれたらいいと思う。
「パパ! ケイ! 終わったよー!」
シルヴィが帰ってきて、僕たちは帰路についた。
来週には幼稚園が始まる。パパさんとの約束通り、友達として、それから先輩として、シルヴィを導こう。
無論、できれば、わざわざ僕が年少組に出張るような事件などなければいいのだが。




