③一線と決意
~シルヴィア視点~
海へのお出かけイベントは最悪の失敗に終わった。水平線に沈む夕日を眺めながら、ケイに肩を抱かれてキスをする完璧な計画が、ボクが暴走したせいで水の泡だ。せっかく夕日が綺麗なビーチを調べて、そこに行くように仕向けたのに。
ケイにせよボクにせよ、直前で日和る可能性はあるかもと思っていたが、まさかあんな痴女みたいなことをして気まずくなるルートがあったなんて。
他人事みたいに冷静に考えているけど、あれをやったのがボクの意思なんだよね。ケイは暑さでどうかしていたと思っているみたいで、実際そうでもあるけど、ケイを求める気持ちは本物なわけで。だから脚まで絡めたりなんて。
ああ恥ずかしい。あんまり思い出したくないな。
あの海の日から数日。二人きりの時間はたくさんあるけど、どうにも元のようにいかない。
今までは、そうすることが当たり前みたいにくっついていられたけど、今やまるで付き合いたてのカップルのように手を繋ぐだけに留まったり、抱きついても落ち着かなかったり。
それはそれで一つの形だけど、ボクたちらしくはない。だからといって、ドキドキするのは止めようもないし。
「どうしようミクちゃん」
こういうとき頼りになるのはやっぱりミクちゃんだ。電話口でここまでのあらましを説明すると、ミクちゃんは唸った。
「うーん、痴女った時、ケイさんの反応はどうだった?」
「痴女ったって言わないでよ。えっと、そこまで強くは拒まれなかったかな」
「ということは、そういうことが嫌ってわけじゃないんだろうな。相変わらず、シルちゃんに迫られてノーと言える精神力は異常だけども」
でももしボクが正気に戻らず、あのままケイのことを獣のように求めていたら、キスどころでは済まなかったような気もする。そう思うと、自分のことが少し怖くすらある。
「ゼッタイ変態だって思われたよね。はぁ」
「まぁ、ケイさんも薄々気づいてたんじゃない? シルちゃんが耳年増だってことくらいは」
「うぐ。そんな素振りは見せなかった、と思うんだけど」
「ケイさんと色々したいって私に相談持ち掛けるくらいなんだから、片鱗はあってもおかしくない」
「仰る通りで」
耳が痛い。それでも名案ばかりくれるミクちゃんも凄いと思う。
「じゃあいっそ、素直に言い寄ればいいんじゃない?」
「ミクちゃん、それは投げやりが過ぎるのではございませんでしょうか」
思っていたそばから、裏切られた。
「まあ落ち着きなって。今更婉曲的にやってももう遅いってこと」
「うぐ」
「それより、グイグイ行った方がいいでしょ。元々シルちゃんに言い寄られて嫌がる生命はこの世に存在しないし」
「そんな大げさな」
「それに、今はギクシャクしてるんでしょ?」
「ギクシャクというか、変に意識してるっていうか」
「それは、ケイさんもそうっぽい?」
「うん」
「ならチャンス。そういうときにこそ畳みかけるべきよ。ケイさんの堅牢な精神力が揺らいでるってことなんだから」
「はっ、たしかに」
ボクの一挙手一投足に、ケイがドキドキしてくれる。そんなのは今だけだ。ならそれは、攻め時に他ならない。
「ありがとうミクちゃん! これで勝てる!」
「はいはい、頑張って。まどろっこしいことせず、最初っからそう言っとけばよかったな」
若干呆れられていたような気もするが、ともあれ、ミクちゃんのおかげで方向性が定まった。
実行は簡単だ。欲望の赴くままにケイのことを求めればいい。問題は、恥ずかしさに耐えられるかだけだ。
翌日。お昼すぎになると、二人きりでボクの部屋にやってきた。いつもはリビングだけど、少しでもドキドキしてほしいから。
それから、ミクちゃんの以前のアドバイス通り、今日は薄着だ。ショートパンツに、透け感のあるブラウス。
いつも通り、パパは家にいない。誰に気兼ねすることなく、イチャイチャできる。
「はい、飲み物」
「ありがとう。って、なにこれ?」
用意したコップは一つ。そこへ二本のストロー。
「これなら一緒に飲めるでしょ?」
「そりゃそうだけど、コップ二つの方が」
「洗い物が減るから。ね?」
我ながら苦しい言い訳。でも間違ってはいないし、押し通す。
「はい、どうぞ」
「まあ、うん。ありがとう。いただくよ」
ケイがストローに口をつける。それを確認してすぐ、ボクももう一方のストローに口をつけた。
そんなに大きなコップじゃないから、鼻が触れ合いそうなくらい近づく。
「シ、シルヴィ。同時に飲むものじゃないよこれ」
「えー、じゃあストロー二本にした意味ないじゃん」
「それは、間接的なアレを」
「でも、もうどっちかわかんないよ?」
そのためにストローは全く同じものにしたんだから。間接キスでも何でも、徹底的に意識させてあげる。
「ほらほら、いつまでも立ってないで、ベッドに座って」
「いや、床に」
「今日はクッション洗ってるから」
本当はパパの部屋に避難させてあるだけ。このくらいの嘘なら、バチは当たらないだろう。
「わかったよ。なんだか今日は強引だね」
「そういう日なの。諦めて受け入れて」
お行儀よく膝の上に置かれたケイの手をはがして、代わりにボクのお尻を乗せる。
「ということで、ボクはケイに座りまーす」
「ちょっ、シルヴィ」
「だめ?」
「だめじゃ、ないけど」
たじろぐケイも可愛い。
反応に満足しながら、ケイの腕をシートベルトみたいにボクの胸の前で交差させ、それを抱きしめた。
「あ、暑くない?」
「クーラーもつけてるし、ちょうどいいよ。ケイが暑ければ温度下げる? その分、ボクのことはあっためてもらうけどね」
「じゃあ、大丈夫」
絵に描いたように動揺する。全部思った通りに反応してくれるから楽しい。
「ボクばっかりじゃ悪いから、ケイもボクにしたいこと、なんでもしていいよ」
「なんでもって、気軽に言うものじゃないよ」
「ケイにだけだもん。ね、ボクのこと、どうしたい?」
言葉に詰まるケイ。もっと、もっとボクのことでいっぱいになっちゃえ。
「わ、わかった。じゃあ」
次はどうやって煽ってやろうか考えているうちに、動いたのはケイの方だった。ずっとおろおろしているかと思ったから意外。
というか、やり返されたらボクは耐えられるんだろうか。
「よしよし。シルヴィはいい子だね」
「はぇ?」
身構えたのも杞憂に終わった。寧ろケイはボクを安心させるように、軽く体重を預けて、優しく頭を撫でる。
「いつも思うけど、綺麗な髪だよね。僕のために綺麗にしてくれてるのかな」
「うん」
あれ。もっとずっと動揺しっぱなしだと思ったのに。立ち直るの早すぎるよ。
「ケイだって、最近お洒落になったよね」
「気づかれた? 友達に色々教わってるんだ」
これは、失敗かな。却って冷静にさせてしまったのかもしれない。
まあいっか。ケイに撫でてもらうのも、これはこれで気持ちいいし。ケイに包まれて、まるで日向ぼっこでもしているみたいにぽかぽかする。
「可愛いよ、シルヴィ」
「みぁっ!」
そうして油断しているところに、不意打ち。耳元で可愛いなんて言われたら、ポカポカが一瞬でドキドキに変わってしまう。
「あ。赤くなった。可愛いね」
「う、やぁ」
また可愛いって。落ち着いたかっこいい声で囁いてくる。さっきまでそっちがドキドキしてたくせに。
「シルヴィ、大好きだよ」
「あぅぅ」
あったかい息が耳にかかる。頭の中に直接言われてるのと変わらないくらい近い。
「大好き」
「ぅやぁ」
そんなこと言われ続けたら、頭の中どろどろに溶けちゃう。
溶かされる前に逃げようともがくけど、ケイが離してくれない。そりゃ、こういう体勢にしたのはボクだけど。
「逃がさないよ。随分好き勝手してくれたから、そのお返し」
「やだぁ」
「なんでもしていいんだもんね?」
「いじわる」
「シルヴィが可愛すぎるのが悪いんだよ」
抱きしめられて囁かれて。それだけなのに、なんでこんなにキュンキュンするの。
「びくびく震えて、可愛いね」
「ふぁ」
嗜虐的な言葉に、首筋にゾクゾクしたものが走る。普段の優しいケイとはちょっと違う。そっか、このギャップがボクの頭をぐちゃぐちゃにするんだ。
「もっとしてほしい?」
「やだ、やらぁ」
今日はボクが思いっきり誘惑するはずだったのに。こんなにドキドキさせられるつもりじゃなかったのに。
でも、こういうケイも、好き。
「じゃあ、最後に」
「ぴゃあっ!」
今、コリって、耳を甘噛みされた。ちょっとだけ痛くて、でもそれ以上に、お腹の奥からキュンキュンって、何かがはじけそうになる。
「こっちも」
「あっ、んんっ!」
その何かが勢いよくはじけて、取り繕うこともできないくらいに、びくんって身体が反応しちゃった。
終わりかと思ったときに、逆側の耳になんて。そんなの反則だよ。
「はーっ、はーっ」
「反省した?」
息が上がったボクとは対照的に、ケイの声音はすっかり元通りになっていた。
なんか、悔しい。反省なんてするわけがない。誰のせいでこんなに頑張って誘惑したと思ってるのか。一矢報いないと気が済まない。
「えいっ」
緩んだケイの拘束を抜け出し、立ち上がる。そして反転し、今度は向かい合うようにしてケイの上に座りなおした。
「シルヴィ?」
「もう許さないんだから」
今度こそ、ボクの番だ。
~慶太郎視点~
俺を跨ぐように膝立ちになって、シルヴィは潤んだ眼で俺を見下ろしている。
「や、やりすぎちゃった? ごめんね」
「ふん。許してあげない」
言いながらも、シルヴィは距離を取るどころか、俺の頭を掴んで自分の胸に押し当てた。吸い込む空気が甘いシルヴィの匂いで満たされる。
「シルヴィ? その、柔らかいのが」
「う、うるさい」
シルヴィは俺を一喝して黙らせると、俺の頭を動かして、耳が胸に当たるように変えた。ドクドクと、強く速い脈動を感じる。
「心臓の音、聞こえる?」
「う、うん」
「いっつもボクばっかりこんなにドキドキして、不公平だとは思わないの?」
責めるような口調だが、実際は俺にドキドキしてくれているのを公言しているだけだ。照れ隠しの仕方も可愛い。
「僕もドキドキしてるよ」
「ドキドキしてる人は耳を噛んだりしません」
「それは何というか、スイッチが入って」
「そんなのずるいよ」
ずるいと言われても、理性でどうしようもなかったからこうなったわけで。
「ケイだって、もっとドキドキしないと、だめ」
シルヴィは俺の頭に押し付けていた手を、俺の頬へと添えた。
「ボクのことだけ見てて」
そして、ゆっくりと顔を近づけていって。
「目、逸らしたら怒るからね」
一ミリ近づく度に、どくん、どくんと心臓が高鳴る。
宝石のような蒼い眼が、俺を見つめる。シルヴィの綺麗な顔がどんどん近づいて、自然と、柔らかそうな唇に目が行く。
鼻の先が触れ合う距離で、止まった。
「キス、されると思った?」
あまりの至近距離、ただ話すだけで生暖かい息がかかる。俺は黙って小さく頷いた。
「顔、熱くなってる。ちゃんとドキドキしてるみたいだね」
うっすらと笑って、シルヴィは俺の頬を撫でつつ、その手を俺の手に重ねる。
「ここから先は、ケイから、してほしいな」
シルヴィが、瞼を閉じる。
本当に、いいのだろうか。もう我慢しなくても。
あとほんの数ミリで、シルヴィとキスできる。考えるだけで、頭に血が上った。
本当に、この心の中のモノを解放してしまってもいいのだろうか。
「シルヴィ」
一度アクセルを踏み込めば、もうブレーキは効かない。
その一線を越えようと、瞼を閉じたその瞬間。
身体がフリーズした。過負荷に耐えかねたパソコンように。
そして、瞼の裏に広がる、存在しない記憶。
そこには、ズブズブに依存しあった俺とシルヴィの姿。今とさして年が変わらないように見えるシルヴィのお腹は膨らんでいて、幸せそうに俺に寄りかかっている。しかし、俺の両親やシルヴィのパパさんは、苦々しげにその光景を見ていた。そして、そのときの俺の感情には、どこか仄暗いものがあった。
その短い記憶を見せられて、思わず瞼を開けると、現実に戻っていた。
キスは、まだしていない。
わざわざこんなタイミングで、こんな記憶を見せつけられるとしたら、犯人はママさんだ。あの夢の世界から、意図的に俺の頭を弄っているのだろう。
そんな芸当が本当に可能かは置いておいて、その意図は、このまま甘やかしてはいけないと知らせることだ。あの光景は、近い未来。学生での妊娠が起こると考えるべきだろう。
避ける方法は、ここでキスをしないことだ。
だが、本当にそれでいいのか。
ここでキスを拒めば、いよいよシルヴィは心に傷を負ってしまうかもしれない。
ならば、俺が耐える他はない。今だけはその一線を越えたとしても、ブレーキをかけることは可能なはずだ。難しいが、決して不可能なことではない。
俺が、俺自身の欲望を、そしてシルヴィをコントロールしなければ。真に幸福な未来は訪れない。
「シルヴィ、一回だけだよ」
「ん」
覚悟を決めて、唇を重ねた。
この世で触れた何よりも甘美な感触。心臓の鼓動に呼応して、幸福が全身を駆け巡る。ともすれば、どこかへ飛んで行ってしまいそうな快楽だ。
お互いを地上に留めるように、俺とシルヴィは重ねた手を強く握った。最愛の恋人と、繋がっている感覚。これほどまでに心地よいものはない。
だが、吞まれるわけにはいかない。
これは、決意のキスだ。
絶対に、誰に憚ることのない幸福を実現してみせる。その覚悟を込めて。
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