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②お姫様と王子様擬き

 シルヴィと出会って、自作自演のボール遊びから友達になって以来、僕は毎日向かいの西園家のインターホンを鳴らしている。


 そうして早一週間。さすがに迷惑かとも思うのだが、一日と欠かさず、少しも褪せることのない笑顔を向けてくれるから、やり甲斐しかない。


 パパさんとの約束でシルヴィは家の敷地を越えることができず、柵越しに話すばかりだが、シルヴィもそれを楽しめているらしい。


「お城のお姫様みたいだよね」


 とのこと。僕はさながら、囚われの姫をお相手する王子様といったところ。


 いや、それは思い上がりすぎか。城から助け出すくらいのことでないと、王子様役は務まらないだろう。


「出たいって思わないの?」

「うーん、でも約束は守らないと」


 もっとも、お姫様に城を抜け出す気概はなさそうだ。いかに王子様とて、お姫様の要望は守るべきだろうし、救出はできそうにない。


「それに、けーたろーが来てくれるからいいよ」


 そう言ってもらえるなら、僕は果報者だ。


 王子様になどなれなくとも、その言葉がもらえるなら何だっていい。ペット扱いも甘んじて受け入れるくらいの覚悟はある。


 実際にされたいかどうかは別問題だが。


「じゃあ、パパさんと遊びに出かけたことは?」

「あるよ。でもあんまりない」

「そっか」

「パパお仕事忙しいんだって。ご飯のときは帰ってきてくれるけど、シルヴィと遊んでる暇ないみたい」

「そうなんだ」


 柵越しに頭を撫でてあげたくなるような、しょんぼりした顔をするシルヴィ。でもこの手は届かない。もどかしい限りだ。


 そのパパさんだが、本当に忙しいようで、この一週間で一度も会ったことはない。ずっと西園家の前に居座っているにも関わらず。


 シルヴィ曰く、パパさんも会いたがっているらしいのだが。


「でもねでもね。パパが忙しいのはシルヴィのためだから、我慢できるよ」

「偉いなぁ、シルヴィは」

「えっへへ」


 褒めてほしそうだったので褒めると、シルヴィは寂しさを感じさせない笑顔を咲かせた。


 強がりではないと思うのだが、僕から見ても少し可哀想だ。


「パパさんの代わりに、僕が遊びに来るからね」

「うんっ! いつでも来て!」


 励ましになればと思って言ったら、効果てきめんだった。僕も癒されるし、一石二鳥。






 今日もまた、日が昇っている限りシルヴィと話し続ける。


 シルヴィの家にはテレビがないらしく、僕がよく見るアニメの話を身振り手振り交えながらすると、大層喜んでもらえた。


「くらえ! ひっさつキーック!」

「すごいすごぉい!」


 将来は役者の道を目指そうかと、本気で考えてしまうくらいの大絶賛。これだけチヤホヤされるなら、良い気分だ。


「これで終わり」

「君が慶太郎君だね?」

「だぁーっ!?」


 最後の決めポーズを披露するタイミングで、背後から渋い声がかけられた。


 危うくずっこけるところだったが、どうにか持ち直して振り返る。


 そこに立っていたのは、スッキリとした黒髪にダンディな髭を蓄えた御仁。キリッと真面目なスーツ姿がよくお似合いだ。


「あ、パパ! おかえり!」

「おーシルヴィ、ただいまぁ」


 と思いきや、シルヴィが反応した途端にデレッと相好を崩した。愛娘の前では大人な仮面も形無しだ。


「えっと?」

「おっと、こほん。君が慶太郎君だね?」

「そうです」


 仕切り直し。空気を読んで、何も見なかった体でパパさんに向き直った。


「はじめまして。今宮慶太郎です。シルヴィアさんとはいつも仲良くさせていただいてます」

「ふむ」


 パパさんは僕にじっと訝しげな目を向ける。


 父さんから、シルヴィパパに遭遇したらこう言えと教えられた通りに言ったわけなのだが、やっぱり変だと思う。少なくとも、幼稚園児の挨拶ではない。


「けーたろー。シルヴィって呼んでよ」

「え? あー、えっと」


 パパさん用の挨拶だったのだが、シルヴィにはよそよそしいと思われてしまったらしい。ちょっぴりむくれている。


「シルヴィ」

「うんっ。けーたろーっ」


 幸いにして、その機嫌はすぐに直り、にぱっと笑ってくれた。


 ただ、それと反比例するように、パパさんは怖い顔になっている。


「あの、パパさん?」

「君にパパと呼ばれる義理はないっ!」

「いや、あの」


 それが幼稚園児に対する反応か。


 いや、僕の挨拶がちゃんとしていたからこそ、それに見合った態度を取ってくれたのかもしれない。


 かといって、そのセリフが一発目に来るのはどうかと思うが。


「パパ、けーたろーと仲良くしたくないの?」

「えっ!?」


 僕が対応に困っていると、シルヴィが不安げな声でパパさんに問うた。対するパパさんは、そりゃもう狼狽しきっている。


「そ、そういうわけじゃなくて。ただ親として、節度を持った付き合いを」

「だからって、けーたろーにいきなり怒鳴るの?」

「そ、それは」

「パパ、けーたろーにごめんなさいして」


 見事な手腕だ。シルヴィのことを、パパさんに言われるがままの箱入り娘だとばかり思っていたが、意外に強かだった。


「ごめんなさい」


 これですんなり謝ってしまうあたり、パパさんは尻に敷かれるタイプなのだろう。


「それはそうとシルヴィ、年上の人を呼び捨てにしたらだめだって教えたろう? 呼ぶなら慶太郎君と」

「でも、けーたろーは友達だもん」

「友達でも、年上は年上だ」

「年上でも、友達は友達だもん」


 会話を聞いていて、少し安心する。


 シルヴィはパパさんとうまくやっているようだ。駄々を捏ねる、つまりは甘えることができている。


「パパさん」

「む?」

「呼び捨てじゃなくて、あだ名ならどうですか?」

「あだ名?」


 耳馴染みのない単語だったか、シルヴィが首を傾げる。


「シルヴィアのことをシルヴィって呼ぶみたいに、呼びやすい名前に短くしたりすることだよ」

「へー。じゃあ、けーたろーはケイって呼ぶことにする! いいでしょパパ!」

「それなら、まあいいか」


 パパさんも折れてくれた。どの道、シルヴィに譲る気がない時点でパパさんも折れざるをえないわけだが。


「あ」


 あだ名が決まったところで、お別れの町内放送。パパさんも帰ってきたのだから、今日のところはバイバイしなければならない。


「シルヴィ、また明日来るから」

「うん。またね」


 一週間も続けていれば、さすがに慣れもする。初日のような後ろ髪引かれる別れを演じることはない。


「待った。慶太郎君、上がっていきなさい」

「はい?」

「君のお父さんに話は通してある。うちで夕飯を食べていきなさい」


 思わず、パパさんの後ろを見た。そこには、サムズアップした父さんの姿。


 そりゃ、断りはしない。だがそれにしたって、相談の一つくらいあっても良いのではないか。さも自分の手柄だという風にドヤ顔をしている父さんよ。「うまくやれよ」って、口パクをしている父さんよ。


 しかしまあ、敢えて言おう。ナイスアシストと。


「お言葉に甘えます」

「うむ」


 パパさんについて、西園家の門を潜る。


「ケイと一緒! やったぁ!」


 無邪気に喜んだシルヴィが、僕に飛びついてくる。


 ふわりと漂う甘い匂い。触れ合う柔らかな肌。これがシルヴィなのだと、やはり鮮烈な刺激でもって刻みつけられる。


 一週間越えられなかった柵を、今越えたのだ。そう思うと、感動も一入。


「ケイも嬉しい?」

「うん。嬉しい」

「えっへへーっ」


 シルヴィは間違いなく甘え上手だ。体を拘束するような抱きしめは数秒に留め、代わりに手を繋いで上機嫌にブンブン振っている。


「パパもっ」

「うん」


 これにはパパさんもデレデレ。シルヴィには無自覚に男を誑し込む素質があるのかもしれない。


 片手に僕、もう片手にパパさんを捕まえたシルヴィはルンルンで、スキップまでし始める始末。


 対して僕とパパさんだが、犬猿の仲とまでは言わないものの、ギクシャクしているのは否定しようもない。


 ただ、そんな緊張も、腕を強く引っ張るシルヴィに苦笑する顔を見合わせれば、いくらかは緩んだように思う。


「おじゃまします」

「シルヴィ、慶太郎君に家を案内してあげなさい」

「はーい! こっちだよ」


 パパさんは夕飯の支度をするらしく、僕にシルヴィを預けて行ってしまった。


 行ってしまったと言っても、所詮は同じ屋根の下。何かあれば数秒で駆けつけられる距離だ。


「ここがね、シルヴィのお部屋」

「へぇ」


 娘の部屋に男を招き入れるなんて、あのどう見ても過保護なパパさんが何て言うかわかったものではないが、一応は認められたものと思っていいのだろうか。


 パパさんに首根っこを掴まれないか戦々恐々としながらも、シルヴィに招かれるまま部屋へ。


「おわっ、これは」

「シルヴィのお人形さんたちがいっぱいいるの。ケイにも紹介するね」


 いっぱい、という形容は正しい。パッと見て数え切れない人形たちと、彼らのための住居やら何やらが部屋の床面積を随分と狭くしている。


 三歳児のマイルームとなれば、こうなるのも不可避なのかもしれない。


 ただ、見る限り、これらを買い与えているであろうパパさんも注意をしていないようだ。


「シルヴィ、ちょっと」

「なぁに?」


 親代わりに説教をというには烏滸がましい年齢だが、僕だってシルヴィの兄貴分。それに、片付けくらいは教えておかないと後々苦労する。


「シルヴィ、あのさ」

「うん」


 純朴な瞳が僕を射抜く。


 なるほど、こう愛くるしい顔で見つめられると、毒気を抜かれるというか、叱ってしまって良いのかという気分になる。パパさんも苦労するはずだ。


「パパさんから、お片付けしなさいって言われない?」

「うーん? たまに言われるよ」

「じゃあ、お片付けしないの?」

「だってお人形さんたちも、お引越ししたくないって言うんだもん」


 言われて見ると、一見無秩序に乱立しているように見える家たちが、住宅街として成っているようにも見える。


「むぅ」


 たしかに一度住んだ家から引越しを宣告されるのは、現実的には反感を買うだろう。


 人形相手に何をとも思うが、人付き合いの乏しいであろうシルヴィにとって、人形と人とは同一視されていると言っていい。


 まさかシルヴィを、他人の言い分も聞かない我儘な子に育てるわけもいかない。


「でもさ、シルヴィ。もしも僕やシルヴィがここで転んだら、どうなると思う?」

「え? えーと、ガシャーンって」

「だよね。お人形さん、そんな危ないところに住みたいって思うかな?」

「あ」


 シルヴィは口を噤んだ。しばらく考えて、うんと頷く。


「シルヴィがお人形さんたちを守ってあげる。危ないのはダメだもん」

「よし。じゃあお引越しだ」

「うんっ。ケイも手伝ってくれる?」

「もちろん」


 これで「じゃあ出ていって」と言われたらどうしようかと思ったが、人形より優先してもらえるくらいの立場には居られたようだ。






 シルヴィの部屋を片付けて、ある程度動き回っても大丈夫なスペースを確保した。


 特別何かしようと思っているわけではないが、シルヴィの大切なものを壊して友情崩壊というバッドエンドルートは回避できただろう。


「シルヴィ、慶太郎君。夕飯ができたからこっちへ、おや?」


 満足感に一息ついていると、パパさんが呼びにきた。様変わりした部屋を眺めて、驚いたように目を見開く。


「シルヴィ、お片付けしたのか。偉いなぁ」

「うんっ。ケイが手伝ってくれた」

「そうか。ちゃんとありがとう言ったか?」

「あ!」


 パパさんの言葉にシルヴィはぴょんと跳ねて、僕の顔を覗き込む。


「ケイ、ありがとっ!」

「どういたしまして」


 シルヴィにありがとうと言われるためなら、僕はどんな雑務でもこなす自信がある。


「それじゃあ、夕飯にしよう」

「はーい!」


 パパさん、シルヴィ、僕が食卓を囲む。それぞれの前には、黄色い楕円、オムライスが鎮座している。


「ケイもパパも、シルヴィがケチャップかけてあげる」

「おっ、ありがとう」

「ありがとうシルヴィ」


 ケチャップを握りしめ、パパさんの膝の上から、黄色いキャンバスを赤く彩っていく。


「はい、ケイ。ハートマークだよ」

「ありがとう。美味しそうになったよ」

「えっへへーっ」


 線はぐにゃぐにゃと曲がっているが、シルヴィが丹精込めて描いてくれたハート。嬉しくないわけがない。


 羨ましいのはわかるが、敵愾心丸出しで睨むのはやめてほしい、パパさん。


「はい、パパは花丸だよ」

「おおぉっ、ありがとう、シルヴィ」

「えへへっ」


 多少の歪みはご愛嬌。


 嬉しさ丸出しのパパさんはシルヴィの頭をくしゃくしゃと撫で回す。シルヴィの方も、喜んでもらえて嬉しそうだ。


 自慢したいのはわかるが、勝ち誇った顔で僕を見るのはやめてほしい、パパさん。


「シルヴィはねー、ケイとお揃い!」


 シルヴィは自分のオムライスにもハートを描いた。


 ハートマークよりも僕とお揃いであることを宣言してくれるあたり、懐かれているのがよくわかる。


 パパさん、怖い顔するのはやめてください。


「いただきます!」

「いただきます」

「いただきまぁす」


 パパさんの反応はスルーして、オムライスを一口。


「おいしい」

「でしょでしょ! パパのオムライスは世界一だもんね!」


 思わず感想が口をついて出ていくくらい、美味しい。シルヴィの好みに合わせてか、ケチャップライスの味付けが甘めなのだが、卵が薄焼きなおかげで飽きが来ない。


 パパさんがドヤ顔で僕の反応を眺めていなければ、もっと美味しかっただろうが。


「それで、慶太郎君、君はシルヴィのことをどう思っているんだ」

「ん!? えっほえっほ」

「ケイ、お茶そこだよ」

「ありがとう」


 シルヴィのおかげで和やかに終わろうとしていた夕食会に、パパさんが爆弾をぶち込んだ。当然のように僕は噎せ、シルヴィの指さした麦茶をコップに注ぎ、一気に呷る。


「ふぅ。な、なにを突然」

「君のお父さんからは、君はシルヴィにメロメロだと聞いている。君の本心はどうなのか教えてくれないかね」

「そうなの、ケイ?」


 父さんめ。これはさすがにやりすぎだ。


 シルヴィに近づきたいと思ったのは確かだが、それはあくまで友達としてで十分だったのだ。ご挨拶が必要な関係になろうだなんて、まだ考えてもいなかった。


 なるほど父さんが余計なことを言っていたのなら、パパさんの態度にも納得がいく。


「いや、それは」

「違うの?」


 僕はあくまで友達としてご相伴に預かっただけなのに、どうしてこうなった。


 シルヴィが寂しそうな顔で僕が否定するのを阻止するものだから、なおのこと形勢が悪くなっていく。


 まあ、ゆくゆくはそういう関係になっていく可能性もあるのだし、シルヴィを悲しませるわけにもいかないのだから、否定はしないでも良いのではないのではなかろうか。


「そうです。僕はシルヴィにメロメロです」

「んへ。やったぁ」


 開き直るように言うと、パパさんより先にシルヴィが反応した。今までで一番、なんというか、だらしない笑みである。


「そうか」


 対してパパさんは、意外にも取り乱すことなく落ち着いてお茶を啜り、息をついた。


 いや、握りしめたコップが小刻みに震えている。相当力が入っている様子だ。内心穏やかでないのは間違いない。


「今年から、慶太郎君が通う幼稚園にシルヴィも通うことになる」

「そうなんですか」

「だから、慶太郎君には、シルヴィの手助けをしてやってほしい。メロメロなら、望むところだろう?」


 パパさんは、本心を抑えるように震える声でそう言った。幼稚園児に恋人云々と言うのはおかしいと、さすがに自制心が働いたらしい。


「これからもシルヴィのことをよろしく頼む」

「はい。任せてください」


 そういうことなら、子供らしく安請け合いしようじゃないか。父さんがかき乱したせいでギクシャクしたが、今のところ友達のパパに、これからも仲良くと言われたに過ぎない。


 幼い友達同士の微笑ましい関係だ。何らギクシャクする必要はない。


「パパ! シルヴィ、将来はケイとけっこんする! いいでしょ?」


 収束しそうだった僕とパパさんの関係を、もう一度シルヴィがひっくり返し、もうひと悶着起こったのだった。

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