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交渉に”ハッタリ”は付き物

 翌朝、まだ陽が高くなる前の時間帯。


 ジルと加賀谷は、街の中心部へ向かっていた。だがその少し後ろには──片手をポケットに突っ込みながら、ひょこひょこと軽い足取りでついてくる男の姿がある。


「ねえ、あの……本当に大丈夫なんですか?」


 ジルが不安そうに振り返ると、レオン・グレイブは口元だけで笑った。


「心配すんなって。あいつら、俺の顔は忘れてないさ」


「そりゃ、忘れようにも忘れられなさそうですけど……」


 加賀谷は小さくため息をつきながら言った。


「まさか、昔借金を踏み倒したんじゃないだろうな?」


「逆。踏み倒されそうになってたのを、取り返してやったんだよ。しかも、自分の損になるってわかっててな」


「……?」


 ジルの眉がひそめられる。


 レオンは少しだけ視線を空にやり、続けた。


「まだ俺が駆け出しだった頃、織物商の若い主人が、大口の取引で騙された。相手は信用ある商家で、周囲も“泣き寝入りしかない”って空気だったけど、俺は黙ってらんなくてね。後先考えずに動いた」


「それで?」


「ぶん殴って、帳簿ひっくり返して、不正の証拠もぎ取ってやった。で、最後に言ったのさ。“正しいことしたって損しかしねぇなら、それは世界が間違ってるんだよ”ってな」


 加賀谷がぽつりと呟いた。


「……本当に、変わらないな、お前は」


「そういうお前もな」


 そんな会話を交わすうちに、一行は織物商の屋敷の前にたどり着いた。


 ジルが深呼吸をして、扉を叩こうとしたそのとき──扉が先に内側から開いた。


「あんた……まさか、レオン・グレイブ?」


 現れたのは、年の頃三十を超えた店主。かつて“若き主人”と呼ばれていた男だ。


 レオンは軽く手を挙げた。


「よう。ちょっと頼みがある。こいつらの話、聞いてやってくれねえか?」


 ──その一言に、空気が変わった。


 織物商の主人は、一瞬だけ硬い表情を見せたが──やがて、ふっと緩める。


「……あんたの頼みなら、断れねぇな」



 ──────

 再び訪れた交渉の場。

 加賀谷とジルが持ちかけた、新流通網への参加案。織物商の主人は黙って耳を傾け、やがて低く漏らすように言った。


「……話は、よく分かった。でも、すまないが――やっぱり、この話は受けられない」


 ジルの肩が一瞬だけ落ちた。

 昨日と変わらない。言葉こそ穏やかだが、明らかに“断られている”。


 だが、加賀谷はその表情を見逃さなかった。

 相手の目は、どこか怯えている。──“納得していない”断り方だ。


「なあ、ひとつ訊いていいか」


 重々しく口を開いたのは、レオンだった。

 腰かけたまま、肘を机に乗せ、じっと相手を見据える。


「……お前ら、まだ“あのジジイ”の言いなりなのか?」


 織物商の顔がぴくりと引きつった。


「……あんた、何の話を――」


「とぼけんな。俺が十年前にブチ壊してやったあの談合組、まだ生きてるんだろ。陰で小商人の首根っこ押さえて、新しい流通の芽を潰してる」


 その言葉に、場の空気が凍った。


 レオンは立ち上がり、ゆっくりと屋敷の奥を見回した。


「“あいつ”の言葉に従ってる限り、お前らの子どもも孫も、自由にはなれねえ。──そろそろ、自分の足で立てよ」


 しん、と静まり返った応接室。


 レオンは懐から一枚の書状を取り出すと、卓上に置いた。


「……これは、レーナ連邦商会からの打診書。あんたの店の製品を“個別発注したい”って話だ。品質と柄が気に入ったらしくてな。俺が推薦した。信用は俺が取った」


 主人の目が見開かれる。


「……な、何だと?」


「だが、その条件がある。“自由都市圏との新しいルートで仕入れたい”ってさ。つまり、“お前が自分で選んだ流通”でなけりゃ、発注は取り下げるって言ってる」


 静かに、そして強く言い切る。


「昔のしがらみに縛られたままなら──チャンスは全部、若ぇ連中に持ってかれる。あんたの代で、全部終わる」


 織物商の指が、じり、と机を掴む。


 しばしの沈黙ののち──


「……あの時のお前は、ただのならず者だと思っていた。だが、いま目の前にいるのは……俺が“なれなかった何か”かもしれん」


 ゆっくりと、頭を下げた。


「……分かった。話を通そう。あんたの顔を立てる。そして、自分の手で動く。……これが、最後の勝負だと思ってな」


──織物商との交渉を終えて


「……助かったよ、レオン」


 加賀谷がつぶやく。 


「でさ、ひとつ聞いていいか。あの“レーネ連邦の書状”、いつ用意したんだよ」


「はは、んなもん、あるわけねーだろ」


 レオンはあっけらかんと笑った。


「あれはな、ちょっと前にレーネ連邦の港町で飲んだくれてたとき、港の役人とポーカーやって勝ち取った本物の封蝋──っぽいやつだ。中身は白紙」


 ジルが目を丸くする。


「でも、そんなの……詐欺じゃ……!」


「いやいや、ハッタリは商売の基本だぞ? ……もちろん、これからちゃんと“本物”にする。とりあえず旦那を動かせたんだ。これで道はできた。あとはそっちの仕事だろ?」


 ぐっとひとさし指でジルを差して、レオンは言った。


「俺は“言ったことを現実にする男”だ。だから貿易王なんて呼ばれてる。はったりで終わらせたら、ただの嘘つきだろ?」


 静かに、だが胸を打つ言葉だった。


 ジルは言葉も出せず、ただじっとレオンを見つめた。


(かっこいい……)


 思わず、心の中でつぶやく。


 加賀谷はそれを見て、小さく苦笑した。


「……お前、ジルに変な影響与えるなよ。あとで“レオンの弟子になります!”とか言い出しかねないぞ」


「はっ、むしろ歓迎だぜ。商売は血と骨で覚えるもんだ。知識じゃなくて、度胸で決まる。なあ、ニイちゃん言うな!」


 彼はまだ気づいていなかった。この“貿易王”との出会いが、自分の人生の進路をほんの少し変えはじめていることに──。



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