第8話 黄泉津大神と死神たち
「祝、八尋、どうかこのお方の首を、死神から取り返してほしいんですの!」
「ですぞ!」
叫ぶや、二匹は深々と頭を下げた。
数拍の沈黙がふたたびうまれた。そのあいだも、日暈と月暈は、頭をずっと下げ続けている。
いたたまれなくなった祝は、
「さっきから何言ってんだよ。神様の次は、死神かよ!」
と、左手で日暈の、右手で月暈の額をぐいっと持ち上げ、むりやり頭を上げさせた。
「そうよ、どういうことなの?」
八尋も、問いの口を挟む。「やっぱり、わたしたちのことをからかってたの?」
二匹は、ぶんぶんと首が千切れんばかりにかぶりを振った。
「だったら、どういうことか説明して?」
純粋無垢なご令嬢にも、とうとう疑念が滲みはじめたころ、狐耳の姉弟は気を揃えて静かに目を閉じ、ゆっくりと深い呼吸をひとつ入れた。
やがて開かれた目の奥には、決然とした固い光が宿っていて、とんでもない大秘事を打ち明けられる前兆に、思わず祝の肩にも力が入った。
「このお方の母君は、多くの神々をお産みになられた伊邪那美命。だけど、火の神であるこのお方を最後にお産みなられたとき、大火傷を負われて神避り(神が亡くなること)になられたんですの」
「ですぞ」
「伊邪那美命の夫である 伊邪那岐命は、悲しみに暮れ、やがては大層お怒りになられ、遂には我が子であるカグツチ の首を切り落としてしまったですの」
「ですぞ」
どう応えるべきか言葉に困って、祝は、へえ、と零すだけだった。伊邪那岐命と伊邪那美命の名前くらいなら、どこかで聞いたことはあったものの、その子供の名前までは、耳にしたことがなかったし、ましてや悲運の子供であったことなど、まったくもって知らなかった。しかし、だからといって、おとぎ話のような世界の話に同情できるほどの感受性は持ち合わせてはいないし、ましてや、この赤ん坊が神様だなんて、今は毛ほども信じてはいなかった。
それでも、祝の反応など気にも留めず、二匹の語りは熱を増す。
「カグツチは火を司る神であると同時に、火山を司る神でもあるんですの」
「ですぞ」
「それゆえ、この国の火山の噴火は、このお方が首恋しさに泣き喚くことが起因。頑是ない嬰児ゆえ、嘆くがままに眠る活火山を揺り起こしてしまうんですの。だからわっちゃらが、このお方のそばにいて、なるべく泣きじゃくらぬよう、お慰めしてきたんですの。それが、わっちゃらの勤めであり、そうやって人間たちへの被害を小さくしてきたんですの」
「ですぞ」
「だけどーーどうも最近、このお方の様子がおかしいんですの……」
「ですぞ……」
八尋が、こてんと小首を傾げた。「おかしいって?」
「泣きはしないものの、時折ひどく愚図るようになったんですの。そうすると、大地が呼応するように大きく揺れる……」
二匹はがばりと顔を上げ、八尋に切羽詰まった目を向けた。
「きっとこれは、太山の大噴火の予兆ですの! カグツチの愚図る声に、どこかの大きな活火山が同調して、地下にあるマグマを刺激しているに違いないですの!」
「ですぞ!」
「ほっておくと、いずれカグツチは哭ぶが如く泣き暴れ、太山を大噴火させてしまうですの!」
「ですぞ!」
だから、一刻も早くこのお方に首を返してさしあげたいのに――と日暈が続けると、二匹は揃って苦いものを噛み締めるように口を大きくひん曲げて、
「死神どもが返してくれないんですの!」
「ですぞ!」
と、地団駄を踏んだ。
そこへ、八尋がさらに問いかけた。
「だけど、どうして死神がカグツチの首を持ってるの?」
二匹が、はっと息を呑んだ。顔がみるみる蒼白く翳り、返事が鈍る。それでも小さな四つの手のひらが拳を固め、日暈がおもむろに口を開いた。
「この国には――闇くて深い地の底に秘された、黄泉国と呼ばれる場所があって、そこには黄泉津大神と呼ばれる、恐ろしい王がいるんですの」
「ですぞ」
口にするのもおぞましいとばかりに、声つきが重く苦しげになってゆく
「人間たちも、かつては神同様に永遠を生きる存在だったですの。しかし、黄泉津大神が、人間たちに寿命という名の呪いをかけ、死の恐怖を与えたですの」
「ですぞ」
「しかも、それだけでは飽き足らず、かの荒神は、人間を常に忌み嫌い、あらゆる大禍や災異が降りかかるよう、呪い続けているですの」
「ですぞ」
「ある日、黄泉津大神は、斬り落とされたカグツチの首を盗み、あろうことか、首ごと纏う炎を十に切り裂き、それを魂につくり変え、自らを崇敬する十人の死神をつくったんですの」
「ですぞ」
カグツチに、首が返らぬように。
カグツチが、首恋しさに泣き嘆くように。
「さすれば、どこかの火山が大噴火を起こし、多くの命が奪われる――それこそが黄泉津大神の狙いであり、彼奴の忠僕である十人の死神どもは、まさに命懸けでその炎を守っているんですの」
「ですぞ」
ふいに、日暈が袖をめくって腕を見せた。月暈は、袴をたくり上げて脛を見せる。そこには怪我でもしたのか、包帯が丁寧に巻かれていた。
「わっちゃらは覚悟を固めて、十人のうち六人の死神の許へと赴き、勝負を挑んでみたんですの」
「ですぞ」
「だけど、どの死神にもなすすべがなく、結局は逃げおおせるだけで精一杯で……」
祝は、ああ、だから着ている服も、穴が空いていたり擦り切れていたりしてたのか――と憐れみが胸に湧きかけたが、慌ててそれを押し返した。いやいや、なに信じかけてんだよ。
けれど、隣では八尋が「そんな……」と悲痛な声をあげ、顔には一片の疑いの色もない。
「そうして、今から一ヶ月ほど前――わっちゃらは、襤褸切れのようになって、ここいらを彷徨っていたですの」
「ですぞ」
「そんな折、とうとう飢えに耐えきれなくなって……道端の地蔵さまのお供えに、心苦しくも手をつけようとしていたところを、ちょうど道を歩いていた瀬城が、声をかけてくれたんですの」
「ですぞ」
日暈と月暈が瀬城を見上げ、陰鬱な表情から一変、明るい笑顔を差し向けた。
瀬城も照れくさそうに微笑んで、
「まあ、初めて会ったときは、びっくりしたけどね」
と頬を掻く。
「じゃあ、その傷は、瀬城先生に手当てしてもらったものなのね。二人とも、善い人に見つけてもらって、本当によかった」
八尋が胸に手を当てて、心底安堵するかのような笑みを広げた。
場の空気が、春の木漏れ日のような温もりに満ちる。祝ひとりを除いては――
「わっちゃらは、瀬城にカグツチのことも死神のこともすべてを話し、助力を乞うことにしたんですの」
「ですぞ」
「さすがに瀬城も最初は戸惑っていたですの。されど見上げた 義俠心で、力を貸してくれると言ってくれて、それで――」
「そうか、よかったじゃねえか。それじゃあ一人と二匹で、せいぜい頑張れよ」
祝が、唐突に話を遮り、捲し立てた。目を皿にしている日暈と月暈を尻目に、八尋の腕を掴んで出口へと向かう。
「ちょ、ちょっと祝」
抵抗しようとする八尋に苛立ち、
「これ以上つきあってられるかよ」
と吐き捨て、腕を握る手に力を込めた。ずんずんと大股で歩を進めて八尋を引っ張り、扉の前で立ち止まると、首だけをよじって瀬城にありったけの睨みをぶつけた。
此葉のこれからについてを話し合うはずだったのに、見ず知らずの子供の子守りにつき合わされる破目になった。覚悟して挑んでもらわなきゃならないんだ、と言われて奮い立って従いてきたのに、荒唐無稽な妄想につき合わされただけだった。
悪い冗談にもほどがある。なのに、瀬城は微塵も悪びれるふうはなく、茫洋とした目でこちらを見つめ返してくるばかりだった。
全力の舌打ちを響かせて、祝は扉へ顔を戻した。そして、ドアノブに手をかけたそのときだった――




