~焼売(しゅうまい)ダッシュの予感~
名古屋を過ぎ、車窓には濃尾平野の広がりが見えてきた。 鴨嘴は相変わらず風を切って走っているが、車内はどこか穏やかな空気に包まれていた。
藤兵衛は、目を閉じていた。 隣の弥次さんと喜多さんが、これまでの旅の話をぽつぽつと始めたからだ。
「覚えてっか、弥次さん。堺で“たこ焼き”食いすぎて腹壊したとき」 「おうよ、あのときゃ地獄だったな。あの薬屋の婆さん、やたら詳しかったな」 「“腸内環境”とか言ってたな。なんだったんだ、あれ」 「たぶん、妖術だな」
(……いや、違う)
藤兵衛は、まぶたの裏でそっと突っ込んだ。 だが、どこか懐かしいような、温かいような、そんな語り口に耳を傾けていた。
と、突然。
「いかん! かみさんに土産買ってねえ!」
弥次さんが、まるで雷に打たれたように叫んだ。 車内の数人が振り返る。
「おいおい、さっき名古屋で買ったじゃねえか。味噌煮込みとういろう」 「いやいや、あれは俺の分だよ。かみさんには“焼売”だ。横濱の名物だろ?」
「……おめえ、焼売好きなだけじゃねえか?」
(……いや、絶対そうだ)
藤兵衛は、再び心の中で突っ込んだ。 だが、弥次さんはすでに次の作戦を練り始めていた。
「売り子さん! 横濱の売店、一番近い出入り口はどこだい?」
売り子はにこやかに答える。
「横濱駅の売店は、三両目の前方出口が最寄りですよ」
「……三両目!? 今、俺たち十六両目だよな?」 「おう、つまり十三両分、歩くってことだな」
「……よし、早めに移動だ!」
今度は失敗できぬと、二人は荷物をまとめ始めた。 弁当の包み、土産の紙袋、そしてなぜか買ったばかりの名古屋の手ぬぐいまで。
「今回は全部持ってくぜ。戻れなかったら、そのまま横濱から江戸まで歩く覚悟だ」 「……それ、鴨嘴の意味なくね?」
(……いや、ほんとにな)
藤兵衛は、どきどきしていた。 まるで芝居の幕間に、次の展開を待つ観客のように。 二人の背中が、十三両分の冒険に向かって消えていく。
はてさて、焼売ダッシュは成功するのか。 それとも、また何かやらかすのか。 鴨嘴は、静かに横濱へと近づいていた。




