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婚約破棄された公爵令嬢ですが、すべては九年前から始まっていました  作者: 若松りこ


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第一話 婚約破棄

王宮の大広間には、華やかな音楽が流れていた。


王家主催の夜会。


王族をはじめ、国内の有力貴族、さらに友好国からの賓客まで集う華やかな宴である。


その中央に立つのは、アルディス公爵家長女エレノア・アルディス。

未来の王太子妃として育てられた令嬢だった。


深い紺色のドレスには、金糸で繊細な刺繍が施されている。

首元や耳元、髪飾りには惜しみなく宝石が散りばめられ、その姿は誰よりも豪奢だった。


しかし、その華やかな装いはエレノアには似合っていなかった。


細くなった肩。


痩せた頬。


重たいドレスに着られているような姿は、見る者へどこか痛々しい印象を与える。

本来なら、もっと落ち着いた色合いの装いを好む。

それでも未来の王太子妃として、公の場では相応しい姿でいなければならない。


そう信じていた。


「エレノア・アルディス。」


静まり返った広間に声が響く。

第一王子アレクシスだった。

金色の髪に碧い瞳。

二十歳となった王子は、誰もが見惚れるほど堂々とした姿でエレノアを見つめている。


「はい、殿下。」


エレノアは静かに一礼した。


「私は本日をもって、君との婚約を破棄する。」


一瞬にして広間がざわめく。


「婚約破棄……?」


「未来の王太子妃ではなかったのか。」


「一体何があった?」


視線が一斉にエレノアへ集まる。

アレクシスは続けた。


「私は長年、君が王太子妃に相応しい女性になることを願ってきた。」


「しかし、君は努力を怠った。」


「礼儀、教養、社交性、その全てが王太子妃として不足している。」


努力。

その一言だけが、胸へ深く突き刺さる。


違います。

そう叫びたかった。


けれど、王族の言葉をこの場で否定することはできない。

エレノアは静かに唇を噛み締めた。


「そして、新たな婚約者を紹介する。」


「セシリア・アルディス。」


その名を呼ばれ、一人の令嬢が前へ進み出る。

淡いクリーム色のドレス。

宝飾品は真珠を中心とした控えめなものだけ。

飾り立てることなく、その人自身の美しさを引き立てる装いだった。


アレクシスの白い礼装の隣へ立つと、その姿は驚くほど自然に調和していた。


「なんてお似合いなの。」


「まるで初めから婚約者だったようだ。」


祝福の声が広間へ広がる。

セシリアは慎ましく頭を下げた。


「未熟ではございますが、殿下のお力となれますよう、精一杯努めます。」


その姿は誰が見ても理想の淑女だった。

やがてセシリアはエレノアの前まで歩み寄る。


「お姉様……。」


悲しげに伏せられた瞳。

震える声。


「このようなことになってしまい、本当に申し訳ございません。」


「……あなたが謝ることではありません。」


エレノアは静かに答える。

その瞬間。

俯いたセシリアの口元だけが、わずかに吊り上がった。

冷たく、勝ち誇った笑み。

エレノアの胸が大きく脈打つ。


(そういうことだったの……。)


なくなった教本。

届かなかった新しいドレス。

少しずつ冷たくなっていった使用人たち。

そして、誰も見ていない時だけ向けられた妹の視線。


すべてが一本に繋がった。


「お姉様。」


セシリアは再び優しい妹の顔へ戻る。


「どうか、お身体にはお気を付けください。」


その言葉に周囲の貴族たちは感動したように頷く。

誰一人、本当の笑顔を見てはいない。

エレノアは王と王妃へ静かに一礼した。


「失礼いたします。」


広間を出るまで、涙は見せなかった。

人気のない回廊を歩いていると、不意に足が止まる。

胸が苦しい。

息が上手く吸えない。

壁へそっと手をついた、その時だった。

足音が近付いてくる。

エレノアは慌てて姿勢を正した。


一人の青年が足を止める。


事情は何も尋ねない。

慰めの言葉も掛けない。

ただ一枚の白いハンカチを差し出した。


「……お使いください。」


エレノアは驚きながら受け取る。


「ありがとうございます。」


青年は小さく一礼すると、そのまま歩き去っていく。


「お待ちください。」


思わず呼び止める。


「せめて、お名前を……。」


青年は足を止めることなく、穏やかな声だけを残した。


「お気になさらず。」


その背中は静かに回廊の先へ消えていった。


王宮正門では、一団の騎士たちが青年を迎えていた。


「レオン殿下、お探しいたしました。」


青年――隣国第二王子レオンは、小さく頷く。


「少し歩いていただけだ。」


そう言い残し、騎士たちとともに夜の王宮を後にした。

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