裁き
第三十一話
月曜の朝。
柴崎直也はベッドの上で大きく伸びをした。
昨日も一日、綾香と一緒だった。
島津綾香。
若くて、綺麗で、育ちもいい。
家は金持ち。
結婚すれば、人生はほぼ勝ちだ。
直也は口元をゆるめる。
それに――
夜も、悪くない。
いや、むしろ最高だ。
直也はスマホを見ながら思う。
(俺って運いいよな)
金も手に入る。
いい女も抱ける。
将来安泰だ。
(前世で相当徳積んでたんだろうな)
小さく笑った。
残る問題は一つだけ。
――聡美。
松田聡美。
あの勘違い淫乱女。
自己中で、粘着質。
直也は舌打ちする。
(ほんと面倒くせぇ)
別れを告げた後も、鬼みたいに電話とLINEを送ってきていた。
全部ブロックした。
あんな女、関わるだけ損だ。
直也はぼんやり窓の外を見た。
「……いっそ」
小さく呟く。
「俺がこの手で始末するか」
すぐに首を振った。
「いや」
それはリスクがデカすぎる。
そんなバカはやらない。
直也は笑う。
「死んでくれねぇかなぁ」
軽い冗談のつもりだった。
ベッドから起き上がり、テレビをつける。
地元の朝の情報番組。
画面には、イベントの紹介。
商店街の祭り。
どうでもいいタレントのライブの映像。
地元球団の選手インタビュー。
直也はリモコンをいじりながら呟く。
「くだらねぇ」
「早く天気予報やれよ」
画面のテロップ。
ニュース
アナウンサーが真面目な顔で原稿を読む。
『海外のニュースです』
『中東地域で武力衝突が――』
直也は欠伸をする。
「どうでもいい」
『原油価格が上昇し――』
しばらくして、
番組の空気が変わった。
『続いて国内のニュースです』
『おととい夜、市内の住宅街で女性が殺害された事件で――』
直也はぼんやりテレビを見る。
『警察は、先日発生した事件との関連を含め――』
『連続通り魔事件の可能性もあるとみて捜査しています』
画面に現場の映像。
規制線の張られた路地。
『被害者は――』
直也はコーヒーを口に運ぶ。
『松田聡美さん32歳』
直也の目が、ゆっくりテレビに向く。
———————
異議対策室。
机の上に、捜査一課から回された資料が置かれている。
ノアは静かにページをめくり、再度確認する。
被害者。
松田聡美。
三十代前半。
既婚。
一見すれば、どこにでもいる女性。
だが――
「……派手ね」
ノアは小さく呟いた。
交友関係の整理資料。
そこには、複数の男性の名前が並んでいる。
スマートフォン解析の概要。
LINE履歴。
交際関係を思わせるやり取り。
相手は一人ではない。
ノアは視線を次のページに落とす。
捜査一課が現在マークしている人物。
三名。
最初の名前。
柴崎直也。
被害者と親密な関係にあったとみられる男。
最近、被害者から脅迫めいた連絡を受けていた。
LINEの内容には、
逃げるな
全部バラす
といった文面が確認されている。
ノアは淡々と読み進める。
次の名前。
伊藤賢人。
大学生と見られる。
被害者と親密な関係にあった可能性。
スマートフォンの履歴には、画像等の卑猥な内容のやり取りが残されていた。
ノアはページをめくる。
三人目。
松田義治。
被害者の夫。
最近、被害者の浮気に気付いていた可能性がある。
直前のメッセージ。
――話がある
――全部分かっている
――すぐ帰ってこい
ノアは資料を閉じた。
静かな室内。
「……なるほど」
三人とも。
動機は成立する。
だが。
ノアは机の端に置かれた写真を見た。
現場。
住宅街の路地。
壁に残された血文字。
天誅
ノアは小さく息を吐く。
「私怨じゃない」
静かな声。
「これは……」
「裁き」
ノアは写真を見つめたまま呟いた。
———————
大学の近くの安いアパート。
伊藤賢人はソファに寝転びながらスマホを見ていた。
ニュースの画面。
顔写真。
被害者 松田聡美さん(32)
「……マジかよ」
思わず声が出た。
数秒、画面を見つめる。
それから小さく笑った。
「いや、マジで?ウケるんだけど」
トークアプリを開く。
松田聡美。
履歴がずらっと並ぶ。
卑猥なやり取り。
ホテル。
写真。
動画。
賢人は舌打ちした。
「めんどくせぇな」
スクロールする。
自分が送ったメッセージ。
聡美からのメッセージ。
一つ一つ確認する。
「これ……消した方がいいか」
独り言。
少し考える。
「まぁ、でも」
肩をすくめた。
「俺関係ねぇし」
削除ボタンを押す。
トーク履歴が消える。
賢人は伸びをした。
「つーか」
ふと思い出した。
送信履歴。
指が止まる。
友達のトーク画面。
そこにある。
動画ファイル。
タイトルも付けていた。
人妻。
賢人の顔が少し引きつる。
「……あ」
小さく呟く。
「これ、ヤバくね?」
——————-
昼休み。
テラス席という名の学食の外のテーブル。
白川大河は、購買の袋をガサガサと開けながら、コロッケパンにかぶりついた。
学食のほうでは霧島たちが列に並んでいる。
今日の学食はやたら混んでいた。
原因は、どうやらこれらしい。
「今月のスペシャルメニュー!沖縄の名店直伝ソーキそば!」
でかでかと書かれたポスター。
しかもその下には、
本場沖縄出身の調理スタッフ監修!
とまで書いてある。
いや、監修どころじゃない。
実際に沖縄出身のおばちゃんが厨房で陣頭指揮をとっているらしい。
この学校。
なぜか学食に妙な情熱を注ぐ。
この間はドネルケバブだった。
イスタンブールで修行したというおばちゃんが、肉を削いでた。
あれは正直、ちょっとテンションが上がった。
だが。
今回のソーキそばは――
大河はコロッケパンをもぐもぐしながら思う。
(そこまででもないな)
並ぶほどのインパクトはない。
遠くで、霧島が手を振った。
「おーい大河!まだ間に合うぞ!」
「いいって!」
大河はパンを掲げてみせた。
「こっちで十分!」
霧島は肩をすくめ、再び列に戻った。
その様子を見ながら、大河はふと思い出す。
昨日。
霧島の家。
納屋の前。
エンジン音。
あのバイク。
(結局、乗らなかったな)
まあ当然だ。
乗れるのがバレたら、色々と面倒くさい。
まず間違いなく、
「なんでこの間まで寝てたヤツがそんな慣れてんだ」
という話になる。
それはそれで説明に困る。
さすがにVR追体験も通用しないだろう。
イヤ、ワンチャン霧島だけならそれで押し通せたかも…..
大河はパンをかじりながら、ぼんやり空を見上げた。
(俺も免許取りに行くかな)
ふと、そんなことを思う。
でも。
すぐに首をかしげた。
(……なんか今さら感あるな)
前世では普通に乗っていた。
今さら教習所で
「はい、アクセルゆっくり開けてくださいねー」
とか言われるのも、なんだか妙だ。
(金もねぇし)
大河はもう一口パンを食べる。
ふと、別のことを考えた。
(そういや)
(俺のケッチ、どうなったんだろ)
あのバイク。
今頃どこにあるのか。
ねぇちゃん、価値わかんねぇだろうし。
適当に処分されたかな?
乗り物が唯一の趣味だったんだけどなぁ。
中でもケッチが1番付き合いが長かったんだが。
大河はパンの袋を丸めながら、小さく息を吐いた。
「……ま、考えても仕方ねぇ」
それより、今は。
ソーキそばの列が、やたら長いことの方が気になっていた。
*
大河がコロッケパンを食べ終えた頃。
「白川くん」
横から声。
振り向くと、朝比奈澪が立っていた。
手には弁当箱が入ってるらしき袋。
澪はそのまま大河の隣に腰掛ける。
大河はちらっと弁当を見る。
「今日、弁当なん?」
「うん」
澪は少し嬉しそうに言った。
「お母さんと一緒に作ったんだ」
「いいな」
大河は肩をすくめる。
「うちは母さん忙しいから」
少し考えてから付け足す。
「でも朝飯は、旅館みたいだけどな」
「旅館?」
澪が首をかしげる。
大河も首をかしげる。
「……旅館行ったことないけど」
「なんかイメージ」
「俺調べ」
澪が思わず笑う。
「何それ」
その時。
後ろから声。
「あー」
小春がニヤニヤしていた。
「大河が澪ちゃんとイチャイチャしてる」
「してねぇ」
即答。
そこへ霧島がトレーを持って現れる。
「ソーキそばゲットだぜ」
「ポ◯モンみたいに言うな」
大河がツッコむ。
霧島は得意げにトレーを掲げた。
湯気の立つソーキそば。
小春の目が輝く。
「タクちゃん、それ一口!」
「お前さっきいらないって言ってただろ」
「状況は変わるのです」
大河は小さくため息をついた。
(平和だな)
そう思った。
——————
夜。
駅前のイタリアンバル•ロッソ。
月曜だが店内はほどよく賑わっている。
バイト中の伊藤賢人はグラスを拭いていた。
奥のテーブル席。
スーツ姿の男が三人。
酒も回り、声も少し大きくなっている。
一人がグラスを揺らしながら言った。
「聡美の件、驚いたな」
もう一人が肩をすくめる。
「まぁ、アイツ最近いろんな男つまんでたみたいだからな、恨みでもかってたんだろ」
三人目が、ふっと笑う。
それから、向かいに座る男を見る。
「直也、お前じゃないよな」
一瞬だけ間。
男――直也が鼻で笑う。
「バカ言うな」
「俺はもうすぐ金持ちの娘と結婚だぞ」
テーブルに軽い笑いが起きる。
昨日のニュース。
松田聡美。
まあ、驚きはした。
けど。
賢人の中では――
ちょっと面倒なことになったな
その程度だ。
関わるのは御免だ。
テーブル席。
一人の男がワインを口にして笑った。
「死んでくれてラッキーだわ」
直也と呼ばれる男だった。
「マジで?」
隣の男が呆れた顔をする。
「お前さぁ」
「ろくな死に方しねぇぞ」
直也は肩をすくめる。
「いやいや」
「これで心おきなくセレブの仲間入りだ」
「どういう意味だよ」
「面倒な女が消えたってこと」
テーブルは笑い声。
カウンターの中で、賢人はグラスを棚に戻した。
(感じ悪っ)
心の中で思う。
でも、すぐにどうでもよくなった。
正直。
賢人からすれば――
三十過ぎのセフレが死んだだけだ。
問題はそこじゃない。
(俺のLINE…消してるよな)
(動画も……)
そこまで考えて、賢人は小さく舌打ちする。
(あー…めんどくさ)
賢人はグラスを棚に戻しながら、その会話を聞いていた。
(聡美さん…)
少し面倒な気分になる。
テーブルではまだ話が続いていた。
直也がワインを一口飲む。
「聡美、昔は誰にでも股開く女じゃなかったんだけどな」
少し笑う。
「SEXはめちゃくちゃ好きな女だったけど」
それを聞いた男が吹き出す。
「そりゃ、お前のマグナムのせいだ」
ドッと笑いが起きた。
カウンターの中から、賢人はちらっとそのテーブルを見る。
賢人はふと顔を上げた。
男を見る。
そして思い出す。
聡美が言っていた言葉。
――あの人さぁ
――SEXだけはやたら上手いのよ
賢人は少しだけ口の端を歪めた。
(……こいつか)
心の中で呟く。
(あのおばさんが言ってた男)
賢人はすぐ視線を外した。
(どうでもいいけど)
*
店のカウンター、端の席。
男が一人、静かに食事をしていた。
この店で、最近よく見かける客だ。
年齢は三十代半ばくらいから、後半くらいか…。
目立つ格好ではない。
落ち着いた様子で、ナイフとフォークを動かしている。
テーブル席の笑い声が、店内に響く。
男はちらりとそちらを見る。
すぐに視線を皿へ戻す。
ワインを一口。
そして、何事もない顔で料理を口に運んだ。
店の入り口が開き、数名の客が入ってきた。
———————
カウンターの端の席。
男は静かに食事を続けている。
ナイフとフォークが、皿の上で小さく音を立てた。
視線は皿に落としたまま。
だが、耳はテーブル席の会話を拾っていた。
(伊藤賢人)
心の中で名前をなぞる。
しばらく監視していた。
松田聡美。
あの女を裁いた理由も――
そこにある。
今回は少し見切り発車だったか、とも思った。
だが。
どうやら間違いではなかったようだ。
テーブル席の笑い声。
「直也、お前じゃないよな」
男はグラスを持ち上げる。
ワインを一口。
(この直也という男…..)
心の中で名を刻む。
この男も。
対象かもしれない。
一方で――
(伊藤賢人)
まだ学生。
男は静かにフォークを置いた。
(とりあえず)
(執行猶予を与える)
(人はよく言う)
(人を裁くのは神の役目だと)
(違う)
(神は裁かない)
(ただ見ているだけだ)
ワインを一口。
(だから)
(代わりにやっているだけだ)
店内には、ただの夜の時間が流れていた。




