おばあちゃんと魔女 第5話
ぶつかり合うガラクタの音も、吹き荒れる風の音も吹き飛ばされて聞こえなくなり、代りに優しく暖かい声は光の向こうからあたしの耳へと届く。
「さんねんかん」
どんなに眩しくてももう目が逸らせない。
「ほんとうによくがんばりましたね」
「おばあちゃんっ」
「おーきゅ・はんどれっどのかがやかしいみらいを」
これってつまり読み上げることで、また次の魔法を呼び出そうとしているんじゃあ。証拠におばあちゃんの声が響くたび、書かれていた文字も手紙も光の中へ溶けてゆく。
「こころよりおいわい」
「受け取りにきたよっ。もっといろいろあたしに教えてっ」
「もうしあげます……」
手紙が消えてた。吸い込んだ光もきっかけに力をなくしてゆく。なくして鉄クズの塊と膨れ上がった「鍵」の中へ縮んでいった。
カチャリ。
果てに聞えたのはそんな音。
鉄クズの中から再び強い光は放たれる。ガラクタの隙間をぬうと幾筋もの矢になって、暗がりを切り刻むと四方へ散った。まだ足りないと強さを増して、もう眩しすぎて直視できない。あたしは顔の前へ手をかざし、指の隙間からきつく細めた目で鉄クズを睨みつけた。なら真っ白い光の中にそれはシミかと浮き上がってくる。次第に大きくなると、やがてゆっくりこちらへ向かい歩み寄ってくる人影へと変わっていった。
おばあちゃん。
そうだとしか思えない。賢明なおばあちゃんは魔法が費える間際で命と引き換えに、この魔法を仕込んだに違いなかった。そしてあたしに託した。
でも。
思わずにおれなくなる。
どうしてそれが月のスクラップ工場なの?
いぶかるあたしの前へそのとき、光の中から影はぽーん、と飛び出してくる。
「ぱんぱかぱーんっ、ぱんぱんぱん、ぱんぱかぱーんっ。オーキュ・ハンドレッド様、ご卒業、おめでとうございますうっ」
からの、能天気な掛け声。
「この華々しき門出をわたくしが全力で、あ、お祝いさせていただきまするぅっ」
ぱっ、と開かれた手が突き出されて、それ、スクラップの山にあった物よね、傘かとパラボナアンテナは振り上げられた。
「はっ。ほっ。よよいの、よい」
掛け声と共に繰り出されるのは片足飛び。傘を肩に右へ向かってトントントン。かと思えばくるり傘を振り回して左へ向かいトントントン、と跳ねてゆく。
「ほいっ。ほいっ。ほほいの、ほい」
目で追うあたしの口はあんぐり開いたまま。紙吹雪のつもりかぱあっ、とまき散らされたネジを真正面から浴びていた。
「ちょっ、あいた。たたっ」
そう、光の中から飛び出してきたのはおばあちゃんなんかじゃない。ガラクタで組み上げられた二本足のロボットだった。そのロボットはラジオのスピーカーがついたアゴをカクカク揺らしてここぞとばかり、見得なんて切っている。
「はっ。あっ、おめでとう、ございまするうぅっ」
赤、青、黄と、胸で点滅するライトが眩しい。
その。
えっと。
あっと。
うん、んん?
どうしていいのか分かんないよ。
「おや、どうされましたオーキュ様」
そんなあたしの顔を、カメラのレンズらしい目の絞りをジコジコいわせてロボットはのぞき込む。だからこそ思い出すのはマギ校で訓練してきた日々で、あたしはとにかく冷静を失わないようありったけの力で集中した。
「あなたは、誰……」
他に言うべきことが分からない。するとアンテナの傘を放りだしてロボットは、直立不動と背筋を伸ばした。
「これは申し遅れました。わたくしはオーキュ様をお世話するため、カイロ様の魔法により組み上げられました、見ての通りのディスポロイドでございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
一礼、繰り出す。拍子に頭から何か部品が飛び出したようだけど、ちょっと今は関わりたくないな。
「ナニソレ……」
だって聞いてないし、想像だってできてないもの。なのにロボットはまるでこちらのことを分かってない。
「ご安心を、オーキュ様。カイロ様の御意思は、わたくしがしっかり継がせていただきました」
自信満々に言ってみせる。
「あたしはてっきり……」
きっと役に立つでしょう。
おばあちゃんの残した言葉が頭の中を回る。
そういうことなの、おばあちゃん?
とにかく無理やりにでも飲み込んでた。おかげでようやく大事なことに気づきもする。
「代わりに……、そうよ、代りに大事な手紙が消えちゃったじゃないっ」
あれはおばあちゃんの最後の呪文で、最後の手紙だったのに。握った拳も行き場を失くしてわなわな震える。
「はぁ、まぁ、呪文は唱えねば、わたくしは組み上がりませんでしたからねぇ」
「知ってたら……来やしなかった」
絞り出した。
「てっきり命の扉を開く魔法だって」
今さらとんでもない失敗をしてしまったと思うけど、もう取り戻せない。
と慌ててあたしへぐい、と身をすり寄せてきたのはディスポロイド。スピーカーの前で人差し指なんか立てると、レンズの上に片方だけついた眉毛みたいな部品をひそめてみせる。
「お静かに。そのような呪文の名を大きな声で口になさってはいけません。誰がどこで聞いておることやら」
わー。
もう気が狂いそう。
「ここに誰がいるっていうのっ。夜だしっ」
だのにディスポロイドは、もうすっかり声を弾ませてる。
「でしたらオーキュ様、なおさらぼやぼやしてはおれません。魔法使いの資本は体でございます。他の魔法使いの皆様同様、本日はもうお休みになられて、明日から元気にまたお勤めに励みましょう。虚弱で不健康な魔法使いに出番などないのですっ。アッ、一に健康、二に体力。三四がなくて五に品位でございますっ」
おイチ、ニ。おイチ、ニ。
振り上げた腕を曲げては伸ばし、曲げては伸ばし、お説教なんて繰り出したかと思えば左耳の位置にあるダイヤルへ指をかけ、やおらぐるぐる回しだした。回しながら空を見上げて「おや」なんて首をかしげる。その後で、じっとりあたしへ振り返った。
「まだお勤め先は決まっておいでではなかったのですか」
つまりはこういう事のよう。
「……あなた今、あたしの個人情報をのぞいたのね」
一体どういう構造なんだか知らないけれど、耳のダイヤルはインターネットと繋がっているみたい。ディスポロイドも大当たりと、はっはっは、なんて笑ってる。
「なにを、なにを。大丈夫でございますよ。わたくしはカイロ様よりオーキュ様の全てを知る権利を与えられておりますから。しかしこれは困りましたな。お勤めが大変だろうからとお世話をいいつかっておるのに」
っていうか、その権限はあたしが与えるものですってば。なのにブツクサ言ってまたぐるぐる耳を回し始めたディスポロイドは、今度は「なんとっ」と大声を上げて跳ね上がった。
「あのボルシェブニキー魔技校をオール五でご卒業されておられているというのに、プー太郎なのでございますかっ」
うん、調査の腕はいいみたい。ものすごい嫌味と共に理解する。
その後も天を見たり肩を落としたり、ディスポロイドはとにかく忙しい。片方だけの眉毛をヒクリ、持ち上げたかと思えば、しげしげあたしを見回していった。
「それは出し惜しみ、でございますか」
んなわけ、ないでしょ。
「違いますっ。あたしはそんなにケチ臭い人間じゃあありませんっ」
「ああ嘆かわしい。ではどうしてこのようなことに」
吐けないのにため息を吐きだす様が大袈裟で、吐いたディスポロイドは「あう」とそれきり全身全霊、うなだれた。
こんなのをよこすなんて、きっとおばあちゃんは病気のせいでどうかしてたに違いないと思う。それもこれもあたしが一度も会いに行けなかったせいかもしれなくて、後悔が津波みたいに押し寄せた。でも我慢してでも卒業する方が、あの時はおばあちゃんが喜んでくれると思っていたのだもの。おかげでもうおばあちゃんの顔を見ることはできず、つまりこの問いに正解なんてありはしなかった。
「……そんな気分に、なれなかっただけよ」
あたしは視線を落とす。
なぞるディスポロイドがカメラのピントを合わせなおしてた。
「それではわたくしがオーキュ様にぴったりの働き口を探してごらんに入れましょう」
からの、耳をぐるぐる回すまでの早さったら電光石火。
「なんのなんの、お時間は取らせませんよ。そもそもオーキュ様ほどの魔法使いであれば引く手あまたなのでございます」
たちまち「ほうほう」「はあはあ」悦に入った声を上げ、名だたる大企業や新進気鋭のベンチャー企業に、福祉や医療のなんたらかんたら、あーたらこーたら、よくもそれだけと思える働き口をあたしの前へ並べていった。
「さあ、よりどりみどりでございますっ」
けれど選ぶ気になんてなれやしない。
だからここへ来たっていうのに。
あたしはスクラップ工場を抜け出していた。
離れないディスポロイドは、そんなあたしの前に後ろにガチャガチャと、あれこれ言いながらついてくる。
「もう、おばあちゃんの言いつけだか何だか知らないけれどっ」
それは町まで戻ってきた時のこと。たまらずあたしはディスポロイドへ声を上げていた。
「心配は御無用。仕事なら、もうあたしが自分で取っていますからっ」
もちろん仕事とはこの旅費を稼ぐためだけに引き受けたお届け物のことだけど、この小うるさいディスポロイドを黙らせるにはちょうどだとしか思えない。するとディスポロイドはさっ、と猫背になって、またヒソヒソ耳を回し始める。思っていたよりも早く荷物を募ったSNSを見つけると、「ほおおお」と奇声を発しながらあたしの元へ駆け戻ってきた。
「なんとご立派なっ。まさかご開業なされておいでだったとはっ」
ははーん、信じたわね。これであたしが勝ったも同然。
「ええそうよ。魔法使いの便利屋ってところ。どう。オール五の魔法使いにうってつけのオールマイティな仕事でしょ。あたしが経営者なの。社員じゃなくて、社長なの」
反り返らせた胸で言い放つ。感動のあまり涙しているに違いないディスポロイドを見下ろした。
はずが、ディスポロイドは聞いてない。ってどういうことよ、もう。
「ほうほう。すでに新たなご依頼も二つ」
耳に手をかけ、もうあさっての空を仰いでる。
「では、ここは」
言う声が聞こえていた。
「こちら、ボディーガードの方をお引き受けいたしましょうね。……ぽち」
ぽち?
ぽち、って何の擬音。
まさか返事をしちゃったわけ?
あたしは毛を逆立てる。
「ちょ、ちょっとあなたっ。何、勝手なことをしてるのよぉっ」
だって新米だけれどあたしもれっきとした魔法使いの一人なら、魔法使い全体の信用を担ってる。引き受けたっていうのに無理でした、なんてたやすくお断りできやしないし、ましてや間違って引き受けちゃいました、テヘペロ、なんてずっともっとムリって成り行き。
急ぎあたしも端末を取り出して、荷物の募集を載せたSNSを開いてた。そこで目にしたのはディスポロイドの返信どころか、その返信に早くも既読マークがつく瞬間。
「ぎゃー」
アルテミスシティの夜は魔法使いも休んでとっても静か。宇宙はすぐそこにのぞいていて、その下であたしは叫び声を上げる。いったいどこにスイッチがあるのかしら。本気で電源を切ってやろうと考えるけれど、おばあちゃんの魔法が動かしているのだから、費えるまでは動くディスポロイドにそんなものなどありはしない。
「大げさな。大丈夫でございますよ、オーキュ様。ご覧ください。ご依頼主様はまだ十三歳のお子様でいらっしゃいますから」
むしろ元気溌剌、教えてアルテミスシティを歩き出す。
「ああ、オーキュ様の活躍が見られるかと思うと胸がわくわくしてまいりました。カイロ様も空から応援されておられることでしょう」
「ああ……。ああっ! もうっ信じられないっ」
しっかりしてオーキュ、こんなの魔法が消えるまで。一日、二日のことよ。そしてこれは何といってもおばあちゃんの最後の魔法で、とっとと呪文へバラして消し去ることができるとしても、もったいなくて寂しくて、やっぱり決心がつかない。
なら先ゆくディスポロイドがガチャリ、部品を鳴らして歩みを止めた。そこからあたしへ振り返る。
「なにをおっしゃいますか。ご安心くださいませオーキュ様。オーキュ様の右腕となってわたくしが、いかなる時もお支えいたしますから」