若き科学者と魔女 第4話
それは今にもほどけてしまいそうなほどボロボロで、元の色が分からないくらい色あせ黄ばんだノートだった。開けば何行にもわたる数式や図形が、これでもかってほど書きこまれて目に飛び込んで来る。全ては直筆で、だからこそ伝わる研究への熱意はあたしをクラクラさせるほどに凄まじくさえあった。
「祖父が行っていたのは次世代魔法ジェネレーターの研究です」
話すタイソン女史は、真逆ととっても愛おしそうにノートを見つめてる。
「それも驚くほど新しいタイプのものでした。実現すれば世の中は常識ごと変わってしまうでしょう」
なんて声は穏やかだけど、ちょっと待って。内容はけっこう過激なんじゃない。
「常識が変わる?」
アッシュも一変、眉間を寄せてる。
「お二人とも魔法を使われるなら、ジェネレーターのことは」
ノートから顔を上げたタイソン女史が、あたしたちをかわるがわるに見比べた。もちろん知っている、と答えてあたしとアッシュは先を促す。
そう、あたしはマギ校で習った通り月まで船を飛ばしてきたし、アッシュはブイトールを使っている。どちらも大掛かりで重量級の相手ならビリオンマルキュール級の魔法使いでなければびくともしないはずだけど、魔法ジェネレーターが間を取り持つギアボックスの役目を担ってくれるおかげで、ジェネレーターさえ動かせたならそれらを自由にすることができた。でなければ魔法使い不足は必至。世の中は回らなくなってしまう。
ただし、魔法ジェネレーターだって万能じゃない。大きなものを動かすにはジェネレーターといえどもやっぱりそれなりに巨大化してしまう欠点があった。結局、社会で活躍できる魔法使いの総数は増えても魔法使いたちは選別されることになって、だからボルシェブニキーが血を選ぶ名門校だと言われもするし、労働組合なんてものが発足してる。
タイソン女史が話すには、新しいタイプのジェネレーターはそこが違うってことだった。どんなに血の薄い魔法使いだって、理論上は持たない人だって、それはどういうこと? 使えばビリオンマルキュール級の魔法使いになれるらしい。
「マイクロマシン・ジェネレーター。特徴はその大きさにあります」
うん、意味が分からないわ。
「一つの大きさは砂粒みたいに小さくて、ですから使うため注ぐ魔法もごく弱いもので十分だというところに特徴があるんです。もちろんその大きさから、一つのジェネレーターで出来ることは何もありません。ありませんが、そもそもこのジェネレーターは単独では働かない仕組みなのです」
繰り出される話は初めて聞くものばかりで、あたしとアッシュは、きっとロボだってそう、間抜けと口を開いてしまってる。
「群れで目的のジェネレーターを組み上げ働くんです。プログラム制御でさらに大きなジェネレーターでも、それ以外のなんだって自由自在に。使えば血の濃さなど関係なくどんな魔法使いでもビリオンマルキュール級の魔法使いとして活躍できるのです」
そんな世界を見ているのか、言い切ったタイソン女史の瞳は夢見る少女と輝いてる。あたしたちはといえば頭の中でアメーバーみたいに形を変えるジェネレーターの塊をもてあまし、ついてゆけず瞬きばかりを繰り返してた。
「す、すご……、そう」
「ええ、祖父はそのプログラムとマイクロマシン・ジェネレーターの設計を担当していました。そこまで小さく出来たのも、いちど魔法を吹き込めばもう継ぎ足さなくていいよう改良できたからで、本来あったそれら部品をジェネレーターから省くことに成功したためです」
なんて聞いたとたん、あたしのボンヤリはにわかに晴れてゆく。
「おい、ちょっと待てくれ」
アッシュも同じみたい。
「それってもしかすると……」
察してうなずき返すタイソン女史に、悪びれた様子はない。
「はい。継ぎ足さなくていい祖父のジェネレーターは、一度、微量の魔法を吹き込めば永久に動き続けるジェネレーターです。その呪文はおそらく一緒に研究を進めていた魔法使いさんが開発されていたのだと思われます。私の名前で公表したのは祖父が担当していた部分を応用したしたもので、呪文もないならまだ永久には動きません。継ぎ足すための部分を削って小さくしているため、呪文は一度、吹き込んだきり。潰えれば終わる使い捨て程度のものです。それでも賞を取りました。注目は集まっているはずです。足掛かりにして祖父の代わりに本来品の実現を目指します。そうすれば世の中はもっと潤沢に魔法を使うことができて、それでいて魔法使いの皆さんの過重労働もなくすことが可能となるんです」
こんなに素敵な事はない。
タイソン女史は言っている。
あたしだってそう思えたらどんなに良かったろうと思う。でも現実はそんな程度じゃないはずだった。比べたなら魔法使いだからって、ポリスに疑われている方がマシだと思えてならない。
「噂はそいつだ」
パチン。
アッシュも指を弾いてた。
その後にあたしも続く。
「使い始めたらもう、魔法使いなんていらなくなる」
だってそのジェネレーターが一度、動き出せばもう次の魔法はいらない。プログラムで用途を変えることが可能なジェネレーターは、プログラムさえ操ることができれば十分だった。おかげで世の中はずっともっと便利で居心地のいい場所になるかもしれないけれど、魔法使いと持たない人の差は消えて、魔法使いの仕事は、こなすことで「魔法使いである」って誇は奪われてしまう。魔法が使えない今だからこそ、そんな危機はずっと身近に感じられて、あたしはあたしの価値が丸ごとなくなってしまう未来に、勤め先を決められないどころじゃない恐怖すら覚えた。
なんて心配のし過ぎだとしても、アッシュの追いかける噂とおり酷い企業がこれを手に入れたらどうなってしまうだろう。振りかざして魔法使いたちを脅し、弱い立場に追いやることだって簡単だとしか思えない。
「いや、そうじゃない」
でも目が覚めたみたいに瞬きを繰り返したのはアッシュの方。そうだろ、ってあたしへ振り返りもする。
「一人は残る」
わけが分からずいあたしは懸命に考えを巡らせた。
隣でポン、とロボは手を打つ。
「なるほど。残るのは最初にジェネレーターへ魔法を送り込む魔法使いだけでございます」
それが誰なのか、なんてもう聞かなくても十分理解できる。専用の呪文を知るのはいまや組んだ魔法使い本人だけなのだから。
「そんな……」
さっきまで柔らかだった表情をタイソン女史が強張らせてゆく。
「独り占めさせるためにコンテストへ出したつもりは」
「君のおじいさんが研究を発表せずにいたのは、だからじゃないのかな」
放つアッシュのウインクは、このときだけは嫌な気がしていない。
「この話、ポリスなんかにしていいの?」
いいえ、誰だろうと知られて公になれば、確かに世の中は今のままではいられなかった。あたしはアッシュへ眉を寄せ、そんなあたしへアッシュも苦笑いを浮かべる。
「残念だが、ジュナーはドラゴンに襲われてない。そういうことにしなきゃならないようだ」
「ええ結構よ。魔法使い全員の未来の方が大事だもの」
「一緒に研究を進めていた魔法使いが誰なのか、本当に思い当たる相手はいないのかな」
すぐにも仕事に取り掛かるアッシュは、しかしながら決して問い詰めたりするようなことはしない。
「シーよ、シーに決まってるわ」
「十三歳で、魔法も持っていないんじゃなかったのか」
だのに連呼するあたしへは容赦なく口をすぼめるってどういうことよ。
「探すなら祖父の部屋しか」
睨み合うあたしたちの前でタイソン女史がこぼしていた。
「でも部屋は地球なのでここでだとすると……」
再びその手がノートをめくり始める。
「サインだけです。確かどこかに祖父の字とは違う筆跡で書き込まれていて。それを見たからあたしはもう一人、研究に携わっていた人がいたんだと思ったんです」
ハイヤーエリアはすっかり暗くなってしまっていて、窓は元通りと透明へ変わり月面に張り付くアルテミスシティの夜景を豪華と横たえている。遮るブイトールの明かりは上から下へ、下から上へ、変わらず優雅に行き交うと、身近にこんな危機が迫っていることをまるで感じさせはしなかった。
「研究は本当に君のおじいさんと魔法使いだけで? 自宅にこもって出来るものだとは思えないんだけどね」
ページをめくるタイソン女史の指はまだ止まらず、見守り尋ねるアッシュへ「もしかしたら」とあごを浮かせる。
「お勤め先から援助は受けていたかもしれません。祖父は退職してからもアフトワブ社の技術顧問をしていましたから」
こんなところで出くわすなんて。瞬間、あたしとアッシュと目を合わせる。そう、アフトワブ社と言えばシーが使っていたアンドロイドの製造元。ならアッシュはきっとそのことで口を開きかけたのだと思える。遮りそのときポケットで、端末の呼び出し音は鳴っていた。ロボも耳へ指を突っ込むと、思い出したようにインターネットへもぐり込んでしまう。たちまち大声であたしを呼んだ。
「オ、オーキュ様っ。今、かさぶたの名前でサイトに書き込みがございましたっ」
なんてこと。
「一体なんてっ」
「ええと、でございますね。その……」
なのに冴えないロボはじれったい。
「その、じゃない、早く読んでっ」
「は、では」
改まってこほん、と咳払いするとロボはこうう言う。
「……もう、魔法で無理しちゃだめだよ、でございます」
「はぁっ?」
歪みに歪んだのはあたしの顔の方だった。上げた声は端末を耳へあてがっていたアッシュがうるさそうにもう片方の耳を塞ぐほどになる。
「あん、なんだって? 残留呪文が検出できない? まさか、昨日まで魔法で豪勢な屋敷が建ってたって場所だ。相当だぞ。そんなハズはないさ」
通話の相手はハップのよう。削って渡した塗料もそのためだったのね、とあたしは思う。
と、部屋の呼び鈴が鳴った。あたしと女史は背中を突かれたような具合で振り返る。
「出てきます。女史は先にサインを」
促すあたしにタイソン女史はうなずき返し、あたしはソファから立ち上がった。体操着だけど手早く身なりを整えなおし、細い廊下の向こうにあるドアへと向かう。
「どちらさまですか」
たどり着いたところでドアをそうっと押し開けた。
「お取込み中、恐れ入ります」
なんて聞こえてきたのは、なぜだがすごく知った声。
誰だったろう。
巡らせながらドアを開き切る。
「サインをいただきに、まいりました」
すべらかなボディーも艶やかと、アフトワブ社のアリョーカはそこに立っていた。