第16節:救いと死の秤
ミツキの腕の中で、ユナが目覚めていた。
「みっくん……?」
「ユナ。無事で良かった。痛いとことか、ないか?」
「おむねが、いたい……」
ユナの意識は朦朧としているようだった。
ミツキは躊躇った。
小さな子と言っても、他人の、まして自分が触ったり覗きこんだりするのは憚られる。
おそらくは手術の後遺症だろう。
今負った怪我などではないとは思うが、ケイカから事前に受け取っていたバイタルデータと、今、ユナからスキャニングしたデータを補助頭脳に照合させる。
『正常』
問題はなかった。
安堵しながらも、ミツキはユナに謝罪する。
「ごめんな、守れんで……怖かったやろ?」
「ううん……るーちゃんも、けーちゃんも、やさしかったよ……るーちゃん、いたいことするけどごめんね、って……」
不意に、ミツキの胸を痛みが襲う。
―――何で、と。
何で、こんないい子が0式コアを身に宿していた。
何で、人を思いやれるラムダが、ユナを拐った。
何で、俺は……この子を守ってやれなかった。
何で、今、俺たちは争わなければならないのか。
「俺は……」
ミツキは、『青蜂』の力でユナを潰してしまわないよう、優しく抱き締める。
―――俺は、一体、何をしとんねん……。
空しさが、ミツキの心を染めていた。
人間同士で下らなく争うために、訓練を重ねた訳ではない。
こんな事をするために、強い力を、求めた訳ではないのに。
仲間の三人が、パイルとラムダを追い詰める光景を、ミツキは見守る事しか出来なかった。
そして、ラムダの絶叫。
「ルナ……」
ルナたちのやり取りに意識を取られていたミツキは、不意に見えた爆発に我に還る。
あれは、参式の範囲攻撃。
「ッ……米軍が……!? 参式は人を殺せないんじゃなかったのか!?」
パイルの声に、合わせるようにさらに小規模な爆発。
そして。
『避けろミツキ!!』
不意に入った参式の通信に、ミツキは反応できなかった。
正確には、反応するより先にガラスが砕けるような高音と共に防御球が砕け。
腕の中に抱いたユナから凄まじい衝撃を感じて、彼女を取り落としそうになる。
見下ろした目に映ったのは。
たった今まで、健気に微笑んでいた少女。
ユナが、腹を横から貫いた弾丸によって、血を流している姿だった。
「あ……」
ユナの口から、吐息が漏れる。
「ユ……」
ミツキは一度、言葉に詰まり。
「ユナぁ――――――ッ!!」
自分が吐き出す声が、ひどく遠く聞こえるのを感じながら。
ミツキは彼女の、力なく開いた虚ろな半目を凝視した。
※※※
『ッユナ!』
ゆっくり地上に降りていくミツキの手の中で、血を流す少女を見た瞬間、ケイカはリリスから強制解殻して離脱した。
「ケイカ……ッ! Ψ、着装……!」
!焦った声を上げながらも状況に即応したリリスが、自身の装殻を身に纏うのを横目に、ケイカは駆ける。
「ユナ……ユナ……」
地面に膝を付き、力なく呼び掛けるミツキの腕の中にいるユナを覗きこみ、ケイカは彼女の首に手を触れた。
脈は、まだある。
後は、意識さえあれば。
―――お願い!
祈るように心でつぶやきながら、ケイカはユナに呼び掛ける。
「ユナ……私が見える? 名前を呼んで、ユナ! 私の名前を!」
ユナは、目は虚ろなまま天に向けている。
が、微かに手を伸ばそうとしながら、口が動いた。
「けー……ちゃ」
微かな、本当に微かな声が、耳に届く。
ケイカは。
その声に応じて、叫んだ。
自身を求める声に応える事が。
ケイカが、黒の肆号と成る為の唯一の手段なのだ。
「《寄生憑依》ーーーッ!」
間に合え、と、これほど望んだことがあるだろうか。
自身の肉体を、可能な限りの速度で解きながら、ユナに巻きつく。
一か八か、だった。
今まで、装殻者たちに合わせて形成していた外殻。
それは、ケイカ自身が制御出来る程度に力を、装殻者への侵食を抑えたもの。
今から行っているのは。
より深く装殻者の肉体へと同化し、〝ケイカが〟装殻者を操る技……。
寄生殻化する技だ。
「ぐぅぅ……」
それは、暴走と紙一重。
自分の制御化から抜け出し、際限なく同化を行おうとする流動形状記憶媒体の肉体を、必死に制御してユナの脳への侵食を抑える。
巻き付くと同時に、ユナの肉体は修復され、纏わるケイカを操る事に最適化される。
手術痕も、怪我も。
全てを飲み込み、ケイカ自身の利益のために、修復されていくユナ。
「ケイカさん……」
ミツキのつぶやきに、答える余裕もないままにユナを覆い尽くしたケイカの全身が、さらに成長する。
流動形状記憶媒体で手足を形成し、より、ケイカ自身に近いフォルムへと。
ケイカは、成し遂げた。
ケイカ自身であるフルフェイスは、さらに禍々しい角と顎を備えて、より生物的に。
有機的な外殻は、粘性を帯びた紫色。
爪は完全に指と同化して、鋭い五条の刃と化し。
腕に、足に、踵に、硬質なヒレに似た破壊刃を備えて。
背後には、薄羽の代わりに先端に毒針を備えた一対の触手が伸びている。
暴虐の化身ーーー肆号・強襲形態。
人生で二度目のその状態は、相も変わらず、ケイカの意思通りにはなってくれなかった。
「グルゥ……ミ、ツキ、くん……!」
「は、はい!」
消し飛びそうな意識を繋ぎながら、ケイカは、ミツキに言った。
「今から、わだしが装殻を解除、するまでの間……生き残って……ユナを助げ、で……!」
「え……?」
「お、ねがイ……今がら、この体が、わタしの制御をはなれ、るゥ、から。暴走……スル……!」
それが、ケイカの精一杯だった。
ケイカが内部に意識を向けると同時に、視界が閉ざされる。
もう、外の事を知る術はない。
ケイカは、ユナの脳を守りながら、自分の肉体をユナの体から引き剝がし始めた。
彼女の制御を離れた肉体は、解殻されるまで本能のままに暴れ狂うだろう。
だが、ユナを助けるにはこの方法しかなかった。
後は、仲間が生き残ってくれる事を信じるしかない。
以前、ケイカを手に入れようとした装殻者へと全力同化を行なった時には、相手を呑み込み、ケイカは寄生殻と化した。
暴れ狂う彼女を救い出したのは、共鳴し、手助けしてくれた黒の一号と、暴走するケイカを抑え込んだ参式、そして弐号だ。
脳までも食い尽くされていたその装殻者は、肉体の損傷も相まって、ケイカが剥がれると同時に死んだ。
完全同化した肆号の戦闘力は、参式と弐号をもってしても、傷つけずに抑える事が難しいほどのものだったのだ。
ケイカが自分を剥がし切る前に致命的な損傷を受けてしまえば、せっかく回復したユナは、結局死ぬ。
―――でも、ミツキくんと『青蜂』なら……。
ケイカとヤヨイの写し身として産み出した、あの
装殻を、ミツキが纏ったのは何かの縁だ。
彼なら、きっと耐えてくれる。
ケイカはそう信じて、自分との戦いに挑み始めた。




