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記憶の底  作者: 56号
21/26

第二十一話 決別


退庁前。

落ち着いた静けさを帯びた警察庁の廊下を歩く神谷と園部を、

上司・城山本部長が呼び止めた。


「園部君」


執務室の扉が閉まった瞬間、城山の声は穏やかに、しかし低く響いた。


「今回の潜入での大きな成果――大したものだよ。君の勇気に敬意を表する」


園部美也子は、少しだけ頬を染めて、頭を下げた。


「ありがとうございます。本部長」


だが、それはこの三人だけが知る任務だった。

渋谷道場への潜入、ハナ教会の資金スキームの発覚、

そして政府高官の関与を示唆する証拠。


表沙汰にはできない。

だが、消してはならない。


その狭間で、言葉を失っていた神谷が、つぶやくように口を開いた。


「……本部長」


その声には、わずかな疲れと――怒りにも似た不満が混ざっていた。


「すまんな」


城山は、真正面から神谷を見た。


「お前の“嫁さん”を、これ以上危険な任務には就かせない。

 ……これは私の決定だ」


園部が、わずかに目を見開いた。


「与党の大物が関わっている以上、

 もう軽々に突っ込める段階ではない。こちらに任せてくれ」


言葉は静かだったが、そこに上層部としての決意が滲んでいた。


「これは政治判断ではない。……生きて帰ることの方が、何より重要だ」


神谷は何も言わなかった。

言えなかった。

ただ拳を固めて、視線を落とした。


「安心してくれ。あとは、私の直属の捜査班が内定を続ける。

 記録も、人員も、全て密かに整えてある」


そう小声で、なおも周囲を警戒しながら言う城山の目は、

かつて現場で鳴らした刑事の目だった。


「これは長い戦いになる。……だが、必ず落とす。私が責任を持つ」


**


数分後。

廊下に出た神谷と美也子は、並んで歩きながら黙っていた。


言葉の代わりに、互いの歩幅がそろっていた。


「……課長」


「ん?」


「私、今夜は帰りたくないです」


美也子が、少しだけ小さく、でも確かな声で言った。


神谷は、ふと足を止め、彼女の顔を見た。


そこには、戦いを終えた者の疲れと、

それでも誰かと繋がっていたいという、静かな願いが宿っていた。


神谷は、何も言わずに頷いた。


その一瞬だけ、

庁舎の廊下は、確かに“戦場”ではなくなっていた。

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