第三十二話 ー燻り①ー
転がるランタンだけが薄らと照らす暗い赤岩の洞窟。その塞がった場所で歩こうと一足踏み出せば、カツーン……と音が鳴り響き、それは何処までも反響を繰り返して木霊していた。
「ここは……?」
藍色の髪の少女──スティリアは頰に一筋の汗を流す。その表情は困惑や、不安や、恐怖……様々な感情が入り混じっていた。
吹き抜ける風は死を感じさせる程に乾き、スティリアは思わず風の触れた頰に指先でなぞり、唇を震わせた。
『こちらへ来い、早く……』
「──!」
重苦しく、腹の底まで震え上がるような……声と呼ぶにはあまりにも、纏まりのない唸りのような声。波紋が広がるように窟内を反響し合い、何処から聞こえてくるのかも分からないような、低音。
少女は無意識に肩を跳ね上げさせ、膝を笑わせ、歯を鳴らし、足を閉じ、反射的に警戒の姿勢を見せるが、それはあまりにも頼りなかった。
「…………ぅ、あ……だ、れ……?」
放り出すようにして声を出したスティリアは、ハッとしたように口を噤む。
『早く……来い…………』
(わたしじゃ、ない……? えっ、あっ……なんで、足が勝手に…………⁉︎)
自然と、少女の足は運ばれていく。ズルリ、ズルリと、何かに足を引っ張られるようにして。
『来い、早く……‼︎』
「あぁッ‼︎」
唐突に、スティリアは見えない何かに引っ張られたかのように前のめりになると、転倒してしまう。
すると華奢な少女の身は洞窟の中へとズブズブと吸い込まれていき、身動き一つ取れなくなる。
「これ、は……⁉︎」
『来い』
自身の行動とは関係なく岩床に沈み込む様に、少女は驚愕する。先程から響く声は淡々としているようでいて、どこか苛立ちが含まれていた。
やがて、スティリアは無造作にドサリと。灰色の石畳の上へと突き落とされた。
「うぐっ……うっ……」
スティリアは痛みに堪えながらも、その小さな身を起こそうとする。
『よく、来た。我が眷属よ』
「──! あっ、うっ……」
祭壇の上──大きな牛の角、紅い瞳、赤く長い髪に、浅黒い肌を持つ筋肉質な男。蝙蝠の羽に、山羊の脚、竜の尾を持つ男は、結晶内部で眠りながらにして、口元を動かさず声だけを響かせていた。
その身の大きさは人と何ら変わりがないが、威圧感だけがあった。
『まずは跪け、頭が高い』
「あうッ‼︎」
立ち上がろうとしていたスティリアは、その一言で石畳に頰を擦り付けた。苦しげな表情で地に伏した少女をどこから確認しているのか、満足げに「それでよい」と声だけを響かせる。
「わたし、は……あなたの仲間じゃ──」
スティリアかそう言いかけた時、その華奢な体は完全に地面に突っ伏せられた。
「くッ……あァッ⁉︎」
『余が喋っておろう。それに──』
男は不快そうな声色から、心底疑問そうに……その言葉を紡ぐ。
『全ての生命は我より生まれ出でしモノ……。我が手足となりて、我が復活に心血を注ぐは当然の事なり。その身を捧げよ、我が血を色濃く継ぎし者よ』
「だれ、が……あなたなんか、に──ッ⁉︎」
スティリアはその身を跳ねさせた。苦痛からか、吐瀉物を口から吐き出させ、髪まで汚す。
「ああぁぁあああっ‼︎」
『……貴様が進んで働こうが働くまいが、関係などない。余の血を増殖させ、それを巡らせればそれだけで事足りる』
少女は苦痛を堪え切れないと言わんばかりに、熱せられた海老の如くその小さな身を丸めた。
(な、に……これ…………わたしの体の中、に……変な生き物が蠢いてるみたいな──ッ⁉︎)
肉体が痙攣し、血反吐を吐いてなお、その苦しみは治らない。
「たす、け、て…………」
『無駄だ、夢幻の世界に助けなど、存在しない』
少女の脳裏に浮かぶのは金髪碧眼の青年。しかし、響く声に触発されてか──キッと鋭い視線で結晶を睨みつけると、スティリアは紅く染まりだした目を押さえ、裂けた手をグッと握りしめた。
「わたしの、中から……出て、行ってッ‼︎」
スティリアの胸の宝石が、白い閃光を放つ。眩い光は何かの動物の胎内の如き禍々しい壁面を照らしあげる。
『無駄な抵抗を……グッ⁉︎ これ、は──』
──途端。少女の胸元から出た光に導かれるかの如く、淡い光の粒子がスティリアの上から降りかかる。
それは、スティリアの体を優しく包み込んだかと思うと、息も絶え絶えな少女の姿を、最後には消し去った。
遺跡にはポツリ、と。結晶体に包まれた男だけが残される。
『種は芽吹いた、焦る事はない。そうして……数千年、待ち続けたのだから──』
男がその声だけを響かせたかと思うと、祭壇を照らしていた結晶の光は暗闇に飲み込まれ、窟内を暗闇が支配する。
やがて、そこで語る者は誰もいなくなった。
***
「──ッ⁉︎ はぁ、はぁ……夢、なの……?」
スティリアは脂汗をビッショリと掻きながら、飛び起きていた。まるで今まで溺れかけていたかのように呼吸が荒く、肩が忙しなく動く。
「ここは……どこ…………?」
鉄のベッドに粗末な布団。必要最低限のものしか置いていない、鉄材で作られた簡素な部屋。通気孔からふわりと漂う風が、金色を揺らした。
「起きたか……良かった」
「ルエ、イン……?」
少女は……その金髪の青年、ルエインへと尋ねかける。まだ夢見心地なのか、その目はどこか焦点が定まっていない。
「ああ」
「あれ? わた、し……ッ⁉︎」
単調な声で答える青年に、スティリアは何かを尋ねようとすれば途端にその可憐な表情を歪ませ、苦しそうな顔で身を縮み上がらせて、額を手で押さえた。
「無理をするな。丸一日眠っていたんだ」
「……そっ、か…………」
スティリアはドサリと布団に横たわる。繰り返される呼吸は依然早く、浅く、荒い。
ルエインが席を立とうとその腰を持ち上げると、その袖は小さな手に掴まれる。
「もう少し、いて欲しいの……」
「…………皆、お前を心配していた。報告だけでも──」
「あなたと、いたいの」
「…………分かった」
青年は、再び腰を落ち着かせた。ギシリと軋む金属椅子が音を鳴らしてしばらく──部屋の中は通気孔から唸るような音だけが響く。
「わたし、ね……夢を見てたの」
「……どんな夢だ?」
ポツリ、と呟かれた言葉に、ルエインが問い返す。スティリアは徐々に落ち着いてきていたとは言え、その荒かった呼吸を整わせつつその藍色の目を伏せて、細腕で覆った。
「とても暗いところだったわ……。赤い、洞窟。地面に吸い込まれたかと思ったら、生き物の体の中みたいな場所にあった、遺跡にいたの。祭壇があって──そこに水晶に包まれた怖いヒトがいたわ」
「……そうか」
相も変わらない単調な返事。しかし、スティリアは気にしていないようだった。
「そのヒトにやられたのかな……身動き一つしなかったけど……わたしは手も足も出せずに屈服させられたわ。とても怖かったし、とても痛かった……夢だったのに、まだ感覚が残ってる感じがするの。体の中に何かが入り込んできてるみたいな……」
「…………俺には、何の話をしているのか分からない。夢と言うものを、俺は見た事がないからだ……」
ルエインは言葉を探るように考え込む。
「ただ──マルクなら、何か教えてくれるかもしれない。調べてもらおう」
「……うん。夢の話なのに、どうしても話したくなって…………ごめんね?」
気にするな。とルエインは首を振った。スティリアはぼうっと天井を見上げ、そこへ手を翳す。光を遮る
「結局……また助けられちゃったなぁ。いつも助けられてるから、今度こそわたしもって思ってたのに……」
「気にするな。それより……体はもう大丈夫なのか? 目の異常や、手の傷はポーションで治ったようだが──」
ルエインは言いながらにして、スティリアの手や目を見ていく。それを見たスティリアは「ふふふ……」と笑いながら、
「えっち」
「…………」
と一言。その表情には疲れが見えるものの、どこか幸せそうに。ルエインは……ため息をつく。
「真面目に聞いているんだ。お前に何かあれば──」
「あのね! わたし、大丈夫だから。もうみんなを呼んできても……いいよ」
フイッと顔を背けて。スティリアは通風孔を見つめながらそう言った。ふわりと髪が靡き、ルエインは一息つく。
「俺は……あまり人の事に聡い訳じゃない。こうだろうか……そう思う事はできても、他ならぬ本人にそうだ、と言われたらそう信じるしかない。俺は……お前を信じて、いいんだな?」
「………………うん、ごめんね」
何が、とは言わない少女。金髪の青年は諦めたように席を立ち、扉へと向かう。
……間も無く、金属同士が擦れた音を鳴らして扉がしまると、少女はポツリと、
「ごめんね、嘘ついちゃって……。でも、わたしの事はわたしがなんとかしなくちゃいけないと思うから……」
小さく、少女は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。やがて──しばらくすると、コンコンと鉄床を叩く足音が部屋に聞こえてくる。
「邪魔するぞッ!」
『お前いっつもそれやんけッ!』
銀髪の美女、ヴァレリと小動物のテレシア。
『マスター!』
「…………」
黒髪の少女、レイチェルの後方からルエインが何か物申したげに視線を逸らしている。
スティリアはニコリといつも通りに笑う。
「みんなも無事そうで良かったわ」
「良かったわ……じゃ、ないわい! 暴走なんてしおってからに!」
ヴァレリが眉間に皺を寄せて怒りを露わにすれば、スティリアは「ごめーん!」と悪ぶる様子もなく謝る。
「それで、体調はどうじゃ? わっちの馴染みの医者に見せたが問題はないと言っておったぞ」
「うん、もう大丈夫だよ」
えへへ、とピースサインを作っていつも以上に明るく振る舞うスティリアに、テレシアがピクリと耳を動かした。
『なぁ、ルエイン……』
「……俺も、気にはなった。しかし、答えてはくれなかった」
テレシアが言わんとせん事を察したのか、ルエインはそう受け答えをするのみ。テレシアは尾を一振りすると、
「……ほーか」
「ああ」
残念だ、と言わんばかりに声色を落とした。ルエインも似たような暗い声で、短い返事をした。
笑顔を絶やさずにヴァレリやレイチェルと語らう少女に、一人と一匹は目を伏せる。
「アイツは……辛い時ほど笑うな」
『本人気付いてへんかもやけどな。空元気なんバレバレやで』
チラリ、とルエインを見るテレシア。ルエインがその視線に気付くと、小動物は三回手招きをする。
青年が右手を下げて手のひらを広げると、小動物はトンッと床を蹴って飛び乗る。
『まあ……今のところ情報が無さすぎる。ほんまに危ないようやったらアンタがしっかりせなあかんで』
「それは……重々承知している」
ルエインはテレシアと語らう女性の輪へ向かい、足を運んだ。
「いつか……お前が心の底から笑えるように」
『──? なんか言うたか?』
青年は首を振り、「何でもない」と一言返すと、スティリアの元へと辿り着く。時間を気にする事なく、一同は取り留めのない話を語り合った。




