第十四話 散りゆく
見覚えのある戸を前に、佐保は大きく深呼吸をする。出て行った所に戻ること…正しい行為だとは思わなかった。しかし止まらなかった。そっと戸を開け梢を呼ぶ。すると梢は慌てた様子で佐保の前に現れた。
「佐保さん!!どうしたのその姿は!!薫さんは!?」
慌てて佐保の傍に駆け寄る梢。そんな優しさに、やっと止まった涙が再び溢れ出す。
「あぁ、あぁ、とにかく風呂を沸かすから、入って来なさい…!話はそれからです…!」
居間では梢がお茶を準備して待っていた。
「さ、これを飲みなさい。落ち着いてからで大丈夫、話を聞かせて頂戴?」
そう言われ、佐保は全てを話した。薫との出会い、佐保の家の事情、二人が追われて居たこと、ここまで二人の武士が連れて来てくれたこと、その全てを。そしてまた佐保は自分を責めた。そんな佐保を、梢は優しく優しく抱き締める。辛かったねと言って頭を撫でる。その優しさに、また涙が止まらなくなった。
落ち着いた頃、佐保は縁側で一人、庭の木を見ていた。一人で見るこの木がどうしようもなく寂しく見えるのは何故だろうと、回らない頭で考える。二人でまた見に来ると約束をしたことを思い出し、また悲しみに暮れる。
「……今日のお花、寂しそうだね…なんでだろうね………。」
そう呟いた佐保の隣には、もう誰も居なかった。
数日経った今も、佐保はまだ立ち直れないでいた。無理も無いだろう。目の前で最愛の相手が亡くなったのだ。しかも自分を守って。毎晩佐保は泣き続けていた。梢もその佐保を見ていられず外へ出ようと持ちかけていた。が、それも叶わない。縁側で静かに庭の木を眺める。 そんな時、肩を叩かれた感触に佐保は勢いよく振り返る。勿論、誰も居ない。
「………薫…様…?」
しかし確かに感じたのだ。薫の気配を。前に進めと、いつでも見守っているよ、と言っているような、そんな気配を。
「…駄目ですね、本当に…。」
自嘲気味に笑い立ち上がった佐保は梢を訪ねる。
「梢さん、髪を切りたいのですが…。」
梢は驚いた。しかしすぐに笑顔を向ける。佐保が自ら行動を起こしたのは、帰って来た日以来初めてだった。
「さぁ、終わりましたよ。可愛らしくなりましたよ。」
肩にかかる程の黒髪を、春の風が揺らす。
「私、あの人の分まで頑張りたいです。泣いてばかりでは…何も変わらないから。」
「佐保さん、貴方はとても強い人ね。大丈夫ですよ。貴方は変われます。」
「それでね梢さん、私決めたんです。この名前はあの人が良い名前だと言ってくれた名前、母が愛してくれた名前。だけど…私は追われています…だから名前を変えようと思うんです。」
梢に笑顔を向ける佐保。泣き続け腫れぼったくなった瞳には光が宿っている。
「お名前、決めたんですか?」
「はいっ!あの人が好きだと言った、私も大好きな…あの花の…!」
薫が亡くなってから患っていた病が日に日に悪くなり、布団の中で過ごすことの多くなっていた佐保。寝たきりになる前までは、あまり目立たないよう宿屋の家事全般をこなすようになっていた。しかしいつからか長時間立ち仕事をするのが苦になり、病を患っていることが判明した。判明してからはみるみる衰弱していき、今は一人で起き上がることも難しくなっていた。手厚く看病してくれる女将さんに何もお礼が出来ないことが心残りだった。
「もう…あの花を見るまでは…生きられそうにないですね…ふふ…残念。」
「そんなこと言うもんじゃありませんよ、大丈夫、私が居ますからね。」
そうだ、と枕元に置いてある簪を手に取る。
「梢さん、これ…梢さんにあげます…。私の一番、大切な物…。」
「そんな…縁起でもないですよ、あなたが持っていなさい?」
「今、私がちゃんと…話せる内に…大好きな…梢さんに、持っていてもらいたい、んです…ゴホッゴホッ!」
そう言って梢に笑顔を向けた。彼が好きだと言ってくれた笑顔。泣いてばかりの人生だったが、最期くらいは笑顔でいたいと心に決めていた。
「梢さん…大好きです…。ありがとう…。」
数日後、彼女は静かに息を引き取った。その表情はとても穏やかなものだった。




