第十三話 さいごの時
佐保を守るという意志だけで動いていた薫の体は、言うことを聞かなくなり始めていた。後から追いついてきた追っ手を合わせると五十人程は居るだろうか。終わることのない戦いに視界が歪む。何度も倒れ、何度も立ち上がり、多くの血が流れた。それでも薫は止まらなかった。その様子を見ていた佐保は、自分の非力さに泣いた。どうか薫を助けて下さい、そんな神頼みしか出来ずにいる自分が悔しかった。自分を守る為に薫がボロボロになってもなお戦い続けていることが、たまらなく辛かった。足手まといになっていることが、申し訳なかった。薫を失うことが…怖くて仕方なかったのだ。
「薫様…!薫様!もうやめて!逃げて…!!」
そう泣き叫ぶ。しかしその声は薫には届いていない。もう自分の血か返り血かも分からない、顔に付いた血を拭い、再び走り出す。
「薫様、薫様…!!」
「あんたは自分のことを心配しておきな…!!」
現れた一人の武士。その武士は刀を構え、佐保にジリジリと近寄った。佐保は後ずさる。声にならない声を出し、震える手を握る。それに気が付いた薫が足を引きずりながら動き出す。
「佐保!逃げろ!!」
「手間掛けさせやがって…死ね!」
佐保は降り下ろされる刀に、目を瞑った。そんな何も見えない状況の中、鈍い音だけが聞こえた。
「ぐ……う…!」
「かお……る…様…?」
目の前で肩を押さえる大切な人。佐保にはどうすることも出来なかった。薫はふらつきながらも刀を薙ぎ払う。それを避けた武士が刀を構え直す。薙ぎ払った拍子に薫は体勢を崩し前へと倒れ込んで行く。
「ははっ…!これは……!まず…いな…!」
「終わりだ!!」
ドス、という音と共に切っ先が佐保を捉える。薫の腹部を貫通した刃がもう一度、深く刺し込まれる。
「う…あ…!」
「薫様ぁ!!!」
佐保は両手で顔を覆う。見ていられないその状況に、泣き叫ぶことしか出来なかった。
「終わりだ、一人でよく戦った、と褒めてやろう。」
「………は……は…その………慢心が………死…を…招く…!」
薫は懐にしまっていた短刀を静かに抜く。
「ここ…までだ…俺も……お前達…も。」
鈍い音を立てて血が流れ出す。二人は崩れ落ちた。倒れ込んだ薫を佐保が抱き締める。
「か…おる様……嘘、ですよね…?助かり、ますよね…?」
止まることなくみるみる流れ出す血に、佐保の震えも止まらない。
「……さ…ほ………怪我……ない…………?だい…じょ………ぶか……?」
途切れ途切れのか細い声で語りかける。聞き慣れたその言葉。薫の虚ろな瞳には涙を流す佐保の姿が映っていた。
「傍に…居るんですよね…?私を…一人にしないで…!!」
泣き叫ぶ佐保の頰にゆっくりと手を伸ばす。その手は既に冷えている。
「佐保………愛…して…る…。笑え……俺…は………お前、の…笑顔…に……救われ…た…ん…………。佐保………………生き……ろ…。」
薫の手が力なく落ちて行く。
「う…そ…嘘…!薫様!!かお、る…さ…?」
とめどなく溢れてくる涙で、佐保の綺麗な顔は台無しだった。僅かばかりの温もりのある大切な人を抱き締める。安らかな顔だった。薫は、永遠に覚めることのない眠りについたのだ。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
佐保は泣いた。ただただ泣いた。泣いて、泣いて…泣いて。
「私…ずっと傍に居ます………そう、約束しましたよね…。」
陽が落ち辺りが静まり返った頃、佐保は薫の隣に横になる。静かに閉じた瞳からは、まだ涙が流れている。
「私…貴方が居ないと……。」
不意に薫の最後の言葉を思い出す。
ー生きろー
静かに目を開ける。そして薫の顔を愛おしそうに優しく撫でると、その唇に口付けをする。
「………さようなら…薫。」
自分までここで一緒に死ぬ訳にはいかないのだ。命を懸けて守ってもらったこの命、無駄にしたくはなかった。来た道を引き返す。今の彼女に頼れるものは、宿屋の女将…梢しか居なかった。
「助けて……梢さん………助けて…。」
そう小さく呟きながら歩き続けた。決して止まることはなかった。
そんな時、突然茂みから物音が聞こえ立ち止まる。
「…佐保様、ご無事でしたか…!」
現れたのは佐保の家の武士。
「迎えが遅くなり申し訳御座いません。」
「私共が命に代えても貴女様をあの宿屋までお送り致します。」
「貴方達……!」
目の前の二人が跪く。その二人は、かつて佐保が怪我の手当てをした者達だった。
「私共は…佐保様に救われました。それを、恩を仇で返すような行為など…!武士として恥ずべき行為です!他の者達は…旦那様に逆らえずに居ましたが…。」
「私共の行動はもう旦那様に伝わっているでしょう。時間がありません、急ぎましょう。」
佐保は二人に礼を告げると宿へ急いだ。街の門が見えて来る。ほんの数時間前に別れを告げたその場所は、何だか何年も見ていなかったように思う。
「さぁ、佐保様…私共はここまでです。私共がこれ以上動くと貴女様だけでなくその宿の女将にもご迷惑が掛かるでしょう。」
その言葉に佐保の足は止まる。振り向くと二人は深くお辞儀をしていた。
「後悔はしていません。貴女様を守れて本望です。」
「どうか、立ち止まらないで下さい。」
佐保はそんな二人に向かって、涙を流しながら深いお辞儀をする。そして何も言わずにその場を後にした。
足音が遠ざかるのを聞き、二人の武士は頭を上げる。二人が慕った女性の背中は寂しげで今にも崩れてしまいそうだった。そんな時、佐保が振り返る。そして…有難うと叫びすぐさま駆けて行く。その様子に二人は涙を流した。
「感謝を言うのは私達だ…。」
「さようなら、佐保様、どうか…お元気で。」
佐保の姿が見えなくなった頃、門から少し離れた木陰に、二人の兵士が横たわっていた。




