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3.地を這う鳥は空に焦がれる

【簡易人物紹介】

カイト・ビアス

 幼い頃、神聖王国が作った法によって翼を失った。それ以来、その“断翼”の様子を高みから見物していた神聖王国国王を強く憎むようになる。国王とその家族を殺すために騎士団に潜り込み、多くの功績上げ、花形である近衛騎士にまで昇りつめる。王女の指名により彼女の護衛騎士となり、復讐の計画は着々と進んでいくが……?


アイビス・ファロン・ファレル

神聖王国の王女。カイトを護衛騎士に任命する。無垢で何の汚れもない箱入り王女のように見えるが……?


 あれから――カイトが王女の護衛騎士となってから数年の時が経った。

 無邪気な王女に振り回されながら、カイトは護衛としての務めを果たしている。王女に懐かれたことも、騎士の身で軽口を叩けるほど親密になったことも誤算でしかない。情などとうに捨てたというのに、捨て切れないとばかりに不意にカイトの前に立ちはだかるのだ。


 変わっていく環境に、変わっていく関係。

 過ぎゆく日々は囚われた心までをも変えていった。


 望んでもいないのに。

 時間は残酷なまでに優しい。

 だから、砂のようにこぼれ落ちていこうとするそれを今、カイトは必死で繋ぎ止めている。



   ◇◇◇



 供も付けず、中庭に出た王女の背に声を掛ける。


「アイビス様、一人で外に出られては困ります」

「アルは同じことを何度も言うのが好きね」


 カイトの声に足を止めて振り返った王女は呆れたように言うが……心外だ。誰が好きで苦言を呈するというのか。

 王女の言葉にカイトは眉根を寄せた。


「好きではありません。いったい誰が言わせているとお思いですか」


 何が面白いのか、不機嫌そうな顔のカイトを見て王女が笑う。


「ふふ、ごめんなさい。だって、何も言わなくてもアルは付いて来てくれるでしょう?」


 王女から寄せられる全幅の信頼。それはあまりにも甘美で。

 思惑通りに進んでいると感じる度に復讐に燃える心がほの暗い喜びに満ちていく。

 それと同時に、王女の言葉はカイトのもう一つの心に甘い疼きをもたらした。なぜ王女の笑顔に胸が疼くのかなどは考えない。理由など、もうとうに知っている。


「万が一にでも、私が気付かなければどうするんです」

「万が一なら大丈夫よ」

「…………少し前に賊が入り込んだばかりです。もう少し危機感というものを持ってください」


 誰にも彼女を害させはしない。

 一瞬、そう考えてしまった自分を内心嘲笑う……カイトこそが王女にとって一番危険だというのに、とんだお笑い種だ。


「はいはい」


 適当な返事をする王女は楽しそうだ。そんな彼女に溜め息を吐いてみせながら、カイトは王女の後に続いた。

 目的の場所に着いたらしい王女が足を止める。どこに向かっているかを聞かず、ただ付き従っていたカイトはそこで初めて王女の目指していた場所を知る。


「ここは……」


 目的地は意外な場所だった。


「鷹舎よ」


 王女は一際豪奢な檻に入れられた鷹に視線を向ける。きらめく宝石に彩られた檻には絢爛豪華という言葉が似つかわしい。鷹舎の中でその檻は異彩を放っていた。


「……それは、アイビス様の鷹ですか?」

「ええ、レイヴン様にいただいたの」

「あの方がアイビス様に宝石以外のものを贈るとは珍しいですね」


 レイヴンとは王女の婚約者の名だ。

 派手好きで金や宝石ばかりを好む、あまり良いとは言えない趣味をしている。彼がカイトを敵視するように、カイトも彼を嫌っていた。


「鷹狩りにご一緒したとき、好きだと言ったのを覚えていたみたいね」


 王女が鷹を好んでいたとは初耳だ。

 鳥が好きなのだろうか。羽ばたく姿に多少の妬心はあれど、翼ある生き物はカイトも好きだ。同じものを好んでいることが少し……嬉しい。

 だが、彼女の好みを知って鷹を贈ったのが彼女の婚約者だという事実は面白いものではなかった。


「アイビス様が鷹を好まれていたとは存じ上げませんでした」


 復讐心を隠すためにも、カイトは常に平静を装っていなくてはならない。だというのに、王女の護衛騎士になってからというもの、凪いだ湖面のように静かだった心は些細なことで波立つようになってしまった。

 嬉しいだの、面白くないだの……憎しみ以外の感情がカイトの中から消えてしまえば良いのにとすら思う。今のカイトを生かしているのは憎悪だけのはずだから。


「ええ、別に好きじゃないもの」


 そんなカイトの心のうちも知らず、王女はあっさりと答えた。


「………………」

「もう、そんな顔しないでよ。誤解だわ」

「そんな顔とは、どういう顔です?」

「“好きでもないものを婚約者にねだったのか”って顔よ」

「アイビス様は読心の才をお持ちなのですね。さすがです」

「もうっ、ああ言えばこう言うんだから!!」


 無表情のまま言えば、王女は頬を膨らませて怒った。

 年のわりにはやや幼いその姿が可愛いと思うなど、終わっている。彼女は憎悪する男の娘で、いつかはこの手で命を奪う相手だというのに。


「言っておきますけど、私は鷹が好きってレイヴン様に言った訳じゃありませんから!」

「では、あの方の早とちりだと」

「そうよ。……私は鷹の飛ぶ姿を見て“あれが好き”って言ったの」

「その状況で好きだと言われれば、私でも鷹を贈りますね」


 王女が何を好んでいるかは容易に察せられたが、敢えてそう答えた。続く他愛ない言葉の応酬はカイトにとって好ましいものだったから。

 そう考えて、カイトは自分が王女とのひと時を楽しんでいることに気づく。


(楽しい……だと?)


 自分が何のためにここにいるかなど誰に言われなくともわかっている。あの日のことを一日たりとも忘れたことはない。……何を楽しんでいるんだと叱咤する己とは裏腹に、この状況に安らぎを覚え、もういっそこのままでも良いのではと――。


(止めろ! ……何を考えている、アルバトロス・ベイン。お前は何のために“アル”になった)


 解放されたいと考えることは、誇りを奪われて死んでいった多くの同胞たちに対する裏切りだ。まして、幸せになりたいなどと……許されることではない。数少ない生き残った有翼人であるカイトが復讐を遂げずして同胞たちが浮かばれることはないのだから。


「ごめんなさいね、言い方が悪くて!」

「別に、良いと思いますよ。むしろ、あの方の株が上がらなくて助かります」


 カイトがさらりと言葉を返すと王女の眼に熱が籠った。

 最近、王女からこういう種類の視線を向けられることが多い。これがどういった類の感情からくるものかわからないほどカイトは鈍くない。それでも、王女の心を利用しようという考えはカイトの頭にちらりとも浮かばなかった。逆に、カイト自身もこんな眼を――恋焦がれるような眼差しを彼女に向けているのではと怖くなる。


「……アル」


 偽りの名を囁く声には甘えるような響きがあった。

 この声に応えたなら、自分たちの関係は変わるのだろうか。


(いや、変わるわけがない。……変えてはいけない(・・・・)


「それで、その好きでもない鷹はどうなさるおつもりですか? 処分なら、命じて下されば私がしますよ。何なら、贈り主に突き返しましょうか?」


 変わりかけた空気を払拭するように、檻の中で大人しくしている鷹に目を向けた。


「それはさすがに……って、アルなら本当にやりそうね。“主は気に入らなかったようですので、お返し致します”なんて言って、レイヴン様に鷹をけしかけそう」


 カイトの真似なのか、王女はわざと顰め面をつくって言う。


「…………。……まさか」

「……返してくれなくて良いからね?」

「そうですか、残念です」


 二人の間に流れる空気が完全に元のものに戻ったことにカイトは内心ほっとした。

 カイトの意図に気づいているのかいないのか、王女には先程のことを追求する気はないようだ。カイトには彼女が自分の気持ちに気づいているかすらわからない。気づいていないのなら、気づかないままでいて欲しいと埒もなく願っている。

 素直な彼女のことだ。気づけば、その想いを伝えてくるに違いない。……カイトはそれを何よりも恐れている。


「元々、処分したり返したりする気はなかったもの。レイヴン様に返したって仕方ないでしょう?」

「一応、仮にも、婚約者相手に酷い言い様ですね」

「そういう意味じゃないわよ! 返しても別の人に贈られるか、それこそ処分されてしまうから……この()が可哀想でしょ。それにせっかくの贈り物だもの、楽しまないと」


 王女は檻を開け、カイトが何かを言う間もなく檻から鷹を解き放った。

 思わぬ自由を得た鷹はこちらを顧みることなく、元いた場所――空へと還っていく。

 王女もカイトも何も言わない。二人はしばしの間、空の青に吸い込まれるように小さくなっていく鷹の姿を無言で眺めていた。

 ふいに、王女が口を開く。


「――鳥は、良いわね」

「自由だから、ですか?」

「ええ、自由に空をかける様は何物にも代えがたいわ。――だから、鳥は自由でなくてはいけないと思うの」


 鳥を自由だと、そんな姿が好ましいと言う者は多い。だが、“自由でなくてはいけない”とまで言う者は少ないだろう。そう言い切った王女にカイトは少し驚く。

 鷹が飛び去った空をじっと見つめる王女の口調はいつになく強いもので。カイトがそっと窺い見た横顔はやや硬く、素直に感情を表す彼女にしては珍しい。そんな王女の姿からはどこか悲愴さすら感じられた。


「そうですね、あの翼は……空を飛ぶことは何にも勝る」

「アルったら、まるで空を飛んだことがあるみたい」


(……しまった)


 口をついて出た言葉は、偽りで塗り固められた彼の中の真実。

 もちろん王女の知る“アル”は空など飛べないのだから、飛んだことなどないと答えるべきだ。だが、どうしても……空を知らないとは言えなかった。今は飛べずとも、かつては誰よりも高く速く空をかけたことを忘れてはいないから。

 失言だったと後悔しつつ、カイトは話題を変える。


「アイビス様は自由でない鳥を見たことがおありですか?」


 王女は少し強引ともいえる話題の転換に目を瞬かせた。

 澄んだ瞳で真っ直ぐにカイトを見つめ、ややあって答える。


「今、見ているわ」


 何もかもを見透かすような王女の視線にどきりとした。


(…………っ)


 知っているはずがない。王女が“カイト”のことを知っているはずがないのに――なぜ、こんなにも胸が騒ぐのか。

 カイトの胸中など知らず、王女は言葉を続ける。


「あの()たちは檻から出られない」


 そう言って鷹舎にいる多くの鷹たちを指した王女に、カイトは強張っていた身体から力が抜けるのを感じた。

 どうやら鷹のことだったらしい。“自由ではない鳥”と言われ、真っ先に自分のことが浮かんだ己を自嘲する。あのとき復讐の道を選びここまで来たのは自分だ。誰に縛られるでもない自分が自由でないわけがない。


(ああ、でも……本当の自由は失ったのか)


 それは永遠に失われた。

 運命が変わったあの日、カイトの誇りとともに。


「でも、あの()たちは恵まれている方だわ。檻で囲われていても翼がある……まだ、飛べるんだもの」


 まるで、カイトの考えを読んだかのような王女の言葉。

 だが、不思議とカイトの心は凪いでいた。


「私ね、昔、鳥を飼っていたの」

「……それは知りませんでした。愛玩用のものを?」


 カイトが知らないということは、鳥を飼っていたのは3年以上前のことなのだろう。

 王侯貴族の間では美しい羽根をした鳥や綺麗な声で鳴く鳥を飼うことがステータスとなり得るようだから、王女に鳥を飼っていた過去があっても不思議ではない。……カイト自身は、鳥を鳥籠で愛でる行為は好きではないが。


「いえ、野生の鳥を。窓から見たその鳥が綺麗で……飛ぶ姿があまりにも美しかったから、何も考えず傍にいた侍女に一言“欲しい”と言ってしまったの」


 その先は容易に想像がつく。国王は愛娘のために張り切ってその鳥を捕まえたのだろう。


「私が手を伸ばしたせいで、あの鳥はもう二度と空を飛べなくなったわ」


 そう言い、王女は唇を引き結んだ。

 後悔の滲むその表情はまるで“そんなことは望んでいなかった”とでも言っているようだ。事実、当時の王女は鳥籠で鳥を飼いたいと思ったわけではないのだろう。

 彼女が欲しいと思ったもの……翼か空か、それとも自由か。それらはきっと王にだって手に入れられないものだ。


「風切羽、ですか」


 “やっぱり知っているのね”と王女は微笑んだ。

 その寂しそうにも悲しそうにも見える笑みに抱き寄せたい衝動が込み上げる。カイトは手をぐっと握り込んだ。爪が肉に食い込む。

 カイトが己を戒めている間も王女の話は続いた。


「風切羽を切られた鳥は飛べない。けれど、その鳥は空を諦めなかった――鳥籠から抜け出して、開いていた窓から飛び立ったわ」

「飛べない鳥は地に堕ちるのみです」


 空に還られないことに絶望しながら、最期のときがくるまで地を這って生きるのだ。……それが、翼をなくしたものの末路。


「そうね。私はあの鳥が地に落ちた姿を見ることはなかったけれど」


 王女の傍に仕える者は皆、見せようとしなかったのだろう。

 カイトでも彼女にそんなものは見せたくない。


「空をかける姿がお好きだったのなら見ない方が良い。あれは、ただ哀れなだけです」


 カイトの言葉に王女はただ微笑むだけ。いつもは太陽のように明るい少女が、今は儚く消えてしまいそうな雰囲気を纏っている。

 伸ばしかけた手を必死で押し留めた。また拳を握り込むと爪が皮膚を食い破る。手のひらが痛い。


「ここにいると、あの鳥を思い出すの」

「悲しいのですか?」


 その死んだ鳥を思い出して悲しいのだろうか。


「あのときはただ悲しかったけれど、今は悲しいと言うより悔しいのかも。無知だった自分が……今も無力な自分が、許せない」


 悔しそうに顔を歪める。今度は王女が手を握り込む番だった。

 しかし、そんな顔は彼女に似合わないし、カイトの職務は王女を害させないことだ。それはもちろん、彼女自身からも。

 王女の手を取り、そっと手のひらを開く。驚きつつも王女の身体から力が抜けるのを感じた。


「あなたが、鳥は自由な方が良いと、鳥を自由にしてほしいと望むなら……その通りにしますよ、アイビス様」


(だから……そんな顔、しないでくれ)


 復讐だとかなんだとか、そんなことは関係ない。


「――私はあなたの騎士ですから」


 だって、これは事実だから。


「鳥を自由に? それができたら素敵ね」

「では、命じてくださいますか?」

「ふふ、良いわよ。――この()たちを自由にしてあげて、私の騎士様」

「御心のままに」


 恭しく王女の前に跪いたカイトに命が下る。

 今はまだ王女の騎士だから――カイトはその命に従おう。彼女の身体も心も、いつか傷つけることになるそのときまで全力で守ってみせよう。






 がらんとした鷹舎。

 鷹舎の名に反し、今そこに鷹は一羽もいない。


「あはっ、あははははははっっ!!」


 淑女らしからず笑い転げる王女を注意することなく、カイトはしれっとした顔で告げる。


「喜んでいただけたようで何よりです」

「ふっ、ふふ……まさか、全部放しちゃうなんて」


 王女の命を受けたカイトは全ての檻を開け、中にいた鷹を一羽残らず解放した。途中から楽しそうにその作業に加わった王女も共犯だ。

 カイトと王女の暴挙に気づき、悲鳴を上げた鷹舎番は……今は地面と仲良くしている。彼は目覚めたときもう一度悲鳴を上げることだろう。


(さて、これは問題になるかな)


 鷹舎の鷹は国王の所有物。

 それを国に仕える騎士が逃がしたなんて、普通に考えて大問題だろう。だが、逃がしたと言ってもたかが鷹だ。囚人や馬ではない。

 カイトが唆したとはいえ、王女も手伝ったし……そもそも王女の命で逃がしたわけである。それだけで、愛娘に甘い国王は怒るに怒れない。娘に嫌われたくないと豪語する父親が娘のお気に入りである騎士(カイト)だけを罰するということもないだろう。それはカイトも王女もわかっていた。


「痛快でしょう?」

「そうね、――痛快だわ」


 王女は明るい笑みを見せた。

 それは、かつて空をかけていた頃に見た太陽に似ている。


「大好きよ、アル」


(俺も好きですよ、アイビス様)


 王女が読心の才を持っていなくて良かった。

 カイトは自分の心を押し殺し、何の感情もこもらない笑顔で応える。


「――身に余る、光栄です」


 王女が浮かべた寂しそうな笑みには気づかぬふりをした。





 王様の鷹を逃がしちゃうとか、普通に考えて重罪なので良い子は真似しないでね。

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