転-1.戸惑い
ずっと仮面を着けて素顔の分からなかった槐君。
奈落の民だと思っていたけど、朧さん達のような紅い瞳ではなく、澄んだ若竹色の瞳だ。
「――よくも僕の仮面を……」
眉をつり上げ煌を真っ直ぐ睨み付ける槐だったが、地面に落ちていた仮面をサッと拾うと、素早く木の上に飛び移る。
いつもなら煌が真っ先に反応するはずなのだが、ビックリした表情のまま固まってしまっていた。
「槐君!」
「…………」
ヒナタの呼び掛けにチラッと視線を向け、少し去りがたいような表情をうかべたが、そのままあっという間に槐は森の奥へと姿を消す。
「……マジかよ」
「……」
すっかり拳の火が消えて唖然としていた煌は、ポツリと呟き、槐が去った方角をいつまでも見つめていた……。
***
――――朧の屋敷では、仮面が割れて少し経った頃、何かに反応した朧がいた。
「……」
スッと立ち上がり、目を細めながら静かに畳の上を歩き出す。
薄暗い部屋をゆっくり移動し障子に近付くと、触れてもいないのに勝手にスルスルと開いていく。
そのまま縁側まで進むと、何かを探しているように辺りを見回した。
庭には、屋敷の門に続く一本の道に沿うように、一面彼岸花が咲き誇り、そよ風に吹かれて揺れている。
「……何故……」
しかし朧は花以外何もない庭に向かってポツリと呟くと、右手を前に出して小さな声で何かを唱える。
すると空間がフワリと揺らぎ、庭の中に森が現れると、木々のざわめきが聞こえる中、朧はじっと空間を見つめた。
「――――入れ」
「っ!」
揺らぐ空間から僅かに声が聞こえる。
「――――何故結界の中に入って来れなかった?」
姿が見えぬ相手に続け様に問いかけると、木の影からゆっくりと槐が姿を現した。
額からは血が流れ、手には二つに割れた仮面。
申し訳なさそうな表情をしながら庭に入ると、すぐさま片膝をついて頭を垂れる。
「……申し訳ありません朧様っ!」
「……仮面が、割れてしまったのか――――」
朧は悲しげな表情で割れた仮面を見下ろすと、スッと手を差し出した。
「仮面を……」
「は、はいっ!」
差し出された手に慌てて仮面を渡すと、朧はじっと見つめて軽く首を振り、“駄目か……”と呟く。
そのまま頭を垂れている槐に視線を戻し、また悲しげな表情をうかべる。
「……朧様っ、あの……」
「――槐」
「は、はい!」
「…………お前はここには居られない。すぐにヒナタの傍に行くんだ」
「!?」
朧の言葉にバッと顔を上げた。
その表情は悲しみに満ち、今にも泣き出しそうである。
「朧様からお借りしていた仮面を、壊してしまった事にお怒りなのは分かります! ですが、僕は朧様の傍を離れたくありません!」
槐は朧にすがりつかんばかりに近付くと、深く深く頭を下げるが、朧は首を横に振る。
「お願いです、朧様っ……」
「駄目だ」
「何故ですかっ……僕が人間だと守護者に気付かれたから――――僕が“人間”だから……」
「――――――そうだ、お前が人間だからだ」
「!」
槐が絶句して顔を上げると、朧の表情はすでにいつもの無表情になっていた。
「……行け。ここには、戻って来るな」
「――っ朧、様っ……」
きつく閉じた瞳からはついに涙があふれ、地面に一つ、二つと、染みが出来る。
「……っ!」
頬にも涙が伝うが、歯を食い縛って強く両手を握る。
そして、振り切るように朧に背中を向けると、森へと続く空間に身を投じ、後ろを振り向く事無く走り去って行った。
「…………。…………?」
朧は走り去って行った槐の背中を見つめていたが、ふと何かに気付き、自分の手に視線を向ける。
「……槐」
――――朧の右手は僅かに上がり、空間へと伸ばされていた。
***
「――――つまり、アイツ以外にもこの世界に来て、堕ちていなかった人間がいたという事か」
「……おう」
「……」
「……」
館の一室に守護者の四人が集っていた。
昴はカップを持ち上げ、コーヒーを一口飲むと、ボーッと窓の方を見ている煌に目を向ける。
「……確か、新参の奈落だったな」
「……おう」
「……ちゃんと聞いてないな」
「……おう」
昴の眉間にシワがよると、その様子を見ていた朔が口を開いた。
「先程、ヒナタさんが怪我をしていましたので治しましたが、あの怪我は貴方が原因ですね?」
「……おう」
氷のような雰囲気に気付かず、上の空のまま同じ返事をした瞬間、蛍の手に鎌が現れて、刃が煌の目の前でギラついた。
「――――――って、な、何だ!? 何で鎌を向けてくんだよ!?」
「ヒナタの怪我、煌なんでしょ? じゃ、切られて」
「な、違っ、いや、――――――俺か?」
「少々火傷していましたので、貴方でしょうねぇ」
冷や汗をかきながら頭を捻っていたが、朔の言葉に観念したように肩を落とす。
「うっ……悪い……力を加減しなかった」
「だいたいの状況は、さっきの話で察しがつく。だが、力の使い方を間違えれば守る者さえ傷付けてしまう。よく覚えておけ」
昴の重みある言葉に、気まずそうにしていた煌がゆっくり頷く。
「あぁ……後で謝っとく……」
「その方が良いですね。昴様、今日はもう休みましょう。煌がこの状態ですので、詳しい話は後日でよろしいでしょうか?」
「あぁ、それで構わない」
話が終わって皆が立ち上がると、煌が何かを思い出してハッとした表情をする。
そして明らかに別の理由で顔を青くして、冷や汗をかき始めた。
“この状態で言うのか? いや、言わなかったら、それはそれで殺される”と、ブツブツ言い三人を見る。
「どうした?」
昴が煌の異常な様子に気付き足を止めると、蛍と朔も何事かと振り向いた。
煌は降参するかのように、両手を肩の位置まで上げてか細い声を出す。
「結界が張り終わるまでアイツは、俺の……部屋で……寝ます……」
シーンと静まり返る部屋の中、煌はプルプルと震えて、思考回路が停止した三人を見つめる。
『………………はぁっ!?』
ぴったりと息が合った三人の声に、煌の緊張感はピークに達して爆発した。
「俺のせいじゃないからな!? 睡蓮が蛍は最初から危ねぇからダメって言ったし!」
「何それ、煌、やっぱ死んで」
煌の言葉に蛍が顔をひきつらせながら、もう一度鎌を構えて振り回し始める。
「蛍、やりすぎで――――」
「うわぁっ!? 落ち着け蛍! 大丈夫だ! さ、朔が今一番危ないらしいから!」
「何ですって? ……実に正しい。ですが、ムカつくので……蛍、やっちゃって下さい」
最初は止めようとした朔だったが、煌の言葉に考えを改めて、いい笑顔で許可を出す。
「何でそうなるんだよ! そもそも昴のテリトリー意識が高いせいで、俺しかいなくなったんじゃねぇか!」
「――――蛍、殺れ。許可する」
「ラジャー」
「ギャー!」
青筋をうかべた昴が命じると、蛍はノリノリで敬礼をし、満面の笑みで鎌を構えて煌に振り下ろした。
部屋の中は一気に騒がしくなり、廊下まで声が響く。
「……」
部屋の外には、今まさにノックしようとしたヒナタが固まっていた。
うん、また後にしようかな。
今は皆、忙しいみたいだし、ね。
そうだ……布団は後で朔さんに相談するとして、枕や毛布ぐらいは持って来なきゃ!
軽く現実逃避をすると、ヒナタはクルリと向きを変え自分の部屋へと向かう。
一番奥が昴さんの部屋、その隣が私、そのまた隣が部屋を移動して来た朔さんの部屋。
煌君の部屋はどちらかというと階段に近いかな?
蛍の部屋は煌君の前だったね。
それぞれの部屋を通過しながら場所を確認しつつ、自分の部屋の前まで来る。
しかし、ノブを掴んだヒナタは表情を曇らせた。
……駄目だ、気をまぎらわそうとしても考えちゃう。
槐君大丈夫かな…………。
溜め息をつきながら“ガチャ”と扉を開けると、風になびくカーテンが目に入る。
あれ? 帰って来た時は窓は閉まってたのに何で?
首を傾げながら窓に近付くと、ある事に気が付き足を止めた。
――――――窓の縁を伝う赤いモノ。
それは点々と床にも染みており、部屋の隅へと続く。
明らかに何かが侵入した気配に、ヒナタが恐る恐るゆっくりと染みを辿って行くと、タンスと壁の間にうずくまって震える人物を見つけた。
「……よかった」
「っ!」
ヒナタの声に侵入者はビクリと肩を震わせる。
床には血溜まりができ、服は木の葉と土汚れでひどい格好であったが、ヒナタは構わず震えている体を抱きしめた。
「心配したよ――――――槐君」
「…………うっ、うあぁっ……」
「大丈夫、大丈夫だよ。私、ここに居るよ」
そう言って、泣いているであろう槐の背中を、ヒナタはいつまでも優しく撫で続けた……。




