結-2.七分咲き
わずかにうかぶ額の汗を拭い、ヒナタは満足な表情で椿の木を見上げる。
うん、とっても綺麗になったし、椿さんも気持ちよく過ごせるよね。
これからは定期的に掃除しないと……すぐに落ち葉でいっぱいになっちゃうし。
回りを囲む木々を眺めた後、チラリとのぞく空を見る。
いつもの黄昏が少し暗い。
それもそのはずで、蛍が封印を解いた時は、端が暗い夜空に染まり始め、朔の封印が解けた今は一気に広がり、見える範囲の半分が夜空に変わってしまっていたのだ。
夜空、といっても星は見えず、黒い空間がそこにあるだけである。
「……空が、黒い」
「そうですね」
「!?」
突然の声に、ヒナタは慌てて後ろを振り向く。
そこには、眼鏡のズレを軽く直しながらにこやかに笑う朔がいた。
「さ、朔さん……ビックリしました。まだ無理はしない方が……」
「確かに普通の体になりましたが、ご心配にはおよびませんよ。それに、ヒナタさんばかりに負担をかけられません。逆に心労が溜まります」
「……分かりました……でも、何かあったら遠慮せず言ってくださいね」
ヒナタのしぶしぶ納得した表情に、朔はほんのり笑い頷くと、そのままヒナタの隣に移動して空を見上げた。
「空がこうなったのは、私に責任があります。経緯はどうあれ、命を賭けてまで守っていた封印を、破壊した事に違いはありませんから」
その言葉に、ヒナタは力強く手を握り締めて首を振る。
「いいえ、それこそ違います! 朔さんは私を助ける為に生きる道を選んでくれました」
「……ヒナタさん、それは――――」
「私は、今目の前に朔さんがいてくれて良かったって……凄く嬉しいんです!」
朔が何かを言う前に、ヒナタは普段とは違う必死さで詰め寄り、距離がかなり近くなった所で、朔が慌て始める。
「あの、ヒナタさん? 落ち着いて――――」
「――――っ怖かったんです!」
「!」
ヒナタは瞳に涙をうかべ、肩を震わせた。
それは落ち着かせる為、肩に手を置いた朔にも伝わり、心配そうな表情でヒナタの様子を窺う。
「……目が覚めた後、倒れていた朔さんを見て、守れなかったと思いました……死んでしまったと。やっぱり、私の手は届かなかったって……」
朔さんを抱き締められたのは、強い願望から生まれた幻覚だったのかと思った。
背筋が冷たく凍り、目の前が真っ暗になっていったあの感覚を二度と味わいたくない。
「優しい朔さんが死ぬのは、見たくありません」
「……そんなに嫌ですか」
「はい」
「……泣くほどに辛いんですか?」
朔はそっと指先で、ヒナタの目尻に溜まった涙を掬い上げる。
その行動にヒナタは、はにかんだ笑みをうかべた。
「あの、安堵と喜びの涙という事で――――っ!?」
ヒナタが言い終わらないうちに腕を引かれ、朔の腕の中にすっぽりと包まれる。
驚いて腕をパタパタ動かすが、抱き締める力が強くなり、ますます体は密着していった。
「え、あの、朔さん?」
「ヒナタさん、抱き締めてもよろしいですか?」
「……もう、抱き締めてますけど――――」
「それもそうですね。申し訳ありません……女性に許可なく触れるなど御法度ですので、“もう少しこのままでいい”と、言っていただけますか?」
謝りながらも放す気はないみたい……。
でも、こうしてると二人とも生きてるって一番実感できる。
安心感で許可とか関係なくなっちゃうよ。
ヒナタは朔の背中に手を回し、自分からも抱き締める。
「もう少し、このままでいたいです」
「!」
あ、朔さん“ビクッ”ってなった……。
何も話さないし……え、どうすれば?
背中に回した手から少し力を抜くと、朔の静かな声が響く。
「ヒナタさん、大変な事が起きました」
「どうしました? まさか、傷が痛むとか――――」
慌てて離れようとするが、相変わらず朔の力がゆるむ事はない。
「離れられません」
「えっ!?」
「磁力が発生して離れられません」
「……………………」
朔さんがおかしな事言ってる……え、真面目に答えた方がいい?
それとも話を合わせた方がいい!?
どっち!?
ヒナタが暫く悩んでいると、朔はゆっくり体を放し、くるりと後ろを向いてしまった。
「……失礼致しました。冗談です。私は先に戻って夕飯の準備をしますので、5分……いえ、10分経ったら手伝いに来て下さい」
「え、あの、一緒に行けます――――」
「いえ! 10分後でお願いします!」
「さ、朔さん!?」
ヒナタの呼び掛けに振り向く事なく、朔は足早に去って行ってしまった。
その場には唖然とした表情のヒナタだけが取り残される。
「な、なんだったんだろう……」
その疑問に誰も答える者はおらず、カラスの鳴き声が聞こえてくるだけであった。




