1話.神隠し
始まりです。
目覚めを告げる時計の音で、ヒナタはゆっくりと目を開けた。
「……また、あの夢」
女の子と男の夢。
いつの頃からか忘れたが、ヒナタは毎日同じ夢を見ていた。
その夢を見るたび懐かしさと僅かな焦りも感じていた。
心の中で何かが早く、早くと急かしているみたいに……
いつもと変わらないと思っていたが、今日の夢は少し違った。
いつもは顔さえ分からない夢だったのに、今日は笑ってたな……。
黄昏の陽に照らされ輝く白銀の髪、風に揺れて現れた瞳は翡翠色に光り――綺麗……心に湧いた言葉はそれだけだった。
話しかけられるなんて、思わなかった。
今朝の夢を考えながら、ゆっくり制服に袖をとおす。
鏡で腰位まであるストレートの髪を見て、寝癖がないか念入りにチェックする。
太陽に当たるとほんのり橙色になるヒナタの髪は、今日も柔らかく光っていて、“ヒナタ”という名前もそこからきている。
ゆっくり下の階に降りれば、賑やかな家族が声を揃えて言う。
『お誕生日おめでとう!』
「ありがとう、お父さん、お母さん、彰太」
「ねぇちゃん、何歳になったんだっけ?」
「17歳だよ~」
ヒナタが弟にそう答えると、嬉しそうに笑い、すぐに食べ物の話になった。
「今日は誕生日だし、夕御飯は豪華だね!」
彰太が嬉しそうに笑うと、お母さんもにっこり笑った。
「もちろんよ! 腕によりをかけて、御馳走作るわよ~!」
「ははっ、楽しみだな! ヒナタ、父さんもなるべく早く帰って来るからな」
「うん。じゃ、そろそろ行くね」
『行ってらっしゃい!』
鞄を持って玄関に向かうヒナタの背に、家族が声をかける。
――そう、今日は、青葉ヒナタの17歳の誕生日。
新しい一日の始まりである。
***
いつものように学校に行くと、女子生徒が一人、凄い速さで走って来るのが見えた。
「ヒナタおはよう! おめでとう! ねぇ、聞いた!?」
「美祢、おはよう。ありがとう。落ち着こう? ね?」
突撃して来る勢いの美祢を、とりあえず落ち着かせようとする。
美祢は高校に入った時に出来た友人で、元気で活発なポニーテールがよく似合う女の子だ。
日だまりの中で育ったような少しほんわかしたヒナタと、台風のような美祢は真逆な性格の友人だが、波長が合うらしくすぐに仲良くなった。
「ごめん、ごめん」
「大丈夫だよ。それで、どうしたの?」
美祢は噂話が大好きだか、今日はいい話ではないらしく、真剣な顔つきで話し出した。
「……うん、神隠し……またあったみたいなの」
神隠し。
人が突然消える現象。
まれに戻って来る人もいるが、姿が消えた時と全く同じで、何十年経っていようが変わらないと言われているから驚きである。
その神隠しがここ数年で何度かおこっていた。
何故“行方不明”ではなく、“神隠し”なのかと言うと、いなくなる直前の目撃者が多数いたからだ。
皆口を揃えて、「黒い歪みに引き込まれた」と証言していたのである。
「今回は、隣のクラスの男子だって」
名前なんだったかなぁ? と美祢が頭を捻っていると担任の先生が入って来た。
学校の方も神隠しについては、重大な問題のようで、生徒を早めに帰宅させる方針らしい。
今日は早く帰るように言われてるし、遅くならないようにしよう――そう心に決めて、ヒナタは青く広がる空を見上げた。
学校での時間はあっという間だ。
先生の子守唄のような授業で、ダウンしている美祢を見つつノートをとり、誕生日プレゼントは何がいいか話しながらお昼を食べる。
午後は先生のチョークが飛び交う中での授業。
「いっったああああいいいぃっ!」
……今日は美祢にヒットしたらしい。
転がる美祢を心配げに見つめ、過ぎていく午後。
いつもと違う夢を見て、何かあるんじゃないかと思っていたけど、何もない事に安心し、直ぐに帰れるように準備をした。
そのまま何事もなく、午後のホームルームを終えたが、ヒナタの机には、顔の前に両手を合わせ、申し訳なさそうにしている美祢の姿があった。
いつも一緒に帰っていたが、今日は急用があるらしい。
「ごめんねヒナタ! 急にお使い頼まれて、一緒に帰れないんだ!」
「大丈夫だよ、真っ直ぐ帰るから。美祢も気をつけてね」
ありがとう! と、元気に走り去った美祢を見送り、ヒナタも家に帰る事にした。
さて、時間的にまだ外は明るいし、夕暮れ前には家に着きそうだね。
校門を出て坂を下り、通いなれた町中を歩きながら、ふと夢の人物を思い出した。
――何処かであの女の子と男に会ったような気がする。
脳裏に翡翠の瞳がちらついていた。
約束の夢を深く思い出して、目を閉じた数分後の事だった……聞き慣れない音がヒナタを包み込んだ。
沢山の葉が風によって擦れた音。
あれ? 違う道に入っちゃった!? 慌てて目を開ける。
「――えっ? ここは……あの、夢の場所?」
町中を歩いていたはずのヒナタが見たものは、夢に何度も出て来た、女の子と男が居た約束の場所だった。
周りは沢山の木々が生い茂り、ぽっかり空いた場所からは、町全体を見渡せた。
太陽が沈み始め、空をオレンジ色に染めている。
いつの間にそんなに時間が経ってしまっていたのだろうか。
まさに、夢と同じ光景……。
「――何をしている!」
「えっ!?」
突然声がしたかと思ったら、腕を後ろに強く引かれた。
驚いて振り向くとそこには、ヒナタより年上らしい青年が焦りの表情で見下ろしていた。
肩くらいの長さがある漆黒の髪が風に揺れていて、そこから覗く細長な瞳は……紅い。
びっくりした……人違いかな?
「すぐにここから離れろ。お前は黄昏時に、ここに居ては駄目だ」
「……あなた、誰ですか? 人違いじゃ――」
その時だった。
青年の瞳が、ヒナタの背後にある何かに向けて細められる。
「…遅かったようだな」
青年の声が暗くなったと同時に、ヒナタも何かを感じた。
嫌な気配と、どこか懐かしいような……。
一瞬、夢の中の男が脳裏をかすめた。
「……ヒナタ」
青年が名前を呼んだ。
ヒナタはゆっくり青年と目を合わせる。
どうして、私の名前を知っているの? あなたは、誰なの……?
驚きと不安の表情で、ヒナタは青年からの言葉をひたすら待った。
「お前は――」
青年が何か言いかけた瞬間、身体に黒い何かが巻き付き、強く後ろに引かれたヒナタは、青年と手が離れてしまった。
「嫌っ! 助けて!」
「……っ」
必死に助けを求めたが、青年は戸惑っているのかその場から動かない。
ヒナタの身体は黒い歪みまで引っ張られ、ゆっくり沈み始めた。
「お願い……助けて……」
ヒナタは動かない青年に向かって手をのばした。
「……っ!」
青年は突然走り出すと、ヒナタの手を力強く握った。
すると、僅かに沈む速さが遅くなったようである。
紅い瞳は、さっきより複雑な感情が入り交じっているようだった。
「よく聞け……お前はこれから、始まりの世界に行く」
「始まり……?」
「絶対に封印は解くな。――いいな、絶対にだ」
「よく、分からな……」
青年はゆっくり手を離し、彼女を見つめた。
ヒナタの意識は朦朧とし、歪みは身体の全てを呑み込もうとしていく。
「封印を解こうとすれば、俺はお前を――」
風のざわめきが言葉をかき消し、ヒナタの瞳に悲しげな青年の表情を映したのを最後に、完全に身体は歪みに呑まれてしまった。




