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白い少女

 子都さんが出ていったあと、ひとり部屋に残された俺は、今置かれている状況を確認してみることにした。


 部屋の近くに設置されてあるボタンを押すと、スーッっと静かな音を立てて横にスライドした。


 どうやら閉じ込められているわけではないらしい。


 廊下の天井にはいくつかの照明が設置されており、かなり明るかった。

 窓の外には木々が立ち並び、夜の闇が広がる。


 上を見ると、数え切れないほどの監視カメラがこれみよがしに配置されている。


 今は、あまり下手なことはしないほうがよさそうだ。

 廊下に出るのもリスクだと判断し、部屋に戻る。


 次に、錆びついた机の上にあるノートパソコンに目を向ける。


 旧型のようだったが、もしかしたらインターネットが繋がっているかもしれない。


 俺は椅子を引きずって腰掛け、電源を入れる。


 表記がすべて朝鮮語だったのでなにがなにやらわからなかったが、デスクトップ上に知っているアイコンをいくつかみつける。


 その中から、ブラウザのアイコンをクリックしてみると、朝鮮語の検索エンジンと思われるサイトに接続できた。


 検索窓にカーソルをあわせ、キーボードで適当に文字を打ち込んでみる。少し経って検索結果の一覧が表示された。


 よかった! Wi-Fiが飛んでいるらしい。


 俺はアドレスバーにGoogleのURLを打ち込んでみた。


 しかし、ディスプレイには朝鮮語で書かれた数行の文字列と数字などが表示されるだけで、望んでいたページに飛ぶことはできなかった。


 俺はほかにも色々と試してみたものの、結局なじみのあるサイトにはどこにもたどり着くことができなかった。

 ここでのインターネットの環境は、かなり制限されているらしかった。


 どうしたものか。


 ふと、思いついた単語を検索エンジンの検索窓に入力してみる。


『free mail』


 すると、いくつかのそれらしいサイトの一覧が表示された。


 俺はそのうちのひとつを選び、アクセスする。


 笑みを浮かべずにはいられなかった。


 短時間だけ使うことのできる、フリーメールアドレスを取得することができたのだ。


 しかも、このサイトはメールソフトも兼ねているらしい。


 ありがたい。


 とりあえず、まゆまゆに連絡しなくては。


 きっと、寂しい思いをしているに違いないのだから。


 俺はまゆまゆの使用しているメールアドレスを思い出して、送信先の欄に手打ちで入力することにした。


 大好きなまゆまゆへ。

 俺は今、事情があってすごく遠いところにいる。すぐには帰れないかもしれない。

 こんなことになる前に、一度も連絡できなかったことを許してほしい。

 実はすごく遠いところにいるということだけはわかっているんだけれど、ここがどういう場所なのか、俺にもよくわかっていない。

 でも心配しないで。俺は無事です。

 きっと、帰るから。できるだけはやく、帰るから。

 心配しないで待っていてください。

 同じ空の下であなたを思いながら。


 藤田奏。


 日本語が使えなかったので、アルファベットを選択して、なるべく読みやすいように上のような文章を書いた。


 送信ボタンと思わしきものをクリックすると、画面が切り替わった。


 朝鮮語の文字列。

 なにが書かれてあるかはわからない。


 これで送れたかな……?


 メールが送信できたかどうかは怪しいが、とりあえず今はこのくらいしかできることはなさそうだ。


 俺はノートパソコンの電源を落とし、ベッドに入ることにした。

 ベッドは硬かったが、薄いながらもマットレスが敷いてあり、寝心地は悪くない。


 目をつむると、疲れていたせいですぐに眠気がやってきた。


 †


「~~~~」


 子どもの声が聞こえる。

 声の感じからして、小さな女の子だ。


「~~~~。~~~」


 たぶん、朝鮮語だ。

 何を言ってるかわからない。


 ゆっくりと目をあけると、目の前にはひとりの少女がいた。


 チェックの長袖のシャツにスカート。それに、ハイソックスを履いている。


 特徴的なのは、透き通るような白い肌と、腰まで長く伸びた白い頭髪。


 なんだか、日本にいるときにまゆまゆと一緒に動画でみた、龍飛の姿を思い出してしまった。

 彼も似たような特徴的な肌と頭髪の色だった。


 目の前の少女は彼よりも少しだけ幼くみえた。9歳くらいだろうか。


「あ、あー」少女はいった。「お、おはようございます。日本語なら、わかる……?」


 おどおどとしながら、覗き込むようにして俺の顔を見る。


「ああ、わかるよ。おはよう」と俺は答えた。「俺は藤田奏。君は?」


 すると、少女の顔が明るく輝いた。


「わたしはソラです。おばあちゃんが、お兄ちゃんを起こしにいってこいって。それで……」


 ソラと名乗った少女はもじもじと恥ずかしそうに体をくねらせた。

 彼女は、美しかった。


 幼いながらも完璧に整った顔立ち、スラリと伸びた細長い手足は、不気味なくらいに現実離れしている。

 妖精がいるとすれば、きっと彼女のような姿をしているのかもしれない。

 なんだか、目を合わせるだけで照れてしまう。


 もちろん、いくら可愛らしいといっても所詮は子どもだ。さすがにまゆまゆには敵わない。


「おばあちゃんって、子都さん?」


 うん、とソラは頷いた。「食堂で、ごはんの用意ができてるからって……」


「呼びにきてくれたんだね。ありがとう。ここの子だよね。すごく日本語、上手だね」


 彼女の完璧な日本語に俺が感心していると、嬉しそうにコロコロと笑う。小動物みたいだ。


「ここにはおばあちゃんの他に、日本からきた人がたくさんいるから。勉強しても損はないからって、教えてもらったの」


 北朝鮮の山中に、日本人の研究者が?


 思えば子都さんも日本人だし、どういう理由でこんな場所でたくさんの日本人のいる研究所が存在しているんだろう?


 それに、この子ども……ソラはどういう子なんだろう?


「さ、いこ! わたしおなか空いちゃったから! はやくいこうよ!」


「あ、ちょっと!」


 疑問が頭の中で渦巻くなか、俺はソラに手を引っ張られて部屋を出た。

 雪のように真っ白な肌から、温かな体温を感じた。


 †


「おはよう。よく寝れたかい?」食堂に到着すると、トレーに料理の皿を乗せた子都さんが俺たちに目を向けた。


 大きめの食堂には数多くの研究員や作業員と思われる人たちがいた。

 見渡すと、ざっと30人近くの人間ががやがやと喋りながら食事をとっている。

 そのうち何人かがこちらを見ていることに気がついた。


 子都さんの視線は、ソラに引っ張られた俺の手首に注がれていた。


「おや、すっかり仲良くなったみたいだねぇ」


「あ、いや……」


 なんといえばいいか迷っていると、子都さんが笑いながらいった。


「仲のいいことはよいことさね。ソラ。お兄ちゃんに食堂の使い方を教えてあげなさ

い」


「頂いていいんですか?」俺は聞いてみた。


「なに言ってるんだ。遠慮することはないよ。あんたはここにいるあいだ、朝、昼、晩の三食ここで摂ることになる。アレルギーがあれば事前にいうんだよ。ある程度なら配慮できるはずさ」


「はい、ありがとうございます……」


「こっちだよ」


 俺は少々困惑したまま、ソラに導かれて朝食のトレーを取った。

 どうやらここの食堂は自分でメニューを選べるわけじゃなくて、毎回決まった食事が提供されるらしい。

 今日のメニューは、魚と野菜の入った、ごま油の香りのするお粥。焼いた肉。天然肉だ。

 近くに農場や牧場が広がっているのが見えたから、ひょっとしたらそこの動物の肉かもしれない。


 それに、温野菜のサラダ。

 ゆで卵もついている。食事のバランスも取れているように思われた。


 俺とソラはトレーに食事の皿を乗せて食堂に置かれている長いテーブルを目指す。


 ソラが子都さんの隣に座ったので、俺はその隣に着席した。俺と子都さんとでソラを挟んで座るような形となった。


「足りなかったらおかわりもあるよ」


「あ、ありがとうございます。そのときはもらいます」


「…………」


 ソラは黙って黙々と食事をしていた。小さい手で、金属製の箸やスプーンを器用に扱っている。


「今日は大人しいんだねえ。いつもはおしゃべりでうるさいくらいなのにさ」


「…………」


「あっはっは。かわいいねぇ。照れてるんだねぇ。珍しく大きなお兄ちゃんがいるものだから」


 そういうと、子都さんはソラにバシバシと叩かれた。

 なんだかふたりの関係性が一瞬垣間見える。


「あの、子都さん。聞きたいことがあったんですけど。ここは一体……」


「……ああ、そうだ!」


 俺がたずねようとすると、その言葉を遮るようにして子都さんがわざと大きな声で思いついたように言った。


「ソラ。今日は学校も休みだろ? お兄ちゃんに遊んでもらいなさい」


「……いいの?」


 ソラは不安そうな表情で俺の顔を見た。

 透き通るような碧眼は、まるで磨かれた宝石を思わせる。

 まだまだわからないことばかりだが、そんな目で見られたら、断られるはずもなかった。


「……ああ。もちろんだよ」


 俺はそうつぶやくと、子都さんの目を見た。

 彼女は、頷いて人の良さそうな表情をみせた。


 ソラは、席を立ってその場でジャンプしたり、喜びを全身で表現していた。


 そんな少女の姿を見て、思わず俺は苦笑してしまう。

 でも、忘れてはいけないこともある。


「子都さん、俺はいったいどうしてここに……」


 俺が言いかけると、彼女はトレーを持って席を立った。

 まるで、また俺の言葉を遮るみたいに。


「それじゃ、あたしは仕事があるから。……ああ、そうだ。昼になったらまた食事が出る。昼の12時~午後1時までの間だ。少しでも遅れたら食いそびれちまうから気をつけるんだよ」


 一体、なにを考えてるんだろう。

 脳にチップを埋め込む手術は? そのために連れてこられたんじゃ?


「今日は一日中、お兄ちゃんと一緒?」


「うん。でも、用事が入るかもしれない。それまでは一緒にいられると思うよ」


「やったー!!」


 ソラは心底嬉しそうにしていた。


 この子はどういう子なんだろう。

 食堂をみると周りは大人ばかりで、ソラと同じくらいの年齢の子はいない。


 ソラの後ろを通る大人が、にこにこと笑いながら彼女の頭を撫でているのが目に入る。

 彼女はここで可愛がられているのかもしれない。


 相変わらずなにもわからないままだったけれど、とりあえず俺はソラと遊ぶことになりそうだった。


 †


 食事が終わったあと、ソラに手を引かれて向かった先は同じ二階にある談話室のような場所だった。


 そこには大きめのテーブルや机、本棚、なにに使うかわからない装置などが並んでいる。


「これはなに?」


 俺が大きなテレビ台のようなものを指差すと、ソラはテーブルにあるリモコンのようなものを手に取って操作した。 

 すると、実態のない透き通った大きな映像がその場に浮かび上がる。


 ソラがリモコンを操作すると、次々に番組が切り替わった。

 ニュース、天気予報、バラエティ番組、映画、アニメ、政治……。これは……テレビだ。


「これ、ホログラフィックディスプレイじゃん」


 驚いて声を上げる。


「……? テレビが珍しいの? あ、きっと日本とは流れてる番組も違うよね」


 こんなものは日本でもほとんど見たことがない。

 ソラは俺がなにに驚いているのかよくわかっていないようすだ。


 彼女は番組を切り替えるのに飽きてしまったようで、テレビを消してしまった。

 そして、リモコンをソファの上にぶん投げて、だらしない格好で深く腰掛けた。

 そして、こちら向かって笑いかける。

 

「そうだ。おばあちゃんから聞いたんだけど、お兄ちゃんってプロゲーマーなんでしょ?」


「あ、うん。まあ一応……」


 思わず口ごもる。

 たしかに今はプロゲーマーだが、胸を張ってそう名乗れる立場でもない。

 今の自分にその実力があるかどうかは怪しかったし、次に日本で開催される大会で成績を出さないと契約を切られてしまう。


「すごいね! 日本ではおしごとを持ってる人は少ないって聞いたよ。お兄ちゃんってゆうしゅうなんだね!」


「そんなことはないよ……」


「けんそんしてるね」と少女は俺を見てにこにこと笑った。


 謙遜ではないのに。

 なんだか、勘違いされたままでいるのも少々居心地が悪い。


「ソラこそすごいね。日本語も上手だし、なんだか、語彙? 言葉の使い方がすごく綺麗だ。日本に住んでいる人よりも、日本語が上手かも」


「わたしは天才だから」


「えっ」


 今、天才って言った?


「すごい自信だ。でも、本当に天才だよ。ソラみたいな子、今まで見たことないもん」


「お兄ちゃん、褒めるのがじょうずだね。なんかすごく、気分がいいよ。同じプロゲーマーのお兄ちゃんでも、龍飛とは全然違うんね。あの子、クールすぎるし」


「龍飛のこと知ってるの?」


 なんだか、意外なつながりだ。


 でも、と俺は思う。

 ここはニューロエンハンスの関係者である子都さんがいる研究所。

 そして、龍飛はニューロエンハンス社製のチップを改良してできた、ゲーミングチップを脳に埋め込まれている。


 ひょっとしたら、ふたりはなにか関係があるのかもしれない。


「知ってるもなにも。前は一緒に暮らしてたんだけどね。遊んだこともあるよ。でも、何回か遊んだら、つまんないって言って遊んでくれなくなっちゃったけど……」


 ビンゴだ。

 龍飛は以前、ここにいたことがある。

 それか、別の場所で一緒に暮らしていたのか。


「ねえ」ソラが、ずい、と前に出る。「お兄ちゃんもプロゲーマーなら、ゲームが上手いんでしょ? わたしゲーム大好きなの。ね、一緒にやらない?」


「いいよ。あそぼうよ」


 そう答えると、ソラは嬉しそうに立ち上がった。

 そのままとたとたと走っていって、部屋の隅の棚から両手で抱えてきたのは、大きめのボードゲームだった。

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