ひゃっかいめ 勇者の別れだね?
それから帝王と何度か話し合い、グロックとダイムは一旦置いておくことにした。逃亡地点まではさすがに分かっていない今、探しても無駄だ。
探索魔術ももちろんあるが、ぎりぎりでカバーされてしまったためである。そのためルネックス一行は予定した日にちの通り――、つまり今日に、山奥に出発する事になる。
ちなみに捕まえた者達の処置は、とりあえず人質として檻の中に閉じ込めておくことになったらしい。まあ、間違ってはいないと思われる。
グロックとダイムが捕まっていない今、どんな材料でも交渉のために必要となりうる。まあ、これからどうなるか知っているルネックスは曖昧に笑うだけだった。
そして現在、もはや定期的に行われる行事となった謁見、正確には送別会を終えたルネックス一行は思い出巡りのため、街を歩いていた。
お世話になった者なら嫌というほど思い浮かぶ。しかしルネックスとシェリアが一番最初に訪れたのは、やはり此処だった。
「いますか? ハイレフェアさん」
「ふん。私は奴隷商人を止めてからずっと此処にいるよ。いつ貴様らが来てもいいように、準備もしてある。さあ、座れ座れ」
奴隷大商人、ハイレフェアだった。アルティディアで最もお世話になった人たちの中の一人である。そんな彼女はやはり普段通り豪快に笑っていた。
しかしルネックス一行が来るのを待っていて、そのために乱れていた部屋を完璧に清掃し、今か今かと待っている姿を見ると恐ろしさよりも可愛さが先に来る。
勿論、今となってはハイレフェアを恐れなどしない。なのでルネックスは肩をすくめながら、厚意に甘えて、と言って清掃された椅子に座る。
「ハイレフェアさん、今までお世話になりました。次僕が此処に来るときは、勇者再来の時以外だと、この国に何か起きたときです。そんなのは望まないので、恐らく僕はもう貴女に会えないと思います」
「ああ。その程度の知識は持っている。現勇者の戦闘協力以外で、昔の勇者がもう一度この世界に降り立ったためしはない。まあ、大賢者様は異例だろうが、帝王様が認めたのならそれでいい。史上初だな」
ハイレフェアは何でもないことかのように言う。しかし眉の吊り上がり方で分かる。彼女は別れを惜しんでいた。
自分から遠く離れてしまった勇者に対して、心が痛んでいた。
ルネックスが気付く前にいち早く気付いたのは、英雄であるシェリアだった。
「さあ、帰りな。貴様らは忙しいだろう。例え二度と会えなくなっても、私は貴様らのことを忘れない。ふふっ、私と貴様らが本当に運命の巡り合わせで会ったのならば、私が輪廻転生したらもう一度きっと会えるはずだ。私はその時を待っている」
「ハイレフェアさん……それで、いいんですか」
「私はだらだらと別れを惜しむのが嫌いだ。別れるなら潔く……長く別れを惜しんで居れば、その内私の弱い根性では貴様らを引き留めてしまう。前途有望な貴様らの道を、私などが妨害したくはない。だから行け。私の気持ちが弱くなる前に」
ハイレフェアは、強い女性だ。しかしその分、誰かに頼ることが下手な女性でもある。だから、彼女は弱い感情の処理の仕方が分からない。
ルネックスはハイレフェアを救えない。否、救わないのだ。ハイレフェアは救われることを望んで居ないのだ。
強いからこそ、甘え方が分からないこそ、誰かに救いを求めたりしない。それは彼女なりの生き方であり、彼女なりの強さである。
だからルネックスもシェリアもそれ以上何も言わなかった。誰かの生き方を否定するつもりはないからだ。
だから彼女の期待に応えて、二人は静かに作業部屋から退出した。
〇
続いて二人は、ギルドを訪れた。ギルドは相変わらず賑やかで、受付嬢は相変わらず続々とくる仕事に追われていた。
そんな中でひときわとびぬけて注目を集めていたルネックスとシェリアは、慣れた様子で受付に座る受付嬢、ファウラの元へ足を運んだ。
「すみません、僕らのレベルに合わせなくてもいいので、何か簡単な依頼を受けさせてくれませんか?」
「は、はあ、それはまたどうして?」
「僕ら、今日から山にこもりますから。この国に何かない限り、僕たちがもう一度この国に来ることはありません。ですから……」
「名残惜しいんですけど、まあ、そのために依頼を受けに来ました。最後の依頼をどうか、よろしくお願いします」
ファウラの困惑の下で、シェリアが深く頭を下げて、ルネックスが小さく頭を下げた。英雄と勇者に頭を下げられた平凡な受付嬢は、当然困惑する。
最後の依頼、と聞いてギルド全体がざわめいた。どうやら勇者と英雄に対して正確な知識を持っている者は少ないらしい。
ハイレフェアが正確な知識を持っていたのは、一時的な戦闘期間だけとはいえ、国王と協力してこの国、いやこの世界を救った一人だったからだ。
一般市民にその情報が下りてくるはずもなく、必然的にギルド全体が騒ぐことになるのは不可避なのだった。
「で、では、こちらのゴブリン巣窟駆除の依頼をよろしくお願いします。こちらは、Cランクの冒険者ですら失敗する可能性があり、指名依頼を出そうか迷っていたんですけど、これで安心ですね!」
「有難うございます。絶対に失敗しません」
「ルネックスさんが威光を放って帰って来るところを見てくださいね!」
「はは、シェリア。言いすぎだよ。僕はそんな大層な人物じゃないんだからね」
いやいや、大層過ぎる人物だろう。ファウラの出した依頼の羊皮紙を受け取りながら苦笑いをするルネックスの言葉を聞いて、この場にいる全員がそう思った。
しかし、高みのその高みを目指す少年の心には響かない。彼には未だに目的がある。彼は、未だ彼自身が自分を認めていない。
シェリアもそれを知っているためにそれ以上は何も言わず、依頼書を持ってギルドの門を出ていくルネックスに、ただただ付いて行った。
―――自分の役目は何なのか。
かつて同じ場所で自分に聞いた疑問。シェリアはくっと口角を上げた。
―――それは、大好きな人の補佐を頑張る事。
「ルネックスさん、ちょっと待ってくださいよっ!」
ルネックスより実力も劣って、カレンより耐久力が劣って、フレアルより精神力で劣り、フェンラリアと全てにおいて劣った――と少なくとも自分は思っている――シェリアに出来ることは、それしかないのだ。
〇
順調にゴブリンを薙ぎ払っていく。この巣窟というのが中々大きなもので、しかも街と隣接していて今はぎりぎり被害が少ない程度で全く無いわけではないので、当たり前だが住んでいるゴブリンの量も見ていて気持ち悪さを感じるくらいだ。
しかしそれを周囲へ少しも被害を出さず、ルネックスとシェリアは一匹ずつ慎重に始末していく。一匹一匹を倒すのは、ほんの一秒にも満たない程度だ。
そうして慎重にゴブリンの巣窟を攻略すること、約五時間。半日ほどが過ぎており、既に日も沈みかけ始めている。
やっと終わるか終わらないか、と言うところに、聞きなれたとは言い切れないがそれなりに聞いてきた声が二人の耳に入って来た。
次の瞬間には、二人の目の前にいた四匹のゴブリンが全て薙ぎ倒された。
「ルネックスさん、聞きましたよ。山奥に住処を移るみたいですね。もう二度と会えない、とも言っていたそうですね」
「うん。この国と世界に何かない限り、もう会えないよ」
「ですが、私から貴方達に会いに行くことは可能ですよね。私はもう一度強くなって、貴方達に勝負を挑めますよね……!?」
暴風のアテナ、彼女だった。SSランクとなり、今ではあちこちの国から引っ張りだこなアテナは、こんな短時間でここまで転移して来た。
アテナの必死な表情を見て、ルネックスもシェリアも頷くしかなかった。―――アテナは強くなりたいと思っている。
自分達は強者の土台になれる。それは、ルネックスの願うことのひとつだ。
そして、アテナが自分達の住む場所に来てくれるという意見は斬新だった。ハイレフェアですらも、そんな言葉は口にしなかった。
アテナが口にしたことが意味することはひとつ。少女はかの英雄と勇者に対して無償の信頼を抱いているのである。
「強くなって、僕達に会いに来て。そして、その実力を持ってして僕たちを超えて、いつか英雄に、勇者に、その先を目指してほしい。勇者も英雄も選ばれし者がなるんじゃない。君だって目指せる、ひとつの将来の夢だ」
「はい。絶対にルネックスさんに追いついて、貴方の成し遂げたいその『目標』にも追いつきます。そして、私も貴方達の視点からこの青空を見たい!」
強いアテナの言葉に、二人は目を合わせて微笑んだ。出発の時刻は、刻一刻と刻まれていく。
〇
出発は、大賢者の研究所だ。そこにはテーラが昨日の夜から丁寧に準備していたらしい、神々しい光を放つゲートがあった。
昼終わりごろから人がどんどん集まっている。神聖な場所として普段は人が寄り付かない場所ではあるが、今は違う。
テーラはゲートの前に立ち、ずっと、ずっと、二人の少年少女を待っていた。
実は朝からずっと此処で突っ立って、ゲートに異変が起きないように直々に監視していたのだ。何度も研究員が呼び戻しに来ているのだが、結局今の今までこのまま。
「―――テーラさん!」
ここで、聞きなれた声が聞こえる。テーラは、勢いよく振り返った。同じく勇者としてテーラはルネックスらに確かに会えるが、この街で会えるのはこれで最後だと思われるのだ。
寂しさがこみあげてくる。昔からテーラは、寂しくなるなら出会わなければいい、という世界観を持っていた。
でも、そうだな。寂しいという感情を学ぶために、人は人と出会うのだろう。
「よし、ルネックスよ。ゲートは用意済みだよ。ちなみにあっちに帝王様が地味に手を振ってるから振り返してあげてね」
「えぇええっ!? コレムさん、なんでっ!?」
「よい、よい。手を振らずとも良いのだ。しかし少し寂しくなってだな、せめて我が国の勇者と英雄を見送りたくてだな……」
これ以上続けると長い一人語りが始まりそうだったので、テーラはゲートを起動させる。黄金に輝くゲートの門がゆっくり開いた。
街の者も一生にゲートを一度見られるかどうかなので、誰もかれもが感動の涙を流している。ゲートとは、英雄と勇者のために開かれるものだから。
開いたゲートの門に、シェリアとルネックスが乗り込む。その光は神々しく、後光が差しているように見えて、今は絶滅した神よりもなお美しかった。
これぞ勇者だ。これぞ英雄だ。口々に言う人々の言葉に、ルネックスは恥ずかしそうにはにかんだ。その様子を見てテーラがクスッと笑う。
「ボクもこれを体験したんだからね。その気持ちはよくわかるよ。……という事で、お別れだ。といっても、ボクは自由に会いに行けるけど」
「……でも、テーラさんも忙しくなりますよね。歴史改革は容易く出来るものではありません。どうか、頑張ってください」
「勿論。ボクが全部達成したら、ボクの研究材料を送ってあげるよ。君の助けになるかは分からないけどね。さあ、暗くならないうちに行ってらっしゃい。寂しいのはわかるけど、出会いと別れは必須だから」
それが、テーラの今回の巡回で学んだことである。彼女は寂しさの色をにじませた瞳を隠すように、手のひらに魔力を纏わせてゲートに掲げた。
ひと際強く、ゲートが輝く。街の人々が感動の声を上げる。コレムが必死に涙をこらえる。懸命に走って来たハイレフェアが、口角を上げる。
「―――ありがとな」
ハイレフェアがぽつりと零した声は、果たして栄誉ある勇者と英雄に届いただろうか。それは、誰にも分からない。
テーラの魔力がゆっくりとゲートに集められていく。ゆっくりと魔力を放出したことにより、その放出者が魔術の達人である大賢者という事により。
誰もマネできないほど神々しい質量を持った魔力が、ゲートを囲む。
少しでも魔術の腕に覚えがある者ならば、一目でその魔力の質が分かるだろう。現に街の者からちらほら目を丸くする姿が見受けられる。
「後悔は、なしだからね」
「勿論です。僕にはまだ、目的がある」
「そう。じゃあ、頑張って。いつかまた会おう。いつか、ね」
ゆっくりと、ゲートが閉まる。
今まで築いてきたこの世界での関係が幕を閉じる。
この世界で築いてきた英雄譚が本人を置き去りにする。
ゲートが閉まることが意味するのは、今の世紀での関係の全ての終結だ。
全てが終わった。
そしてまた全てが始まっていく。
それが巡回。それが更新。
そしてそれは、勇者と英雄が長く語り継がれるために必要な別れだった。
「―――さようなら」
世界に轟くように。世界に響くように。膨大な歓声が上がった。
この章、終了です。
こんな場面ですので、あえて今回のアトガキではコメント文字数を少なくします。
英雄と勇者のこの時代、この世紀への永遠の別れの余韻に、どうぞ浸かってください……。