分不相応な正義
「……えっと貴女は、魔王の手先……でしたよね?」
富樫圭悟は朝比奈を見る。
「お、お前は……あの鎌女と一緒にいた罪人……」
朝比奈は、彼の問いに答えることなく考え込む。
「そう、そうだ。思い出した。"富樫圭悟"だ」
富樫圭悟と朝比奈に面識はないが、彼女は地獄の管理者として富樫圭悟の名を知っていたのだ。
「え、僕の名前を知っているんですか? っていうかその声は……」
「そんなことよりさぁ……」
彼が朝比奈に向けた問いは、気怠そうな女性の声に遮られた。
「貴方は何なの? 突然現れたけど」
「僕ですか? 僕は勇者です!」
「は、はぁ」
葵の問いに富樫圭悟は答える。彼女は「勇者」というふざけた答えに文句を言おうとしたが、彼のあまりにも自信に満ちた態度に少したじろいでしまった。
「では、貴女は何をしているんです?」
富樫圭悟は問うた。
「私は……ここで仕事を任されたのよ」
「どんな仕事を?」
「"それ"を拷問する仕事よ」
葵は朝比奈を"それ"と指差しながら答えた。
なるほど、魔王の根城を聞き出すために捕らえた魔王の手先を拷問しているのか。
――――でも。
「拷問はよくないと思いますけど」
「はぁ? じゃあどうやって吐かせるのよ」
「彼女の光に問う」
「……ごめん、意味がわかんない」
「彼女の善意に問うという意味です」
「善意って貴方本気で言ってるの? 貴方だって地獄の第1階層にいた人間でしょ?」
"地獄"というフレーズを聞いた富樫圭悟は首を傾げる。
「地獄のような場所、という意味ですか?」
「つまり地獄ってことよ」
「ああ、そういうニュアンスですか」
魔王が跋扈するあの場所はまるで地獄のようだ、という意味での"地獄"なのだろう。富樫圭悟は誤信した。
「で、話を戻しますけどやっぱり拷問はやめましょう。それは勇者側ならざる行いだと思います」
「貴方さぁ、頭がおかしいの? 無視した方がいいのかしら」
葵は富樫圭悟に背を向け、朝比奈と向き合う。拷問が開始されようとしていた。
「やめてください」
葵の首筋に勇者剣の切っ先が触れた。
「僕は助けを求める人の許へ瞬間移動する能力を持っています。つまりそこの魔王の手先、つまりそこの彼女は助けを求めたんです」
「ごめん、ホントに貴方が何を言ってるのか分からないんだけど」
「彼女の悲痛な声が、痛々しい声が僕には聞こえたんです。だから、やめた方がいいと思います」
はぁ、とため息をついて葵は再び富樫圭悟と向き合った。
「何様のつもりなの? 貴方だって地獄に堕ちたんでしょ? そんな身分でよくそんな綺麗事を並べられるわね」
「……僕には貴女が何を言っているのか分からない」
しばし沈黙が続いた。瞬間、葵が富樫圭悟に蹴りを入れる。
「分かりあえないなら殺し合うしかないじゃない」
「……やるしかないのか……」
「やるしかないのよ。私はね、早くコイツで発散したいの。散々に痛めつけたいの」
その言葉を聞いて富樫圭悟は吹っ切れた。
「もはや貴女は魔王となんら変わらない」
「だから意味分かんないっての」
富樫圭悟はその手に握る勇者剣を一振りする。
「せめて痛みも感じぬ間に……」
光が周囲を包み込む。葵の存在が光に希釈され、そして消える。
戦いは剣の一振りの内に終わった。あまりにもあっけなく終わったのだ。
「……貴方、強すぎるにもほどがある……」
冷汗を垂らし恐怖したのは朝比奈だった。
「そこの貴女、立てないんですか?」
富樫圭悟が床に倒れている朝比奈に話しかけた。
「こ、こないで!」
「あぁ、手足を傷付けられているんですね」
そう、勇者ならば――傷付いた人を救うこともできる。
「え、あれ?! な、治ってる……」
「さぁ、立って」
富樫圭悟が手を差し伸べる。朝比奈はその手を使わずに自力でヨロヨロと立ち上がる。
「治しはしましたが、僕は貴女を逃がすつもりはありません。魔王の拠点への行き方を知りたいですしね」
「わ、分かってるわよ」
事実、朝比奈は痛いほど感じていた。この男からは逃げられない、と。
それは圧倒的な力量差故か、それともその手の類の能力を富樫圭悟が使っているのか、彼女には分からなかった。
***
「リエル様! 私、初めて人間と契約しましたよ!」
「それは良かったですね。どんな力が発言しましたか?」
「空を飛べるようになるって力でした!」
天使は契約を結んだ人間に根付く力を把握できる。
富樫圭悟と契約したとき、リエルはその抽象的な力に困惑した。
"勇者になれる"という力。困惑したリエルはより集中し、力の実態を探った。すると、答えはすぐに見つかった。勇者になれる力というのは、「光を纏う剣を出す力」「超人的な身体能力を得る力」という2つの力が合わさったようなものであった。
縋木徒紫乃が捕らえた朝比奈をイシアに引き渡してから1週間が経った頃である。リエルは酷い違和を感じた。
1+1=3などといった間違った答えを見つめているかのような違和感である。
ふと、富樫圭悟の力を把握しなおそうとしたとき、リエルはその違和感の正体を知った。彼の力は変質していたのだ。
「光を編み剣を出す力」「超人的な身体能力を得る力」の他に、「風を編み盾を生み出す力」「助けを求める人の許へ瞬間移動する力」「傷付いた生物を治癒する力」と新たに3つの力が追加されていたのだ。
「こんなことが……」
とにかく富樫圭悟の状態を知りたくなったリエルは富樫圭悟の現在地を感知し、飛び立った。
***
「圭悟さん!」
富樫圭悟は天使の隠れ家として使っていた場所にいた。もっとも今、その場所は朝比奈を拷問する区画になっているが。
「リエルさん……拷問という手段は貴方が提案したんですか?」
富樫圭悟はリエルを見つめる。その眼の奥に、天使への不信感があることをリエルは見逃さなかった。
「いえ、まったく知りません……私は拷問なんて一言も……」
リエルはその顔に憂いを帯びた表情を作った。
「え? え? これはどうなってるんですか?」
そこに、イシアが現れる。
「あれ? 葵ちゃんは? なんでリエル様も? あれ、貴方はリエル様と契約した人間……。一体どうしたんです?」
「貴女ですか! 貴女が拷問なんて手段を取ったのですか!」
「え? リエル様?」
「1人の天使として許せません! なんで、なんで……」
「えっと、あの?」
「確かに私は魔王の拠点への行き方をどうしても聞き出して欲しいと言いました! でもその結果が拷問なら……そんな……」
リエルは泣き崩れる。イシアはその様を見てただただ困惑した。
「リエルさん、落ち着いて……」
富樫圭悟がリエルをなだめた。なだめられたリエルは富樫圭悟にがしりと、縋りつくように抱きついた。
「圭悟さん、イシアに罰を! 同族として許せません……!」
「ちょっとリエル様、何を……」
「いいんですか……? リエルさん」
「ええ、いいです! 恐らくイシアは魔王と繋がっています。でなければ拷問なんて手段を選択をする筈がない!」
「リ、リエル様!? そんな……!」
「リエルさんがそこまで言うなら分かりました」
「え、ちょっと待っ」
またも、勝負は一瞬で着いた。剣の一振りで幕が下ろされたのだ。
「茶番に過ぎる……何なのよこれ……」
朝比奈が呟いた。
***
「圭悟さん、それは……」
縋木徒紫乃が驚いたのは、富樫圭悟が朝比奈を連れていたからだ。
「僕が彼女から魔王の拠点への行き方を聞き出すことになったんですよ」
「大丈夫なんですか!? そいつを拘束しておかなくても」
「大丈夫です、逃がしませんよ」
――――こうして富樫圭悟は朝比奈の尋問係になった。