正当な王の帰還
謁見の間で、トッドが懐を押さえた。
震えていた。
懐のピコだ。取り出すと、頭の房が青白く光っていた。声が流れてきた。
ソレルの声だった。
『——先王エドモン。あの方は——我々が毒殺したのだ』
謁見の間が、完全に凍りついた。
衛兵が動きを止めた。廷臣が顔を見合わせた。王が、玉座の肘掛けを強く、強く握りしめた。
「あのたわけが......」
アーシュリは、目を閉じ、静かに一呼吸した。
そして、目が開いた。
両手が、ゆっくりと前へ広げられた。
指の間から、光が生まれた。
光の刃が、宙に並んでいく。その魔法は、かつて師が前線で振るったものと同じだった。
アーシュリはドルクを見た。
「死罪になるのは、お前たちだ」
光の刃が飛んだ。
ドルクが後ろへ跳ぶ。半分が石床を深く抉り、残る半分がドルクの衣を引き裂いた。
謁見の間に、静寂が落ちた。
その静寂の中で——衛兵の一人が、槍を下ろした。
また一人が、剣を鞘に収めた。
「先王の死は、毒殺だったのか」
低い声が、静寂を破った。「今皆も聞いたはずだ」
一人が前に出た。次に、もう一人が続いた。
矛先が変わっていく。静かに。しかし、確実に。
謁見の間の空気が、ゆっくりと反転した。
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数刻前、港。
ピコから流れてきたソレルの声が、波止場の男たちの耳を貫いていた。老いた漁師が桶を置いた。荷運びの男が歩みを止めた。屋台の主人が布を下ろした。
誰も声を出さなかった。
出せなかった。
怒りというのは、あまりにも大きいと声にならない。波止場の男たちの肩が、拳が、奥歯が、静かに震えていた。
そこへ——港の入口に、見たことのない船影が現れた。
旗がない。どの国の紋章も刻まれていない、傷だらけの大型船だった。北の海を渡ってきた船だった。誰かが「あれは……」と言い、その船から出てくる一行を見守った。
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ソレルは言い訳を始めた。
「待ってくれ。私は……指示されただけだ。父上と兄上に言われた通りに動いただけで、私自身は何も——」
「黙れ」
ティスの声だった。
ティスの声は落ち着いていた。静かな視線がソレルに向けられる。
次の瞬間——雷が走った。
剣を抜いた。剣身に雷が走る。縦に、横に、螺旋を描くように光が巻き上がった。
「雷光斬——」
閃光が謁見の間を切り裂いた。ソレルの身体を中心に衝撃が弾ける。石床が砕け、柱にひびが走った。ソレルはひとことも発することなく、その場に倒れ伏した。
静寂が部屋を包んだ。
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衛兵たちの向いていた槍の先が、ゆっくりと、方向を変えていく。
ドルクへ、そして——玉座のエドガーへ。
「……お前たちだったのか」
ライガーの声は低かった。十二年、牢の中で積み上げてきた何かが、その一言に全て込もっていた。
ドルクに向けて足を踏み出した。
ドルクが剣を抜いた。ライガーへ斬りかかろうとした。
ライガーの力が拳に収束し、ドルクへ殴りかかる。拳を受けたドルクの剣が根元から折れた。刃が床に落ち、乾いた音が広間に響く。
ライガーの拳がドルクの胸に叩き込まれた。
衝撃波が弾けた。大きな体が石壁まで吹き飛ぶ。壁が陥没し、破片が降り注ぐ。ドルクがずるずると崩れ落ちた。
王が後退った。玉座の肘掛けを掴むが、立ち上がれない。
「ま、待て——! 褒美だ! お前たちが望むものを何でもやる! 朕に従えばそれだけの——」
広間を満たした怒りは、もうそんな言葉が届くわけがなかった。
アーシュリが手を持ち上げた。指先に光が生まれる。二条の刃が宙に並び——走った。
王の両肩を貫き、刃は石壁に深く刺さった。
王は壁に磔にされたまま、苦痛に顔を歪めて喘ぐ。
「なぜそんなことをした」
ライガーが王の眼前に立った。
そこへ、ティスと琉架が戻ってきた。
気絶したソレルを引きずってきて、謁見の間の中央に無造作に放った。ソレルの身体が石床を滑り、止まる。
王が、口を開いた。
「……先王が、憎かった」
声は震えていた。しかし嘘ではなかった。誰の目にも、それはわかった。
「朕は、この王宮の中で……ずっと、空気も同然の扱いを受けてきた。兄は民に慕われ、兵に慕われ、何をしても讃えられる。朕が何をしても、兄の影が、どこまでもついてきた。王になってすら、それは変わらなかった」
誰も遮らなかった。
「クロヴィスが来て……言ったのだ。朕には力があると。朕が望むなら手を貸すと。あの男に唆されて、朕は——」
矢が、来た。
一本。二本。三本。四本。
王の言葉が、途中で止まった。
クロヴィスが拳をたたきつけ、窓ガラスが砕け散る。
風が謁見の間に流れ込み、カーテンを大きくはためかせた。砕けたガラスの破片が光を受けて、床に光を散らす。
クロヴィスの顔に焦りはない。ただ静かな怒りがその内からこぼれ出ていた。
倒れていたドルクが、ゆっくりと立ち上がった。その輪郭がゆっくりと溶けていく。筋肉が縮み、骨格が変わり、声が変わる。ドルクだった者は——一人の女になっていた。長い黒髪。冷たい目。彼女は何も言わず、クロヴィスの隣へと俊敏に移動した。
「……あと少しだったのに」
クロヴィスが言った。声が、怒りで微かに震えていた。
「この王を使って、国を少しずつ、少しずつ疲弊させていく。民を追い詰め、希望を奪い、土台から崩れ落ちるその瞬間を待つ。それだけでよかった。そいつの愚王っぷりは見ていて滑稽だったぞ。」
目が、琉架に向いた。
「それが——お前のせいで、すべて台無しになった」
刃のような沈黙が落ちた。
「覚えておけ。我が帝国は必ずお前たちを滅ぼす。近い将来、我が国の大群がこの国に押し寄せるだろう」
クロヴィスの指が、まっすぐ琉架に向けられた。
「お前から受けた仕打ちは必ず返す。必ず——殺す」
轟音が響いた。
王宮の石壁を突き破るように、竜が現れた。黒に近い鱗、広げた翼が風を起こし、石壁を揺らす。クロヴィスが飛び乗る。女もその後ろへ。
ライガーが駆け出した。
「待て——!」
竜が翼を打つ。一打、二打。空へ、北の空へその影は吸い込まれていく。ライガーが窓枠に手をかけたときには、もう、闇の中に小さな点になっていた。
ライガーの手が、窓枠を強く握りしめた。
「あいつらはいったい............」
静寂が戻る。
「……まだ生きてたんだ、ライガーさん。久しぶりだね」
アーシュリの声が、ライガーの背に届いた。
ライガーがゆっくりと振り返った。成長はしているが、十二年前と変わらない顔。しかし、かつての目の輝きは無くなっていた。
「……お前は随分といい女になったな」
アーシュリが、盛大に眉を顰めた。
「キモっ。おっさん。そういうとこだぞ」
部屋に、重い空気が落ちた。ライガーとアーシュリのやりとりを笑える雰囲気ではなかった。
王は死んでいる。ソレルは気絶している。クロヴィスは逃げた。
みなが、互いの顔を見た。
だれかが、ぽつりと言った。
「……この国は、これからどうなる」
正当な後継者がいない。血筋は、今この瞬間、途絶えた。誰が統治するのか。民はどうなるのか。問いが重なり、答えが出ないまま空気の中に漂っていく。
不安が、部屋を満たしはじめたその時。
扉が開いた。
ノルマン王国から帰還したレオナールが入ってくる。傍らにドヴァン。二人の背後には、精鋭の衛兵たちが続いていた。
レオナールの目が、部屋の惨状を静かに見渡した。砕けた窓。倒れたソレル。壁に刻まれた傷。死んだ王を。そして——ライガーを、ゴルバを、一人ずつ、順番に。
ドヴァンの視線がアーシュリを捉えた。アーシュリが、ドヴァンを視線に入れる。かつてアーシュリの頭を撫でた右腕が無くなっていた。顔、左腕には無数の傷が生々しく残っていた。
レオナールがゆっくりと、前へ出た。
ようやく1章の終わりが見えてきました。お付き合いいただきありがとうございました。まだまだ続きます。次回もお楽しみに。




