後日談1
第3王子である兄上同席の元、俺たちも賊についての報告を終え、別室で寛いでいた。
いや、軽食をとる俺にフラウが付き合っているというのが正しい。何せ、安心してしまえば俺の身体は、激しく空腹を主張しだしたものだから。
これは、決して俺の年齢がどうとか、そういうことではない。人が生きるためにすべからく持つべき欲求そのものだから。
「――フルメリア嬢、本当にありがとう。非公式で申し訳ないけれど、礼を言わせてくれ。これは王家の総意と取ってくれていい」
「そんな、勿体ない……身に余る光栄でございます」
もしゃもしゃとサンドウィッチを頬張りながら、兄上とフラウを横目で見やった。
賊が飛び込んで来る等という騒動はあったものの、蓋を開けてみれば何のことはない、俺たちにとっては元の鞘に戻ったというやつだ。
婚約は、破棄に対する正式な手続きを始める前だったために事なきを得た。これは、俺の未練がましさが功を奏した形だろう。この際、賊のことは俺にとって重要でなくなってしまっている。
フラウが、ここにいる。ゆるむ口元を悟られまいと、サンドウィッチを一際大きく口に詰め込んだ。
ともすれば満面の笑みをこぼしそうな表情筋を嗜め、スープで流し込んできりりと大人の顔をする。
「フラウ、俺からも、改めてありがとう。……色々含めて、ね?」
ありがとう、よりもごめんなさい、の方が相応しかったろうか。
ほんのりと苦笑を滲ませると、フラウは花がほころぶように笑う。
……これはきっと、浮かれた俺の欲目なんだろう。そうなんだろうけれど、フラウのこの笑顔さえ今までと少し違うように感じる。慈愛に満ちた笑みから、少女の笑みに。
どちらがいいのかなんて、優劣をつけることはできない。ただ言えることは、その笑みは俺の胸を甘く波立たせるということ。情けない俺は、つい欲しくもない紅茶に口を付けて視線を遮った。
だって、今日は散々だったんだ。これ以上ないくらい情けない王子であった自覚がある。だから、これ以上情けないのは勘弁して欲しい。
微笑みひとつで頬を赤らめるほど、子どもではないはずなんだ。
「――ところで、兄上は知っていたのですね。フラウが、その……俺を守れるということを」
落ち着かない気分を変えようと、気になっていたことを尋ねる。
兄上が部屋から去り際、確かにフラウと視線を交わしていた。それはきっと、俺を守ることの確認であったはず。
「もちろん、知っている。私だけではないぞ、父上や他の兄上も知っているとも」
「なっ! ではなぜ、俺だけ知らないんですか?!」
つい声を荒げたところで、フラウがしょんぼりと小さくなったのが見えた。
兄上が肩をすくめて彼女を見やる。
「こうなってはね、フルメリア嬢も黙っているわけにはいかないかな?」
促すような声音に、フラウがちらりと俺を見た。
「あの……すみません。私のたってのお願いだったのです。陰ながらお守りしたいと。淑女として……」
しょんぼりした声音に、それは絶対に俺の知る淑女じゃないと思いつつ声の調子を緩めた。
「あ……ああ~。何だっけ? 守るのを悟らせないのも淑女?」
こくりと頷いたフラウは、ますます小さくなった。
「ですのに、私は殿下に全てさらけ出してしまいました。婚約を破棄された身としては構わないと思っていたのです。それよりも、殿下をお守りすることの方が大事でしたから。ああ、なんてこと。私はもう淑女ではありません……!!」
わっと顔を覆ってしまったフラウに、何と声をかけたものか割と真剣に悩む。
助けを求めて兄上に視線をやっても、急にナプキンでフォークを磨き始めたりしている。
「えーっと、フラウ? そもそも、どうしてそんなに淑女にこだわっているんだい? 俺、淑女がいいなんて言ったことないと思うんだけど」
そりゃあまあ、俺も一応王子の端くれではあるから、妻となる女性は淑女である必要はあると思う。
ただし! それはごく一般的な! 俺の知る『淑女』だからな!!
悲しみに暮れていたフラウは、そっと顔を上げた。
「それは……確か、幼い頃に親切な方から教えてもらったのです。曲がりなりにも王子に嫁ぐのなら、淑女でなければいけないと。淑女が何たるかも、その方に。私では、到底淑女たり得ないと、身を引くが良いと助言下さったのです。ですが、ですがフラウは諦めることを知らず……!!」
俺と兄上の動きがぴたりと止まり、すうっと室内の温度が下がる。
「フラウ?」
「……はい」
「「それが誰だったか思い出せる?」」
見事に重なった兄弟の台詞に、フラウは目を瞬かせていた。
――その後、とある貴族家の不正が暴かれ、降格となったことが社交界を賑わせたのだった。
* * * * *
「――あの、チャールズ殿下はどちらへ?」
急用が、と席を発った殿下は随分とお急ぎのご様子だった。もしや、私が粗相をしたことで諸々のお手間を取らせているのかも知れない。
「ああ、ちょっと思い出したことがあったんじゃないかな? フラウが気にすることじゃないよ」
明らかにそわそわする殿下は、それが私に関わりがあると告白しているようなもの。
これは由々しきこと……やはり私の不始末のせいで。私が在りながら部屋まで賊を入れるなど、怠慢も甚だしい。動揺していたとて、あのようにお守りしている様を晒すべきではなかった。普段通り影でコトを始末できなくて、何が淑女か。
あの時はしばし呆然としたものだ。倒した賊が、ダンジョンの魔物のように消えてなくならないかとあらぬ期待をもってしまうほどに。
それに殿下に賊の姿を晒すなど……まだあのように柔らかい心のお子なのだか――。
脳裏には、瞬時に燃える金色の炎が蘇って、ぼっと私の顔に火を点けた。
なんてこと。抑え込んだはずのこの金色の炎は、ほんの些細な酸素で以て爆発的に燃え上がってしまう。まるで、精霊サラマンダーの最期の極炎のよう。
い、いいえ、まだ、まだ殿下は10歳のお子なのです! 私が、しっかりと身持ち正しく殿下が大人になるまで見守る必要があるのです。
清い想いを大人が利用するようなことをしてはいけないのです。
だって、殿下にはまだたくさんの未来がある。
徐々に、徐々に胸の内の炎を抑えて吐息を零した。
「……ふぅ。私は、新たな淑女修行を模索する必要がありますね」
「やめてね?!」
間髪入れずに返ってきた応えに目を瞬かせる。私を見つめて目を剥いた殿下は、大丈夫な殿下だ。この殿下は、愛おしくて大好きだ。自然と表情は笑みを形作る。
「フラウが頑張りすぎると、俺が――。ああ、違った」
あ、と思わず声が漏れる。しまった、油断――!
視線を逸らすより先に、力ある双眸が私を貫いた。
「いいよ、俺のために頑張ってくれるんだろう? いいよ、俺はもっと頑張ってみせる。俺は、ちゃんと君より頑張って報いてみせるからな」
ぶわりと殿下から風を受けたように圧を感じる。
にっと笑うその顔。大丈夫じゃない、殿下の顔……。
どうしてどうして、殿下はそうなんですか!! こ、この殿下はダメです。私の手に負えない殿下です。
ああ、せっかく抑えた金色の炎が……もうあっちもこっちも延焼して、もうもう私の中は金色だらけ。
胸苦しいのは、呼吸がままならないのは、その炎に焼かれたせい。
そうか、私は淑女として外側を保つことを考えていたから、内側からの攻撃に弱いのだ。きっと。
「う、内なる脅威……いえ、臓器への損傷にも対応できる、内面から美しい淑女を構築して参ります……!!」
どうしてもそうなるんだ、と笑う殿下の軽やかな声。それはどうしたって私を浮き立たせる。
私は視線を彷徨わせて出口を探した。なんとか、話題を逸らして『大丈夫な殿下』に戻って貰わねばならない。
「ええと、その、ところで……そう! 殿下、ずっと伺いたいたかったことがあるのですが」
「うん、何? 唐突に思いついたような『ずっと』だね」
う、いや、唐突に浮かんだのはずっと胸に引っかかっていたことしかなかったものですから。決して嘘ではございません。
少々、勇気のいる問いですが、これはもうフラウが吹っ切ったことです。もう、いいのです。
「殿下のお心を疑うような意図はございません。ですが……その、殿下は私の髪と目の色以外に、何をお気に召したのでしょう」
殿下は、幼い殿下に戻ったように大きな目をぱちくりとさせた。
「髪色と、目? なぜ色限定なんだ?? いや、もちろんフラウの髪と目は好きだけど」
後半に漂い始めた『大丈夫じゃない殿下』に対抗すべく、慌てて言葉を募る。
「あ、あのっ! 私、聞いたことがあるのです。王妃様の……殿下の、母君のこと。私と同じ、ベージュの髪とオレンジ色の瞳だったと」
殿下の視線が、私の髪と瞳を行ったり来たりするのが見える。
「……確かに、母上はベージュの髪とオレンジの瞳、と言えばそうか。なるほど、似てると言えば似てるのか?」
「……え?」
今度は私が目をぱちくりとさせる番だった。
「だけど、母上は何と言うか、フラウより栗色寄りの髪だし、瞳はもっと淡いオレンジだったよ。ベージュとオレンジと言ってしまえばそうなのだろうけど、似ていると思ったことはなかったな」
「…………えええっ?!」
淑女にあるまじきぽかんと口を開けた私に、殿下はくすっと笑う。
「ふーん、そう。フラウはそう思っていたから、俺にああだったんだ」
「あっ……ち、違うのです! その、私の勝手な思い込みで……」
つい、と視線を下げた殿下に慌てて手を差し伸べ――その手を捕まえられた。
「――なら、違うって分かった、ね? 俺が、フラウをどう見てるかってこと」
間近で燃える双眸に、あの笑顔に、ひくっと喉が鳴る。
簡単に振り払えるはずの、まだか弱き手。なのにマウントコングに掴まれたように身動きもままならない。
飛んで火に入る……そんな言葉が私の頭をよぎったのだった。
フラウ:つまり、真の淑女となるにはサラマンダーの極炎に耐えられる心肺と、マウントコングにも勝る腕力を手に入れる必要が……!!
ユグ:シン・淑女か……(諦観)
ひつじのはね的には甘みを増量したつもりです……!