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第1話 死神に置いていかれました

 ここしばらく、生きているのが辛かった。


 婚約指輪を彼氏に買ってもらい、式場も予約していた。


 それなのに、些細な喧嘩であっけなく迎えた別れ。


 天から地へ落ちた気分だった。


 ただ、それでも。

 いや、そんな時だからこそなのか、普段は不満も出る職場が何故か嫌じゃなかった。


 プライベートの話は一切していない。

 していないからこそ、そこは全てを忘れられる場所であり、心の拠り所になっていた。


「大丈夫ー? 生きてるー?」


 学生時代の友人も、生存確認と称して度々連絡をくれる。

 最近あまり会っていなかった友人たちと会う機会も増えた。


 私が泣いても、親身になってずっと話を聞いてくれる。

 気分転換になれば、と楽しませてくれる。


 不幸が訪れたのと同時に、世の中の温かさを感じていた。


 死後はきっと、その感情すら生まれない。

 何もない世界。


 それなら、不幸さえも神様からのプレゼントなのかもしれない。


 嫌な気持ちを知らなければ、幸福も知り得ない。


 だって、幸福しかないのなら、それはただの日常になってしまうから。


 泣いて、笑って、悔しがって、絶望して、喜ぶ。

 それこそが、生きる醍醐味なのだろう。


 幸せな瞬間は確かにあった。


 悲しくて、死すら望んでしまった瞬間も確実にあった。


 それでも、生まれてこなければ、誰とも関わらずに生きていたなら、知り得なかった感情ばかりだ。


 私と関わり、その感情を与えてくれた人達に感謝をしよう。


 優しくしてくれた友人。

 普段は気にもしないけれど、いつもと変わらず挨拶をしてくれる職場の人。

 たまたまスーパーで洋服を褒めてくれたおばちゃん。


 嫌な人も。

 理不尽な出来事も。


 人生にスパイスを与えてくれた存在だ。


 そして、恋や、愛。

 枯れない涙ほどの強い感情を与えてくれた彼氏にも。


 それと、私を見捨てず、全てを与えることも、全てを奪うこともしなかった神様。


 ありがとう。


 何も変わっていない。

 状況が好転したわけでもない。


 彼氏を思い出して泣く日も、まだ続くだろう。


 それでも、ようやく前を向いて明日を迎えられる。


 そう思って眠りについた。

 

 ふと、夜中に目が覚めた。


 声が聞こえた。


「君はもう全てに気付いたから、戻ってきていいよ」


 声は上から聞こえた気がしたのに、足元に影が見えた。


 絵に描いたような、死神のローブ。


 ああ、私、死ぬんだ。


 何故かそう悟った。


「じゃあ、行こうか」


 穏やかな声。


 仮面でも被っているのだろうか。

 表情が動かない気がする。


 人の顔には見えなかった。


「あの……お母さんは。

 ……母はどう思いますか?

 私が死んだら……」


 母一人、子一人。

 母子家庭で私を育ててくれた母が浮かんだ。


「んー……。

 君のお母さんはもちろん悲しむけど、強いから一人で生きていくんじゃない?」


 ……確かに、そうなのだろう。


 私、何もしてあげられなかったな。


 ごめんね、ママ。


「もういいかな? 行こう」


 怖いお爺さんの死神ではなく、若い男性のような死神は先を急いでいるようだった。


「あの、でも仕事とか……。

 そもそも私、一人暮らしなんですが、マンションの解約とか、電気、ガスとか……」


「……しつこい子だね」


 死神は少し呆れたようだった。


 いや、貴方はそれでいいかもしれないけど、私は急すぎて困る……。


「とりあえず行こう」


 気付いた時には、ベランダにいた。


 どうやって閉まった窓をすり抜けたのか、わからない。


 死神はベランダの外へ両腕を伸ばしていた。


 その腕の上に、私の身体があった。


 お姫様抱っこというには、身体が離れすぎていた。


 重くないのだろう。


 自分でも重力を感じないのだから。


 足も腰も、地面に向かって垂れ下がっていなかった。


「……え?

 私、どう死ぬの?」


 足元には、八階から見下ろす地面が遠く広がっている。


「君は飛び降りだよ。

 死に方は選べないんだよねー」


「え!?

 ちょっと待ってください!

 痛いですか?」


「んー、わからないけど、魂になっても僕と話せるから、また後で話そう?」


 次の瞬間、私はベッドの上にいた。


 ただし、そこに肉体はなかった。


 魂だけになった私が、そこにいた。


 落とされたのかどうかもわからない。


 ただ、私の魂は赤かった。


「……あれ?」


 死神が、私の魂をじっと見つめていた。


「思ったより磨かれてないな……」


 独り言のような低い声が落ちた。


「……今じゃなかった、かなー?」


 何かを誤魔化すように、少し明るい声音に戻った。


 あ、私……死なないんだ。


 そう思った瞬間、目が覚めた。


 鳥の声が遠くに聞こえる。


 朝だった。


 ベッドから起き上がる。


「……変な夢」


◇


 職場の更衣室。


 ロッカーに荷物を入れながら、隣にいた仲の良い先輩、ふみさんに話しかけた。


「昨日、夢に死神が出てきたんですけどー」


「え!? 死神?」


 ふみさんは面白そうにこちらを見た。


「夢の中で寝てたんです。


 夜、目が覚めると死神がいて、

 『君はもう全てに気付いたから、戻ってきていいよ』、って。


 明らかにお迎えが来た、って感じでした」


「怖っ! それで?」


「それで、お姫様抱っこされて、8階のベランダから多分落とされたんです。


 でも、私の魂が磨かれてないから、今じゃなかったみたいで。


 あー、私死なないんだ、と思ったら目が覚めました」


「何その夢ー。あはは、ウケるー」


「え!?」


 背後からひときわ大きな声が上がった。


 振り返ると、後輩のみほちゃんが目を見開き、眉を下げてこちらを見ていた。


「……生きていて良かったですね」


「え? ただの夢だよ?」


 私とふみさんが笑っている一方で、みほちゃんは真剣な表情を崩さなかった。


「本当に良かったです」


 普段ほとんど話すことのないみほちゃんは、笑う私を見て少しほっとしたようだった。


(良い子だなー。そりゃこの子好かれるわ)


 なんだか心が温かくなった。


 それからも、時折この夢の話をすることがあった。


 職場の飲み会や同窓会、友人に連れられて行ったバー。


 何かの拍子に、ちょっとした笑い話として口にする程度だった。


 話のネタになれば、それで良かった。


「ヤバいな、病んでるの?」


 そんなふうに笑ってもらえれば、充分だった。


 けれど、予想外の反応が返ってくることもあった。


「俺は生と死の狭間に4回行ったことあるよ」


「え?」


「その4回目、三途の川を渡るのに順番待ちしてたんだけど」


(三途の川って、混んでるんだ。

 嫌だな、何時間待ちなんだろ?)


「みんなで世間話しててさ、今まで宝くじでいくら当たったことがあるかって話になって」


「お金も持って行けないのに?」


「だからだよ! 俺はまだ高額当選したことない! このまま死ねるか!ってね。

 そしたら帰って来たよ」


「へー。そんなことで」


「戻りたい、と思えば戻って来れるから。

 安心していいよ」


「むしろ置いて行かれたけどねー」


 その後、私はあの夢について改めて調べてみた。


 地上は魂を磨くための修行の場だとか。

 磨かれた魂を迎えに来る神がいるとか。


 スピリチュアルにさして興味のなかった私には、初めて知ることばかりだった。


 そんな中、霊視を生業にしている人と話す機会もあった。


「死神はね、磨かれなくなった魂を狩りに来る存在だよ」


「え!?

 じゃあ、私が会ったのは死神じゃない?

 磨かれてない、って言って帰って行った……」


「君が会ったのは、高次元の神だよ。

 君のイメージでは死神に見えただけで」


「へー、あれ神なんだ。

 なんか間違えて来たみたいだけど。

 神様も万能じゃないんだね」


 思わず笑ってしまった。


 結局、あれが何だったのかは分からない。


 ただの夢だったのかもしれない。


 そして日常を過ごすうちに、死神の姿をした神――らしきもののことも、次第に忘れていった。

お読みいただきありがとうございます。

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