『優しい人』【 エピローグ 】
エピローグ***
暗かった。
狭い部屋だった。
幼い杏果は膝を抱えて座っていた。
泣き疲れて声も出ない。
お母さんに会いたかった。
帰りたかった。
何度も泣いた。
何度も叫んだ。
それでも誰も来なかった。
やがて。
扉が開く。
杏果は肩を震わせた。
足音が近付く。
怖くて顔を上げられない。
しばらくして。
目の前に誰かがしゃがみ込んだ。
優しい声だった。
「また泣いてた」
杏果は返事をしない。
「怒ってる?」
小さく頷く。
すると相手は少しだけ笑った。
「そうだよね」
怒られている子供をあやすような声だった。
しばらく沈黙が続く。
その後。
ふわりと甘い香りがした。
杏果は少しだけ顔を上げる。
目の前にはミルクティーの缶。
「飲む?」
杏果は首を横に振った。
知らない人から貰ったものなんて飲まない。
すると相手は困ったように笑う。
「警戒してる」
当たり前だった。
杏果はまた膝に顔を埋めた。
◇
どれくらい時間が経ったのか分からない。
退屈だった。
怖かった。
帰りたかった。
そんな杏果の髪を、後ろから誰かが触る。
杏果「なに?」
「ごめん」
杏果「なにしてるの?」
「結べるかなと思って」
髪を梳かす感覚が続く。
何度かやり直しているらしい。
そのうち。
「できた」
少し嬉しそうな声がした。
杏果は髪を触る。
三つ編みだった。
けれど。
左右の長さが微妙に違う。
杏果は少し考えた。
そして。
杏果「へたくそ」
間が空いた。
それから。
小さな笑い声が聞こえる。
「ごめん」
杏果「お母さんの方が上手」
「そうかも」
少し残念そうだった。
杏果は初めて少しだけ笑った。
◇
その後のことは、あまり覚えていない。
どうやって助かったのか。
どうやって家へ帰ったのか。
誰が迎えに来たのか。
全部曖昧だった。
ただ。
甘い香りと。
ミルクティーの缶と。
不格好な三つ編みだけは。
なぜか記憶の奥に残っていた。
◇
静かな部屋だった。
優佑は机の前に座っていた。
しばらく何もせず、窓の外を眺める。
やがて立ち上がった。
部屋の奥へ向かう。
カチャリ。
鍵を回す音。
ゆっくりと扉が開く。
そこには誰もいない部屋があった。
白いベッド。
小さな本棚。
丸いテーブル。
ティーカップが二つ。
棚には色とりどりのシュシュ。
そして。
窓際の椅子。
そこに座る等身大の人形。
長い黒髪。
右肩の前へ流した三つ編み。
白いシュシュ。
膝の上には、水色のシュシュが置かれていた。
優佑はその姿を見つめる。
しばらく黙ったまま。
それから小さく笑った。
「やっぱり水色だった」
返事はない。
当然だった。
優佑はゆっくり部屋を見渡す。
白いベッド。
二人分のカップ。
静かな部屋。
そして。
ずっと空いたままだった場所。
優佑は目を細めた。
「ようやく空いた」
静かな部屋に声だけが落ちる。
――もっとも。
杏果が、その意味を知ることはない。
エピローグ おわり***
しぐれ:本編の答え合わせ出来ましたか?
ここまで見れた方は、真実が分かったはず…
扉の空いた意味を_____。




