第8話 王都到着
ファレンから王都まで、馬車で五日。
もちろんイリスの金で。
もはや何も言うまい。何でも屋の矜持は飯と引き換えにとっくに売り払っている。
道中は何もなかった。イリスが馬車の揺れに酔ってちょっと青い顔をしていたことぐらいか。
で、王都だ。
……でかい。
門をくぐった瞬間に分かった。今まで歩いてきた街とは、何もかもが違う。
建物の高さが違う。道幅が違う。人の数が違う。空気の密度が違う。
リーデンが「それなりに大きい街」で、ファレンが「古い学術都市」だとしたら、ここは「人間が山ほど集まって、山ほど金を動かして、山ほど面倒事を生み出している場所」だ。
何でも屋として四年間各地を回ってきたが、王都だけは避けてきた。
面倒事の総本山。そこに自分から足を踏み入れている。
正直、気分は良くない。
「学術院は、王都の北区にあります」
「遠いのか」
「歩いて半刻ほどです」
「飯は」
「……先に学術院に行きましょう」
却下された。
まあいい。飯は逃げない。文献を持ち出した男は逃げてしまうかもしれないからな。
イリスの判断は正しい。……腹は減ったけど。
北区に向かって歩く。
王都の街並みは、歩くだけで情報が多い。商店の看板、すれ違う人間の服装、建物の造り。側から見たら、不審に思われるぐらいキョロキョロしてるだろうが、初めて来る場所の情報は少しでも多い方がいい。
一つ気になったのは、真名に関する掲示が多いことだ。
「真名の無断開示は法令により禁止されています」「真名保護局への届出にご協力ください」。
リーデンやファレンにはなかったものだ。王都では真名の管理が制度化されているらしい。
……真名保護局、ね。
俺には関係ないね。真名ないから。
そんなことを考えながら、イリスについていくと、大きな建物が多い王都でも一際大きい建物の前に着いた。
学術院だ。
石造りの門構え。衛兵が二人立っている。ファレンの保管所とは格が違う。
「ここは、名前だけでは入れないんじゃないか」
「……はい」
イリスの声に、珍しく歯切れが悪い。
ファレンでは没落貴族の名前で通れたが、王都の学術院はそうはいかないらしい。
「入るには、院内の研究者からの招待状か、王都行政府の許可証が必要です」
「どっちも持ってないだろ」
「はい」
「来る前に分かってたんじゃないのか」
「分かっていました。ですが、来なければ何も始まりません」
……まあ、それはそうだ。
「じゃあどうする。正面から入れないなら、別の方法を」
「お困りですか」
横から声がかかった。
振り返ると、男が一人立っていた。
長身。飄々とした佇まい。歳は三十手前くらいか。整った顔立ちだが、どこか力が抜けている。目が笑っている。口元にも笑みがあるが薄い笑みだ。それが妙に胡散臭さを匂わせている。
服装は上質だが派手ではない。学者のようにも見えるし、商人のようにも見える。どちらとも断定できない。
……掴みどころがない。
「学術院に用がおありのようですが」
「まあ、そんなとこです」
「招待状が必要でしょう。お持ちでない?」
「ないですね」
「でしたら、私がご案内しましょうか。院内に知り合いがおりますので」
イリスが俺の横で微かに身構えたのが分かった。警戒している。当然だ。見知らぬ人間が突然助けを申し出てくるのは、普通に怪しい。
だが、この男の空気は嫌じゃなかった。
妙な話だが、俺の勘がそう言っている。こいつは危険な人間じゃない。
……いや、危険じゃないというより、波長が合う。俺と似た空気を纏っている気がする。飄々としていて、力が抜けていて、でもどこかに芯があって、まさにか・っ・こ・い・い・男・なところだ。
「危険ですよ。見知らぬ人間についていくのは」
イリスが小声で言った。世間離れした価値観を持っていると思ったら、そういうところはちゃんとしてるんだな。
いや、貴族だったからそういうところはちゃんとしているのか?
「まあ、そうなんだけど」
「何か裏があるかもしれません」
「裏がない人間の方が珍し……というか絶対裏あるよこういう人は」
男がこちらを見て、少し笑った。聞こえていたかもしれない。
「怪しまれるのは当然ですね。では、名乗りましょう」
男が軽く頭を下げた。
「セーラス・ヴェインと申します。王都で真名の保護に関する仕事をしております。学術院にもよく出入りしていまして」
真名の保護。さっき街中で見た掲示。「真名保護局への届出にご協力ください」。
……そっち側の人間か。
「ノウムです。何でも屋の」
「何でも屋。面白い肩書きですね」
「よく言われます」
セイラスが笑った。嫌味のない笑い方だった。
イリスはまだ警戒した顔をしているが、選択肢は多くない。学術院に入るには、この男の手を借りるか、別の方法を一から探すか。
時間がかかる方は、たぶんイリスの方が嫌がる。
「……ノウムさん」
「分かってる。気をつける」
イリスに小声で返して、セイラスに向き直った。
「じゃあ、お言葉に甘えて。案内、お願いします」
「ええ、喜んで」
セイラスが歩き出す。その背中を追う。
隣を歩くイリスの目が、セイラスの背中を観察している。真名の気配を探っているのかもしれない。
俺には分からない。何も感じない。いつも通り。
ただ、一つの違和感を除けば……




