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真名殺しの無銘 〜名前を奪う世界で、俺だけが奪われない〜  作者: 佐木凛人
第1章

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第23話 文句を言う

 セーラスは南の入口の近くに立ったまま動いていなかった。自分では戦わない。護衛を使い、干渉を使い、距離を取って全てを操る。

 穏やかな笑みが、まだ顔に貼り付いている。


「見事ですね。護衛四人を、ほぼ一人で……いえ、二人ですか」


「話がしたいんだろ。聞いてやる」


「私が話したいんじゃありませんよ。君が文句を言いに来たんでしょう」


「……そうだった」


 短剣は構えたまま、セーラスとの距離を詰めない。十歩。この距離を保つ。


「聞きたいことがある。エルド・カーシュは、あんたが作ったのか」


「ええ。保護局の中に研究部門を作りました。真名に関する特殊な研究を自由に行うために」


「目的は何だ」


「救・済・です」


 躊躇いのない声だった。


「真名は力であると同時に、最大の弱点です。真名を知られれば干渉される。奪名されれば人間としての全てを失う……あの広場で見たでしょう。リーデンの商人を」


 覚えている。空っぽの目。声にならない悲鳴。あれは忘れられない。


「真名がある限り、あの恐怖からは逃れられない。だから私は考えました。真名を持たない人間を作ることはできないかと。奪名の恐怖も、干渉の恐怖も、最初から存在しない人間を」


「……それで、生まれたばかりの子供の真名を抜き取ったのか」


「真名形成前に核を除去しました。最もリスクが低い方法です」


 リスクが低い。赤ん坊の体から真名の核を抜き取ることを、そう表現するのか。


「君は成功例です、ノウム。真名を持たずに十九年間、健康に生きてきた。身体にも知能にも異常がない。これは、人類にとって希望なんですよ」


「希望、ね」


「ええ。君がそう感じなくても。君の存在が証明しているんです。真名がなくても人間は生きられると」


 背後でフィーナが護衛と戦っている音が聞こえる。金属がぶつかる音。壁に何かが当たる音。

 セーラスが再び口を開いた。小さく。俺の背後に目線を向けて。

 戦いの音が止まった。二度目の抑制か。

 一拍置いて。戦いの音が再生した。解除。二回目。あと一回。

 セーラスの目が細くなった。


「解除系の特性ですか……なるほど。保護局で重宝されるわけだ」


 フィーナの特性を把握したのか。

 さすがだな、と感心してる場合ではないな。


「俺の親は」


 セーラスの注意を引き戻す。フィーナから目を逸らさせる。


「俺をあんたに渡したのか」


 セーラスの笑みが、初めて消えた。

 穏やかでも飄々でもない、何かを飲み込むような顔になった。


「……それは、今は言えません」


「言えない?」


「言えないんです……いつか、話す時が来ると思いますが」


 いつか? いつかだと……?

 はぐらかしているのか、本当に言えないのか。分からなかった。

 でも、あの顔は嘘をついている顔じゃなかった。

 ……いや、こいつの顔を信じるのはもうやめだ。


 その時、セーラスの目が動いた。

 北の工房。二階の窓。

 イリスだ。布の合図を出すために窓から顔を出していた。


「あの子も一緒ですか……真名を読ませてもらいましょう」


 セーラスの目がイリスに向いた。

「読ませてもらいましょう」だと? よくわからないがまずい。


 俺は走った。

 革鞄から持続型の煙玉を二つ掴んで、セーラスの足元に叩きつけた。


 灰色の煙が噴き出す。金属粉が混じった、しつこい煙。セーラスの視界を完全に塞ぐ。見えなければ何もできないはずだ。一時的だがこれでイリスの真名は守った。


 煙の中でセーラスが咳き込んでいる。金属粉が目と喉にきている。

 初めて、余裕が崩れた声だった。


「っ……」


 セーラスが煙から逃れようと動く。南に向かって。

 俺は煙の中にいた。


 自分で仕掛けた煙だ。どこに何があるか、全部分かっている。

 煙の中は俺の庭だ。


 セーラスの足音を追う。三歩右。二歩前。

 手首を狙って短剣の柄を振り下ろした。手応え。

 甲高いが音が石畳から鳴る。セーラスが持っていた護身用の細剣が石畳に弾かれた。


 煙が少しずつ薄くなっていく。

 視界が戻った時、セーラスは地面に膝をついていた。

 俺が首元に短剣を突きつけている。


 セーラスが俺を見上げた。

 咳き込んで、涙で目が滲んで、服が汚れている。さっきまでの飄々とした姿はどこにもなかった。

 それでも、笑った。


「……見事ですね」


 フィーナが駆けつけた。護衛は全員倒れている。

 セーラスがフィーナに目を向けた。口が動く。三度目の抑制を――


「フィーナ!」

 

 フィーナの体が固まった。

 額に汗が浮かぶ。三回目。限界のはずだ。


 力が弾ける。三回目の解除。

 フィーナがよろめいた。頭を押さえている。足元がふらついている。

 明らかに無理して立っている。


「……三回目、か」


 セーラスが呟いた。もう手がない。護衛は倒れている。武器はない。干渉はノウムに効かない。フィーナは限界だが、まだ立っている。

 逃げ場はない。


「真名の力なしで、ここまで」


 セーラスが膝をついたまま、俺を見上げて言った。


「君は実験の成功例だ。感謝されてもいいと思っていますよ」


 赤ん坊の真名を抜き取っておいて、感謝しろ。

 被験体として十九年間観察しておいて、感謝しろ。

 善人だと思わせておいて、感謝しろ。


 熱いものが胸の底から上がってきた。

 今までの旅で一度もなかったくらいの、重い怒りだった。

 殴りたかった。この笑顔を。一発だけでいい。


 でも、殴らなかった。

 短剣を納めた。


「文句は言った。もう用はない」


 セーラスの前から、背を向けた。


「……ノウム」


 セーラスの声が背中に届いた。


「君の親のことは、本当に、今は言えない。でもいつか――」


「いつか、なんかこねえよ」


 振り返らなかった。


 ♢ ♦︎ ♢


 セーラスを拘束して、グレンザールの保護局支局に引き渡した。

 護衛の四人も同様。証拠書類はイリスが整理して、支局に提出した。支局の人間は困惑していたが、セーラス・ヴェインの署名入りの指示書を見せると、顔色が変わった。

 手続きは思ったより早く終わった。面倒事の後始末としては、かなりあっさりしている方だ。


 支局を出て、三人で旧市街を歩く。

 日が傾き始めていた。朝から始まって、半日で終わった。

 日を跨ぐような長期戦にならなくてよかった。


 フィーナが頭を押さえていた。足取りが少しだけ覚束ない。


「大丈夫か」


「……大丈夫。ちょっと頭が重いだけ」


「無理するな。三回も使ったんだ」


「……君に言われたくないんだけど。広場の真ん中に一人で立ってた人がそれ言う?」


「多少の無茶なら慣れてる」


「嘘つき。今日で二回目」


 フィーナが笑った。疲れた笑い方だったが、目の奥の何かが、少しだけ柔らかくなっていた。


 イリスが隣を歩いている。いつもの冷たい目。でも、どこか安堵しているように見えた。


「終わりましたね」


「ああ。とりあえずな」


 飯を食いに行こう。腹が減った。

 今度は、いつも通りの「腹が減った」だ。

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