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泥を這う雑種は、黄金に愛されるか?—廃都を穿つ、純血の狂気—  作者: ふかみ
【第一章】バビロン・イグニッション
3/7

バビロン・コ・ドライバー

「本当に外装には手をつけないのか?」

 鉄朗は腕を組み、静かに考え込む俺に尋ねた。

「うーん、俺のセンスだと、ちょっとな……」


 ハルのいない、男二人きりの薄暗いガレージで、鉄朗と俺は作業灯に照らされたスープラを前に、カスタムの最終段階について話し合っていた。


 俺は最初、『あのハイゼットみたいな、とにかく走るためだけのセッティングにしてくれ!』と懇願していた。しかし、メカニックとしての鉄朗の魂に火がつき、『スープラはもっと高みを目指せる! あの程度のカスタムじゃ名車が泣くぞ!』と大喧嘩に発展。

 数日間の徹夜作業と幾多の衝突を乗り越え、俺たちはついにこの鉄屑を“本物のレーシングマシン”として蘇らせたのだ。


 心臓部である2.0リッター直列6気筒ツインターボエンジンは、一度ブロックから完全に降ろされ、徹底的なチューニングが施された。吸排気ポートを鏡面になるまで研磨し、劣化したタービンは低回転からのレスポンスを重視した強化品へと換装。

 足回りにも一切の妥協はない。「廃都のガレキや、高所からダイブしても絶対に足が折れねぇようにしてある」という鉄朗の言葉通り、車高調を組み込んでストロークを十分に確保した、まるでオフロードカーのような屈強なサスペンションが仕込まれている。


 内装は徹底的な軽量化のため、内張りもアンダーコートも引っ剥がしたドンガラ状態。剛性を高めるロールケージが張り巡らされ、極めつけにはナイトロシステムまで組み込んだ。


 それはまさしく、公道を走る狂気のモンスターだった。

 しかし、ここで致命的な問題が一つ生まれた。


 俺たちの、絶望的な「ドレスアップのセンス」の欠如だ。


 鉄朗が提案すれば無駄に巨大なウィングが付いた「昭和の珍走団」になり、俺が提案すれば空力を無視した「ダサさを超越したキメラ」に行き着いてしまう。

 二人してボンネットの前で頭を抱え、重い溜め息を吐いていると、ガレージの扉が開いた。


「ただいまー! 今日の配給、もらってきたよー。あと、ニッセキの廃棄ルートから面白そうな機材もくすねてきた!」

 両手に食料の紙袋を抱え、脇に『分厚いモニターのようなもの』を抱え込んだハルが、不思議そうに首を傾げて立っていた。


 事情を聞いたハルは、荷物を乱雑に押し込んで戻ってくると、興味深そうに俺たちの会話に混ざった。

「……なるほどね。要は、この車を最高にイカした見た目にしたいってことね」

 ハルはそう言うと、下地が剥き出しになったスープラのボディラインを指先でなぞり、フロントグリルの前でスッとしゃがみ込む。そのダークブラウンの瞳が、何かを値踏みするように細められた。


「……別にこれ以上、手をつけなくてもいいんじゃないかな?」

 ハルが最終的に出した結論は、あまりにもシンプルなものだった。


「え?」

 拍子抜けした俺の声をよそに、ハルは立ち上がって微笑む。

「もうすでに機能として完成されているこの車に、これ以上の後付けの装飾は不要だよ。無駄なものを削ぎ落とした今のスタイルこそが、一番美しい」

「美し……って、エアロも何もなしかよ!?」

「うん。強いて言うなら、カラーを何色にするか、だね」


 あっけらかんと言い放つ彼。その理にかなった引き算の美学に、鉄朗は腕を組んで深く頷いた。

「……確かに、このラリーは道なき道を走ることもある。ハネやフェンダーは、ビル風に煽られるか瓦礫に引っ掛かるだけ、か……。そうなると、外装はノーマル形状が一番合理的か……」


 だが、すっかり感心している鉄朗の言葉を遮るように、俺は声を荒げた。

「でも、俺はコイツを唯一無二にしたいと思ってるんだ! 誰が見ても『俺だけのスープラ』だってわかるように見せつけたいんだよ!」


 血統を持たない野良犬ゆえの切実な叫び。

 ハルはそれを決して笑わなかった。ただ、どこか冷徹な響きを含んだ声で窘めるように言った。

「あのレースに参加する時点で、このスープラはすでに十分、唯一無二の存在だよ。……ねぇ、ガク。この『トーキョー・ラリー』のスポンサーが誰か、知ってる?」


「スポンサー……? そんなの知らねぇけど……」

 俺が眉をひそめると、ハルは静かに首を振った。

「『日本石油産業機構』。名前くらいは聞いたことあるでしょ? そこがね、裏でこのトーキョー・ラリーを仕切ってるんだ」


 そう言うと、ハルはふぅ、と小さく息を吐いた。

「あの組織は、この見捨てられた廃都・東京を、自分たちの巨大な『宣伝スポット』として利用しているんだよ。ガクみたいなスラムの子たちや、まぁ、『自称・腕自慢』達に賞金という名の『物資』を与え、ガソリン車の暴力的な魅力を世界中に喧伝しようとしてるの」


 ハルはそこまで語ると、再びスープラの滑らかなボディへと目を向けた。

「だから、このレースに参加する連中は、まず日石にっせきの豊富な支援金で車を改造する。……わかる? スポンサーの金で着飾った、派手なハリボテの車ばかりが並ぶんだよ」

 ハルはダークブラウンの瞳で、真っ直ぐに俺を見つめた。

「だからこそ、装飾を削ぎ落としたこの車は『確実に唯一無二だ』と言えるんだ。洗練されたこの80年代スポーツカーの純粋な機能美は、ドライバーの腕ひとつで誰よりも魅力的なものに変わる」


 それは、ハルなりの最大級の賛辞であり、俺の腕に対する絶対の信頼だった。

 しかし、持たざる者にとって派手な装飾は『舐められないための鎧』だ。丸腰で放り込まれるような不安が、俺の不貞腐れた顔にありありと浮かんでいた。


「ま、ボディカラーを決めて、あとはルーフへ巨大なライトポッドでも載せれば完璧だと思うよ! さっきのモニターも助手席に配線しておくから。……で、ガク。この子の色はもう決めたのかい?」


 ハルが無邪気に尋ねると、俺は眉間に深い皺を寄せ、吐き捨てるように言い放った。

「……お前が、勝手に決めろよ!」


 ドスドスと足音を立てて、俺は事務所の奥へと引っ込んだ。

「あ、ちょっとガク!?」

 目を丸くするハル。その横で、鉄朗がわがままな子供を見るような生温かい目を向け、短く鼻で笑うのが聞こえた。


 数日後、東京都庁前。

 ズドドドド……と、腹に響く規則的なアイドリング音を響かせながら、スープラは俺がステアリングを握る時を静かに待っていた。

 ハルが指定したボディカラーは『ワインレッド』。ノーマル形状のボディに圧倒的な気品と高級感を漂わせるその深い赤は、どこか血の色を思わせる凄みを纏っている。


「いいか、ガク。今日はあくまでテストランだ。決して無理はするなよ」

 窓の外に立つ鉄朗に、俺はひどく不機嫌そうに黙って頷いた。助手席のハルは、自分が持ち込んだ分厚いモニターの配線を弄りながら、鉄朗に最終確認を行う。


「ルートの確認。都庁北の交差点を左折、新宿中央公園北を右折。その後、青梅街道から新宿税務署通りへ抜け、税務署の建物前でターンして戻ってくる……これで間違いないね?」

 ハルが的確にコースを復唱している間も、俺の頭の中はずっと濁っていた。

 ボディカラーもルーフのライトポッドも、結局全てハルが決めた。「お前が決めろ」と吐き捨てたのは自分だが、いざハルのセンスで染め上げられた車体を見ると、『これは俺の車なのに』という理不尽な劣等感が腹の底で渦巻いているのだ。


「……ク、ガク!」

 その時、ハルの声が俺を引きずり上げた。

「ねぇ、話聞いてた? 目安は5分切りだって。……でも、この車のセッティングと君の腕なら、もっとタイムを削れるはずだ」

 ハルはストップウォッチを片手に、純粋にスピードを求める『分析的なエンスージアスト』としての鋭い顔を覗かせた。

「僕もコ・ドライバーとして、徹底的にナビゲートする。一緒に最高のタイムを叩き出そうね!」


 確かな熱を帯びたハルの言葉に、ますます苛立ちが湧いてくる。

(呑気に言いやがって。俺の気も知らねぇで……!)

 俺はギリッと奥歯を噛み締め、乱暴に空吹かしをした。


「……いくぞ、3、2、1……」

 カウントを始める鉄朗をよそに、俺は焦燥に駆られるままナイトロのスイッチに指をかけた。

「え、ちょ、ガク!? まだ早いよ!」

 ハルの困惑した声を無視し、鉄朗の「ゴー!」という合図と同時に、親指を押し込んだ。


 ――ドォォォォンッ!!

 背中を鉄槌で殴られたような爆発的な加速。ワインレッドのスープラは弾丸となって都庁通りを切り裂いた。


「ガ、ガク! 落ち着いて、これじゃ制御が……!」

 ハルの制止も耳に届かない。俺は吠えるエンジン音を心音にして、都庁北の交差点を強引にねじ伏せるように曲がった。

 しかし、荒れた路面は牙を剥いた獣には不親切だった。


 ガシャン!!

 激しい衝撃音。制御を失いかけた車体の右後部が、路傍に放置されていた原付を無残に跳ね飛ばした。

「ガク! ガク!!」

 ハルが必死に名前を呼ぶ。アスファルトに黒々としたスリップ痕を刻みつけながら、狂ったように公園通りを北上していく。


「ちっ、どうして……どうして上手くいかねぇんだよ!」

 苛立ちを虚空にぶつけ、青梅街道へ飛び出す。放置車両の間を縫うように抜け、マンションの窓が高速で後ろへ流れていき、新宿税務署通りへ強引に鼻先を向けた。

「……何がそんなに気に入らないの!?」

 ついに、ハルが喉を引き裂くような声を上げた。

 だが、俺は応える代わりに再びナイトロを叩いた。ガォォォォッ!!と限界を超えたパワーに車体が悲鳴を上げる。


「ガク、君はここ数日間ずっと不機嫌じゃないか!! 何が嫌だったの!? 教えてくれなきゃ、わからないよ!!」

 必死に食らいついてくるハルの声すら、煩わしかった。

「……うるせぇよ!!」


 俺の咆哮が響き渡ると同時に、スープラは新宿税務署の前へと辿り着いた。

 激しいスキール音を立てて急停車し、白煙が周囲を覆う。荒い息を吐きながら、俺は猛然と助手席のハルに向き直った。


「何が気に入らないって、何もかもだよ! 毎日呑気にふわっと生きて、やってることといえば家事くらい! そんな奴に、俺の車をどうするかなんて決める権利はないんだよ!」

 ハルは俺の叫びに呼応するように、かつてないほど荒げた声を発した。


「じゃあ、全部ちゃんと自分で決めればよかったじゃないか! 僕は君の意見を無視しようだなんて思ったこと、一度だってなかったよ!」

 はぁ、はぁ、と俺たちは肩で息をしながら睨み合う。

 十数秒後。俺は冷たく口を開いた。


「お前がコ・ドライバーじゃ、勝てるもんも勝てねぇよ」

 その発言に、ハルはハッと目を見開いた。

「……それ、本気で言ってるの?」

「あぁ! お前みたいなお坊ちゃんを乗せてたんじゃ、その分重くなるだけだから、さっさとその車から降りてくれよ!」


 それを聞くと、ハルはフーッ、と長く息を吐いた。

 顔を上げた彼の瞳からは、先ほどまでの激昂も温厚さも全てが消え失せていた。あるのはただ、極限まで研ぎ澄まされた冷徹な光だけだ。

「……今、3分4秒。ここから巻き返すための最適解、君には思いつかないんじゃないかな?」

 感情を排した挑発。俺はそれに乗ってしまう。

「じゃあ、お前の誘導で巻き返してみろよ! そしたら認めてやる!」


 ハルは満足げに目を細めた。

「言ったね? じゃあ、これからは僕の指示通りに動いてもらうよ」

 そう言うと、ハルは助手席から俺の顎下を撫でるように手を伸ばした。俺はそれを乱暴に弾き飛ばす。


「……あぁ、言ったさ。純血のボンボンが」

 ステアリングを切り返し、再び通りへと鼻先を向けた。

「今は3分24秒。じゃあ、死ぬ気で指示に従ってもらうよ、野良犬くん」


 ハルは手元のストップウォッチを見つめたまま、冷徹な指示を出し始めた。

「まず通りに出て。そこの信号を右折ね」

 スープラが咆哮を上げて走り出す。車を操っているのは俺だが、実質的な支配者は変わっていた。


「じゃあ、左車線を走って。速度を少し落として」

「は?」

 直線を飛ばすべき場面での減速指示。しかし、ハルは俺を見向きもせず、氷のような声で言った。

「指示に従え」


 その絶対的な圧力に、俺は本能的な恐怖を覚えアクセルを抜いた。左車線に入り、建物の前を通り過ぎた時、不意にハルが言い放った。

「左に曲がって」


「いや、次の裏路地はトラックが塞いでて……」

 通れない、と言おうとした時、ハルの口角が微かに上がった。

「裏路地じゃないよ。そこにあるオフィスビルのエントランスに突っ込んで」


「……え?」

 こいつは正気じゃない。だが、ハルは迷いなく声を張った。

「曲がれ!!」


 その瞬間、俺の視界の端で、ハルの黄金色の尻尾がバケットシートをバンバンと激しく叩き始めているのが見えた。極限の状況下で、コイツは狂気的な高揚感に包まれているのだ。

 鋭い命令に、俺の身体は反射的にステアリングを左へ全開に切った。

 車体が歩道の段差と降り階段を飛び越し、一瞬、ふわりと宙に浮く。直後に訪れる、鉄朗が鍛え上げた屈強なサスペンションが限界まで沈み込む暴力的な衝撃。


 ――ドシャンッ!!

 分厚い強化ガラスを粉砕しながら、ワインレッドのスープラは建物内部へと侵入した。

 大理石の床を滑走し、ソファや観葉植物を蹴散らしながら進む。反対側の出口の光が見え、再びガラスを打ち破る轟音が響き、青梅街道へと飛び出した瞬間、ハルが叫んだ。


「すぐ左にハンドルを切って!」

 俺の喉の奥から、無意識に『ヴヴ……』と獣の唸り声が漏れる。ハルの完璧な指示に従い、フルブレーキングで車体を横に滑らせる。

 バキッ! と鈍い音がして、右のドアミラーが歩行者用の信号機に激突し、無残にもぎ取られて飛んでいった。


「中央分離帯に気をつけて! そのまま公園通りを南下!」

 俺に反抗する余地など一ミリもなかった。エンジンが悲鳴を上げる中……ワインレッドの獣は、4分52秒という驚異的なタイムで、スタート地点へと滑り込んだ。


「お、戻って……て、あぁっ?!」

 都庁前。帰還を待ち侘びていた鉄朗は、白煙を上げて急停車した車の無惨な姿を見て絶叫した。

「ガ、ガク! お前、せっかく俺が完璧に仕上げたこいつを、ただのテストランで……!」


 頭を抱えて崩れ落ちる鉄朗。しかし、車から降りた俺はその怒声に何も返せなかった。圧倒的な体験の余韻で、声が出ないのだ。

 呆然と立つ俺の背中に、ふわりと、ハルが後ろから抱きついた。


「ガークッ! いやぁ、怖かったねぇ! でも、見事5分切りは達成できたよ!」

 つい先ほどまで冷徹な悪魔のような指示を出していた男と同一人物とは思えない、甘えたような声。

 ハルの温かな体温と微かに漂う石鹸の匂いを感じて、俺の心臓はドクンと脈打った。


(……コイツのイカれた指示に従ってたら、命がいくつあっても足りねぇ……でも……)

 あの最短ルートを切り裂く快感は、どうしようもなく甘かった。


 俺はハルの手を優しく解くと、真っ直ぐに向き直った。

「……ハル。これからも、よろしく」


 ハルはパァッとダークブラウンの瞳を輝かせた。

「それって、僕を正式にコ・ドライバーとして認めてくれるってことだね?!」

「あ、あぁ。そういうことだ……」


 しかし、言葉を言い切る前に、俺の頭にゴツンッ! と強烈な衝撃が走った。

「痛っ……!?」

「お前ら、まだこっちの話が終わってねぇぞ!!」

 鉄朗の巨大な拳が脳天に直撃し、視界に火花が散る。

 結局その日の晩まで、鉄朗の容赦ない雷と愚痴は止まらなかったらしい。

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