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第17話 外縁区画図

 灰環前砦グレイサーク・フロントの小部屋を拠点として整え、入り口に真新しい記録板を打ち付けた翌日。


 ユーク・フェルドは、拾い集めた平たい石を机代わりにして、リュックから取り出した古い羊皮紙の束と睨み合っていた。


 それは、王立迷宮監督院から持ち出した、灰環迷宮の旧式図面だ。

 迷宮が「完全停止」の烙印を押される数年前、最後に正式な測量隊が入った時の記録である。入り口から第一層の深部まで、水脈や鉱脈の位置、魔獣の生息域などが細かく書き込まれている。


「……使い物にならないな」


 ユークは短く吐き捨て、羊皮紙を無造作に丸めた。

 図面が間違っているわけではない。迷宮そのものが、図面が描かれた時代から致命的に『変形』してしまっているのだ。


 昨日、グランと共に歩き、ルーメの光で照らし出した入口層のルートと、図面に描かれている「表の正規ルート」は、もはや別物だった。

 かつて数十人が並んで歩けた大通路は、度重なる崩落で完全に塞がっている。逆に、図面では「行き止まり」とされている岩壁に大きな亀裂が入り、汚泥の流れる新しい水脈が形成されていたりする。


「この図面を信じて『昔はここを通れたから』と足を踏み入れれば、間違いなく死ぬ」


 ユークは短い鉛筆を手に取り、白紙の羊皮紙を広げた。

 迷宮を外部の人間――冒険者や素材の採集者――に利用させるつもりなら、絶対に『地図』が必要だ。


 それも、「ここに宝があるかもしれない」という冒険の夢を煽る地図ではない。

「ここから先は死ぬ。ここを通れば必ず帰れる」という、命を保証するための『責任の線引き』としての地図だ。


「よし、測量だ。全踏破なんて無謀な真似はしない。俺が管理責任を持てる範囲だけを切り出す」


 ユークは砦を出て、再び迷宮の入り口へと足を踏み入れた。

 肩には索敵を担うシルクスが乗り、足元には環境を可視化するルーメが追従している。


「頼むぞ、お前たち。今日は道を作るんじゃない。俺たちが作った道を『測る』仕事だ」


 迷宮内に踏み入ると、昨日整えた青緑色の安全導線が、淡く静かにユークを迎えてくれた。

 ユークは歩きながら、歩幅で距離を測り、手元の羊皮紙に素早く線を引いていく。


「入り口から直線で約五十メートル。右手に小崩落の跡。グランが負荷を逃がした石柱がある。ここは……『安全帯』だが、頭上に注意が必要だな」


 地図作りの作業は、冒険者のマッピングとは根本的に思想が異なる。

 冒険者は「まだ見ぬ奥」を白紙の地図に描き込んでいくことに価値を見出す。しかしユークは、「今安全だと分かっている場所」を確定させ、それ以外のすべてを黒く塗りつぶしていく。


「シルクス、あの分岐の先はどうなっている?」


 ユークが指差したのは、安全導線から左へ逸れる薄暗い横穴だ。

 シルクスは肩からスルスルと降り、横穴の入り口付近に細い糸を張った。数秒後、パスを通じて振動情報がユークに届く。


『三十メートル先、床に空洞あり。微細な毒ガスの気配』


「なるほど。旧図面だと、ここは『微光茸びこうだけの群生地』とされているな」


 ユークは旧図面と現状を照らし合わせた。

 かつては薬効のあるキノコが採れる、初心者向けの安全な稼ぎ場だったのだろう。だが今は、水脈の乱れによって毒ガスが滞留する死の罠に変わっている。昔の知識を持った者が「あそこなら安全に稼げる」と思い込んで踏み込めば、一酸化炭素中毒のように声も出せずに死ぬだろう。


「ルーメ。ここには赤紫の光を厚めに置いてくれ。『要注意』じゃない。ここは『封鎖区画』だ」


 ユークの指示で、ルーメが横穴の入り口に警告の光を配置する。

 ユークは手元の地図の該当箇所を、容赦なく真っ黒に塗りつぶした。


「昔の稼ぎ場だろうが関係ない。俺が安全を保証できない場所は、すべて『存在しないもの』として扱う」


 さらに奥へ進む。

 モルトが腐敗泥を吸い込み、澄んだ水筋が戻りつつある区画。

 ここでは、ルーメの光が安定した青緑色を放っている。


「ここは空気も良く、足場もグランが固めた。水も補給できる。ここを『第一次安全帯』の終点とする」


 ユークは地図に丸印をつけ、そこから先のエリアの評価に入った。

 フェズがマッドラットの群れを誘導した旧通路方面。ここは泥が深く、野良の獣が彷徨っている可能性がある。


「ここは『要注意(事故予備線)』だ。立ち入ることは禁止しないが、自己責任の線引きを厳重にする必要がある」


 ユークは羊皮紙の上で、区画を明確な意味を持って分類していった。


 一、『安全帯(青緑)』:ルーメの光があり、グランが地盤を補強し、シルクスの監視が行き届いているルート。ここを歩く限り、突発的な崩落や汚泥の逆流で死ぬことはない。

 二、『要注意(黄)』:崩落の危険は去ったが、足場が悪かったり、弱い野良魔獣が出現する可能性がある区画。

 三、『未整備(黒)』:索敵網が届いておらず、現状が不明な区画。

 四、『封鎖(赤紫)』:有毒ガスや深い泥沼、致命的な崩落の危険が確定している区画。


「地図を描くということは、世界を解釈することだ」


 ユークは呟きながら、黙々と線を引いた。

 迷宮という無秩序な暴力の塊に、管理者の『目』を通して理性を被せていく。どこまでなら許容できるか。どこからが致命的か。


 その線引きこそが、管理者の最大の武器であり、同時に最も重い責任でもあった。


「シルクス、ルーメ。少し戻るぞ」


 ユークは何度か往復し、分岐点の角度や距離の誤差を修正しながら、入り口周辺の『外縁区画』と呼ばれるごく浅いエリアの地図を完成させていった。

 作業は半日を費やしたが、出来上がった地図は、冒険者が喜ぶような広大なものではなかった。


 砦に戻ったユークは、完成した地図を石の机の上に広げた。


「……思ったよりも狭いな」


 地図の上で『安全帯』として白く残されているのは、入り口から真っ直ぐ伸びる一本の道と、その周辺のほんのわずかな空間だけだ。

 灰環迷宮の全体規模からすれば、入り口のほんの『薄皮一枚』、1パーセントにも満たない領域。


 冒険者が見れば「たったこれだけしか進めないのか」と鼻で笑うだろう。稼げるような高価な鉱石も、レアな魔獣の素材も、この狭い範囲には存在しない。


「だが、それでいい」


 ユークは鉛筆を置き、地図を指で強く叩いた。


「俺は英雄じゃないし、ここを一夜にして黄金郷に変える魔法使いでもない。俺にできるのは、『入った人間を確実に生かして帰すこと』だけだ」


 この狭い範囲なら、今のユークと五体の契約個体の力で、完全にコントロールすることができる。

 どこで石が落ちても、どこから泥が溢れても、シルクスが感知し、グランとモルトが対処し、ルーメが警告し、フェズが逸らすことができる。


 その『絶対的な運用責任が持てる範囲』こそが、今の灰環迷宮の正しいサイズなのだ。


 ユークは完成した羊皮紙の地図を、砦の入り口に打ち付けた記録板の隣に、木の釘でしっかりと貼り付けた。

 そして、その地図の余白に、太く大きな文字で書き加えた。


『灰環迷宮・外縁区画 限定試験開放図』

『※白抜きの導線以外への立ち入りは、生命の保証をしない』


「よし。これで、利用者に提示するルールブックの『盤面』ができた」


 ユークは砦の入り口に立ち、外の冷たい風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 道は通り、砦は掃除され、地図も完成した。


「次は、外の世界へこの迷宮の『価値』を少しだけ見せに行く番だな」


 迷宮の中だけで完結する作業は終わった。

 再建を続けるには物資が必要であり、人が戻ってくる兆しを作らなければならない。


 ユークの視線は、灰環迷宮のさらに外、山を下った先にあるであろう近隣の村や町の方角へと向けられていた。

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