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第155話 運び賃

 六字の紙は三日のあいだ卓の端にあった。


 ミレアは朝のうちに油紙を裁って紙を挟んだ。折るところで字が薄くなるからだという。包んでも行き先は増えない。


「運び手を数える」


「訊きます」


 ミレアは控えの余白へ縦に線を引いて、手を上から並べた。いちばん上の行には初めから横棒が入っている。荷方が次に坂を上がるのはひと月の先になる。置いていけるのは預かりだけで、振り分けるのはあちらの帳場だ。


「消えてる行は飛ばせ」


「飛ばします。残るのは門を通る手だけです」


「桶の日に上がってくる村の者は」


「下りるのは村までです。村から先へ出る用を持つ人はいません」


「町まで下りる村の者もいるだろ」


「月に二度ほどいます。持たせれば、預かった方の名前が町の帳場に残ります」


「残るとどうなる」


「村の方が灰環の紙を運んだ、という行が一つ立ちます。あちらの普請の紙は今ちょうど道帳へ載る手前ですから」


 オドルが書きはじめたばかりの紙に、余分な行を足す用はこちらに無い。


「うちのに持たせるのはどうだ」


 答えが返るまでに間が一つあった。


「外へ出せるのは一体です」


「一つで足りる。紙一枚だ」


「置いてくることはできます。受ける手がありません」


「置いときゃいいだろ」


「置かれた紙は、置かれた側の帳へ入りません。誰から受けたかを書く場所が埋まりませんので」


 荷は人の手から人の手へ渡って、渡したところで一行になる。渡す側が獣なら、その一行は立たない。


「もう一つあります」


「言え」


「野良の穴の獣が村の卓へ紙を置いた、というほうが先に回ります。中身は後になります」


 読む側は運び手を先に見る。中身はその後ろへ回る。


「無しだ」


「無しにします」


---


 昼を回った頃に坂の下から輪の音が上がってきた。


 月の荷の日だった。ドーランは車を門の手前へ寄せて、樽と油と釘の袋を土間の隅へ下ろした。下ろし終えても框へは掛けなかった。笠も脱がない。


「先に言っとくぞ」


「言え」


「銭の動かねえ運びは三度で止めた。四度目は無えぞ」


 こちらはまだ一言も出していない。卓の上の包みは土間から見えない。


「聞いてきたのか」


「聞いてねえよ。あんたが黙って土間に立ってる日は、たいがい銭にならねえ話だ」


 彼は笠の縁を持ち上げて奥を見た。


「例が回ったんだ。どこかから一枚戻ってくる。……来たか」


「来た」


「返す気か」


「返す」


「道は」


「無え」


「だろうな」


 ユークは土間の縁まで出た。


「頼まねえ」


 ドーランは笠の下からこちらを見た。


「じゃあ何だ」


「買う。荷にする」


「荷にな」


「あんたが言った。運ぶのは荷だと。荷には受けと渡しの控えが残るとも言った」


「言ったな」


 彼は土間の樽を一つ指で叩いた。


「先に一つ訊く。この前のは、これから書かされる土地だと言えた。今度のは誰だ」


「分からねえ」


「分からねえのか」


「分からねえ」


 ドーランは笠を被り直した。


「うちじゃそれを先に訊く。荷の値は重さで決まらねえ。落としたときに誰が困るかで決まる」


「割れ物か」


「割れ物は高え。割れりゃ買った奴が困る。困る奴が分かってりゃ、積む場所も縄の掛け方も先に決まる」


 彼は坂のほうへ顎を向けた。


「雨で全部は運べねえ日がある。そういう日に何を降ろすかを、俺は困る奴の顔で決めてる」


「濡らすな」


「濡らさねえ」


「遅れは」


 そこで言葉が続かなかった。向こうの紙の期日をこちらは知らない。訊けば説明の紙が要る。


「遅れて困るかどうかも分からねえ」


「そこもか」


「向こうの期日を知らねえ。中身は六字だ。どの欄ですか、と書いてある」


「それだけか」


「それだけだ」


 ドーランは息を鼻から出した。


「分からねえ荷は積めねえと言いてえところだが」


「言えよ」


「一つだけ積み方がある。降ろす順を決められねえ荷は、いちばん最後まで残るところへ入れる」


「奥か」


「奥だ。奥は途中で取り出せねえ。取り出せねえかわりに、雨でも川止めでも最後まで車に残る」


 値の話になった。ドーランが言った額は油の一壺より高く、月の炭より安かった。


「まけろとは言わねえ」


「まけねえよ。分からねえ荷は値が上がる。降ろす判断がこっちでできねえからな」


「上がったな」


「上がった。……安くしたら俺の帳が合わなくなる。合わねえ行は後から一番先に読まれる」


「これで四度目か」


「三度は銭が動いてねえ。今度は動く」


 彼は笠の下で口の端を動かした。


「分からねえのを運ぶのは初めてだ」


---


 ミレアが包みを持って土間へ出てきた。


「先に訊かせてください」


「言え」


「どちらの帳場へ渡しますか」


「町のだ。俺の荷は全部そこへ入る」


「あの村へ入る便を、あちらは持っていますか」


「知らねえな」


「無かった場合は」


「留め置きだ。ひと月置いて出す先が無けりゃ俺のところへ戻ってくる」


「戻りましたら」


「戻り賃が要る。先に払うか戻ってから払うかは、あんたらが決めろ」


 ミレアはユークを見た。


「先に払え」


「先に払います」


「戻らねえかもしれねえぞ」


「戻りませんでしたら、そのぶんはあちらの帳の受けに残ります。後で払いますと、月末まで未収の行になります」


「未収だと何が起きる」


「読み合わせがあります。その日にうちの名がもう一度読まれます」


「困るか」


「困りはしません。読む方が一人増えるだけです」


 ミレアは指を折った。


「もう一つ訊きます。あちらの帳場に便が無い場合、近い町へ回されることはありますか」


「ある。回せば向こうの帳場の荷になる」


「段が一つ増えますね」


「増える。増えりゃ遅くなる」


「遅くなりまして、そのぶん跡が増えます」


 ドーランは肩の力を抜いた。


「そりゃそうだ。俺の受けと、回した先の受けと、村へ渡した控えだ」


 判の要らない紙は速い。速いかわりに通った道が一つも残らない。この砦へ来た一通がそれだった。今日はその逆を買うことになる。


---


「宛名はどう書く」


「村の名だけだ」


「差出は」


 ミレアの手が止まった。


 荷には差出が要る。要らないのは預かりで、預かりは辿れない。


「うちの名を入れますと、あの村の帳に灰環の名が一行入ります」


「抜いたばかりだな」


「抜きました。抜いた紙を、名の入る道で出すことになります」


 外へ出す一枚からは砦の名も日付も落としてある。荷の札に名が入るなら、落とした意味は札のところで消える。


 笠の下から男が言った。


「差出は俺だ」


「あんたの名でか」


「買ったんだろ。買った先で荷は俺のもんだ。俺の荷は俺の名で出す」


「よろしいのですか」


「構わねえよ。俺の名は荷の数だけどこかの帳に入ってる。一つ増えたって俺の値は動かねえ」


 彼は車の後ろの箱を指した。


「そのかわり、返りも俺のところへ来る」


「向こうから見りゃ、出したのはあんたか」


「そう読める。中の紙にあんたの名が無えからな。……読み違えられるのが嫌なら、名を入れ直せ」


「入れねえ」


「なら、そういう荷だ」


 ミレアは頁の端へ短く控えた。


「返しの先が一つ増えました。書役の方が返す気になったとき、返す先は町の帳場です。そこから坂を上がってきます」


「遅くなるな」


「遅くなります。かわりに、返らなかったことも分かります」


---


 ミレアは奥から銭箱を出した。


 箱の銭は油と布と釘と薬と補修材のために積んである。どの段も物の名で立っている。


「落とす先がありません」


「銭が足りねえのか」


「銭はあります。行の名がありません」


「紙を出すのに銭が要ったことは」


「一度もありません」


「一度もか」


「一度もです」


 これまで外へ出した紙に掛かったのは、紙と墨とこちらの手だけだった。運びはいつも誰かの都合の付いでに乗っていた。付いでは控えに載らない。


「新しく作れ」


「名を決めてもらえますか」


「運び賃だ」


 ミレアは物の並びの下へ一行引いた。〈運び賃〉と書いて、右へ日付を入れる。左には額と渡した先を入れた。


「中身の欄は」


「紙一通とだけ入れます。細かく書くのは値の付く荷だけです」


「頼めば只だったかもしれん」


「只では入りません」


「入らねえのか」


「頼まれごとを控える帳を持つ人はいません。只で運んでもらったものは、あの方の胸から先へ出ません」


 銭が動けば商いになる。商いなら向こうの帳にも一行残る。


「うちの帳と、あの男の帳と、町の帳場だな」


「三つです。同じ日の行が三つ立ちます。一つ消えても、残りの二つで日が出ます」


 消えない形を作るのに、これまでは写しを配ってきた。今日は銭が同じ働きをする。


 ドーランが半紙を一枚出して受けを書いた。日付と紙一通と額と自分の名を入れて、最後に灰環前砦と書いた。


「この受けはどこまで行きますか」


「俺の帳までだ。あんたのぶんはあんたが持て」


「では、うちの名が坂を下りるのは、あの方の帳までということになります」


 ユークは受けを受け取って灯へ寄せた。二年半のあいだ外の紙にこちらの名が入るときは、いつも刷ってある様式の宛先の側だった。今日の一枚は買った側として入っている。


---


 ドーランは縄を解いて箱を開けた。


「一つ置いていく」


「銭の動く話か」


「動かねえよ。運んだんじゃねえ。見たもんを言うだけだ」


「聞く」


「例の紙を下の宿場の帳場でも見た。町のは先の月に見たやつだ。今度は別の棚だった」


「同じ形か」


「同じだ。上に同じ触れが付いてた」


「何枚出てる」


「知らねえ」


「帳場なら数えるだろ」


「棚へ入れちまえば数えねえよ。数えるのは値の付くもんだけだ」


 こちらの書いた形が幾つの卓に載っているのかを、今日も誰も数えていない。数えていないものは減りも増えもしないまま次の手へ写される。


 包みは箱のいちばん奥へ入った。上へ空樽が二つ重なって、その上から縄が掛かる。ドーランは一度縄を緩めてから掛け直した。


「見えねえな」


「見えねえところがいちばん強え。降ろす順を決めねえ荷は、そこしか置き場が無え」


 輪が回りはじめた。土の上で一度跳ねて、坂の勾配に乗ってから音が低くなった。


 車の重みは坂の途中まで糸に来た。曲がりの手前で震えは消えて、その先の道はこちらのどこにも映らない。


 卓の端が空いた。三日のあいだ紙の下にあったところだけ、板の埃が薄い。


 ミレアは銭箱の蓋を閉めてから、新しい行をもう一度読んだ。


「初めてです」


「何がだ」


「紙を出すために銭を出しましたのは」


「安い買い物か」


「分かりません。返りが来て、初めて値が付きます」


 六字は今日から三つの帳に日付を持っている。あの村の卓の上に、こちらの行はまだ一つも立っていない。


 立つとすれば、それが立った日をこちらが知るのは、輪の音がもう一度坂を上がってからになる。次の音は月をまたいだ先だ。


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