魔法と魔術
「魔力とは何か知っているか」
一昨日、魔力路を移植したことで案の定起きた拒否反応に昨日一日中苦しんでぐったりと机に突っ伏する俺へ、俺の作った朝食を食べるカルウェイドが尋ねてきた。
その説明もなしにまず魔力を増やすとか言って暴挙に出た後のセリフとは思えない。順序というものを知らんのかこの男は。
「魔法を使う時に消費するエネルギーみたいなもの、ですか?」
「間違ってはいない。それも魔力の役割の一つだ」
へぇ、と力ない返答を返す。気力も体力も限界のなか飯まで作ってやったんだし仕方ないと思うのだが、答えた次の瞬間、俺の身体は椅子にしゃんとした姿勢で座っていた。座らされていた。前に座る男の顔には「ちゃんと聞け」と書いてある。
しぶしぶ魔法で強制された態勢を解いて、話に耳を傾けることにした。
「そもそもだが、魔力がどこから作られるかを知っているか」
「え、体のどこかから生み出されるもの……じゃ、ないんですね」
カルウェイドが眉を微かにしかめたのを見て言い直す。
慣れてしまえばこの人の表情の変化は案外分かりやすかった。なんというか、わざと顔に出しているようなのだ。言葉にして一々話すのは面倒だからお前が察せと言わんばかりの態度で。
「ああ。魔力は精霊が生み出す〝マナ〟を体内に取り込み、それを変換することで作られる」
「それって無くなることとかあるんですか?」
「精霊はどこにでもいるからな。余程のことがなければマナがないという事態にはならない。そして変換する際には魔力に特定の属性が付与される。扱える魔法の属性が限定されているのは知っているだろう」
属性。自分のことを〈鑑定〉で見た時に書かれていたものだ。確か俺は「無属性」だった。……あと、悪魔の目から授かった「雷」の属性も。
俺を実験体として行われている人間型キメラ作成実験もとい人体改造実験だが、カルウェイドも思わぬ副産物と言っていた恩恵があった。それが、移植元の所持していたスキルを一部受け継ぐことができることだ。
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個体名:イッド・シュヴェルグ
年齢:17
種族:???
別称:混ざり者、異世界人
魔法適性:無、雷
スキル:
気配遮断Lv.2、隠密行動Lv.1、痛覚耐性Lv.2→5、気絶耐性Lv.1、精神汚染耐性Lv.5、家事Lv.4、幻惑の声、凶運、鑑定、言語理解(聴覚発達Lv.4、火耐性Lv.3)
装備:幸運の指輪
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これが今の俺のスキル。前まで《聴覚発達》や《火耐性》のように囲われていた《幻惑の声》と魔法適正の「雷」が追加されいてる。
もちろん、俺が自分で会得したわけではない。ハイエルフの耳、リザードマンの腕、そしてセイレーンの口を移植することで、前の持ち主がその体で覚えてきた技能を受け継いだのだ。
そもそもとしてスキルは知識として覚えている技能ではなく繰り返し反復することで得てきた経験を昇華したもの、らしいから肉体そのものが覚えていたも不思議ではない、とか。そんな理屈通るのかよとは思ったけど、まあいいだろう。
ちなみに痛覚耐性が一気に5まで上がったのはわざわざ説明するまでもない。全てはこの男のせいだ。
閑話休題。
「話を戻すが、魔力にはエネルギーとしての役割の他に感覚器官としての役割がある」
いつの間にか箸をマスターしていた魔王が綺麗に焼き魚をほぐしながら言う。
「魔術師にとって魔力の緻密な操作は不可欠だ。術式を組み立てるにも、それを伝えるにも魔力操作は必須だ。より早く魔術を行使するにも詠唱やルーティンでの簡略化を行うか、一瞬で術式を組み立てる必要があるからな。それに自分の身体を把握するにも負傷を治癒するにも魔力操作を使う。むしろ魔力のスムーズな操作ができない奴は魔術師ではない」
「は、はあ」
随分熱が入っている。まあ一人で千年近く魔術の研究ばっかやってたみたいだし、好きじゃなきゃそんなことできないよな。
趣味、魔法の研究ってのも魔王らしい。
「でも何で急にそんな話を」
「これから扱うものの知識もなく教えられるわけないだろ」
「それって……」
つまり、魔法を教えてくれるってことか!
魔法、つまりファンタジー。人間なら誰しも一度は使ってみたいと思ったこともあるだろう超常的な力だ。それを使えるとあらば、もちろん否やなんてあるわけがない。
途端目を輝かせた俺をカルウェイドは少し面白そうに眺めると、手に持った箸を机に置いた。いつの間にか魚は骨だけになっていた。
「だがその前に、言っておくことがある」
食器を浮かせて洗い場に飛ばしながら言うカルウェイド。ようやく朝食を食べ始めた俺はサンドイッチを頬張りながら話を聞く。
「俺が使うのは魔法ではなく、魔術だ。当然お前に教えるのもこっちになる」
「…………何か違うんですか?」
「全然違う」
食い気味に答えられた。
正真正銘地球生まれ地球育ちの科学の子たる俺にはどちらも変わらないというか、むしろ今初めてこの世界に二つの神秘的技術が存在することを知ったのだが。だって魔術とか初耳だし。
「魔法は体内の魔力を直接魔法に変える力だ。その為に自分の属性以外の魔法は使えないが、難しい理屈を抜いて感覚で扱うことができる。言わば敷かれたレールの上を走る列車のようなものだ」
ちなみに、古代文明が滅びたことでこの世界の列車は消えてなくなったらしい。今の交通の主流はもっぱら歩きだという。どうでもいいな。
「それに比べ魔術は魔力を媒介として大気中のマナに干渉し事象を引き起こす技術だ。魔力はあくまでも道筋にすぎないため既存の属性に囚われない汎用性があるが、術式の計算と緻密な魔力操作が必要になるためにかなりの修練が必要だ」
つまり、魔法がレール上を走るだけの列車なら、魔術は線路と車体を一から作り上げて走らせる作業というわけだ。
もうこの段階で俺は嫌な予感がしていた。
「へえー、面白そうですね。ぜひ、一から、学んでいきたいです」
「ああ。使いこなせれば魔法よりも遥かに強力だ。その分面倒だが」
「め、面倒くさくてもいいですよ! 俺こう見えて面倒な作業好きですし!」
「そうか? 魔術理論を一から覚えるとしたら、常人には何十年もかかるが」
「えっ。あ、いや、いいです大丈夫です! 頑張りますよ俺」
徐々に悪くなっていくその場の空気に必死で言い繕う。この場で負けてしまえば、俺に明るい未来はないのだ。
俺はこの一週間でカルウェイドというのがどういう男なのかをよく知っている。
学者肌の実験好き。情緒が著しく欠けていて他者を思いやる気持ちが全くないし、自分がよければそれでいいというようなジャイアニズム溢れる性格をしている。そのくせ魔法、じゃなくて魔術の腕はすごいらしく、それは将来《最古の魔王》なんて呼ばれることからもよく分かることだ。そして存外面倒くさがり。生活能力がマイナスに振り切ってる時点で言わずもがなではあるが。
そう、面倒くさがりなのだ。それはもう生粋の面倒くさがりなのだ、こいつ。
掃除とか絶対しないし朝も起きないし、食事もエネルギーを摂取できればいいとかで俺が来るまで体内の不純物を必要エネルギーに変換していたらしい。錬金術の応用だというが、それでもたまには何か食べなくては臓器が弱るから何かしら食べていたみたいだ。その何かしらの具体的な内容は怖くて聞けなかった。
何よりも自分がしたくないことはしない。何かを成すのに必要な手順であったとしても、それが面倒だと判断したら容赦なく削る。そして厄介なことに、本来ならそれで立ち行かなくなる物事を強引に力業で解決する手段をこの男は持っている。
ではその皺寄せはどこへ行くのか? 答えは当然、俺である。ふざけんな。
カルウェイドは不自然にやる気を出す俺を一瞥した。相変わらず暗い黒の瞳は感情が読みづらい。顔には感情を出すのに、目は死んだままとか無駄に高等技術じゃないか?
「……熱心なのはいいが、それに俺も付き合わされる事を忘れていないか?」
「…………」
沈黙する。
確かにそうだ。俺一人では学べないし、これはカルウェイドの研究の一環なのだから俺がいつまでも足踏みしていれば迷惑がかかるのは必然だ。
逃げ道が呆気なく塞がれ消沈する。そんな俺の前に立つと、カルウェイドはそっと頭に手を乗せた。
「はっきり言って、俺はそんなことで時間を取られたくない」
「そうですよね、面倒ですもんね……」
「そうだな。だから、覚悟を決めろ」
覚悟、と言われて目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばる。すぐ後に「記憶転写」とつぶやく声が聞こえた。
そしてその言葉に呼応するかのように頭の中に流れ込んできたのは、膨大な量の情報だった。
「────ッ」
脳を酷使することはそれだけで神経を擦り減らせる。自分の限界値を超えた働きを強制すれば尚のこと。
ギリギリと頭を締め付けられるような痛みに喉から呻き声が漏れる。奥歯がギシリと軋んだ。或いは顎骨だったのかもしれない。瞼の裏が真っ赤に染まって、神経が焼き切れるほど脳が熱く茹だる。
しかしそれも一瞬。荒れ狂っていた情報の濁流は嘘のように消え去った。後に残るのは鈍器で殴られたかのごとく痛む頭と、見たこともない術式や詠唱の知識。
何をどうすれば魔術を使えるのか、どうしてそのような奇跡を起こせるのか。まるで自分が学んだことのように鮮明に思い返すことができる。
確かに、これはすごい。こんなことができるのなら一から学ぶのなんて馬鹿らしく思えるだろう。ああ、カルウェイドからしたら、本当に便利でいい魔術なんだろうなあ!
「いたい……」
「脳が破裂するよりマシだろ」
「なんでそう……引き合いが毎回極端なんですか……?」
脳が破裂したら死んでるだろうが。俗世から離れすぎて人間の常識が分からなくなったのか? それとも冗談か? いや、この男に限ってそれはないか。
「お前の記憶容量を考えて最低限の知識だけ転写したが、問題はないな」
「はい、まあ、魔術がどういったものかは分かりましたけど」
簡単に言うならば、魔力を術式に変質させマナの動きを操る事で世界に干渉し、物理現象を超過した神秘を引き起こす技術だ。火を起こすなら分子を摩擦することで燃焼させ、氷を作るのなら分子の振動を止めることで水分を凝結させる。俺の知識にある魔術はそういった、地球でも知られている物理現象を不自然に引き起こすものだった。
ただこれは初級魔術だけのことで、少しでも発展させようとすればその魔術に形を持たせ、ベクトルを計算し、それを術式に変換して魔術を行使しなくてはならない。なるほど、確かに面倒くさい。
「さて、次は魔力操作だが」
「自分の中の魔力を感知することから始めるんですよね」
今さっき知ったばかりの知識だ。魔力路に流れる魔力を知覚しなければ動かすこともできない。魔術師はこうして魔力を知ることから始めるのだと、俺に植え付けられた知識が言っている。
カルウェイドはそれを聞いて頷いた。
「そうだ。魔術を志す者はまず、精神統一によって己の中の力がどういったものかを知ることから始める」
「じゃあ俺も、さっさと始めて──」
「だがそれだと面倒だ」
「…………はい?」
なんつったこいつ。
「面倒? 面倒だって言いましたか?」
「瞑想してすぐに魔力操作技術が手に入るわけないだろ。何週間も待つつもりはない。お前の言う通りさっさと終わらせるから手を出せ」
ん、と右手を差し出す魔王。
「いやそれくらいゆっくりしてもいいんじゃないですか? カルウェイドだってこれ暇つぶしの実験なんですよね? そんなに結果を急ぐ必要は──」
「出せ」
「はい」
言われた通り右手を差し出す。魔王はそれを自分の手で握ると、信じられない事にそこから直接自分の魔力を流し込んできた。
「いッ────!?」
瞬間、カルウェイドの絶大な魔力に貧弱な俺の魔力路は悲鳴を上げた。いっぱいいっぱいにまで溜まっていた貯蔵魔力に余分なものが過剰に流れ込んできたのだから当然だ。内側からものすごい圧力で圧迫され、魔力が荒れ狂い、平衡感覚がなくなって視界がぐにゃりと歪む。
思考が体感と乖離していくのを感じるのと同時に、全身を何かがものすごい速さで駆け巡る感覚がリアルに感じられる矛盾。現実と非現実を揺蕩う俺の意識は、存在しない器官から感じる身を引き裂く痛みに覚醒した。
「いッッ、まっ、つ、いってぇぇえ……!」
「うるさい黙れ」
「ま、待って俺今死んだ絶対死んだ一回死んだなんか破裂したもんビリって言ったし身体が、さ、裂け……」
「〝黙れ〟静かにしろ。裂けてないし死んでない。魔力過剰で魂が肉体から剥がれかけただけだ」
「──!?」
それ十分やばくないですか!? と言おうとした俺の口は、いつかのように動かなくなっていた。魔術を使われたのだ。ありえないくらい早い魔術行使に目を剥いた。たった一言、たった一瞬で「声を奪う」なんていう高度な魔術を使えるなんて、何百年たっても俺にできるビジョンが浮かばない。
ていうか吐きそう。食べたばっかのサンドイッチがやばいとこまで来てる。
しかし思いやりの欠片すらない男は声も出せないまま口を押える俺に構うことなく、というか何事もなかったかのように話を続けた。目の前の人間が霊体離脱しそうになっていたことは本当にどうでもいいらしい。
「今ので魔力がどこにありどういった動きをするかは理解できただろう。後は魔力を術式に変えて呪文を口にするだけだ。適当に〝火よ〟辺りでも使ってみろ」
「──、────!」
「ああ、話せないのか」
ぱちり、と音が鳴った、ような気がした。だがその音がした途端、喉でわだかまっていた声が一気に口から飛び出した。
「こんな状態じゃ無理──あ、話せる」
「いいから早くやれ」
……ほんと一日に十回は思うんだけどさ、俺拾われる人間違えたよな絶対。いやこの人じゃなきゃ助からなかったかもしれないけど。てかカルウェイドが人間かどうかも分からないけど。
見た目は人間だけどこの世界の種族とか知らないし、いくら異世界だとはいえ人間が千年以上生きられるとは思えない。
とはいえ今は関係ないことだ。俺は頭の中にある初級火魔術の術式を引っ張り出すと、その通りに魔力を編んでいく。初めて動かしたおっかなびっくりなものだが、わりとちゃんと動かせた。まあそうだよな。逆にあれだけの荒業を使ってできなかったら泣きたくなるくらいだ。
魔力を織り込んだ術式は俺の前で綺麗な円形状の、言うなれば魔法陣として浮かんでいる。書かれた言語が何を表しているかは知らないがとりあえず完成だ。あとは詠唱と呪文を唱えればいい。そして今回は術式を全て描ききっているから呪文だけだ。そもそもこんな簡単な魔術に詠唱は存在しないみたいだが。えっと確か、火よ、だったよな。
すう、と息を吸い込む。異世界に召喚されての初魔術。術式も魔力も完璧、失敗はない!
「──火よ!」
言葉に魔力を込めて、術式を発動させる。
起こすのは単純な奇跡。てのひらの上数センチにある分子の運動を活発化させ、摩擦熱で小さな火を灯す。それだけの簡単な魔術だ。
そして今、魔力の乗った呪文を受けた術式は動き、そこに火を──生み出さなかった。
「……うん?」
首を傾げる。なぜだ。
術式も魔力も呪文も問題なかったはずだ。それなのになぜ。なんで失敗した?
何が起きているのか分からないでいる俺の前で、カルウェイドが難しい顔で俺を見ていた。




