「安心して身を任せろ。お前は死なない」
昼食を食べ終えたカルウェイドは、すぐに部屋に引きこもった。
大方一日の大半をこうして自室に籠りきりになる彼としてはそんなに珍しい事でもない。恐らく魔法の研究をしているのだろう。この間も文字や図形がびっしり書かれた紙束を手にブツブツと何かを呟いていた。
俺はこの世界の言葉は分かっても文字は全く分からないから何が書いてあるのかは分からないかったが、どうせ分かっても魔法に関しては完全な門外漢だ。まあいつか俺にも教えてくれるだろう。
というわけで、昼食を片付けた後俺は大概暇になる。特にやることもないからだ。歩けなかった時は寝台で寝ころぶしかなく、暇で死にそうになった。
だが今日は違う。一応は歩けるようになったのだから、ずっとあの部屋で引きこもっている道理はない。
かと言って人様の家の中を許可なく歩き回るのも気が引ける。
「よし、外に行くか」
俺はそう結論付けた。
カルウェイドに案内されたのは家の中だけだ。外が森だということは分かっているが、どういう所なのかは全然知らない。窓がないから。
そう、この家驚くことに窓が一つもないのだ。さりげなく聞いてみても「必要性を感じない」としか答えない魔王は、確かに灯りがあるから問題ないのかもしれないけども、居候の俺としては閉塞感に息が詰まる。端的に言うとストレスで禿げそう。
走れば足が取れると言及されてはいるけども歩くだけなら大丈夫だろうし、まあつまり好奇心が刺激されたわけだ。
あの人も「結界の外に出なければ安全」って言ってたし。そもそも外に行くなとか言われてないしな。
一人言い訳をしながら廊下を進むと、玄関の扉をゆっくりと開く。ぎぃ、と錆びた蝶使いが音を立てて、開いた隙間から光が漏れてきた。
ざわりと風が肌を撫でる。ひんやりとした涼しい風は、ここ一週間感じていた疲れやストレスを洗い流していくような、そんな爽やかな空気を含んでいた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。すとんと心に落ち着くような、自然とした感嘆だった。
扉を開いた先にあったのは、天を突く程の大樹が所狭しとそびえ立つ、いっそ幻想的な風景だった。
目視だけでも軽く二十メートルはくだらない。そんな巨木が視界の先までどこまでも続いている。現代で生きてきた俺には馴染みのない、それこそ大自然と形容できるような雄大さだ。
空も見えない程生い茂る葉の間から漏れる木漏れ日が優しく、温かく降り注ぎ、それを浴びようと一心に根を張り上を向く草木からは力強さすら感じる。
都会の管理された植物ではない、ありのままの自然。それが目の前に広がっている。
「すごい……」
小さく身震いした俺は、確かめるようにそう呟いた。
楽しいこともなにもなく、人の心の分からない男と一週間同じ屋根の下。周りは怪物の死体ばっかりで、自分自身も化け物になってしまった。
そんな死にそうになるほどのストレスで参った心が解れていく。
大きく伸びをすると柔らかい地面を踏みしめた。鼻孔を擽る草木の香りに頭がすっきりとしていく。根本から気持ちが洗われていく。
その心地いい感覚に口角を上げながら一歩一歩と進んでいく。
そして、数メートル進んだ所で立ち止まった。
「これが、結界か」
透明の膜のようだと思った。近付かなければ分からないだろうそれは、家を覆うように半円状に展開している。シャボン玉みたいだ。
触れてみると思ったよりも硬い。けれど少し力をこめれば指先が外に出たから、そこから向こうへ抜けられないわけではなさそうだ。……そうか、出れるのか。
どうしようか。カルウェイドには出るなと言われてるけど、少し気になるのも事実だ。指先を引っ込めながら考える。
まあ少しくらいなら外に出ても大丈夫なのじゃないかな、と思うと同時に、この先から言い知れない不安も感じる。そう、それこそ外に出た瞬間八つ裂きにでもされるかのような。
……やめておこう。
結界からそっと手を離す。行くなと言われてるし、好奇心だけで行動して死んだら元も子もない。この森がどういう場所なのかも俺は知らないしな。
うんうん、と一歩下がる。猫と違って俺の命は一つしかないんだから、やるなと言われた事はやらないのが一番だ。
「何してるんだ」
「うぇ!?」
変な声出た。
突然かけられた声にビビって振り向くと、家の前にいつも通りの不機嫌顔で腕を組むカルウェイドがいた。いつの間に、というか一体どうしたというのか。普段は部屋に引きこもったまま数時間は出てこないのに。まさか俺が言いつけを破る気配を察知して来たとでもいうのか。ありうる。
「いや、ちょっと外出てみたくて。ずっと家の中だと気が滅入るし」
「結界に反応があったが」
「……初めて見たので気になって触ってみただけですよ」
反応とか分かるのかよ。便利すぎないか魔法。
もしかして俺がちょっと外に出ようかとか思ってたのもバレてるのか。いや違うんですよ。俺確かにそう思いはしたけど実行に移す気はなかったんですよ。本当なんです嘘じゃないんです。
魔王は気まずげに心の中で言い繕う俺をじっと見つめていたが、すぐに顔を反らした。
「一応言っておくが、それは魔物避けの結界だ。それの外に出た後は命の保障はできない」
「肝に銘じておきます……」
「それから俺が来たのはお前に埋め込む魔術式の設計図が完成したからだ。さっさと家の中に入れ。施術を始める」
随分と出てくるのが早いと思っていたがそういうことか。確かに人体改造というわりに初めの手術以外何もないなとは思っていたが。
家の中に入っていくカルウェイドを追いかけて俺も中に入る。また薄暗い廊下を抜けて、いつもの素材部屋の寝台へと向かった。
「そこで横になってろ」
そういうカルウェイドの手には、刃の部分に文字の描かれた小ぶりのナイフが握られていた。
自然と頬が引きつる。
「一つ聞いておきたいんですけど、麻酔って使いますか?」
「使わない」
即答だ。クソヤブである。
「えっと、もしかして麻酔をご存知じゃない、とか? それなら仕方ないですけど」
「実験体の感覚を遮断し筋の緊張を解くために使う薬剤だろう。もちろん知っている」
「じゃあ何で使わないんですか」
話しに聞く限り、滅んだ文明というのはそこそこに高度な技術を持っていたように思う。だから麻酔が存在していたことに驚きはない。むしろなぜ使わないのかが疑問だ。これだけ道具とかは揃えてるくせに、麻酔だけないというのは考えにくい。
しかしカルウェイドは面倒そうに頭を振った。
「必要ないからだ」
「必要ですけど」
何言ってんだこの魔王。トチ狂ってんのか。
「あんたは切り刻む方だから知らないかもしれませんけどね、刻まれる方は痛いんですよ。まじで死んだ方がマシじゃないかってほど。それを抑える手段があるのに必要ないって事はなくないですか?」
「お前の脆弱な精神と肉体では必要に感じているのかもしれないが、俺は自分の痛覚くらい制御できる。つまり俺には麻酔なんてものは必要ない。そして俺のいらないものを作る意味はない」
「誰だってあんたみたいな化け物じゃないんですよ」
「お前の方が化け物みたいな顔してるだろ」
「ひ、他人事だと……! あんたのせいなんですけど!?」
ていうか分かってんならせめて見た目どうにかできなかったのかよ。これだから自分本位の人間は。
「第一、お前は勘違いしている。麻酔が必要なのは患者が暴れ手術がスムーズに行えなくなる事と、痛みで死ぬ事が起こらないようにするというの二つの役割があるが、俺は相手の動きを封じることくらい造作もないし、俺が行う以上実験体が不慮の結果で死ぬことはありえない。だからお前が痛かろうが麻酔を打つ理由はそもそもとして欠片もない」
「いや、患者の精神状態を慮るのも医者の務め──」
「……〝黙れ〟、少しうるさいぞ、お前」
「んぐっ!?」
黙れ、と、その言葉が聞こえた瞬間。まるで縫い合わされたかのように、口が開かなくなった。
突然のことに一瞬息が止まる。
「大体俺は医者じゃないし、お前は患者じゃない。実験動物の意見に耳を貸してやる道理はないな」
なんだこれ。なんで口が開かないんだ。黙れと言われたからか。これも魔法か? そんな、口に出しただけでなんて、本当に。
もごもごと口を動かす俺を魔王は眉間にしわを寄せて「面倒なの拾ったな」なんてぼやきながら寝台へ雑に放り投げた。そして俺の身体が乗った途端に手足へベルトがひとりでに締め付ける。
「さて、俺はこれからお前を戦闘に特化させた生命体へ作り替えるわけだが、大前提として魔力の総量が少なくては話にならない。そしてお前は平均的な人間ほどの容量しかない」
図形の描かれた紙が空中に浮かんで、ナイフを持つ男は静かに俺を見下ろした。抵抗はおろか声すら出せない俺は息を飲んで見つめるだけだ。手術に必要とは到底思えないその刃物がどういう意図で手に持たれているのか、額を汗が流れるのを感じつつ男の出方を伺う。
もしや八つ当たりか。切り刻まれるというのは全く例えでなく実際に刻まれたからこその発言だったのだが、それが気に障ってしまったとか。それとも麻酔のことを追求されすぎて面倒になったか。
しかし戦々恐々とナイフの行方を見守る俺の横で、いつも通り冷静な男は淡々と準備を進めている。
「生物の持つ魔力がどこに貯蔵されているのかを知っているか? 答えは魔力路と呼ばれる精神体に存在する現実的な質量のない回路だ。これは通常生物が生まれ持ったもので急激に増えることはないのだが、増えないのなら簡単に考えるべきだ。他の生命体から移植すればいい」
カルウェイドは宙に手を翳す。ぽかりと黒い渦が広がって、そこから角の生えたウサギが落ちてきた。まだ生きている。
動けないのか体を震わせるだけのソイツをカルウェイドは無造作に持ち上げると、手に持ったナイフを躊躇なく突き刺した。
「こいつは大した魔力路も持っていないが、お前自身が貧弱なまま質のいい魔力路を大量に移植すれば急に増えた魔力に耐えられなくなり内側から破裂する。そこでやむを得んがこいつの魔力路から始める事にする」
声も出さずに痙攣する角ウサギ。あまりに痛ましい画にごくりと唾を飲み込む。飛び出さんばかりに見開かれた目が段々黒く濁っていくのは、きっと見間違えではないはずだ。
そしてその目が完全に生気を失ったように光を写さなくなる時に、刃の開けた傷口から小さな体躯を抉っていたピンセットが鈍く青色に光る細い糸をゆっくりと引きずり出してきた。
「これが魔力路だ。手持ちの中ではこいつが一番今のお前のに近かった」
言葉と同時に投げ出され宙を揺蕩う細く短い糸。水族館の淡いライトに照らされたクラゲのような光彩で、暗く鈍くくすんだ光りを放っている。
「本来可視化することはできないが、先のナイフには精神世界の存在に質量を与える働きを持つ。見えなくても問題はないが、掴めた方が楽だからな、俺が」
なんて事ないように言いながら、魔王はナイフを俺に向けた。呪文のようなものが描かれたナイフだ。
つい今しがた、これで刺されてウサギは死んだ。
「んー、んーっ!」
「多少痛むが問題ない。俺が執刀する限り、たとえ死んでもお前は死なない。安心して身を任せろ」
「んー!?」
冷や汗がダラダラと流れる。どうにか逃げようと身体を動かすが、寝台が微かに揺れるだけでベルトは全く外れる気配すらしない。もはや恐怖だけで死ねそうだ。
何が死んでも死なないだ。そんな訳の分からない話が信じられるか。百歩譲ってそれが本当だとしても、それってつまり一回は死んじゃん。死ぬほど痛いって明言してるようなものだろうが。安心なんてできるわけがない。
「暴れるな。少し痛いだけだ。自分の身体で死ぬほど繰り返したから失敗の危険もない。あって拒否反応で多少死にたくなるくらいだ全く問題ない」
問題しかねぇわ。
それでも結局のところ、迫り来るナイフの鋭い刃から逃れる術はない。
俺に出来たことと言えば、精々動かない口で悲鳴を上げながら目の前の涼しげに見下ろす整った顔を呪い倒すことくらいだった。




