エレノアの静養
ガーラント領に落ち着いて数日が経った。婚約解消の話合いを残しているウィリアムがシンシアと共に王都に残り、代わりに侍女のアンがエレノアに付き添ってくれた。
秋も終わりに近づいて、国の南側に位置するガーラント領にも冬の気配が近づいてきていた。
エレノアは毎日、日の当たる窓辺に腰掛けて本を読む。
その表情は真剣そのものだ。経済学の本かなにかを読んでいるようだが、表紙には『フランスパンは恋の罠』とある。本の中では美しい町娘が貴族の男性と恋に落ちていくが、エレノアがその様子に胸ときめかせたり頬を赤らめたりすることはない。
彼女が恋愛小説を読みたいと言うと、アンや若い女中などがこぞってお薦めの本を持ってきた。
しかし、あまりに難しい顔で読みふける姿を見て、感想を聞こうという猛者は居なくなった。
「なぜかしら」
「何でしょう?」
エレノアはアンに疑問をぶつけた。
「物語の主人公には、なぜ天涯孤独なのかしら」
アンはエレノアの疑問に首を傾げた。
「どうしてそう思われたのですか?」
「だって、皆朝も昼も夜も恋人と居るか、一人で恋人のことを考えているのよ。家族がいないとしか思えないわ」
「それは、恋人のことしか目に入らないという意味であって家族がいないわけではないと思いますよ」
アンの説明に、エレノアは難しい顔でそうだったの、と頷いた。
このような調子で、エレノアは今まで読んでこなかった恋愛小説を山積みにしてはその山を切り崩していく。
そんな読書中のことだった。
「え・・・今、なんて?」
エレノアは聞き間違いかと聞き返した。
アンは、やや硬い表情で繰り返した。
「ハロルド様が、ガーラント家を出られたと申し上げました」
「うそ・・・」
エレノアは信じられない思いで本を閉じた。閉じられた本はしおりを挟み忘れて、どこまで読んだか分からなくなっていたが、そんなことにも彼女は気付いていなかった。
エレノアは震える唇をぎこちなく動かして、アンに問いただした。
「他に家を借りたという意味?」
「いいえ。ガーラント家の家系から、外れたという意味です」
言いながらアンは、気遣わしげにエレノアの表情を伺った。
エレノアはアンの視線に気付くことも表情を取り繕うこともできなかった。
「だって・・・何故?」
笑っているようなおかしな声が出る。あまりに信じられなくて、笑えばいいのか泣けばいいのかよく分からない。
アンはそんなエレノアに労しそうに目を伏せる。
「詳しくは・・・ただ、他家に養子に入られたと伺いました」
エレノアは目を閉じた。
「エレノア様・・・」
「ごめんなさい、少し、一人にしてくれる?」
アンが静かに部屋を出て行くと、エレノアは子どものように椅子の上で膝を抱えた。
ハロルドが出て行くなんて、とエレノアはまだ信じられない思いで呟いた。
今や王都の屋敷では使用人の管理まで任せられているアンの言葉だ、間違いはないだろう。けれど、どうしても信じられないのだ。
「だって、何も・・・」
ハロルドは何も言ってはいなかったのに、という思いがエレノアの胸に湧く。何か事情があるのなら言ってくれるくらいには、仲良くなれたと思っていた。
ようやく行き違いが解消されて、ようやく家族になれたと思っていたのに。
ハロルドは、いつからこの家を出たいと思っていたのだろうか。この前エレノアがようやく家族になれたと言ったときも、彼はそう思ってはいなかったということなのか。
エレノアは二重の意味で衝撃を受けていた。
「ハロルドも・・・」
エレノアはふいに声に出して呟いて、膝に顔をうずめた。
仲が悪かったときも、その後も、ハロルドはずっと居ると思っていたのに。エレノアのどうしようもない面も知られているしハロルドの悪いところも知っている。困ったことが起きても、ハロルドには相談できた。それは家族だからで、家族だから、いつまでもいるものだと思っていたのに。
ニコラスが去り、そしてハロルドも居なくなった。
エレノアはどうしようもない喪失感のなかで、子どものようにうずくまって泣いた。
この年の晩秋、アイリーンとファレルは無事に成人の儀を執り行った。
その晴れがましい話題を、エレノアはガーラントの領地で聞いていた。国の慶事に、領地でも領民に酒を振る舞い祝ったが、それを笑顔で見守るエレノアの胸の一部では冷たい風が吹いていた。
立て続けに大事な存在を失ったエレノアは、さすがに気落ちしていた。
エレノアは、自分は落ち込んでも立ち直りの早い方だと思っていた。今まで何度も喪失感や挫折感を味わってきたが、元来楽天的なところがあり、しばらく泣いた後には『これが駄目ならこっちを頑張ればいいじゃない』と切り替えられることが多かったのだ。
けれど今回ばかりは、
「・・・さすがに立ち直れないかも・・・」
エレノアは力が入らない両手を見下ろした。
気力が湧いてこない。
頑張れば事態が好転するかもしれない、といつものように踏み出せない。何かをしようという気が起きないのだ。エレノアは恋愛小説を読むこともやめてしまっていた。
婚約者のニコラスが去り、家族だったハロルドが去った。そして主と決めたアイリーンとは遠く離れている。アイリーンの気持ちがエレノアを気遣う優しさだということは分かっている。それでも、誰もが自分から離れていくように思えて仕方がなかった。
胸にぽっかりと穴が開いてそこから力が抜けていくようで、喪失感はエレノアから全ての気力を奪っていた。
ハロルドが去ったことは、エレノアだけでなく他の家族にも影を落としていた。中でもやはりウィリアムの思いは複雑なようで、
「二度と敷居はまたがせない」
「あいつは何を考えているんだ」
と言ってはセリーナに宥められているようだった。
エレノアも、何一つ言わずに家を出たハロルドの薄情を恨めしく思った。
確かに冷静になって考えれば、いかに実力重視の現国王の治世でも、有力者の後ろ盾を得た方が出世に有利なのは理解できる。しかし、それならそうと家族に説明していけばいいではないか。
「絶対に、こんなことは許さない」
またウィリアムが怒っている声がする。エレノアはため息をついた。
少なくともウィリアムにはお互い納得できるまで説得するべきではなかったのか。
それをこんなふうに突然いなくなるなんて、薄情にも程がある。彼は未だに家族に手紙一つよこさないのだ。もっとも、もう彼にとってエレノア達は家族ではないのかもしれないが。




