エレノアと招集
7日目、ようやく王宮から招集の書状が届いた。数日前に帰国していたファレルからの招集だ。
エレノアはいつもよりもしっかりと化粧をして顔色を隠し、王宮へ上がった。
「大丈夫かい?」
「殿下にご挨拶するだけだもの、大丈夫よ。それに、お断りできる相手ではないでしょう?」
心配そうに眉を下げた父に、エレノアは少し笑顔をつくって見せた。
馬車に乗り込み、窓から5日ぶりの外の景色を眺める。外に出れば、少しは気分転換になると思っていたエレノアだった。実際道行く人の姿を見れば、情報の多さに悲しみが紛れるような気がした。
しかしそれも一時のことだった。
貴族の屋敷の並ぶ通りを抜けると、街のあちこちにニコラスとの思い出があった。
最初に出かけた劇場。
一緒に行った祭りのとき見かけた花売り。
ニコラスが教えてくれた流行の小物屋。
最後に話した店。
エレノアは慌てて窓から目を逸らそうとして、そこでうっかり直視してしまった。
もう一拍でも早く目を逸らしていれば、何も気付かずにすんだだろう。
もう数分後に家を出れば、それは影すらなかっただろう。
それは悪夢のような偶然だった。
エレノアが目を逸らす寸前、通りの小さな洋品店の扉が開いて、一人のクリーム色の髪の男が出てきた。
それは、紛れもなくニコラス本人だった。
そして彼に続いて扉をくぐった女性。
薄茶色の髪に真っ青な目をした、若い娘。
彼女が寄り添い、頼るようにニコラスを見上げる姿を、エレノアはしっかりと見てしまった。
ほんの息を一つ吸う程度の時間だったのだろう。
しかし、その光景はエレノアの脳裏に焼き付いて、何度も何度も恋人達の姿を見せつけた。
エレノアの喪失感は増した。
馬車は静かに王宮につき、エレノアは通用門をくぐった。
顔見知りの門番に挨拶をし、途中たくさんの同僚とすれ違った。自室で手早く侍女のお仕着せに着替えると、ファレルのもとへ向かう。
「失礼いたします」
自室に入れば、一月ぶりのその部屋に第二王子は一月前と同じように寝転がっていた。
同じようにクリスに挨拶しかけ、しかしファレルがすぐに起き上がったので留まる。
ほんの10日ほどの間にファレルの髪が若干短くなっていたのをエレノアは認めた。それから深々と頭を下げた。
「ご無事のお戻り、お喜び申し上げます」
ファレルの方もエレノアをじっと見つめ、眉を上げた。
「エレノア、どうした?」
エレノアは素早く微笑みを貼り付けた。
「招集が届きましたので、参りました」
ファレルがため息をついた。
「エレノア」
「何でしょう」
ファレルとクリスの間でちらりと視線が交わされ、クリスがお茶が飲みたいですね、と部屋を出ていく。
ファレルは、きちんと直立したエレノアのもとへつかつかと歩み寄った。
掴まれた手に思わず身を震わせれば、真面目な目で、
「座れ」
と椅子へ促された。
「いいえ、仕事中です」
「ならばなおのこと従うんだな。座れ」
ぐいと手を引かれ、エレノアは倒れるように椅子にかけた。動きの割にどこもぶつけなかったのはファレルに支えられたせいだろうか。
ファレルはエレノアを座らせた椅子の肘掛けに身体を預けた。
「ハロルドから、お前の家族は助かったと聞いているが」
「その件では大変お世話になりました。殿下のお力添えのおかげです」
「ならば何を泣く」
「泣いておりません」
エレノアは本当に涙など流していなかった。侍女としている場で、二度も同じような場面で、しかも自分を好いているといった人の前で涙を見せるなど、絶対にしてはならないと思ったのだ。
しかしファレルはエレノアの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「エレノア、泣くな。もう泣くな」
泣いていないのに、とエレノアは腹立たしく思ったが、ファレルの目の方がよほど泣きそうに見えたので、怒らなかった。
髪を滑る彼の手は、労るように温かかった。
戻ったクリスも座って、何故か三人で静かに茶を飲む。癖の強い茶だった。エレノアは鼻の奥がスッとするようなその茶の香りにしばし意識をとばしていた。
「しばらくの間、王宮は忙しくなる」
「はい」
「じきにアイリーンと俺の成人の儀もあるし、まだまだ例の件の後始末も残っているからな」
ならばすぐにでも仕事を始めた方がいいだろうかと思いながらエレノアは聞いていた。
しかしファレルはこう言った。
「お前はしばらく、自宅で静養しろ。隣国でもかなりの重体だと誇張してきたしな」
ファレルは視線をとばして、何事か言おうとしていたクリスを黙らせた。
「アイリーンのもとへ戻すにもその方がいい。俺のもとで酷使したとアイリーンに責められる前に、休暇をとってくれ」
王子に頼み事までされれば、エレノアも頷くしかなかった。たとえそれが、彼女の性格を先読みした王子の作戦だったとしてもだ。
小さく返事をしたエレノアに、ファレルはあれやこれやと菓子を勧めた。それを失礼にならない程度につまみ、クリスの煎れてくれた茶を飲んで、エレノアは王宮を後にした。
こうして婚約者をなくしたエレノアは、ファレルの計らいで静養を言い渡された。
屋敷に着くとほぼ同時に、アイリーンからもたくさんの謝罪の言葉が書かれた手紙が届いた。
現在本格的に王位継承へ向けて動き出し、多忙なはずのアイリーンだ。それがどう考えても自分の退室直後にファレルから話を聞いて筆をとったとしか思えない早さだったので、エレノアは驚いた。
王女は相変わらずの情報の早さで、エレノアの婚約が破談になったことをすでに知っているようだった。それが自らの計画のせいでもあると思ったらしく、手紙の中でごめんなさいと繰り返し謝っていた。そして、『しばらく落ち着くまで』とエレノアにゆっくり休むように言い渡した。
その落ち着くまでというのが、王宮のごたごただけでなく自分たちの破談の噂もさしているのだろうとエレノアは考えた。ちまたの噂は屋敷にいても漏れ聞こえてくる。どうやら世間は王女に忠実に従ったエレノアに同情的なようだが、それでも好奇の目がしばらく続くことは間違いないだろう。
エレノアは窓辺に生けられた薔薇の香りをかいだ。
薔薇の香りは落ち着く。
幼い頃は、泣きたくなるとよく庭に隠れたものだった。納屋も薔薇の植え込みの陰も、ザワザワと風や葉擦れの音しかしなくて、その音と匂いに包まれて泣いているとそのうち、悲しみの重さが半分になっていた。
帰ろう。唐突にエレノアはそう思った。
故郷に帰ろうと。そこで母の療養に付き合いながら少し休めば、また力が湧いてくるだろう。そうすればまた、頑張れる。エレノアは薔薇の花瓶を胸に抱き、目を閉じた。




