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エレノアの祖父

魔法省の中でも、恐らく最も忙しいのは国防部である。

なぜなら学術研究中心の部署と違い、防衛は一日中、一年中休める日というものがないからだ。どんなに周囲が休みだろうと、かならず当番体制が組まれるし、ことが起きれば親の葬式だろうと呼び出されるという。

その部署でも、今国防長についで忙しいのは自分ではないだろうかとハロルドは思っている。

家族のことで尽力するのは当然だし、王子の依頼でアイリーン王女を守ることも仕事が忙しいことも別に不満ではない。

不満ではないが、さすがに少し疲れがたまっていた。

「ハロルド。イングラム様がお呼びだぞ」

昼食時、ハロルドは呼び出しを受けた。

用件は分かっていた。

その朝、ハロルドはいつものように絡んできた従兄弟をこてんぱんにしてしまったのだ。いつもならもう少し自制ができたが、疲れで容赦のなくなったハロルドの言葉を浴びた相手は、逆上して魔力で攻撃しようとした。周囲が止めて事なきを得たし、ハロルドは応戦していないので公式にお咎めはなかったが、上官が戻ればお小言があるのは覚悟していた。

「失礼致します」

ハロルドは国防長の執務室へ入った。

各部署の長の席はこの執務室と一般の職員の部屋と両方にあるが、堅物のイングラム伯爵は部下の監督のため、大抵一般職員と同じ部屋で仕事をしている。そのためこの部屋に呼ばれるのは圧倒的に説教の場合が多い。

ハロルドは初めて入るその部屋にさっと目を走らせた。応接用の机と長椅子の奥の窓際に立派な執務机があるだけだ。私物の少ない部屋だと思った。

イングラム伯爵は、窓辺に座って白髪の下の目を窓に向けていたが、ハロルドの声に振り返った。

「リチャード・シュタインと喧嘩をしたそうだな」

「喧嘩と言いますか、彼の言葉を訂正したところ逆上させてしまいました」

「原因はなんだ」

「家族を中傷されましたので。私の家族が王女から見捨てられすぐに第二王子へ乗り換えた、と」

はあ、と伯爵が深く息を吐いた。

「それで、お前はなんと訂正したのだ」

「彼女は王女のさらなる期待に応えるため、外遊随行の経験を積みに出たと申しました」

「それだけか」

「腹が立ったので、期待される人間のことはお前には分からないだろうと揶揄しました」

大したことのない嫌みだと思う者もいるだろうが、能力至上主義のあの家で育ったリチャードにとってここが最も痛いことをハロルドは知っている。その上で攻撃したのだから、やはり自制がきいていなかった。

伯爵のため息がさらに深くなった。

彼は再び窓の外を見やった。

ハロルドは、そこから何が見えるのだろうと考えた。

しばらくして、伯爵はこう言った。

「お前は、大抵のことには冷静でいられるのに、何故そうあの娘のことにこだわるのだ」

問いかけなのか呟きなのか定かでない小声だったので、ハロルドは少し考えた。

何故こだわる、というのがセリーナ・ガーラントの娘などにという意味なのか、父や自分を中傷されても流していたのにという意味なのかとりかねた。

そのため、こう返した。

「・・・エレノアが隣国へ行ったのは、侍女として王族に仕えるためもありますが、家族のためでもあるのです。それを家族が庇うのは、当然でしょう」

彼女を姉というのには抵抗があるが、家族という言葉には抵抗がなかった。

ところが、このハロルドの言葉に、伯爵は窓から視線を戻して紫の双眸をぎろりと光らせた。

「家族のため、か」

絞り出すような低い声を向けられ、ハロルドは身じろぎした。

「家族のためとはどういうことだ」

伯爵が立ち上がったため、ハロルドはその背が未だ自分よりも高いことを知る。

老人は今や目をぎらぎらと光らせて、机を乗り越えんばかりにこちらを睨んでいた。

そして言った。

「あの家は、またしても我が血をひく者を犠牲にする気なのか」

ここでようやくハロルドは、自分が普段ならしない失策をとったことに気付いた。

明らかに、言葉選びを間違えたのだ。ハロルドにとって口にしやすかった『家族のため』という言葉だが、この老人には違う響きで捉えられたのだ。

ハロルドは燃えるような視線を浴び、めまぐるしく脳内で考えを巡らせた。

このままイングラム伯爵に何も話さなければ、確実にガーラント家に対するイングラムの心証は悪化する。しかし、家の事情を独断でどこまで漏らしていいものか。

それにしてもこれほど激しい反応があるとは。

それに、伯爵は『我が血をひく者』と言わなかったか。彼にとってエレノアは、失った息子と同様、憎むどころか自分の血をひく大切な存在ということではないか。

考えていた時間は、実際にはどれほどだったのか。短くも長くも感じられたその間、老人の目はずっとハロルドを・・・または、ガーラント家を、睨み付けていた。

ハロルドは、一つ息を吸った。

「・・・少し、我が家の話をしても良いでしょうか」


ハロルドは結局、ガーラント家の病について話した。

母が長らく原因不明の病を患っていること、それがこの国にガーラント家が来た当初から代々続いていること、恐らく魔力が使えないことと関わりがあること。妹も同じ病である可能性が高いこと。その治療法を探すべく、エレノアが隣国へ行きたがっていたこと。

その間、伯爵はずっと厳しい表情を崩さぬまま、黙っていた。

やがてハロルドの話が終わると、伯爵は疲れたようにどさりと椅子に座り込んだ。

「我々は、なんとか自分たちの代で病を克服するつもりです。そのためにどんなに小さくとも、手がかりが欲しいのです。伯爵は、当家のことについて何かご存じないですか」

イングラム伯爵は黙り込んだままだった。

彼にとって、ガーラント家の記憶は思い出したくもないものだろう。それを敢えて話せというのは無理な頼みかもしれないし、もとより何も知らない可能性の方が高い。それでも、ハロルドはエレノアのためならこの老人は知っていることがあれば話してくれるのではないかと思ったので、駄目で元々と聞いた。

伯爵はおもむろに口を開いた。

「息子とは、勘当して以降全く話していない」

それならば何も知らずともしかたがない、とハロルドは落胆した。

しかし伯爵は再び口を開くとこう言った。

「ただ、息子は結婚を急いでいた。そしてその理由を、いくら尋ねても答えようとしなかった」

答えなかったのは当然だ、すぐに死んでしまうかもしれない病を抱えた娘との結婚を、伯爵家が息子に許すわけがないのだから。それでも二人は、病を知った上で少しでも長く夫婦であろうと思ったのだろうか。結果的に病の妻よりも先に夫が事故で亡くなるとは、なんという皮肉か。

イングラム伯爵はそのことを、17年を経て今ようやく知ったのだろう。

その横顔が一気に老け込んで見えるのは、自分の気のせいだろうか、とハロルドは思った。

老人はしばし窓の外を眺めてから言った。

「お前は、なぜ私にその話をしようと思ったのだ」

ハロルドは正直に言った。

「何かご存じならば些細な情報でも教えて頂きたいと思ったからです」

「けれど、ガーラント家の重大な秘密であろう」

「・・・エレノアの異動を気になさるあなたが、彼女の困ることをなさるとは思えませんし。それに、正直に申し上げれば、なぜセリーナ・ガーラントが再婚を急いだのか、亡き夫の忘れ形見のエレノアでなくシンシアを跡取りに残したのか、理解していただけるかと思ったからでもあります」

この言葉に、老人はハロルドへ呆れた目を向けた。

「・・・随分とあけすけだな」

「はい」

「それに、強欲でもある」

「かもしれません」

「・・・そんな態度では、この貴族社会ではやっていけぬぞ」

「相手を選ぶことにしております」

老人の呆れが深くなったが、ハロルドはもう気にならなかった。

別に、母の病がイングラム家が息子をガーラントに奪われたことの免罪符になるわけではない。ただ、息子が父に言えなかった言葉や彼らが急いでいた理由がかいま見えただけだ。17年もの間わだかまっていた両家の関係が、こんな若造の言葉程度ですぐに解消されるともハロルドは思っていなかった。

しかし、すでにイングラム伯爵はエレノアの祖父の顔をしていた。その鋭い目はエレノアを奪う鷹の目ではなく、勘当した息子の忘れ形見であるエレノアを影から見つめる、彼女と同じ紫の目だ。

そして伯爵が今も見下ろしている東向きの窓が、エレノアが今朝向かった方角であることを不意に思いつく。

伯爵は言った。

「残念ながら、私は何も知らない。しかし、息子の・・・死後、ガーラント家から届いた遺品がある。あるいは日記の類があるやもしれん」

ハロルドは、目を見開いた。それから急いで頭を下げた。

「ありがとうございます。御厚意、感謝いたします」

「別にお前のためではない」

眉間に皺を寄せたイングラム伯爵の視線を、ハロルドは笑顔で受け止めた。

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